目覚めたら六年後【2】
「殿下は恐らく、とても不安定な状態です。また貴女が笑ってくれる日を夢見て、無理矢理に奮い立っていましたから。目が覚めた貴女を見て、どう転ぶか……」
「どうなってしまっても、何があっても、お兄様を支えます。今度は私が守るんです。お兄様はどこですか?」
「今は学問塔ですよ。知らせを送りましたから、直にお戻りになるでしょう」
「私も学問塔に通いたいです! たくさん勉強して、お兄様の負担を少しでも軽くするんです!」
身を乗り出して息巻くエルフリーデを落ち着かせると、フリートヘルムは暫し思案する。
「貴女はもう十三歳ですから、新入生の枠には入れません」
「そ、そんな……」
「諦めるのは早いです。学問塔には編入試験もあります。毎年夏の初めに編入試験を受けることができますが、入学試験よりも更に難関と言われています。今年はどうあがいても間に合わないでしょう。狙うならば来年です」
エルフリーデは真剣な目で頷く。
この先いずれ王になるアレスをずっと支えたいなら、勉学は切っても切り離せない。
きっと宮殿の中でフリートヘルムに細々と学ぶ道もあるのだろうけれど、学び舎の中なら、将来王族を取り巻く子供達が多くいる。
どんな人物がいて、誰が味方で、誰が敵になり得るのか、今のうちに知っておかなければ、きっとアレスを守ることは難しい。
エルフリーデはそれを分かっていて、その為には、どんな努力も惜しむつもりはなかった。
「貴女がその気なら、僭越ながらこの私が、学問塔の三年間で学ぶ内容を貴女に詰め込みましょう」
「お願いします! お兄様の為なら、何だってします!」
「言いましたね? では、手加減は致しませんよ」
フリートヘルムは不敵に笑って、試験勉強の準備を少しでも早く整えさせる為に、もう一羽カナリアを飛ばした。
「ああ、そうだ。よりやる気が出る話をもう一つ。今年はメルヴィが入学試験に挑む年ですから、来年無事に編入できれば、学問塔で再会できるでしょう」
懐かしい名前を耳にして、エルフリーデは目を輝かせた。
「皆、元気にしていますか?」
「ええ、何事もなく、平穏に暮らしていますよ。メルヴィは大変優秀だと聞き及んでいます。どうやらサロモン先生の厩番が元兵士で、エルフリーデ様が襲われた事を聞いて武術にも熱心になっているとか……」
「元気そうで良かったです」
「元気が有り余っていると言いますか……貴女が誘拐された事件を報告した時には、脅迫状のような手紙が届きましたよ」
「妹がすみません」
「いえ、謝るのは私の方です」
首を振って、フリートヘルムは目を伏せた。
長い睫毛が影を作り、濡羽色の瞳が僅かに歪む。
「結局私は、貴女を守って差し上げることができませんでした。本当に申し訳ない」
「そんな、フリートさんは兵士さんを付けてくれたり、ちゃんと守ろうとしてくれました。……あの、私を護衛してくださっていた兵士さんは……どうなりましたか?」
「幸い、眠らされただけで、怪我もありません」
「ご無事で良かった……」
エルフリーデは安心して胸を撫で下ろす。
連れ去るに邪魔な護衛は、真っ先に無力化されてしかるべき存在だ。
無事と聞いて、肩の荷が降りたような気がした。
「犯人は……ご存知かも知れませんが、当時のアレス殿下の誕生日祝いの責任者の一人だった、インメル卿でした」
「やっぱり、そうでしたか。王族に近しい部署の人が、こんな酷いことをなさるなんて」
「彼は先の王位継承争いで亡くなった、妾妃の顔馴染みだったことが、後から分かりました。ずっと復讐の機会を窺っていたようです。エルフリーデ様は反王室派については、アレス殿下から何か聞いておられましたか?」
「ある程度は教えていただきました。議会制の政治を推している人たちのことですよね」
「政治的な考えだけの比較的無害な者もいれば、単に王族に怨みを持つだけの危険な連中もいます。学問塔へ行かれるなら、充分注意してください」
エルフリーデは頷く。と、同時に、部屋の扉が控えめにノックされる。
フリートヘルムが手配した侍女達が到着したようだった。
入室を許可された侍女達が部屋に入ってくるが、その中にベルタの姿はなく、エルフリーデは戸惑った顔をフリートヘルムへ向けた。
「あの、ベルタさんはどちらに?」
「ベルタは年齢的に侍女の仕事が難しくなりましたので、退職いたしました。貴女のお戻りを待つことができなかったことを、大変悔やんでおりました」
そうですか、とエルフリーデは寂しそうに呟いた。
六年という年月がズシンと伸し掛かった気がして、じわりと心細さが這い寄ってきたが、どうにかそれを振り払う。
ソファーから立ち上がると、エルフリーデはフリートヘルムへ尋ねた。
「新しく私に付いてくださる方は?」
「紹介いたします。シーラ、こちらへ」
フリートヘルムの手招きに応じて、妙齢の女性が進み出ると、瑠璃色の髪をキッチリと結い上げた頭を下げ、膝を曲げてお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。シーラ・クラインと申します。エルフリーデ様がお目覚めになった事を、心から嬉しく思います」
聞き覚えのある名前に、エルフリーデは目を見張る。
「クラインというと、ベルノルトさんのご実家では……?」
「ええ。ベルノルトは兄でございます」
シーラは頷いて、キリリとした勿忘草色の瞳を細めた。
確かに、彼と目元がそっくりだ。
「シーラはベルタの後任として、眠っている貴女の世話を任されていました。貴女には初対面でも、シーラは、貴女のことをずっと見守っていたのですよ」
「まぁ、そうでしたか。眠っている人間の世話は大変でしたでしょう? 大変な苦労をかけましたね」
「とんでもないことでございます」
シーラは首を振ると、嬉しそうにエルフリーデを見つめた。
「貴女のお声を聴ける日が来て、本当に嬉しく思います。先ずは御髪を整えて、靴も用意させましょう。ドレスも誂えなければなりませんね! ああ、この忙しさをずっと、ずっとお待ちしておりました!」
感極まったようにシーラは涙ぐんだ。指でそっと目尻を拭うと、メイド達に次々と指示を飛ばす。
年齢は若いが、その立ち振る舞いから、ベルタと負けず劣らずの手腕が窺えた。
「そういえば、貴女にはこちらをお渡ししなければいけませんね」
フリートヘルムは立ち上がると、机まで歩いて、引き出しを開ける。
手前に置かれた〝それ〟を手に取ると、エルフリーデの元へ戻った。
「改良したヒヨコちゃん二号です。前回のヒヨコちゃんは、貴女の強い願いを受けて中の精霊石が砕けた上に、その影響か、無残に焼け焦げておりまして……ぬいぐるみは新しくベルノルトが作りました」
エルフリーデの手を取って、ふわふわした手触りのヒヨコをそっと乗せる。
ピンク色のヒヨコのぬいぐるみは、愛嬌のあるにっこり笑顔を彼女に向けた。
「わぁ、今度も可愛いですね! 大事にします!」
エルフリーデがそう言うや否や、バキンと、石が割れる音が部屋に響いた。
目を見開くエルフリーデの目の前で、ぬいぐるみは青い炎を上げる。
不思議なことに、それはちっともエルフリーデの手を焼かず、むしろ心地よい温度ですらあったのだが、無残にも一瞬で、ピンクのヒヨコは灰へと変わった。
シン、と部屋の中が静まり返る。
執務室の中の誰も状況がわからず、エルフリーデの掌からこぼれ落ちる、先程までヒヨコだった白い灰を呆然と見つめた。
ハッと我に返ったフリートヘルムが、エルフリーデの腕を掴んだ。
「エ、エルフリーデ様……! お怪我は!?」
「あるはずが無かろう、混じり者」
──それは、エルフリーデの影からするりと這い出た。
黒猫の姿形を取っているが、黒猫が人の言葉を話すはずがない。
妖精か、と、フリートヘルムが呟くと、黒猫は嘲笑する。
「私はとある妖精の写身だ。この娘の影に馴染み、如何なるものからもこの娘を守る為に、この娘の影に居座るだけのものよ」
「先程の炎は貴方の仕業か」
「左様。不意に繋がりが薄れる気配があったものだから、不快に思って燃やした。その様な物は、最早この娘には必要ない。私が睨みを利かせていれば、大抵の妖精は避けて通るだろう」
「その代償に、貴方の大元の妖精は、何を得たのですか?」
険しい顔をして、フリートヘルムは問いかける。
写身を宿すなど、聞いたこともない。
そのように大掛かりな取引で、目の前の少女が何を失ったのか、彼は気が気ではなかった。
対して、エルフリーデは返してもらえなかった大事なものを思い出して、顔を曇らせる。
「お兄様に初めて作った、十歳のお誕生日のプレゼントを……」
「そ、それだけですか?」
「それだけとはなんですか!? 頑張って作ったのに!」
「そうとも。初めてこの娘が手ずから作った贈り物だ。唯一無二の宝よ。私が貰わずして誰が貰う?」
「お兄様に決まっています! お兄様に作ったのですから!」
エルフリーデは憤慨したが、黒猫はそっぽを向いて取り合わない。
フリートヘルムは理解が追いつかず、そのようなことは滅多にないことなので、より困惑して、一人と一匹のやりとりを唖然として見つめるしかなかった。




