精霊塔へようこそ【5】
「花の蜜とは、産まれた後間もなく妖精の国の女王によって魂が”木漏れ日の向こう側"へ招かれ、彼方側で七歳まで育てられた者の事です」
妖精の女王、ティターニアは、数十年に一度、気まぐれに子供の魂を木漏れ日の向こう側へ攫っていってしまう。
妖精の国へは肉体を持つ者は渡れない為に、女王は子供の魂だけを連れていくのだという。
その代わり、肉体が死んでしまわないように、人の国に残された子供の体には精霊の種を植えていく。
精霊の種は、まるで鏡で写したかのように妖精の国にいる子供の魂とそっくりな性格に育つという。
子供が人間の国へ戻ってくると妖精の種は宝石の花へと変わり、帰ってきた魂へ肉体を返すと伝えられている。
「はい! 先生、質問です!」
「どうぞ、エルフリーデ君」
ピシッと片手をまっすぐに上げたエルフリーデに、説明はベルノルトに任せているくせに、フリートヘルムが質問を許可する。
左目にかけたモノクルを指先で押さえ、教師らしい振る舞いをしているが、教えているのはベルノルトである。
「どうして妖精の女王様は、そんな可哀想なことをするんですか?」
「いやぁ、実に素直な質問ですね」
ははは、とフリートヘルムは愉快そうに笑って、それをベルノルトは咳払いをして嗜める。
「古の建国の際、王都は妖精の女王の庭であったとされています。そうとは知らず、建国王が城を建ててしまい、赦しを得る代わりに女王の気紛れを容認することとなったといわれています」
「き、気紛れ……」
自分が気紛れの産物であることを知って複雑な顔をするエルフリーデだったが、フリートヘルムは皮肉な笑みを浮かべる。
「例えば、綺麗な花が森に咲いていたとします。摘んで帰れば、きっとメルヴィは喜ぶでしょうね。摘んで帰りますか?」
「は、はい。……あっ」
「女王にとっては、それと同じなのですよ。花も、虫も、動物も、人も、妖精にとっては同価値です」
エルフリーデがなるほど、と頷くと、フリートヘルムは少し目を見張る。
「納得してしまうのですか?」
「どうしてなのか分かりませんけど、それもそうだなって思うんです」
エルフリーデは自分の手を見つめる。
この手は虫よりもずっと大きく、花を摘み取ることもできるのに、どうして同価値だという言葉がこんなにすんなり受け入れられるのだろう?
「記憶がないとしても、価値観は残っているのかも知れませんね。実に興味深い」
フリートヘルムはモノクル越しにエルフリーデを覗き込んだ。
濡羽色の瞳が好奇心で輝いている。
彼の造形が整いすぎた顔立ちもあって、真正面から見つめられるとあまりにも眩しい。
エルフリーデは思わず体ごと顔を逸らした。
「そ、そ、そもそも、どうして記憶がなくなるのですか?」
「女王の慈悲と言われています。突然見ず知らずの場所に返され、肉体ある限り魂が育った彼方側へは二度と帰れませんから。忘れてしまった方が幸せだ、と」
ベルノルトの言葉に、エルフリーデは何も返すことができず、口をつぐんだ。
覚えていた方が良かったのか、忘れてしまえて良かったのか。
忘れてしまった今、どちらが良いのかなんて分かるはずもない。
「妖精の国の事を忘れてしまっていても、彼方で育った花の蜜は、精霊や妖精との繋がりが強い。そのため、無用な騒動を未然に防ぐため、王家で保護する事と定められているのです」
「と、いうのは建前で、精霊の力をより効率的に活用できる花の蜜を囲い込むために、王族に取り込みたいという思惑なんですよね」
「閣下!」
あけすけに曰うフリートヘルムに、ベルノルトは頭が痛いとばかりに眉間を手で押さえて声を荒げた。
「閣下と言えど──いえ、閣下だからこそ、不敬な発言は控えていただかなくては、精霊塔が反王室派と不要な嫌疑を抱かれかねません!」
「分かっていますとも。口が過ぎました」
フリートヘルムは素直に謝ると、オロオロしているエルフリーデに、誤魔化すように笑った。
「まぁ、どんな思惑でも、大切にしてもらえる事は間違いありませんから。何しろ、花の蜜が無事に生きているだけで、精霊石の力の効率が随分と違うのですから」
「私、まだ何も分からないですけど、今の私に何ができますか?」
フリートヘルム達は顔を見合わせて、口を揃えて「勉強です」と答えた。
花の蜜の利点は精霊石の燃費の向上だけではない。
妖精とのつながりが強いため、人よりもずっと短時間で精霊石を作ることができるのだ。
しかし、それができるようになるにはきちんと精霊学を学ばなければいけないし、その為には読み書きは当然のこと、基礎的な勉強も学ばなければならない。
「学問塔に入学されるのが望ましいと思っておりますが、あそこに通えるのは十一歳からですから。入学試験だってありますし、その歳になるまでにしっかり勉学に励まれるのがよろしいかと」
フリートヘルムが言った”学問塔”という言葉に、エルフリーデはきらりと瞳を輝かせた。
「学問塔……! メルヴィが目指しているところですね!」
フリートヘルムが頷くと、エルフリーデは顔を綻ばせた。
「そういえば報告書に、メルヴィと仰る妹御の事が書かれておりましたね。並々ならぬ努力が必要になるでしょうが……」
「メルヴィなら、ぜったい、大丈夫です!」
きっぱりと断じるエルフリーデに、ベルノルトは目を丸くして、それから一つ頷いて柔らかく笑った。
彼の怖い顔ばかり見ていたエルフリーデはようやく彼の穏やかな顔が見れた事が嬉しくて、釣られてへらりと笑い返した。
フリートヘルムは微笑ましげに二人を見つめていたが、そういえば、と思い出したように手を打った。
「時にエルフリーデ様は、どの程度読み書きができますか?」
「うーん、特に問題なくお手紙くらいは書けると思いますが……」
頭の中に文字を思い浮かべることができるので、まったく分からないことはないだろうと、エルフリーデは自信なさそうに答えた。
興味を引かれたのか、フリートヘルムはキラリと目を輝かせる。
エルフリーデに与えられた客間の本棚に歩み寄ると、中からいくつか本を見繕って取り出した。
邪魔にならないよう控えていたベルタが机の上の紅茶類やぬいぐるみ達を片付けると、フリートヘルムはその上にいそいそと本を並べた。
「この本は読めますか?」
エルフリーデはパラパラとページをめくって、次の本も、そのまた次の本も同じように流し読みすると、コクリと頷いた。
「全部読めます。……書いてる内容は難しいですけど。もし、フリートさんさえよければ、時間がある時に読んでみたいです」
本に釘付けになっているエルフリーデに、ノルベルトは勿忘草色の瞳を驚きに染めた後、参ったとばかりに苦笑した。
「それは閣下の執筆なさった論文ですね。まさか、たった七歳の娘が読めてしまうとは」
「文字が読めるだけで、ちゃんと内容まで理解できてるわけじゃないです。でも、いっぱい勉強して分かるようになりたいです!」
エルフリーデが手のひらを握りしめて意気込むと、フリートヘルムは目を細めて彼女の頭を撫でた。
「良い心がけです。教えがいがある子は好きですよ」
「しかし、妖精が人の子にここまでしっかり読み書きを叩き込んでいるとは……。過去の花の蜜の識字の程度は世代ごとに差があると、記録で読んだ覚えがありますが……これ程まででは無かったはずです」
「毎度、育てている妖精が違うのかもしれませんね。今回彼方側でエルフリーデ様を育てた妖精が特に教育熱心だったのではないでしょうか? 人の勉学に興味がある妖精は少ないですし、どんな方なのか興味が湧いてきました」
一体どんな妖精なのだろう。こうして無事に育って帰ってこれたということは、その妖精なりに自分を大切にしてくれたに違いない。
それなのに、その人にはもう二度と会うことはできないのだろうか。
──ふと、唐突に。花祝いの日に聞こえた、誰かの声が頭をよぎった。
「エルフリーデ様? いかがされましたか?」
エルフリーデは思わず手で顔を覆っていた。
はたはたと手に涙がこぼれ落ちて、指の隙間から漏れていく。
昨夜から泣きっぱなしではないかと、冷静に考える反面、どうしてこんなに涙が溢れてくるのか分からなかった。
「分かりません」
かろうじてそれだけ絞り出すエルフリーデに、ベルノルトはどう声をかけていいか分からず、助けを求めるようにフリートヘルムに目配せする。
フリートヘルムは、ただじっとエルフリーデの零す涙を見つめていた。
どこか冷めた表情で、哀れむように。




