第378話 引っ越し
S級冒険者の任命式が終わった翌日。
ムビは、静まり返った自宅で引っ越しの荷造りを始めていた。
「もう、ここにはとても住めないなぁ……」
窓の外をのぞくと、家をぐるりと囲むように数千人のファンが押し寄せている。
昨日からずっとだ。寝ている間も、歓声と悲鳴と泣き声が絶えなかった。
ムビはため息をつき、家具を大型の保存袋へ次々と収納していく。
午前中いっぱいを使い、ようやく家の中が空になった。
「これでよし、と……。今まで、お世話になりました」
家の中で一礼し、玄関を出る。
ファンたちが気づき、悲鳴が上がる。
「きゃーっ! ムビさ———」
その声が届くより早く、ムビは空へ飛び上がった。
◆ ◆ ◆
(さて、新しい住所は、と……)
新居はリリスが手配してくれたものだ。
茶飲み話のついでに「家がファンで埋まってる」と愚痴ったら、即答で「引っ越しましょう」と言われていた。
(リリスが紹介してくれる家だし、きっといい家なんだろうなぁ。えっと、この辺か……)
ムビはメモに書いてある住所に降り立ち、周囲をキョロキョロ見回す。
広大な屋敷が一つあるだけで、特に家らしい建物は見当たらない。
「あれぇ? 変だなぁ。確かにこのあたりのはずなんだけど」
ムビは首をかしげながら、メモの切れ端を見る。
とりあえず屋敷の周囲を、数分かけてぐるりと一周する。
だが、やはり家らしいものはない。
「何かの間違いかなぁ?」
そのとき、背後から声がした。
「ムビ様、ご機嫌麗しゅう。お早い到着ですね」
振り返ると、日傘を差したリリスが優雅に立っていた。
「リリス! わざわざ来てくれたの?」
「はい。本日は予定もありませんでしたので、新居のご説明をと思いまして」
微笑むリリスに、ムビは困った顔で訴える。
「聞いてよリリス、変なんだ。このあたりに家があるはずなんだけど、どこにもなくって」
リリスはパチクリと何度か瞬きをした。
一瞬横を見て、もう一度ムビを見る。
「ありますよ?」
「いやいや、俺もそう思ってこのあたりをグルグル回ったんだけど、全然見当たらなくて」
リリスが屋敷を指差す。
「回ったって……これの周りをですか?」
「そうそう! だから住所間違えてるんじゃないかと思って———」
「ムビ様の家は、これですよ?」
一瞬の静寂。
ムビは指差された方を見て、リリスを見る。
「家なんてないじゃん?」
首を傾げるムビに、リリスは目を見開いた。
「ムビ様……もしかして、脳が無意識に認識から除外してます? これですよ、これ」
「だからどれ!? 何にもないじゃん!?」
ムビが屋敷を"家"と認識するまで、しばらく時間を要した。
◆ ◆ ◆
午後3時。
荷物の整理を終えたムビは、庭でリリスとお茶していた。
「まさか、自宅の庭でお茶する日が来るなんて思わなかったよ……」
目の前には、どこまでも続く広大な庭園。
噴水、花壇、魔法樹の並木道。
ムビはただ呆然とするしかなかった。
「私のおばあさまが生前愛されていた離れです。築50年ですが、魔法樹で作られているのであと数百年は住めます。庭も手入れさせていたので、綺麗でしょう?」
綺麗どころの騒ぎではない。
下手をすれば王城の庭園に匹敵する。
カップを持つムビの手が震え始めた。
紅茶が波打ち、零れそうになっている。
「リ、リリス……い、一体この家、いくらするの……?」
「そうですね。家具や装飾品もそのままですし、全部合わせると100億ぐらいでしょうか?」
「ひ、100億!?」
ムビは雷に打たれたような顔になった。
「と、とても払いきれないよ! 俺、借金大王だよ!?」
「大丈夫です。全部ツケておきますから」
リリスがにっこりと微笑む。
「ツ、ツケるって……」
ムビの借金3000億円は、全てリリスが立て替えている。
海賊ジョンの聖装探索やデスストーカー討伐で得た莫大な報酬は、全て借金の返済にあてがわれていた。
まだ、2500億円ほどの借金が残っている。
いや、この家の購入費で、さらに100億円が追加された。
「私としてはタダで差し上げたいところなのですが、王族とはいえ脱税しては、市民に示しがつきませんからね。ちなみに、年間維持費は10億円近いです」
「む、むむむむりむりむり! こんな家、とても住めないって!」
ムビは首をブンブン振る。
対してリリスは落ち着き払って紅茶を飲み、ふぅと一息ついた。
「大丈夫です。ムビ様への依頼の報酬額ならば、これくらいあっという間に返せます。ムビ様、S級冒険者の報酬の相場はご存知で?」
ムビは少し考える。
ギルドではCランクの依頼までは受けたことがある。
そのときの報酬額が100万円。
ランクが上がるごとに0が1つ増えていくので、Bランクでは1000万円、Aランクでは1億円になるはずだ。
ということは……。
「えっと……10億、くらいかな?」
「正解です。しかし、私がムビ様に依頼するのはその上。国家機密級———つまり、SS級です」
「え、SS級!?」
聞いたことがある。
冒険者のランクはS級までだが、それを上回る規模の依頼はSS級と呼ばれると。
「報酬は100億円。どうです、借金返済も夢ではないでしょう?」
リリスは紅茶を注ぐ。
優雅にカップを回し、香りを楽しむ。
「本来、SS級の依頼は数年がかりのプロジェクトですが、ムビ様ならば1ヶ月あれば完遂可能なのではないでしょうか」
「で、でも……できなかったら、借金返済の目途はなくなるってことだよね……?」
「大丈夫。ムビ様ならできますから」
圧のある笑顔。
雇用主であり、借金の貸主でもあるリリスを前に、逆らう選択肢など存在しなかった。
「が、頑張ります……」
「ふふ、期待してますよ? そうそう、最初の依頼の前に、これを読んでおいてください」
保存袋から、どさどさと大量の本が落ちてきた。
「これからの依頼に必要な知識です。一週間後、城に来てください。最初の依頼をお伝えするので、それまでに全部読んでおいてくださいね?」
数十冊の本が、無言の圧力を放っていた。
「が、頑張ります……」




