邂逅【4】
倶楽部の部室が集まっているのは、本塔の三階だ。
中央部分の二階、三階は吹き抜けになっているので、西側に運動関係の倶楽部、東側に文化系の倶楽部と、東西に分けられてそれぞれ部室を与えられている。
先ほどまでエルフリーデ達がいたのは二階の東部分だったが、そこから階段を登ってすぐの場所が文化系倶楽部のテリトリーだ。
廊下にはずらりとアーチ型の扉が並んでいて、扉の上には倶楽部の名前が彫られている。
”天文部”や”盤上遊戯部”等の一見して活動内容が分かる部もあれば、”水の妖精と利き水をする会”などという、存在意義がよくわからない部もあって、エルフリーデはついつい足が止まってしまう。
「いろんな部活があるんですね」
「クラウス叔父上は基本的に、余程危険な事を目的にしていなければ申請された部を却下することはしないそうだ。生徒の自主性を重んじるということらしいが……流石に、”氷の妖精とアイスクリームを年中楽しむ方法を模索する部”というのは……如何なものか」
アレスは歩きながら、丁度目に入った倶楽部の名前を苦笑混じりに読み上げた。
「お前達、よそ見してると置いてくぜ」
先を行くイスラとメルヴィは廊下の突き当たりにある、古びた扉をまっすぐ目指す。
学問塔の文化系倶楽部の中で最も古い歴史を持つ新聞部の部室が、そこだった。
「邪魔するぞー」
ノックもそこそこに、イスラは扉を開く。
呆れた顔をしたメルヴィが後に続いて、奥にいる生徒に声をかけた。
「返事も待たずに入ってしまって申し訳ございません、ゾフル先輩」
「ああ、いーよ別に。いつものことだから。それより嗅ぎ慣れない匂いがするけど誰? お客さん?」
ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。ひょっこりと顔を覗かせたのは、焦茶色の狸の耳を頭のてっぺんに生やし、制服のスカートから突き出たフサフサの尻尾を揺らす獣人の女子生徒だった。
ゆるく編まれた栗色のおさげ髪と黒目がちの薄茶色の瞳が愛くるしいが、声は女の子にしては少し低い。
「げっ」
丸眼鏡の奥の目が、エルフリーデとアレスを見た途端見開かれ、顔が引き攣って石のように固まってしまう。毛が逆立った尻尾も、ピンと伸びたまま微動だにしない。
「おい、他国の王子と姫君に対して『げっ』は無いだろ。無礼だぞ、ゾフル」
悪戯が成功した子供のような顔をしたイスラは、女生徒を肘で小突く。
ハッと我に帰った彼女は、ズレてしまった眼鏡を直して、憎々しげにイスラを睨みつけると、荒々しく彼の襟元を引っ掴んで──鼻息荒くそのまま部屋の奥に引きずっていく。
「メルヴィ、一旦扉閉めて部屋出といて」
「分かりましたわ。お姉様、アレス様、少々お待ちくださいませね」
メルヴィ事態を予想できていたのか、狼狽えることなく扉を閉めて、ホホホと手に口を当てて笑った。
「えっと、メルヴィ? どういう状況──」
「こんの大馬鹿王子ィ───!!!」
キン、と耳を擘く怒声が扉越しに響いて、エルフリーデは思わず飛び上がった。
やはりこうなったか、とアレスは眉間を指で押さえて首を振る。
「そんな怒らなくていいだろ」
「いいわけあるかッ!! 碌な持て成しの準備もねぇんだぞ! 王族相手に萎びた茶菓子出せってか!? それで白峰の評判下がったらボクのせいになるんだぞ!! こんの考えなしのアンポンタン!!」
「悪かった、悪かったって」
怒り心頭に発するといった調子のゾフルの怒鳴り声が、絶え間なく扉の向こうから聞こえてくる。
先ほどメルヴィと話していた声色よりもずっとドスが効いていて低い声に、エルフリーデは思わず首を傾げる。
「あの、もしかしてゾフルさんは……」
「ええ、男子生徒ですわ。学問塔は制服の規定に”男子はズボンを履くこと”と定めておりませんから、好きな物をお召しになっていらっしゃるのだとか」
可憐ですらあったゾフルの顔と、聞こえてくる低い声との落差があまりに大きくて、エルフリーデは目眩がしそうだった。
「気持ちは分かるぞ」
アレスはエルフリーデの肩を叩いて神妙に頷いた。
この間も、イスラに対するゾフルの説教は延々と続いている。
終わりが見えず、段々とゾフルの喉が心配になってきた頃だった。
「──大体お前、片方の角どうしたんだよ? 取れるにはまだ時期が早いだろ?」
エルフリーデはハッと息を呑む。
「そういえば、片方角がありませんでしたわね。お姉様との再会と比べたら至極どうでも良いことでしたので、特に触れなかったのですが」
あんまりなメルヴィの言い様に、アレスは乾いた笑いを漏らした。
「其方はブレないな」
エルフリーデは扉の向こうの様子が気がかりで二人の会話が耳に入ってこなかった。
イスラの片角は自分が折ったのも同然だ。たとえ、わざとではないにしても。
エルフリーデは冷や汗をかきながら扉にぴたりとくっついて耳をそばだてる。
「い、いやこれはその……だな。……ちょっと事故ったっつーか……ま、春になったらまた生えるからいいだろ」
「良かねーよ! みっともない! そんな姿を他国の奴らに晒すなんて……イサール様がご覧になったら何と仰るか……分かってんのか!? ああん!?」
「うっ。あ、兄貴には黙っておいてくれないか……?」
「そうはいくか。お前が馬鹿やらないか事細かく報告しろって、こちとら兄君に仰せつかってんだ。忘れてもらっちゃ困るが、ボクはお前の従者だが、心を捧げてんのは──」
「あ、あの!!」
たまらず、エルフリーデは部室に飛び込んでいた。
けたたましい音を立てて扉が開いたので、中にいた二人は驚いて獣の耳をピンと立てて動きを止め、振り返る。
「……あの、あの……も、申し訳ございません!!」
エルフリーデは勢いよく頭を下げた。
「イスラの角が折れたのは私のせいなんです! いえ、折ったんです!」
「は?」
姫君が角を折った、ということがうまく想像できなかったのか、ゾフルはぽかんと口を開けた。
「えっと、何と説明すれば……」
「あー、ちょっと揶揄って頬にキスしたら、お姫さんの身を守る妖精の逆鱗に触れて……投げ飛ばされたんだよ。それでソファの木組にぶつかって折れて……うわ、我ながら言葉にしたら格好悪い事この上ないな」
「き……す!?」
イスラは絶句するゾフルから目を逸らし、後ろ頭を掻いた。
真偽を確かめようとエルフリーデを見るゾフルに、彼女は居た堪れずに目を合わせる事ができなかったが、辛うじて頷く。
ゾフルはよろよろと部室内の手短なソファに座り込んで、顔を手で覆う。
深い深いため息が、彼の手の隙間から漏れる。
「なんで、こう……向こう見ずで恐れ知らずなんだ……イスラの馬鹿王子……」
「わ、悪かったって。それに、ほら、俺たち仲直りしたんだぜ?なっ?」
イスラはエルフリーデと肩を組んでみせる。
エルフリーデは慌てながらも、どうにかゾフルを安心させようと、イスラに協力して肩に手を回した。
「は、はい! そうですね! この通り、な、仲良しですとも!」
部室の外で二人分の殺気が立ち上った気がしたが、イスラとエルフリーデは気づかないふりをした。
「本当に?」
ちらり、と指の隙間から眼鏡の奥の薄茶色の瞳が覗く。
「ほ、本当だ。な?エルフィ」
「はい、本当です。……あの、白峰の国のものではないとは言え、夕立の国という実在する他国の挨拶らしいですし、頬にキスされたことはそんなに気にしてませんから。むしろ、また生えてくるとはいえ、其方の国の王子殿下の大事な角を折ってしまって……本当に申し訳ありません」
エルフリーデがイスラの肩から手を離して姿勢を正し、再度頭を下げると、ゾフルは顔を覆っていた手を下ろして、目を丸くする。
「こいつ、見ての通り真面目な良い子だぜ。なんせ、春にまた角が生えてくる事を知らずに『責任とってお嫁さんに貰いますから……!』なんて言うような奴だ」
裏声でエルフリーデの声色を真似て言うイスラを睨め付け、エルフリーデは顔をかぁっと赤らめた。
「そ、そんな恥ずかしい話を暴露しないでもらえますか!?」
「別にいいだろ、婿殿?」
「よくありませんし、人前でその呼び方は誤解を招くのでやめてください!」
二人が言い争う姿をゾフルは呆然と見つめる。
楽しそうに笑っている主人と頬を膨らませてむぅっとしている姫君を見比べて──彼はうっすらと笑った。
「じゃぁ、折角だからボクとも仲良くしてほしいです」
ソファから立ち上がり、その拍子におさげ髪が揺れる。
丸眼鏡の細い銀縁がきらりと光った。
「随分と取り乱したところを見せてしまったけど……改めまして、ボクはゾフル・ラコーン」
柔らかく愛らしい少し高い声色で名乗ると、ゾフルはスカートの裾を摘み、膝を曲げてお辞儀した。
「ボクはイスラと同じ歳なので、貴女とも同級生になります。それに、王女殿下の妹君でいらっしゃるメルヴィは、蒼夏寮の後輩でもあり、新聞部の仲間でもある。昨年よく、貴女の話をしてくれましたよ」
「そうでしたか……」
確かに、ゾフルの制服の上着の襟元と袖口には蒼夏寮の青い刺繍が入っている。
メルヴィの制服の刺繍も同じ色をしていた事を思い出してエルフリーデがほんの少し羨ましく思っていると、イスラは彼女の耳に顔を寄せ、小声で囁いた。
「手段を選ばない奴が蒼夏寮には多いから、一杯食わされないように気をつけろよ、エルフィ」
「聞こえてるぞぉ、馬鹿王子」
腕組みし、トントンと指で腕を叩きながら、ゾフルは青筋を顔に浮かべてにっこりと笑った。




