第50話 撤退
毎日20時投稿
三度目の地下水路だった。
前回よりも慎重に、エンは小球を前へ流していく。止めようとはしない。流れることを前提に、位置を調整する。
少しずつ慣れてきている感覚はあった。
だが――安心できるほどではない。
「水、前より多いですね」
「うん。奥に行くほど流れてる」
カナが足元を確認しながら答える。
床の傾斜が強い。小球は放っておけば自然に奥へ流れていく。
つまり、後ろへ戻すには常に操作が必要になる。
それだけで、集中力が削られていく。
曲がり角を抜けた瞬間だった。
「ゴギャッ!」
前方からゴブリンが三体。
同時に、後ろの通路からも足音が響く。
「……後ろからも来ます!」
「前抜ける!」
エンは小球を前へ滑らせ、進路をずらす。
一体が足を取られ、カナが叩き伏せる。
だが残り二体が左右に散った。
狭い通路。
横へ逃げる余裕がない。
エンは大球を出す。
威力を抑えたつもりだった。
しかし水を含んだ床で球が加速する。
「速い……!」
一体を弾いたあと、止まらない。
壁に当たり、跳ね返る。
軌道が読めない。
「エン、横へ!」
「はい!」
慌てて操作を切る。
大球がカナの横をかすめて通り過ぎた。
背筋が冷える。
もし当たっていたら――。
考える余裕はなかった。
その瞬間、奥から低い声が響いた。
「ゴギャアッ!」
新たなゴブリンが三体、流れ込んでくる。
退路側にも二体。
完全な挟撃だった。
「……多い!」
エンは小球を戻そうとする。
だが水流に逆らう形になり、操作が遅れる。
いつもの位置に置けない。
制御が追いつかない。
「カナ、下がって!」
「無理、詰められてる!」
ハンマーが振り下ろされる。
一体は倒れるが、すぐに次が前へ出る。
数が減らない。
戦闘が長引く。
呼吸が乱れる。
焦りが生まれる。
その瞬間――。
大球が、わずかに制御を外れた。
水の流れに乗り、予想外の方向へ滑り出す。
「……っ!」
止めきれない。
通路を横切るように転がる鉄球。
逃げ場がない。
カナが一歩下がる。
その隙にゴブリンが距離を詰めた。
「危ない!」
エンは無理に球を止めた。
強引な操作。
頭がくらむ。
視界が一瞬揺れた。
このまま続ければ、崩れる。
はっきり分かった。
「……撤退します!」
エンが叫ぶ。
カナは即座に頷いた。
「いい判断!」
腰の袋から魔石を取り出す。
F級からドロップする、緊急脱出用の帰還石。
足元に叩きつける。
光が弾けた。
次の瞬間、二人はダンジョン入口の転移陣の前に立っていた。
静寂。
水音も、足音もない。
エンはしばらく動けなかった。
心臓の音だけが大きく響いている。
「……すみません」
ようやく口に出た言葉だった。
カナは首を振る。
「謝るとこじゃない」
息を整えながら続ける。
「今のは、続けたら危なかった」
エンは拳を握る。
負けたわけではない。
だが――。
「何もできなかったです」
「違う」
カナははっきり言った。
「戻る判断できた。それで十分」
エンは視線を落とす。
ゴブリンキングには勝てた。
E級でも戦えていると思っていた。
なのに。
場所が変わっただけで、ここまで崩れる。
ギルドの外に出ると、夕方の風が冷たかった。
エンは深く息を吐く。
「……足りないですね」
「うん」
カナは迷わず頷いた。
「今のままだと、場所を選ぶしかない」
それはつまり――。
どこでも勝てるわけではない、ということだった。
エンは空を見上げる。
悔しさはあった。
だが同時に、はっきり分かっていた。
ここを越えなければ、先には進めない。
E級は、まだ終わっていない。
いつもありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、
★★★★★評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。
本作は毎日更新中です。
明日もお待ちしています。
作者の新作です。
現代日本×ヒーローSF
「魂融合機兵ヴェスパー《HIVE-01》」
蜂型の機兵が侵略者と戦う物語です。
もしよろしければこちらも読んでいただけると嬉しいです。




