第392話 居たはずの誰か
酒場がムビの出現にどよめいた。
「おい、ムビまで参戦し始めたぞ……どうなってんだ!?」
ゲーニッツとクルスは震える声でムビに抗議した。
「ひ……卑怯だぞ、ムビ!?『四星の絆』は、もう十分強いだろう!?」
「そ、そうだぞ! エレノアちゃんまでスカウトする必要ないじゃないか!?」
一方、エレノアは嬉しそうに笑顔が弾ける。
「あーっ、昨日の男の子! 君、ムビって言うんでしょ? 皆から聞いたよ、すっごく強いらしいね!……ふふん♪ 君も、私の勧誘に来たのかな?」
エレノアが得意気に胸を張る。
「ごめんなさい。勧誘するつもりはないんだけど、エレノアと少しだけ話したくて……」
ムビは申し訳なさそうに語りかける。
ゲーニッツとクルスはホッとため息をついたが、エレノアは少し不満そうに眉を寄せた。
「ふーん……。それで、話って何かな?」
ムビは一呼吸置いて質問した。
「エレノア……ひょっとして、記憶喪失だったりする……?」
エレノアは目を丸くした。
「あれ、よく知ってるね? そうそう、昔のこと全然覚えてないんだよね~」
ムビは息が止まった。
「ちなみに、一番古い記憶ってなに……?」
エレノアは記憶を呼び起こすように、こめかみに指を当てた。
「10日ぐらい前かな? 気づいたら洞窟の中で寝てたんだよね。魔物もいっぱいいたんだけど、自力で洞窟を出て、街を転々としながらここまで流れ着いた感じ?」
「そ、その洞窟ってどこかな!? なんていうダンジョン!?」
「ごめんなさい、適当に歩いて来たから、そこがどこだったかも分からないの。名前はもちろん、もう場所も分からないし……」
ムビはガクリと項垂れた。
「他に何か、覚えてることある……?」
「う~ん、自分の名前ぐらいしか覚えてないかなぁ~」
ムビは沈黙した。
その沈黙を破ったのは、クルスだった。
「なぁ、もういいかなムビさん? 俺たちは今、大事な話をしているんだ。これ以上喋ることがないなら、退いてくれないか?」
クルスがムビの肩を掴む。
そのとき、エレノアが目を見開いた。
「えっ」
ムビが瞳に涙を溜めていた。
「……ごめんね、エレノア。痛かったよね、怖かったよね……。俺が不甲斐ないばっかりに……本当に、ごめん……」
エレノアは戸惑った。
「ちょ、ちょっと、どうしたの!? あなた大丈夫!?」
ムビはゴシゴシと涙を拭く。
(エレノアがダンジョンで死んじゃったのは、俺のせいだ……。もう、エレノアに関わるのはやめよう……)
この2時間、ずっとエレノアの様子を見ていた。
絶えず人と喋り続け、とても幸せそうだった。
(そういえばエレノアの夢って、外に出てデートすることだったっけ……。こんなに人気者になって、皆にチヤホヤされて……。よかったね、エレノア……)
まっすぐエレノアを見つめ、くしゃっと笑った。
「ごめん、大丈夫。こっちの話だから……。そうだ、これ、良かったら食べて」
ムビは立ち上がり、テーブルに箱をそっと置いた。
「Aランク昇格おめでとう。それじゃあ……」
そのまま背を向け、お代を払い、酒場を出て行った。
冒険者たちがポカンとする中、ゲーニッツが呟いた。
「なんだあいつ、何がしたかったんだ? 情緒不安定か?」
冒険者の一人が、興味津々にエレノアに話しかける。
「なぁエレノアちゃん、その箱、何が入ってんだ?」
「えっ? あぁうん、開けてみようか?」
エレノアが箱に手を伸ばす。
「きっとすげぇもんが入ってんじゃねぇか?」
「あぁ、なんたってS級冒険者のプレゼントだし……」
パカッ。
中に入っていたのは、ケーキだった。
「ケ……ケーキ?」
「あぁ、普通のケーキだぜ……」
エレノアが尋ねる。
「これ、ケーキっていうんだ? 高価なの?」
「エレノアちゃん、ケーキ知らねぇの!? いや、どこにでもある普通のお菓子だぜ?」
ゲーニッツとクルスが笑い始めた。
「ははは、今日のプレゼントの中で一番安いんじゃないか!?」
「あぁ、そうだろうね! S級ともあろう者が、随分とケチでしみったれてるじゃないかww」
「なぁーんだそうなんだ、ガッカリ」
エレノアはつまらなさそうな顔で、ケーキの箱を脇に避けた。
「さぁーてエレノアちゃん、本題だ。『暁の契約』に入らないかい?」
「いやいや、『黒曜の盾』に加入してもらうよ?」
詰め寄るトップ冒険者2人に、エレノアは笑顔を浮かべた。
「えぇ~、どっちにしよっかなぁ~?」
酒場は再び熱気を取り戻し、エレノアへの勧誘活動は更に2時間続いた。
◆ ◆ ◆
深夜、エレノアは宿屋の部屋で飛び跳ねていた。
「いやったぁー! 所属パーティ決まったぁー♪」
結局、『暁の契約』に加入を決めた。
やはり、クルスのイケメンっぷりと、宝石のプレゼントが決め手だった。
「ふふ……クルスは彼女いないって話だったし、これから楽しみだなぁー♪ さて、と」
ベッドの上に、持ちきれない程のプレゼントの山が積み上がっていた。
一つ一つ、中身を確認していく。
中には手紙が入っているものもあった。
「あはは、嬉しいなぁー♪ 後で読もうっと……ん?」
ふと手に取ったのは、ムビのケーキの箱。
開くと、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
「あれ? 安いって話だったけど、意外と美味しそうじゃん♪」
ちょうど小腹も空いて来た。
皿に取り分けて、テーブルに置く。
「いっただっきまーす♪」
フォークで切って、一口。
脳に衝撃が走った。
(……!? お、美味しいーっ! こんな美味しいの、初めて!)
夢中で咀嚼し、飲み込む。
全身が言いようのない幸せに包まれた。
「なによーっ♪ さすがS級冒険者、やるじゃない! いいもの知って……あれ?」
涙が一筋零れ、頬を伝った。
「えっ……なに、これ……?」
幸せが全身に染み渡るほど、涙が溢れ出た。
まるで体が、ずっと求めていたみたいに。
「あはは……私ってひょっとして、ケーキ好きだったのかな?」
もう一人の自分に問いかけるように、エレノアの声が静かに響いた。
当然、返答などあるはずもない。
説明のつかない涙だけが溢れてくる。
ふと、ケーキの箱を見る。
彩り豊かなケーキが、まだ5個も残っている。
(……なんだろう? すごく食べたいのに……私には少し、多い気がする……)
半分を、誰かに食べてもらいたい。
自然と、そんな気持ちになる。
そうすれば、もっと美味しくなるはずなのに。
(———大切な何かを忘れている気がする。絶対に忘れちゃいけない、何かがあったような……)
窓に雨粒が当たる。
胸のもやもやはまるで雨雲のように広がっていき、夜が更けるにつれ、やがて雨足は強まっていった。




