あなたをきっと【3】
フリートヘルムは芝居がかった仕草で、懐から一本の試験管を取り出した。
その試験管には白い結晶の中に毒毒しい青色のヤモリが入っており、フリートヘルムが揺らすたびに、小さなヤモリはチョロチョロと逃げ回る。
それが容易に手に入る物でないことを、雄鶏は一目で見抜いた。
王国の南方に位置する活火山にしか生息しないその派手な色のヤモリは、人間にとっては毒を持つ有害な生き物だったが、精霊にとってはまろやかな舌触りのご馳走だった。
目の色を変えた雄鶏は、しかしながらそう容易く流されてやりはしないと意地を張って、プイ、とそっぽを向いた。
「しかしナァ、小生はそこの"蜜"のお嬢ちゃんを助けてやっタノサ。他人の割り込む話じゃなイんじゃないカネ?」
「いえいえ、あなたが聞き入れてくださったのは私の願いですとも。私は哀れな村人が悲劇に見舞われるのを止めたかったのですから。もしかしたら、偶然、たまたま、そこのお嬢さんとお願いが被ってしまったかもしれませんが」
いけしゃあしゃあとフリートヘルムは詭弁を振るう。
「恐れながら、貴方は勘違いなさったのでしょう」
「そうかネェ?」
目の前で試験管を振ると、雄鶏はその動きに釘付けになり、試験管を右に動かせばその首も右に、左に動かせば左に揺れ動く。
すでに夢中になっているその様子に、フリートヘルムはほくそ笑んだ。
「えぇ、えぇ、そうですとも。貴方も本当は分かっていらっしゃるはず。妖精の女王王、ティターニア陛下のお気に入り──"花の蜜"相手に押し売りなんてしては……木漏れ日の向こうに帰れないのでは?」
「うゥム……確かに。……そういえばお兄さんのような声も聞いたよゥナ気もしてきた」
雄鳥のクチバシからだらだらとよだれがこぼれ落ちる。眼前の試験管の蓋を開けると、妖精にとっては芳しい硫黄の臭いがプンと鼻をついた。
「お好きでしょう? ヤモリの明礬漬け」
「クレッ!!」
ア、とクチバシ大きく広げた雄鶏に、フリートヘルムは満面の笑みをうかべ、そしてそのクチバシに哀れなヤモリを放り込んだ。
「まっタク、仕方ねェから今回は騙されてやるがヨォ、今回限りにしてくれヤ」
ヤモリを丸呑みした雄鶏はフリートヘルムを睨め付けると、エルフリーデに振り返り、ヒョコヒョコと近寄る。
体を強張らせる彼女の家族達には見向きもせず、妖精はエヘンとわざとらしく咳払いして、エルフリーデの顔を覗き込んだ。
「という訳デ……今回はアチラさんの話ニ乗ってやったがねェ、こんな助け船は世の中そうそう無いモンサ」
「は、はい」
「お嬢ちゃんの声はヨォく耳に響くンダ。声に出シても、出さなくッてもナァ。アノお兄さんに身の振り方を教えて貰うんダね」
大事なモンを取られないように、と、一言残して、雄鶏は雪に溶けていった。
「……まさか、何の前準備も無しに時の妖精の力を引き出すとは、全く想定外じゃわい。今までの花の蜜の資料を読んだことがあるが、ここまでの影響力があるとは前代未聞じゃよ」
静かになった雪道で、村長のため息混じりの声が響いた。
サロモンは哀れみの篭った目でエルフリーデをじっと見つめる。
彼はエルフリーデが家族と一緒にいられることを切に願っていたのだが、彼の予想よりも周囲の精霊や妖精に影響を及ぼしてしまう姿を目の当たりにすると、彼女の運命を容認する他無かった。
「シェルツさん、諦めなさい。この子は何の護りも無しに生きてはいけない」
「そんな……何か、他に方法は……」
スヴェンは諦めきれずに言い募るが、サロモンは残念そうに首を振る。
「精霊塔の援助がなければ、この先何事もなく生きていくのは難しいじゃろう」
返す言葉が見つからなかったスヴェンは力なく項垂れたが──それでも尚、娘を手放せず──俯いたまま、拳を握りしめた。
「やだ!おねえちゃんを連れてかないで!!」
メルヴィはエルフリーデを抱きしめると、いやいやと首を振った。
頑なな家族達に、フリートヘルムは罪悪感を覚え──しかし職務に忠実な彼は、それを噯気にも出さない。
「先ほどの妖精だけではありません。お嬢さんは恐らく氷の精霊達にも貸しを作っています。早急に手を打たなければ、思わぬところで借りを回収しに来るでしょう」
このヴァイデ村の気温差は恐らく花の蜜が凍えないように"良かれと思って"氷の精霊達が姿を消した事が発端だとフリートヘルムは当たりをつけている。
氷の精霊達にも相応の"お礼"をしてやらなければ後が怖い。
ある程度何か騒動が起きる事を予想していくつか精霊塔から備蓄を持ち出していた為、何とか手を回す事はできるだろうが、これ以上何か騒動を起こされては、フリートヘルムにも庇い切れるかどうかは怪しかった。
「王城は手厚く保護致します。王族に迎えられ、暮らしに不自由はありません」
「──嘘よ」
マイラは静かに断じてゆらりと立ち上がると、雪や泥がついたスカートを払いもせず、青年を睨みつけた。
「不自由がない、ですって? 冗談じゃないわ。"自由がない"の間違いじゃないの?」
「マイラさん、おやめなさい」
サロモンはマイラの声を遮って首を振る。
口を閉ざすように言う彼の言葉は、しかし、マイラを逆上させる効果しかなかった。
「いいえ、やめないわ! サロモンさんもご存知のはず! 先代の花の蜜──お母様は、先王陛下の公妾にされて、そのまま離宮に閉じ込められて……逃げ出した先のこの村で──心労が祟って……死んでしまったのよ!!」
フリートヘルムは、見てきたかのように語り、取り乱すマイラに、まさか、と愕然とする。
彼の脳裏に、記憶の隅に押しやられていた一枚の絵が思い浮かんだ。
艶やかな花の色と同じその髪も、若草色の瞳も、目鼻立ちも──彼がいつか見た、精霊塔に飾られている先代の花の蜜の絵姿とそっくり同じだった。
「先代の花の蜜は先王との間に産まれた王女と共に行方不明になったと資料に残っておりましたが……匿っていたのは貴方ですか、サロモン殿」
「カサンドラ様は可愛い教え子でしたからの」
カサンドラというのは先代の花の蜜──エルフリーデの祖母である。
商人の末娘として生まれた彼女は、花祝いの席で花の蜜である事が分かると、国の決まり通りに姫君として王族に迎え入れられたが、その一生は決して穏やかなものではなかった。
カサンドラに恋心を抱いた当時の王子──先王は彼女を娶りたがったが、元庶民の立場上正妃にはできず、カサンドラは公妾として迎えられた。
一身に王の寵愛を受ける彼女は正妃や周囲の貴族に妬まれ、次第に嫌がらせも過激になり、彼女は離宮に隠されるように移り住んだ。
しかし、結局のところ嫌がらせは止まず、カサンドラは心を病んでしまい、遂に彼女は幼い娘を連れて城を逃げ出した。
花の蜜として学問塔に通っていた彼女はかつての恩師を頼ってヴァイデ村に辿り着き、幼いマイラをサロモンに託すと──間もなく息を引き取った。
「カサンドラ様は……お優しい方じゃった。残された王女殿下の力になって差し上げるとお誓い申し上げたが……結局、叶いませなんだ」
「私を……王女と呼ばないでください……!」
マイラは頭を両手で抱え、絞り出すように叫んだ。
「私は、もう王城とは何の関係もありません。あのように冷酷な場所──思い出したくもない」
幼くとも、マイラには母親の苦痛がつぶさに伝わっていた。
来る日もくる日も──正妃からの嫌がらせで、マイラの幼い記憶は辛いことばかりで埋め尽くされていた。
朧げな記憶の中に、母親に笑顔はほとんど無く──息を引き取る直前の安堵の顔が、マイラが見た最初で最後の母の心からの笑顔だった。
「この子まで同じ目に合わさせはしない……!」
マイラはメルヴィと抱き合って道の上に座り込むエルフリーデに歩み寄ると、メルヴィごと、力の限りに抱きしめた。
ボロボロとマイラの瞳から涙が溢れ、その涙がエルフリーデの顔にポタポタと落ちる。
マイラの若草色の瞳が溶けてしまいそうだとエルフリーデは心配になって、外套の袖でマイラの目を拭った。
「泣かないでください、お母さん」
エルフリーデはマイラの背に手を回すと、ポンポンと小さくその背を摩った。
マイラの愛情も心配も痛いほどに伝わってきて、エルフリーデは胸がいっぱいだった。
これ以上何かを受け取ったら、きっと自分もどこにも行きたくないと泣き出してしまいそうだった。
エルフリーデは家族の手を取って重ねると、ギュッと握って、小さな額をくっつけた。
「大事に思ってくれてありがとう。私にとっては一週間でしたけど、ちゃんと伝わってました」
でも、行かなくてはいけない。
エルフリーデは、雄鳥の最後の言葉を反芻する。
きっと、何もかも拒否してこのまま逃げれば、いつか大事なものを奪われてしまう日がやってくる。
何も知らない自分では、先ほどのフリートヘルムのように妖精達と渡りをつけることはできない。
護るためには、知らなければ。
これからの自分に必要なものが見えた気がして──エルフリーデの胸に、静かな決意の火が灯った。
「私、お姫様になります」




