第386話 ムビとリゼ5
リゼの独白を、ムビはただ黙って聞いていた。
吐息が触れるほどの距離で、リゼの瞳は潤み、熱を帯びている。
「お願い、ムビ。ムビはじっとしてるだけでいいの。私が全部、勝手にするから……」
リゼは猫のような動きでムビににじり寄る。
ムビは反射的に肩を掴んで押し返そうとしたが、リゼはそれすら甘い刺激のように受け止め、さらに身体を寄せてくる。
(どうしよう……。正直、リゼの力にはなりたい。でも、そんなことはできないし……。一体、どうすれば……)
リゼの理性は限界に近い。
虚ろな瞳に浮かぶ笑みは、恋する乙女のそれであり、同時に飢えた獣のそれでもあった。
(何か方法は……何か……)
その瞬間、ムビの脳裏にひらめきが走る。
「ね、ねぇ! リゼ、ちょっと待って!」
ムビの声に、リゼの動きが止まった。
「要は、レベルの高い人の……その、アレならいいんだよね……?」
リゼはぐすりと鼻をすする。
「言ったでしょ? 私は、あんたじゃなきゃ嫌なの。いくらレベルが高かろうが、他の奴のなんて……」
「い、いや! そうじゃなくて! お腹自体は、満たされるんでしょ?」
リゼは拗ねたような目でムビを見る。
「そりゃそうだけど……何度も言ってるけど———」
「わ、分かったから! 協力する! だから、一旦離れて! ね?」
その言葉を聞いた瞬間、リゼの張り詰めた表情が一気に和らいだ。
「ほ、ほんとに……? ほんとのほんとのほんとに……?」
「ほ、ほんとだから! だから、一旦落ち着こう!」
リゼはゆっくりとムビから離れ、ソファの上で正座した。
「う、嬉しい……。ありがとう、ムビ。大丈夫、絶対後悔させないから……」
「あ、待って! 協力はするんだけど、俺のを直接ってわけにはいかない」
ムビが手を上げて制止すると、空気が一瞬で固まる。
「えっ? じゃあ、どうするの?」
「うん。だから、こうする」
———ポン。
ムビは分身魔法を発動し、自分と瓜二つの分身体を作り出した。
「彼が俺の代わりに、リゼのご飯作るから。よろしくね、俺?」
ムビが笑顔で分身体の肩に手を置くと、分身体は顔を真っ赤にして叫んだ。
「えぇっ!? ちょ、ちょっと待って! 俺やだよ!?」
「何言ってんだよ、分身体のくせに! 大人しく命令を聞いてよ!?」
ムビと分身体の押し問答を、リゼはぽかんとした顔で見つめていた。
「お、驚いた……。あんた、分身魔法なんて使えたの? 禁術じゃない」
「うん、まぁこっそり。何回か使って、上手くいったんだけど……」
分身魔法は、魂とパラメータを分離し、術者本人の“もう一人”を作る。
分身体が死ねば、その魂とパラメータは永遠に失われる。
さらに分身体は自我を持つため、造反や逃亡の危険もある。
圧倒的なハイリスク……ゆえに、禁術。
ムビがこの術を使うのは、ある意味自分自身を信用しているからだ。
例え分身体になろうとも、自分の役割を理解し、せっせと目的を遂行するはずだと。
しかし、今回はどうも様子が違う。
「やだやだやだ! それなら、別の分身体に命令してよ!?」
「何言ってるの!? 分身体の多重生成はリスクが伴うでしょ!?」
30分ほど本体と分身体で揉めたが、結局分身体の方がしぶしぶ折れた。
「というわけでリゼ。彼が協力してくれるから、よろしくね?」
満面の笑みの本体と、ぶすくれた表情の分身体。
リゼは既に涙も引っ込んでいたが、安堵したように苦笑した。
「あはは! 何よこれ、意味わかんない! でも……ありがとう、ムビ」
「うん。彼には俺のパラメータの1%を譲渡してるから、その辺の冒険者よりずっと強いよ」
1%とはいえ、レベルはゆうに100を超えている。
これだけのパラメータがあれば、リゼの空腹を満たせるはずだ。
「ふふふ、よろしくね、分身体のムビ? それじゃあ、早速———」
リゼがにじり寄ろうとした瞬間、本体ムビが手を伸ばして止めた。
「あっ。分身体と直接そういうことするのは禁止ね?」
数秒の静寂。
「は、はぁ!? じゃあ、どうやって……」
「分身体くんが自分で出すから、それを摂取して欲しい。分身体とはいえ、やっぱり俺も恥ずかしいから」
リゼは目を丸くする。
「えっと……恵んでもらう身でなんだけどさ……その方が、かえってエロくない?」
「そ、そうだよ! 変態じゃん!? 自分がしないからって、好き勝手言って!」
「えーい、2人ともだまらっしゃい!」
本体ムビが2人を一喝する。
「とにかく、直接の摂取は絶対禁止! 分かった!?」
「わ、分かったわよ……」
リゼは大人しく首を縦に振る。
本体ムビは満足げに笑った。
「よし、じゃあ分身体くんは置いて行くから、3日ぐらい様子を見ようか。もしも足りなかったら、俺に連絡して」
リゼの空腹を満たすだけなら、もっと分身体のパラメータを上げた方がいいかもしれない。
だが、分身魔法はリスクが大きい。
消失や造反のリスクを考えると、まずは1%程度で様子を見たい。
「ありがとね、ムビ。やっぱり、あんたに相談して良かったわ」
リゼは泣き腫らした目で笑った。
3人で後片付けをして、ムビはそのまま帰宅した。




