昔、摘み取られた美しい花
その少年が先王の養子として迎えられたのは、十一歳の時だった。
彼は妖精の血を引いた子供だった。
彼の育った村は古くから風の精霊と結びつきが強く、時たま、見目麗しい白髪の青年の姿をした風の妖精が、小さな村にこっそりと姿を現した。
その妖精と恋に落ちたのが少年の母だった。
珍しい話ではあったが、人間と妖精が恋に落ちることは、無いわけではなかった。
ただ、血を分けた子供が生まれることは、ほとんど起こり得ないことだった。
母親は妖精の血を引く子供を産んだ代償か、少年を産むと同時に息を引き取った。
父親はもちろん、自由なる傲慢な風の妖精なので、明日赤児の顔を見に訪れるのか、それとも数十年後なのか、誰にも分からなかった。
残された子供は、母親の両親が育て──そのまま何事も無くひっそりと生きて、そのまま死ぬはずではあったのだが、少年は人よりも多くの事を覚え、人よりもずっと頭も回った。
神童とまで呼ばれた彼は、祖父母の期待もあり、官吏の道を進むために学問塔の試験を受けた。
──その試験の結果が、彼の運命を変えた。
前代未聞の満点合格であった為に、彼の出自が学問塔によって調べられる事となった。
そして詳らかとなった彼の珍しい出生を、当時の王家は放置できなかった。
精霊の血を受け、人離れした美しい姿と、風車のようによく回る頭。風の精霊の加護が厚い、わずか十一歳の子供。
反王室派に取り込まれる前にと、先王の勅令により、半分妖精の血が混ざった少年は、先王の第三王子として召し上げられ、王族という立場で学問塔へ迎えられた。
そうして少年は、今までの名前と、祖父母を置き去りにして──フリートヘルムとなった。
◆ ◆ ◆
「叔父上!」
花の蜜が王城へ移って一月が経ち、精霊塔からの報告を上げる為に王室まで出向いていたフリートヘルムだったが、呼び止める声に溜息をついて振り返った。
ラズベリーのような赤い髪が見えたかと思うと、フリートヘルムに一直線に駆け寄ってくる。
フリートヘルムは相手が相手だけに舌打ちするわけにもいかず、愛想笑いを浮かべてお辞儀した。
「アレス王太子殿下、何度も申し上げますが、私は成人と同時にドレヴァンツという名を賜り、臣下となったのです。無闇に他の者がいるような場所でそのように呼ばないでいただきたい」
「も、申し訳ありません。しかし、父上からは叔父上として敬うよう厳命されておりますので」
彼は申し訳なさそうに首を垂れるが、このやり取りは何度となく行われてきた物だ。
フリートヘルムが何度言おうと、アレスは"叔父上"と彼を呼び慕う。
それが本当に親愛を込めて呼んでいるのか、打算による物なのか、フリートヘルムにはどちらでも良かった。
「貴方がたがそのように肉親扱いせずとも、私の首輪は、既に王家に繋げられているというのに」
ついうっかりと皮肉を口にしてしまうと、アレスは悲しげに目を伏せた。
彼は眉を下げて、何も言えずに唇を噛み締める。
流石のフリートヘルムも、この表情の前では言葉が詰まった。
子供に言うことではなかったと反省して、聞き流してくださいと苦笑いした。
……本当のことなので撤回はしないけれども。
「そういえば、春先に予定されているアレス殿下の十歳の誕生日のお祝いまでには、エルフリーデ様の教育が間に合いそうですよ。貴族向けのお披露目はその時になるでしょう」
「そ、そうですか! 貴族へのお披露目も二月程度で行えるとは、彼女は優秀なのですね!」
話題を変えてみると、思った以上に食いつきが良く、アレスはパッと花が咲いたように笑った。
「僕も負けてはいられないな」
「ええ。ぜひ、励んでください、怪人フードマント様」
フリートヘルムがサラリと口にすると、あまりに自然だった為にアレスは元気よく返事をして──自分の口を両手で塞いだ。
「おやおや、迂闊ですね」
フリートヘルムは、唇で弧を描いてアレスに笑いかけ、対するアレスは蛇に睨まれたカエルの様にピシリと固まった。
「な、な、なぜ……」
「精霊塔は、夜間には盗難を防ぐ為に警報装置が作動しているのです。警報が作動しない人物の中で、子供は貴方しかおりませんので」
「その様な物があるとは……」
怪人フードマントは、エルフリーデが精霊塔で生活を始めてから毎晩のように彼女の部屋を訪ねている。と、いうのは、フリートヘルムがエルフリーデから聞き出した話だ。
他愛もない話をすると、寝る前には帰っていくフード付きの外套を目深に被った赤髪の少年と聞いて、警報装置がなくとも、フリートヘルムには察しがついていただろう。
王城に出入りできる子供の中で、赤髪の少年は彼しかいない。
「いけませんよ、王族が正式な手順も踏まずに民と面会しては」
「はい」
「そもそも、花の蜜と王族が顔を合わせるのは、恙無く教育が終了してからと、お父上からお話がありませんでしたか?」
「ありました」
素直に認めるアレスに、フリートヘルムはお説教を続けようとしたが、アレスは「しかし!」と声を荒げた。
「家族から離れて、寂しい思いをしている妹を、放っておくことなど──」
「まだ貴方様の妹ではありません。貴方の望みを、押し付けてはいけませんよ」
ピシャリとフリートヘルムは断じて、目の前の王子様を見据えた。
しばらく見つめたあと、フリートヘルムはふっと視線を和らげ、微かに微笑んだ。
「彼女が望まず限られた自由な時間を奪われているのであれば……もっと早くに、貴方に釘を差しに向かっていたのですが」
アレスが首を傾げると、フリートヘルムは丁寧に腰を折ってお辞儀をした。
「エルフリーデ様も貴方がいらっしゃる時を心待ちにしておいでです。できれば私以外にバレないようにしていただけますと、助かります」
アレスが勢いよく頷くと、フリートヘルムは人差し指を唇に当てて、ひっそりと笑った。
少しでもあの少女の心が安らぐのであれば、多少──王子が夜に部屋を抜け出そうと、フリートヘルムにとってはどうでもよかった。




