花祝い【1】
雪崩の一件から四日後に、エルフリーデの花祝いは執り行われることになった。
何しろ、数十年に一度、国のどこかに現れるという"本物の花の蜜"の花祝いだ。村の人達は、滅多に見られるもんじゃない! と色めき立って、村人総出で準備を進めている。
狭い村なので、フリーダ、もとい、エルフリーデがどうやら花の蜜らしいという事は、雪崩が起きた日のうちには村中に知れ渡っていた。
村の人々は同情的で、シェルツ一家を見舞いに、わざわざ村長の館まで村中の人が訪れた。
エルフリーデは勿論、様子を見に来た村人達の顔を覚えてはいなかった。
しかし、花の蜜の御伽噺を知る人々は、エルフリーデに記憶がないことも理解していたので、気を悪くする者は誰もおらず、むしろ口々に、村を離れる彼女を励ました。
そうして一日、二日、三日、と時間が過ぎていき、ついに花祝いの当日の朝を迎えた。
フリートヘルムは研究者として花の蜜の花祝いをこの目で見ることが出来ることに、どうにも浮かれてしまっているようだ。
王城から追加で届いた記録用の機材を、花祝いの会場である廟に搬入、設営まで、下男に任せず自分の手で鼻唄混じりに行う始末だった。
「見た事ないものばっかり!」
夢中になって機材を調整していたフリートヘルムは、メルヴィの驚いた声が入り口から聞こえると、にっこり笑って振り返った。
「全て王城から取り寄せた、最新の精霊式カラクリです」
廟に衣装を持ち込みにやって来たエルフリーデとメルヴィは、会場のそこかしこに設置された仄かに光る謎の物体を見渡した。
「何がどういった物なのか、全然わかりません」
大きな丸い半球状のガラスが嵌った箱のような物体や、猫じゃらしが人の腕くらいの大きさになった物。農村には縁のない物ばかりで、記憶の無いエルフリーデは勿論だが、メルヴィも全く何がなんだか分からなかった。
「全て精霊石を動力にした、映像を記録するための物ですよ。昨年発明されたばかりの最新式です」
「精霊石って、あれのことでしょ?」
メルヴィは廟の中央でさざめきのような音を発しながら仄かに明滅する石を指差す。
彼女の背丈ほどもあるその石しか精霊石を見たことが無いメルヴィには、その仕組みがいまいち理解できないようだった。
「精霊石というのは、石に精霊の力を込めた物全般を指します。この農村にある精霊石はこれだけのようですが、精霊学を学んだ者であれば、自分で作ることもできるんですよ」
少女二人が興味を引かれて瞳をキラキラと輝かせる様子に気を良くしたフリートヘルムは、つい調子に乗ってペラペラと機材の説明を始める。
最初はエルフリーデ達も、うんうん、と興味深そうに頷いていた。
しかし、元々浮かれ気味だったフリートヘルムの話は止まることを知らず、話が終わった頃には、あまりの情報量の多さに、二人とも目を回していた。
「おや、大丈夫ですか? 二人とも。ちょっと話し過ぎてしまいましたね」
「ちょっとどころじゃ無いです」
エルフリーデは眉間にシワを寄せて、どうにか話を噛み砕こうと必死に頭を回した。
フリートヘルムは楽しそうに笑いながらエルフリーデの眉間のシワを指で突いた。
「あんまり難しい顔をしていると、可愛らしいお顔が台無しですよ。せっかく今日は主役なんですから」
「そう! その花祝いの事でフリートさんにお願いがあったんだった!」
ポン、と手を叩いて、メルヴィは何か思い出したようだった。
フリートというのは、長くて言いづらいからと、貴族に向かって、恐れ知らずにもメルヴィが昨日付けたばかりの愛称だ。
生まれてこの方愛称なんて物に縁の無かったフリートヘルムだったが、エルフリーデが『フリートへリュリュ』と既に何度か噛んで呼んでしまっていた事もあり、甘んじて受け入れた。
「メルヴィ、貴女はちょっと、貴族に対して気安すぎますよ。教育係のサロモン殿によく言っておかなければ」
気を悪くした訳では無いが、今後の事を考えると、メルヴィには貴族との適切な距離感を学んでもらった方が彼女の為だ。
フリートヘルムは心を鬼にして叱責するが、メルヴィはどこ吹く風である。
「あら、ごめんあそばせですのことよ」
どこかおかしい覚えたてのお嬢様口調で謝ると、メルヴィは唇を尖らせた。
「でも、おねえちゃんの花祝いの事だもん。エライおにいさんは、おねえちゃんの花祝いを……えっと、ツツガナク終わらせたいんでしょ?」
「聞きましょうか」
フリートヘルムは鮮やかに掌を返した。
私は心が広いので、と爽やかに微笑む様は、いっそ潔い。
フリートヘルムの中では、研究こそが何よりも優先されるべきものだ。
ずうずうしくも一介の村娘が精霊塔の塔主に対しておねだりをしてきたとしても、それで研究がより円滑に進むのであれば、多少のことは気にしない。
しかし、あんまりコロッと態度を変えたので──エルフリーデは、この人大丈夫かな? と少し心配になってしまった。
「あのねフリートさん、おねえちゃんの花祝いのお祝いの踊りの相手をしてほしいの!」
おや、と、予想外のおねだりに、フリートヘルムは瞬きする。
エルフリーデはかぁっと顔を赤くして、慌ててメルヴィの口を押さえた。
「メ、メルヴィ! 何言ってるの!?」
むー! むー! と不満そうにじたばたと暴れて、ようやくエルフリーデの手から抜け出したメルヴィは、フリートヘルムの背に隠れた。
エルフリーデは妹を捕まえようと、わっと飛びかかるも、メルヴィは猫のようにするりと逃れて──今度はフリートヘルムの正面に回り込み、姉妹はぐるぐるとフリートヘルムの周囲を駆け回る。
「だっておねえちゃん、当日の朝になっても誰からも誘ってもらえてないんでしょ? もうお昼になるよ! このままだとお父さんとお祝いの踊りを踊る、カワイソーな事になっちゃうんだよ!」
でも、だって、と、アワアワと顔を赤くしてエルフリーデはその場に縮こまる。
対してフリートヘルムは、キラリとモノクルを光らせて、サッとどこからかメモを取り出し、メルヴィに迫った。
「この辺りでは花祝いの祭りで踊りを踊るんですか? 踊るのは廟の中でですか? 衣装は? 時間も決まってるんですか? もっと詳しく教えてください!」
急に勢いよく早口で質問攻めを始めたフリートヘルムに、メルヴィはたじろいで後ずさる。
フリートヘルムの濡羽色の瞳は爛々と輝いていて、心なしか、鼻息もちょっと荒い。
「む、難しいことはわかんないよ。お祝いのご馳走があるところで、花祝いの主役が、その日までに誘ってくれた子と皆の前で踊るの。その後はみんな一緒になっていろんな人と踊るんだよ」
「なるほど、なるほど。王都ではそのような風習はありませんが、それはこの村特有の風習ですか?どの年代から始まったものでしょうか?」
「ふ、フウシュウとかネンダイなんて言われても、まだ勉強してないんだから分かんない! ……も、もういいでしょ! 踊ってくれるの!? くれないの!?」
メルヴィはフリートヘルムの豹変にちょっと怯えてすらいたが、しかし、大事な姉の花祝いの思い出のためである。
勇気を振り絞ってフリートヘルムに詰め寄った。
フリートヘルムはようやく冷静さを取り戻して、コホンと咳払いをする。
そうですね、と少し考えて、彼は答えた。
「私はその踊りを知りません。他を当たった方が良いのでは?」
すげなく断られて、メルヴィは不満そうに口をへの字に曲げるが、エルフリーデは、ホッ、とこっそり肩を撫で下ろす。
ただでさえ知らない踊りを踊るなんて緊張するに違いないのに、絵画から抜け出てきたような綺麗な人と、なんて。
エルフリーデには自分がカチンコチンに固まってしまう未来しか見えなかった。
「そ、そうですよ! フリートさんは大人の人だから身長だって全然違いますし、そもそも、私も記憶がないので踊れません!」
「そんなのテキトーに音楽に合わせて、揺れたり回ったりしてればいい、ってママが言ってたよ」
エルフリーデは自分が誰かと手を繋いでくるくる回っているところを想像してみようとしたが、うまく思い浮かべなかった。
自分と同じ年頃の男の子が何人か見舞いにやってきたが、何も覚えていないエルフリーデを前にすると、みんな顔を曇らせてしまう。
一緒に楽しく踊っているところなんてうまく想像できない。
そもそも、エルフリーデは踊りを見たことがないのだ。
それなのに誰かに踊ってくださいなんて図々しいことは言えない。
「……踊りを見たことすらない女の子と踊りたがる子なんて……」
いませんよ、と聞こえるか聞こえないかくらいにか細い声で捻り出して、ついにエルフリーデはぐすんと涙ぐんだ。
まさか泣かせてしまうとは思っても見なくて、メルヴィは慌てて俯くエルフリーデの手を握った。
「ご、ごめんね、おねえちゃん! メルヴィ、ただ、心配で……」
「分かってます……。でも、やっぱりいきなりなんて無理です……踊りたくありません……やりたくない……」
メルヴィに抱きついてぐずるエルフリーデの姿を見て、フリートヘルムは顎に指を当てて思案すると、よし、と一つ頷く。
膝を曲げてかがみ込むと、少女達に目線を合わせた。
「分かりました。特に決まった形がない踊りなのであれば、私が相手を務めます」
「えっ? ……えぇっ?」
不意に翻った答えに、エルフリーデはすっかり戸惑ってしまい、声にならない声を上げる。
びっくりして涙まで止まってしまった。
「一応、ワルツならば貴族として多少の心得はありますから。基礎があればどのようなものでも応用できるでしょう。音楽に合わせてエルフリーデ嬢を揺らしたり、クルクル回したり、抱き上げたりしていればいいだけなら、どうにかなります」
メルヴィは嬉しそうに、やったー! と両手を上げて喜んだ。
反対に、エルフリーデの顔はみるみる青くなる。
完全に退路を断たれてしまった。
恐る恐るフリートヘルムの顔を窺うと、彼はにっこりと完璧な笑顔を浮かべてみせる。
──もしかして、花祝いの踊りをやりたくないなんて言ったから!?
エルフリーデは直感して──そしてそれは概ね間違っていない。
最新式の機材をあれこれ導入してまで花祝いの儀式を完璧に記録しようとしているフリートヘルムが、花の蜜が踊りたくないなんて言って黙っているはずがなかった。
「本音を言うと、踊りの様子を観察していたかったのですが……背に腹はかえられません。やるからにはきちんと努めますから、どうか安心して身を委ねてください」
「よかったね! おねえちゃん」
「ひぇ……」
エルフリーデは小さく悲鳴を上げて、逃れようのない状況に、ガックリと肩を落とした。
散々出てきた花祝いの日がようやく来ました。




