前触れ
ライネ・マルトラが活火山地帯から戻ったのは、エルフリーデが王族へ迎えられる日の前日の晩だった。
フリートヘルムが翌日の儀式の擦り合わせのために、"王室塔"と呼ばれる、王族の世話や王室行事を取りまとめている部署との長々しい会議を終えて精霊塔主の執務室へ戻ると、得意げな顔をしたライネが執務机に腰掛けて足を組んでいた。
「あらぁ、お帰りなさい閣下。随分と遅かったじゃない?」
フリートヘルムは肩をすくめ、部屋の中に入る。
ライネの前を素通りして机の反対側──自分の席である上質な座り心地の椅子に腰かけると、机の上に座っているライネを見上げた。
「それはこちらの台詞ですよ、ライネ。今回は随分と時間が掛かりましたね? 腕が落ちましたか」
「失礼しちゃう! 御所望の毒ヤモリは予定通りに採集したわよ。ただ、途中で気になる噂を耳にしたものだから、情報収集してきたの。アタシったら気が効くでしょ?」
「おや、それは失敬。さすがはライネちゃんですね」
フリートヘルムは指で机の上を軽く叩いて、早く出しなさいと催促する。
ライネはヤモリの入った試験管三本と、紐で綴じて束ねられた羊皮紙数枚を机の上に置いた。
ヤモリを机の引き出しに仕舞い込み、羊皮紙をパラパラと捲ると、フリートヘルムは珍しく眉間にしわを寄せた。
「反王室派……ですか。この時期に動きが活発になるとは、花の蜜の情報が漏れましたか」
「ヴァイデ村の隣町、アイヒェルから漏れたようね。閣下とサロモン・メラス村長が口止めをした、人口規模が小さくて結束の強いヴァイデ村からは漏れていない。氷の精霊の異常行動に気付いたアイヒェルの商人が、貴族に情報を漏らしたんだわ」
「一体いつから漏れていたのか……。反王室派の動きには警戒が必要ですね」
反王室派というのは、世襲制の王が塔を束ね、法を作り、施政の中心となっている現状を否定している一派だ。
元老院を置き、その下に塔が施政を行い、王はそれらを承認する立場に徹するべきだと考えている集団と言われている。
一口に反王室派と言っても、貴族派や平民参政推進派、ひいては王室を排除せんとする過激派までいるとされていて、纏りに欠ける。
おまけに殆どが水面下で動いており、反王室派同士でさえ、誰が反王室派なのか分からない有様だ。
そんな訳で、誰かが騒動を起こして軍事公安塔の騎士団に捕まったとしても、他の一派がズルズルと芋づる式に釣り上げられる事は殆どない。
手間がかかるだけなので、害のない派閥は放置されているのが現状だ。
「ライネ、城下の"現地調査"を暫く任せても?」
フリートヘルムが現地調査と命ずる場合は、殆どが情報収集任務だ。
精霊塔としての精霊の動きを探る仕事にかこつけて、現地の情勢を探らせている。
もちろん通常業務では無いため、この任務における報酬は、フリートヘルムの懐からこっそり出しているのだが。
「よくってよ。アタシの"目"でじっくりと観察して参りますわ」
フリートヘルムがライネに情報収集を命じているのは、ウロウロさせても現地調査員という言い訳が効くから、というだけではない。
ライネの山吹色の瞳は、特別な"目"だ。
それは彼が学問塔の学生だった頃、研究の末、時の妖精との取引によって得たものだ。
目にした人物の一週間前までの記憶を遡って再生することができるという魔眼。
この目を得るために、ライネはその日までの自分の人格を代償に捧げることになったが、彼にとっては些事だった。
再度組み上げた人格は、インパクト重視の強烈なものに仕上がってしまったが、これはこれで個性があって愛着が湧いたので、彼の周囲は大混乱状態だったが、ライネ自身は満足だった。
「せっかくの魔眼ですもの。平民出身だからといって使わないような、お高くとまった貴族様と違って、閣下は宝の持ち腐れにならないよう、丁度よく使ってくださって嬉しいわ」
「其方にばかり動いてもらって申し訳ない。ですが、このような状況ではお願いせざるを得ません。手当てを弾むので、宜しく頼みますよ」
ライネは一纏めにした葡萄色の髪をサラリと払い除けると、腰に手を当てて頷いた。
「他ならぬ閣下の頼みですし、手当も出ますし、何よりエルフリーデ様の為なのでしょう? 閣下は王家のためにそこまでしませんもの」
「おや、私も臣下として、飼い犬なりに忠誠心は持ち合わせておりますよ」
「やだわ閣下ったら。こぉんな生意気なワンチャン、誰が欲しがるものですか」
「これは手厳しい」
ライネは山吹色の瞳を怪しく光らせて、しかし涼しい顔を崩さないフリートヘルムに、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「相変わらず、閣下はアタシの目に怯みませんわね」
「見られて困るような後ろ暗い生き方はしておりませんから」
「開き直っているだけじゃなくって? いつ見てもダメダメダメ人間のくせに。でも今回は、割とまともな方だわ」
エルフリーデ様のおかげかしら? と分かっていながら問う彼に、フリートヘルムは微笑みだけを返す。
ライネの指摘通り、フリートヘルムはこの一月の間、比較的真面目に執務に取り組んだ。
ベルノルトが睨んでいるというのもあったが、エルフリーデに呆れられるのはどうにも居心地が悪かった。
「エルフリーデ様を見ていると、どうにも昔の自分を思い出してしまう。彼女には、私のような人間になって欲しくないので……ベルノルトが怒り狂わない程度に、頑張る姿を見せてしまうのですよ」
「普通に真面目に仕事をする選択肢はないのかしら、このクソ上司は」
「私がやらねばならないことは、いつもきっちりこなしておりますよ? ただ、他に興味を惹かれると、後回しになりがちなだけです」
「突然フラフラどこかに行ったり、突拍子もないことを始めたりしなければ、これほど優秀な人もいないってのに」
「どうもすみません」
「ま、我々の胃が犠牲になろうとも、閣下のおかげで毎度良い方向に進んでますもの。アタシはフリートヘルム閣下について行きますわよ。きっとベルノルト様もおんなじだわ」
ライネは机から降りてフリートヘルムに向かって敬礼して見せる。
バチンと音が聞こえるような見事なウインクと、ついでに投げキッスも投げて、ライネは精霊塔主の執務室から退室した。
彼はなんだかんだ言って、自分の主人を気に入っている。
ライネは平民出身の学問塔の奨学生だったが、彼を下っ端の事務官ではなく、採集部屋という最も実力が問われる部署へ当てたのは他ならぬフリートヘルムだった。
元々精霊塔は他の塔に比べて実力こそが重んじられる塔ではあったが、フリートヘルムが塔の主人となってからは、その傾向がより強まっている。
もちろん貴族からの圧力もあるだろうが、養子とは言え元王族で、あのように飄々とした性格なので、のらりくらりと躱している。
クソ上司と悪態はついても、精霊塔の平民出身の官吏達に、フリートヘルムへ恩義を感じていない者はいない。ライネも勿論、その内の一人だった。
ベルノルトは貴族だが、実力を重んじる性質であるために、フリートヘルムの身分を問わない方針には、尊敬の念を抱いているのではないか、とライネは考えている。
「閣下の命令なら仕方ないわね。帰ってきたばかりだけど」
それに、と、素直な反応が可愛らしい小さな女の子を思い出す。
彼女が安心して王族として生活するためには、反乱分子の動きは把握しておかなければならないだろう。
「全く、世話が焼けるんだから。アタシに感謝してよね? 閣下も、エルフリーデ様も」
ライネは不敵に笑って、カツカツと廊下に音を響かせながら、夜の闇へと去っていった。




