サウィンの前夜【1】
秋が深まり、木々の葉が赤く染まり始めた頃。
学問塔の新学期が始まってから一月が過ぎ、暦は十の月も半ばになった。
この十の月の最後の夜は、”サウィンの前夜”と呼ばれる。
妖精の国と人の国の境が曖昧になり、木漏れ日の向こう側から妖精が渡ってくるという。
やってくる妖精は悪戯もするけれど、同時に彼らなりの恩寵も与えてくれるので、この十の月の末日とその翌日、”サウィンの日”と呼ばれる十一の月の最初の日は丸々二日とも祝祭の日として定められ、暁の王国の各地でお祭り騒ぎが起こる特別な二日間だ。
そしてそれは、学問塔も例外ではなく──
「なぁおい、知ってるか? サウィンの前夜にだけやってくるカブの妖精の話」
隣に座ったイスラにペンで脇腹をつつかれ、エルフリーデは眉を顰めた。
「授業中ですよ、イスラ」
そう、今は史学──レクネン教授の授業中だ。
黒板に大きく張り出されている資料の前で、レクネン教授は手元の資料に目を落とし、朗々と読み上げている。
彼の低い声はよく通る、聞きやすい声だ。
しかしその柔らかな語り口はどうにも生徒の眠気を誘うので、彼の授業は睡魔との戦いでもあると、生徒の間で囁かれている。
話している内容は興味深く、一つの事柄に色々な事を関連づけて話してくれる先生なので、皆必死で瞼を開けようと様々な工夫を凝らすのだ。
そして、エルフリーデもまた、彼の話が好きな生徒の一人だった。
一生懸命話を聞こうと集中していたのに横から邪魔をされてしまって、エルフリーデは彼を睨んで小声で抗議する。
「授業に関係ない話は後にしてもらえますか?」
「別に関係なくもないぜ? サウィンの二日間についての話だろ」
確かにイスラの言う通り、今日の史学の授業はサウィンとその前夜の歴史と伝統についての講義だ。
サウィンに行われる収穫祭の地域毎の特色や、前夜に国中で飾る、妖精に見立てたカブのランタンの事、それから前夜の真夜中に行われる精霊塔の塔主による翌年の王国の吉凶を見定める占事。
一年間で最も重要な祭りと言っても過言ではない二日間の祝祭日の講義なだけあって、今日の授業をまとめたエルフリーデの羊皮紙には、彼女の丁寧な文字がびっしりと書き込まれている。
「今日の授業は書き留めることが沢山あるので、おしゃべりしている余裕はないんです」
「自国の祭りだろ? 元々知ってることじゃないのか?」
痛いところを突かれて、エルフリーデは一瞬言葉に詰まった。
記憶を失って、さらに六年間眠り、そうして初めて迎えた十月──昨年のサウィンの二日間は、自室で試験勉強にかまけていたので祭りに顔を出していない。
唯一精霊塔の占事だけは、フリートヘルムが主役であり、馴染みの精霊塔の職員たちが取り仕切る行事ということもあって参加したが、それ以外のことはからきし分からない。
もし六年も眠っていなければ、サウィンの二日間はもっと馴染みのあるものになっていたのかもしれないと思うと、少し残念だった。
授業を聞いているだけでも、楽しそうな祝祭の日の雰囲気が伝わってくる。
「私はまだ、祭りらしい祭りに参加した記憶が無いんです」
「……そういやお前は、いろいろと複雑な生い立ちだったな」
バツが悪そうな顔をしたイスラは一瞬考える素振りを見せ、それからパッと何か思いついた様に顔を輝かせた。
「じゃぁ、今年の祭りを今までの分まで楽しめば良い。それで、さっき言いかけたカブの妖精なんだが──あだっ!」
空を裂いて飛んできた何かがスコンと小気味良い音を立ててイスラの額に命中し、彼は仰け反って額を押さえた。
投げつけられたのはチョークだったようだ。
机の上に落ち、コロコロと転がって白い粉が痕を引く。
「真面目に聞いている方の邪魔をしてはいけませんぞ、イスラ殿下」
チョークを投擲したのはレクネン教授だったようだ。
右手でチョークを弄びながら、有無を言わせない、どこか凄みを感じる笑みを浮かべる。
「仲良きことは美しきかな、と言いますが、分別のある交流をなさっていただきたいものですな」
「はい」
イスラは動物的な本能か、逆らってはいけない何かを感じて、大人しく姿勢を正した。
横目でちらりと彼を盗み見ると、イスラの鹿の耳がしおしおと垂れていて、エルフリーデはつい笑いそうになってしまって、口を押さえて一生懸命堪えた。
「……よろしいですかな? 殿下方」
咳払いして伺いを立てるレクネン教授の声に、エルフリーデは慌てて背筋を伸ばしたのだった。
「サウィンの前夜、学問塔のどこかに現れるカブの妖精を見つける事ができれば、恋の妙薬が作れる……ですか?」
なんとも不思議な話に、エルフリーデは思わず手に持った昼食のサンドイッチを手から滑り落としそうになり、慌てて掴み直す。
おうむ返しに聞き返されたメルヴィは、口に頬張ったサンドイッチを飲み込んでから頷く。
「ええ、そのような古い伝承があるそうですの。ね? ゾフル先輩」
「そうそう。皆恋話好きだよね。毎年浮かれちゃってさぁ。新聞部で調べて欲しいって、読者アンケートが沢山届いてて嫌になっちゃいますよ」
話を振られたゾフルは、呆れを隠そうともせずに肩を竦めた。
学問塔の裏手にある小さな庭園の東家に、金花寮の王族三人とメルヴィとゾフルが集まって昼食を囲んでいる風景は、学問塔の昼下がりの日常風景になりつつあった。今日もまた、五人で集まっている。
東家には大きな長テーブルとベンチが置かれていて、皆で集まるにはもってこいの場所だ。
学問塔には食堂もあるが、イスラはともかくとして、アレスやエルフリーデがいては気を張らせてしまう。
専用の個室も用意されてはいるのだが、秋めいた過ごしやすい季節になったこともあり、眺めの良い庭を選んだのだった。
「へぇ……カブの妖精の噂って、そんな話だったんですね……?」
史学の授業でイスラが言いかけていたことはこれだったのか、とエルフリーデは思い返して、向かいに座るイスラをキッと睨みつける。
──やっぱり授業と関係ないどころか、浮ついた話だった!
イスラは視線に気づいていながらも知らんぷりをして、ローストチキンのサンドイッチに涼しい顔で齧り付いている。
「どうかしたか? エルフリーデ」
「い、いえ。なんでもないです……」
隣に座るアレスに顔を覗き込まれて、エルフリーデは慌てて首を振った。
授業中にイスラにちょっかいを出された話をしたら、きっとアレスはイスラにお説教を始めてしまうだろう。
せっかくのお昼休みにお説教なんてする羽目になってしまったら無駄にお兄様を疲れさせてしまう、とエルフリーデは考えて、ひとまず黙っておくことにした。
「それでその、カブの妖精ですが……そんなふわっとした噂話、とても本当だとは信じがたいです。どうしてそんな話が広まっているんでしょう?」
「何年か前に緋秋寮の図書室の古い文献から見つけ出された、真偽の不確かな御伽噺なのですが、嘘か真かあやふやな噂話ほど、真実味があるように思えますでしょう?」
噂話が好きな生徒は多いですし、とメルヴィは肩をすくめる。
なるほど、とエルフリーデは神妙に頷いた。
「そういう話に飛びつきたくなるほど、恋ってのは人を馬鹿に至らしめるモノなんですかねぇ」
ゾフルはそう言って、皮肉な笑みを浮かべた。
「あら、ゾフル先輩は恋愛に興味ございませんの?」
「別に……そうは言ってないけど」
「わたくしは馬鹿になれるほど誰かを好きになれることは素敵なことだと思いますわ。いつかそんな恋愛をしてみたいものですわね」
「あっそ」
メルヴィから目を背けたゾフルの表情が拗ねている様に見えて、エルフリーデは、あら?と目を瞬かせる。
これは何も口を挟まない方が良いと考えて、澄ました顔をしているメルヴィとむっとしているゾフルを見比べながらお茶の入ったコップに口をつけた。
「なんだよゾフル、拗ねて──いッ!」
余計な事を口にしようとしたイスラは、即座にゾフルの肘鉄炮に脇を打たれ、悶絶して口を閉ざす。
イスラはもう少し慎重に口を開くことができないのか、とエルフリーデはため息混じりに首を振った。
「恋の妙薬か。ここ数年話題になっているようだが、今のところ、カブの妖精と出会ったものはいないようだ。毎年必ず訪れる妖精ではないのかもしれないが、今年はどうだろうな」
アレスは眉を下げて、エルフリーデをじっと見つめる。
花の蜜がいるならば、今年こそカブの妖精も姿を現すかもしれない。そう考える生徒は、少なからずいるだろう。
本当にエルフリーデの前にその妖精が現れるかどうかはともかく、サウィンの前夜には妖精を狙った生徒達がエルフリーデにつきまとうかもしれない。
恋は人を盲目にすることもあるのだ。
「何も問題が起こらなければ良いのだが……」
「もし、本当に恋の妙薬なんてものが作れるのであれば、ひと騒動起きてもおかしくありませんわね。……少し調べてみますわ」
メルヴィは唇に手を当てて目を伏せ、思案する。
無理はしない様に釘を刺すエルフリーデに、メルヴィは聞いているのかいないのか、軽く頷いて、そのまま考えを巡らせ始めた。
1/12日に邂逅【4】での狸獣人くんの名前をフリーヤ→ゾフルに訂正しておりました。
それ以前に既に読んでくださっていた方には混乱させて申し訳ないです_(:3 」∠)_




