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妹姫は護りたい!〜おひめさまの騎士道〜  作者: エカテリーネ安田
二章 お兄様と呼んでもいいですか?
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王族【1】




 エルフリーデは、勉強に明け暮れた一ヶ月と少し、実を言うと殆ど外に出ていなかった。

 健康のためにとベルタに連れられて散歩に出ることはあっても、基本的に精霊塔から離れることはなく、塔のそばにある、精霊のための温室と部屋を往復するくらいだった。

 季節が冬真っ只中だということも、勿論引き籠る理由の一つではあったが、王族の養子に迎えられる前の平民というあやふやな立場では、出歩いてもトラブルの元にしかならないというのが、フリートヘルムがエルフリーデへ語った理由だった。

 エルフリーデもわざわざ怖い思いはしたくないので、お利口に言いつけを守って、暖かい暖炉のある客間に喜んで引き籠もっていたのだが、ついにそんな日々も終わりを迎えた。


 エルフリーデは今、王と王太子が住まう宮殿へ足を踏み入れていた。

彼女が王族へ名を連ねる儀式が、遂にこの日、執り行われるのだ。


 宮殿は、いくつもの塔がそびえる王城の中心にあって、木々と堀に囲まれた、丘の上に位置している。

外壁は白い漆喰で塗られ、アーチ窓がずらりと並んでいて、そのアーチ窓を閑雅な彫刻が飾り、壮麗な佇まいに圧倒されない者はいない。

 エルフリーデも例外ではなく、外観の荘厳さに目を丸くし、中に入ってからは、思わず何度か立ち尽くしてしまいそうになった。

 宮殿の中は、高い天井や柱に様々な彫刻が彫られ、床は自分の姿が映るほど磨き上げられている。

 平民の家とのあまりの違いに、エルフリーデはくらくらと目眩がしそうだった。


「エルフリーデ様、今日は口が開いていませんね」


 呆然としているエルフリーデを見下ろして、隣を歩くフリートヘルムが揶揄うように笑った。

 一ヶ月も一緒に過ごすと、だんだん彼の扱いに慣れてきて、エルフリーデはムッとしたものの、澄まし顔で受け流す。


「きちんとマナーのお勉強をいたしましたので、ご心配には及びません」


「成る程、確かによく練習されたようで、何よりです」


 フリートヘルムが満足そうに笑うのを、エルフリーデは眩しそうに見上げる。

 麗しい人が美しい場所に立つだけで、なんだかその周囲だけ輝いて見えるのだな、と、一周回って呆れてしまうほど、フリートヘルムは普段の一割増しでキラキラとしていた。儀式のための、特別な装いによる効果もあるかも知れない。


 フリートヘルムが今日身につけているのは、精霊塔の官吏に支給されている正装だ。

白を基調とした詰襟の上着は、くるぶしのあたりまで裾の長さがあり、腰元のベルトでキュッと絞められ、腰回りが強調されるデザインだ。精霊塔を示す色である若葉色の生地が、襟元や大きく広がったデザインの袖口、裾、中に履いているズボンに使われている。胸元を留めている留め具と、肩章とそこから吊るされている飾緒は金色だ。

ほっそりとした手には白い手袋が嵌められ、気品を醸し出していた。


 黙っていると真面目な偉い人に見える格好だなぁ、とエルフリーデはこっそり思った。

精霊塔の主人なので、偉い人という部分は間違っていないのだが。


「今、何か失礼な事を考えませんでしたか?」


 フリートヘルムがモノクル越しに濡羽色の瞳を細めて彼女を覗き込むと、エルフリーデは慌てて首が千切れんばかりにブンブンと横に振ってごまかそうとするが、彼には大体お見通しだった。


「私は美しいですから、眩しくて申し訳ありません。黙っていると真面目そうで、格好いいでしょう?」


「自分で言ってしまうあたりが残念で仕方ないです。あと、真面目な偉い人に見えるなぁって思ったんです。格好良いまでは思ってません」


「でも、格好良いでしょう?」


「否定できないのが……とっても悔しいです……!」


 エルフリーデが頬を膨らますと、フリートヘルムは楽しそうに口角を上げてツンツンとそれをつついた。


「まぁまぁ、事実は歪められません。私が美しいのも格好良いのも、仕方ない事です。それより笑顔ですよ、エルフリーデ様。せっかく初めて着るドレスなのですから」


 フリートヘルムが言う通り、エルフリーデは姫君のためのドレスに身を包んでいた。

白く厚みのある生地に、ランタンスリーブの袖口には金糸で花柄の刺繍が施された可愛らしいデザインだ。

エルフリーデは一目でこのドレスが気に入っていた。


「とても良くお似合いですよ」


 フリートヘルムの含むものがない褒め言葉に、エルフリーデも思わずはにかんでしまう。


「そうそう、良い笑顔ですよ。ああ、もう着いてしまいましたね。その先の扉が玉座の間です」


 玉座の間の扉の両脇には、兵士が直立して構えており、鎧を身に纏い、威圧感を漂わせる男達を間近に見て、エルフリーデは思わずフリートヘルムにしがみついた。


「鎧が怖いですか?」


「怖くありません」


 認めることが恥ずかしいのか、虚勢を張るエルフリーデに、フリートヘルムだけでなく兵士までもが笑いを堪えられなかった。


「そう、このおじさん達は怖くありませんとも。貴女をこれからお守りする、心強い味方です。彼らは王族へ命を捧げておりますから」


 エルフリーデがおずおずと見上げると、兵士達は鎧の兜を上げて、エルフリーデに笑いかけた。

中身は髭面のおじさんと鉤鼻のおじさんで、分かってはいたものの、エルフリーデはホッとして小さく笑みを返した。


「どうぞ、お通りください、エルフリーデ様、フリートヘルム・ドレヴァンツ精霊塔主閣下」


 兵士達は姿勢を正すと、両開きの扉を開ける。

エルフリーデはきゅっと唇を噛んで前を見据え、フリートヘルムがそっと背中に手を添えると、その小さな足を一歩踏み出した。


「よくぞ参ったな、二人とも」


 広間の奥から、朗々とした声が響く。


 玉座の間は、一段と豪奢な造りの部屋だった。

エルフリーデの体よりも大きなシャンデリアがいくつも吊り下げられ、床には寄木細工で複雑な紋様が描かれている。

その先には数段の階段があり、壇上に玉座が置かれ、その上には天蓋が覆っていた。


 玉座には白い毛皮のガウンを纏った男が一人、柔和な笑みを浮かべて座っていた。


 この男こそ、暁の王国の王、シュタール王その人であった。


 フリートヘルムとエルフリーデは檀の手前まで進むと、跪き、こうべを垂れた。


「よい、楽にせよ」


 王の言葉を受けて二人が頭を上げると、シュタール王は壇上から見下ろしながらフリートヘルムに微笑みを向けた。


「我が弟よ、其方の働きにより、無事に花の蜜が王族へ迎えられる日を迎えられた。其方には特に礼をせねばなるまい」


「ありがたき幸せ」


 王とフリートヘルムは堅苦しいやりとりを連ねていくが、その内容は全くエルフリーデの耳には入っていなかった。

エルフリーデの頭の中には、"我が弟"という一言だけが、ぐわんぐわんと反響していた。


「……と、堅苦しい話はここまでにしよう。幼子には難しい話ばかりで退屈させてしまったな」


「いえ、恐らくエルフリーデ様は、私を陛下が弟とお呼びになったので、驚いて固まってしまっているのです」


 フリートヘルムが固まってしまっているエルフリーデの頬をつつくと、ビクッと肩が揺れて、エルフリーデはフリートヘルムを恨めしげに見つめた。


「なにも聞いてない、なぜ教えてくれなかったのか、という顔ですね」


「なぜ教えていただけなかったのですか?」


「私は元々平民の出で、ただの養子です。今は臣下に降って王族の地位は返上しましたから。まぁ、細かいことは気にしないでください。良いではないですか、麗しい叔父が手に入って。嬉しいでしょう?」


「嬉しくないとは言いませんが、驚かさないでほしかったです」


「ははは。フリートヘルムは人を驚かすのが生きがいのような男だからな。諦めなさい」


 シュタール王が楽しそうに笑うと、エルフリーデは笑われてしまったのが恥ずかしくて、顔を真っ赤にして俯いた。


「さて、其方はエルフリーデと言ったな。元の名はフリーダ・シェルツと報告を受けているが、相違ないか?」


「陛下の仰せの通りでございます」


 エルフリーデが答えると、しっかりした受け答えに、シュタール王は満足そうに頷いた。


「エルフリーデという名は妖精王から賜った名でございましょう。エルフリーデ様が覚えておらずとも、花の蜜はどの代も女王より名を賜ったと記録に残っております」


 フリートヘルムが補足すると、シュタール王は成る程、と指で顎を撫で、エルフリーデを見据えた。


「王族へ迎えられる者は、通常これまでの名を捨て、新たに王族にふさわしい名を得る事になっている。しかし、妖精王の名付けた名こそが優先されるべきであろう。其方は今後もエルフリーデと名乗るが良い」


「ありがとう存じます」


「しかし、シェルツの名は捨てることとなる。我が王族はその身を暁の王国へ捧げる故に、姓を持つことは無い」


 エルフリーデが神妙に頷くと、シュタール王は立ち上がり、手を叩いて合図をした。

 エルフリーデ達が入ってきた扉から、金の盆と杯、薔薇の飾りが入ったナイフ、それらを置く華奢なガラスのテーブルを官吏たち──おそらく王室塔の高官が、しずしずと運び込む。


 テーブルの上に盆が置かれ、その中に杯の中身が注がれる。ふわりと酒の香りが鼻腔を擽って、エルフリーデは思わず咳をしないようにグッと息を止めた。


「子供には強い匂いだろう」


 エルフリーデが顔をしかめてしまったのを見て、気を悪くすることもなく、シュタール王は苦笑する。

 彼は官吏からナイフを受け取ると、その薄い刃に指を当て、流れ出た血を盆に垂らした。


「我が血を、我が娘、エルフリーデへ与う」


 エルフリーデは事前に儀式の内容をベルノルトから聞いていたので、驚くことはなかったが、やはり痛そうではあったので、思わず目を逸らしてしまう。

 しかし、次はエルフリーデの番だ。


「お手伝いしましょうか」


 フリートヘルムが静かな声で問うと、エルフリーデは縋る思いで頷いた。

 フリートヘルムは国王からナイフを受け取ると、エルフリーデが恐る恐る伸ばした震える手を優しく取り、その指先に刃の先端を当てる。

 なるべく傷が小さく、しかしきちんと血が溢れる程度の深さで指先をナイフで撫でると、ぷっくりと赤い滴が浮かんで指先から滴れる。

その赤い一滴がぽたりと盆に沈み、滲んだ。


「わ、我が身は王家の血と、新たな生をここに賜る」


 エルフリーデが誓いの言葉を口にすると、盆の水は光を放って蒸発し、残ったのは赤い血の色をした薔薇の形の石だった。

よく見てみると、エルフリーデの胸に咲いている精霊の種の花にも似ている気がしたが、それよりは血そのもののような色で、全く透明感は無かった。


 その石を王室塔の官吏たちは恭しく掲げ持つと、金の細やかな細工が入った小箱に収め、箱を持ったまま玉座の間から退出していった。


「あの石は王族の地位を返上するその時まで、王室塔で保管されるのです」


「フリートさんも、同じ儀式を行ったのですね」


「ええ。傷は残りませんので、ご安心ください」


 フリートヘルムが嵌めていた白い手袋を外して指先を見せると、エルフリーデはその指を握ってじっと見つめた。


「痛かったですね」


 エルフリーデがポツリと呟くと、フリートヘルムは一見気付かない程微かに笑顔を強ばらせて、自分の手を握る少女を見る。


 特に深い意味などありはしない、小さな子供のたった一言で、ふいにフリートヘルムは、ここで一人、血を捧げた十一歳の日に戻った気がした。

 そして、確かに一人だったあの日、誰かに手を握ってもらえたような気分になって──そんな自分自身を、フリートヘルムは心の中で嗤った。




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