サウィンの前夜【3】
「ここへ来る度に思うが、凄まじい蔵書数だな」
イスラは閲覧室を見渡し、驚嘆混じりに呻った。
図書室のエントランスは本塔の五階にあるが、閲覧室部分は吹き抜けになっていて、六階部分も本棚で埋め尽くされている。
天井近くまで競り上がった本棚には可動式の梯子が掛けられており、本棚から本棚へ滑らせて使うことができるのだが、本来の”高い場所にある本を取る”という用途ではなく、広大な閲覧室内の移動に使う生徒が多い。梯子に掴まって床を蹴るだけで移動できるので、生徒達の間では重宝されている。
あまり行儀の良い使い方ではないのだが、それほどこの図書室は広く、歩き回るだけでも一苦労なのだ。
「この中からカブの妖精の記述を探すのですか……」
「ある程度分類されちゃいるが、それでも相当な数だぜ」
エルフリーデとイスラは二人揃ってげんなりした顔をして、ずらりと並んだ本棚を見上げる。
「この十日程、ゾフル先輩と一緒に殆ど毎日の様に図書室に通いましたが……正直なところ、二人だけでは手が足りていませんでしたの」
「毎日!?」
「なぜかゾフル先輩がやる気で、連日図書館に誘われましたの。恋の妙薬なんて、興味が無いどころか小馬鹿にしてましたのに」
エルフリーデはゾフルの心境を思って乾いた笑いを零した。
それは、気になっている女の子が恋の妙薬を調べるなんて言っていたら、いても立ってもいられないだろう。
メルヴィがそれを使うために調べているのではないにしても、だ。
「でもやっぱり、二人がかりでもなかなかめぼしい資料が見つけられませんでしたの。お姉様にご助力をお願いするのは心苦しかったのですが……」
「そんな! むしろあなた達にばかり任せてしまっていてごめんなさい」
エルフリーデもカブの妖精の事を調べたいと思ってはいたのだが、妖精が渡来するサウィンの前夜が近いために、連日精霊学の教授に呼び出されてしまっていた。
遠慮を知らない教授にあれもそれもこれも、と研究に協力を強いられ、日が暮れても帰らないエルフリーデを心配して迎えにきたアレスと寮に戻る。ここのところそんな日が続いていたので、なかなか件の妖精のことは調べることができなかったのだ。
「──あ、そういえば。猫さんが、カブの妖精の事をヘルブストの眷属と言っていたんです」
「ヘルブストか。確か、四つの季節を司る妖精の女王の子供達の中で、秋の化身が最も眷属が多いんだよな」
暁の王国の四季は、妖精の女王の寵子らが齎すもの也
愛と美を司る春の化身、フリューリンク
策略と雷雨を司る夏の化身、ゾンマー
豊穣と慈愛を司る秋の化身、ヘルブスト
知恵と戦いを司る冬の化身、ヴィンター
愛される季節程、多くの妖精がこぞって眷属として従わん
秋の化身こそ眷属を多く従える最たるもの也
その数、如何許りか杳として知れず
対し、凍てつく冬を愛するものは氷ばかりと僅か也
しかして彼の女王の末子は冬将軍と恐らるる偉大な妖精に変わりなし
イスラが淀みなく教本の内容を諳んじると、エルフリーデは思わず舌を巻いた。
唖然としてイスラを凝視していると、視線に気づいたイスラは何でも無い事の様に肩をすくめる。
「そんな驚くなよ。俺はあくまで”留学生”だ。勉強しに来てるんだから、この国のことをしっかり学ぶのは当然だろ」
「そういえばイスラは、昨年の学年首席でしたわね。ま、どうでも良いことは置いておきましょう。それよりもカブの妖精がヘルブストの眷属ならば、秋の化身に重点を置いて調べた方が良さそうですわ。早速ゾフル先輩に伝えてきますわね」
メルヴィはイスラの事には興味が無いのか、彼の言葉を軽く流して、ゾフルに情報を伝えるために図書館の奥に向かった。
残されたイスラとエルフリーデは顔を見合わせて苦笑する。
「あいつは本当に明け透けな奴だな。いや、俺が取り繕うな、気楽に接しろって言ったんだが」
「それにしたって露骨な態度ですみません」
「いいんだ、本当に。──むしろ、興味を持たれる方が都合が悪い。他国の貴族には、俺は軽薄でちゃらんぽらんな、縁組には遠慮したい男として見てもらいたいからな」
イスラは僅かに瞼を伏せて、呟くように言った。
エルフリーデは返事ができず、目を見開いて彼を見つめ、数度瞬きする。
複雑な色を湛えた薄橙の瞳が青緑の瞳と交差して、イスラは口元だけへらりと笑ってみせた。
「俺は第二王子だ。いずれは臣籍に下るが、暁の王国との結びつきを強めるために婿へやれという話が出つつある」
一度言葉を途切れさせて、イスラは目を閉じ、瞼を開く。
朝焼けの陽の色に似た瞳は、強い決意に満ちていた。
「──けどな、そんなのまっぴらごめんだ。俺は白峰の国……いや、兄貴と運命を共にしたい」
「お兄様、ですか」
「兄貴──バラク兄上は凄い人だ。白峰で長年問題になってた貧民街に手を入れて、多くの貧しい獣人が真っ当な暮らしができる様になった。ゾフルは元々スラム出身だから、余計兄貴に心酔してる。俺に仕えることになった時の嫌そうな顔、見せてやりたいぜ」
自分の従者が、自分よりも兄に傾倒していると言いながら、イスラはそれでいいんだと言わんばかりに笑い飛ばす。
エルフリーデは何も言葉が出て来ず、ただ黙って耳を傾けるしかなかった。
「俺も、ゾフルに負けないくらい兄貴のことを尊敬してる。あの人の行く道を傍で見届けたい。だから、俺は外の国からじゃなく、白峰の国の中で兄貴を支える道を選ぶ。そのためにこの国に来たんだ。学べるだけ学んで、新しい事を国に持ち帰って、兄貴の力になる。そう、決めてる」
「じゃぁ、私たちは同志ですね」
「同志?」
イスラが首を傾げると、エルフリーデはしっかりと頷いた。
仲間を見つけた様な、胸の内が暖かくなる高揚感が沸き上がって、自然と顔が綻ぶ。
「私も、お兄様の力になれるように学びたくて、いろんな人と関わってお兄様を支えられる様になりたくて、この学問塔に来たんです。私もイスラも、お互いのお兄様の為に頑張りたいと思っているので、同志です」
エルフリーデは、拳を握った腕を前に出した。入学式の翌日にイスラと交わした、白峰の挨拶だ。
すぐにエルフリーデの意図を察したイスラは嬉しそうに破顔して、拳を握った腕を交差させ、しっかりと腕をぶつけてぐっと押し付けた。
以前に交わした、軽く叩き合うだけの軽い挨拶ではない。イスラの力強い意思がその腕に込められている。
エルフリーデも負けじと押し返して、しばらく腕を押し合っていた二人はなんだか可笑しくなってきて、声を殺して笑い合った。
ひとしきり笑うと、エルフリーデは少し目線が高いイスラを見上げて、少し迷った後口を開いた。
「あの、無粋かもしれませんが……どうして、こんな話を私にしようと思ったんですか?」
イスラは瞬きして、それからエルフリーデから目を逸らし、言葉を探す様に口を開いたり閉じたりした後、意を決したようにエルフリーデを見た。
「半分気まぐれなんだが……まぁ、たぶん、お前が”花の蜜”だからだ」
予想もしていなかった理由に、エルフリーデはきょとんとして首を傾げた。
いくら考えてもちっともイスラの話と自分の身の上が結びつかず、きゅっと眉が寄る。
「お前とはいくら仲良くなろうが、気を許そうが、友以上の関係にはなれない。そんな立場にいるお前だから、一緒にいるとついつい気が緩んでしまうというわけだな」
「私の立場……ですか?」
「エルフィは”花の蜜”だ。授業でも教授が話していたが、花の蜜は暁の王国の外へ出されない。ましてや、他国に嫁がされるなんて以ての外だろう。お前は俺の角を折った時、簡単に”俺を嫁にする”なんて言ったが──お前の立場じゃ無理だぜ」
エルフリーデは何も言い返せず、角を折った時の浅はかな自分の発言が恥ずかしくなって、ぎゅっと唇を結んだ。
「王位継承権の無い王族は臣籍を得ないと嫁や婿を取ることはできない。だが、花の蜜に臣籍が与えられることはないらしい。となると、自国内で降嫁するか妾妃になるかだ。お前は俺の結婚相手から一番遠い存在なんだ」
「なるほど……」
エルフリーデは複雑な気分になりながらも頷く。
同志であるイスラと仲良くできるのは嬉しいことだが、結婚対象外だから気安くしてしまうというのは──エルフリーデも一端の乙女なので、すんなり飲み込み難い発言だ。
憮然としているエルフリーデに、イスラは決まり悪そうにしながら尚も口を開く。
「それから、嫌われることを覚悟して打ち明けるが……さっき言った通り、俺はこの国と縁談が纏まるわけにいかない」
エルフリーデはひとまずこくりと頷く。
「それでだな……お前のことを”婿殿”って呼ぶのは縁談避けの為でもあるんだ」
エルフリーデは呆気に取られて目を見開いた。
「揶揄っただけじゃなかったんですか?」
「いや、勿論お前を揶揄って遊んでるのも確かなんだが、ちょうどいいから利用させてもらっていたんだ」
あんまりな言い様にエルフリーデが絶句していると、嫌いになったか? と恐る恐るイスラは彼女の顔色を窺う。
エルフリーデがため息をつきながらも首を振ると、彼はホッと胸を撫で下ろした。
「ともかくだ。お前を婿殿と呼べば、それを聞いた奴は、実際にどうかはさておき、俺がお前に気があるんじゃないかと勘繰るだろ? そんな叶わない恋をしてる男と縁組したいだなんて、誰も思わないからな」
「叶わない、恋……」
「ああ。俺はお前の嫁にはなり得ない。……絶対にな」
一瞬彼の杏色の瞳が揺れた様な気がしたが、瞬きの間に、その瞳は強い意志の宿った色に戻る。
イスラは息を整える様にゆっくりと息を吸って、吐く。
「そんなわけだ。これを聞いても、まだ同志って呼んでくれるか?」
少し目線の高いイスラを見上げて、エルフリーデは黙って拳を握った手を差し出す。
イスラは目を見張った後、はにかみながら腕を交差させた。
「……そろそろ調べ物に本腰いれないとな。あんまり長話してると、メルヴィに嫌味を言われる羽目になる。主に俺が」
「ええ、そうならないためにも頑張りましょう、イスラ」
本棚に向かって歩き始めたイスラの隣に並んで、エルフリーデは微笑んだ。




