五、 1986.04 ③
「――は?」
「だからー」
放課後、放送室に呼び出された〝おれ〟は、とりあえず行ってみることにした。そこでどう揉めようがボコボコにされようが、自分が認めない限り負けじゃないのが喧嘩だ。そういう意味で、おれはこれまで負けたことがなかった。
だが、放送室でおれを待っていたのは、予想とはだいぶ違っていた。
――てゆか何この歓迎ムード。
狭い室内にいたのは十人程、恐らく全員上級生だろう。あ、はじっこにごうだ君がいた。そんなビビり散らかした目で見るんじゃないよ。いじめたくなるだろう。
「よく来てくれた、中里君。改めて、二年の岩屋だ」
「義家だ」
「はあ」
「お前も名乗れよ一年坊」
別の誰かが茶々を入れてくる。鬱陶しい。
「中里です……なんすかこの茶番。さっさと用事済ませませんか。なんだか知りませんけど、ここでカタつけたいんですよ。放課後は忙しいんで」
「わかったわかった。……じゃあ端的に言うわ。お前、俺らのグループに入れ」
「嫌です」
よし、用事は済んだ。帰っていいかな。駄目か。
「てめえ、先輩方に口の利き方気をつけろよ!」
「気をつけてっから丁寧語使ってんだろうが。生意気なだけじゃなくてお脳腐ってんのかよ……ええと、ごんたくん?」
「合田だっ!」
あ、そうだった。ごめんな。できるかな? できないね。
「で、用事はそれだけっすか。そしたら帰りたいんですけど失礼しまーす」
「待て待て待て、話はまだ始まってねえんだ」
「……早くしてください。おれも暇じゃないんすよ」
「分かった。……今、うちは隣の東高と揉めてる。で、今度五人ずつ出して、勝ち抜きタイマンで勝負をつけることになったんだ。……そこで中里君、君に手伝ってほし」
「嫌です。じゃ、そういうことで」
「けっ、自信ねえってか! おい、てめえの中坊ん時のことは聞いてんだよ! ……てめえ、今の東高の頭、病院送りにしたらしいじゃねえか!!」
「……だからなんだ、ごんたくん」
「合田だ!」
面倒臭い上に青臭い、悪い意味での青春がそこにあった。
確かに俺は中学一年生の時、とあることで揉めた二つ上の先輩を病院送りにした。といっても、絡まれてヤケクソ気味に振り回した腕のあたりどころが悪く、車道に飛び出た先輩が爆走してきた自転車に撥ねられた、という顛末ではあるのだが。この手の武勇伝的な噂というのは、尾ひれ羽ひれにキリがなくなる。結果、その後の俺の素行と相まって、いつの間にか市内の中学最強という厄介なレッテルが貼られてしまった。一部自分の責任ではあるものの、ただの健康優良児の不良少年だっただけである。噂については誰が言い出したか分からない上に、俺が気がついた時には他の学校にまで話が拡散してしまっており、面倒臭くなった俺はこの時点まで放っておいたという話だった。
「買い被ってもらったのは悪い気しないっすけど、おれもうそういうの引退したんで。別に邪魔はしねえんで、好きにやってください」
「待てよ! だったらてめえ、昨日俺を片手で持ち上げたのはなんだったんだよ!」
「……壁に押し付けて腰入れて突き上げりゃ、てめえくらいのヒョロ坊、簡単に上がるんだよ。悔しかったら筋トレしとけ」
「んだとてめえ!!」
ごんたくんが掴みかかってくる。その手首を掴み、捻り上げると、彼は情けない叫びを上げた。
「いてててててえええっ! やめろ、ギブ、ギブだから!」
「知らねえよ、こっちぁプロレスラーじゃねえんだよ」
この時の〝おれ〟の顔は、凄まじく悪い笑いを浮かべていた気がする。
「売ったのはてめえだろ? だから買ってやっただけだろうが。やめ時は買ったおれが決めんだよ」
「あがあああああっ!! いたいいたいいたいいたいいたいいいいいっ!!」
「お、おい、やめろ中里!」
「呼び捨てすか」
「な、中里、君! 頼む、おれの顔に免じて頼む!」
〝おれ〟はそれを聞いて深くため息をつき、ごんたくんの手首を離す。そして。
「……先輩、岩屋さんでしたっけ」
「あ、ああ」
「あんたの顔に免じるってのがよくわかんねえんですけど。そんな価値あるんすか。試しますか」
「……」
「どーすんだよ先輩。こっちぁあんたのツラに免じたんだよ」
「……済まなかった。合田にはもう、二度と関わらないようにきつく言っておく」
「助っ人の話もなかったことにしてくれていい。時間取らせて悪かった!」
「……じゃ、帰りますね」
そう言って放送室のドアに向かうと、そこには残りの上級生が回り込んでいた。
――だから、こういうのがめんどくさいんだよ。
〝おれ〟は、中学の頃、学校帰りに連日囲まれた過去を思い出す。
「……やっぱ頭潰すしかねえか?」
「みんな、中里君を通してやってくれ。今回はこっちの負けだ」
今回は、か。勘弁してくれよマジで。高校に入ったら変な噂もなくなるし、長続きする彼女作ってまったり過ごすんだって思ってたのに。
そのために中途半端な公立の進学校に進学したのに。
全く、これだから――
「高校デビューはよぉ……」
ぐずぐずしている先輩の肩を掴み、どかせる。大きくよろけた彼は、他の先輩とぶつかって、ドミノのように倒れた。
「もう関わりたくねえんで、東高の頭には連絡入れておきますね。――おれは一切関わらねえから好きにしろって」
「え、ちょっと」
「じゃ、失礼しまーす」
今度こそ放送室を出たおれは、慌てて腕時計を確認する。
「やっべぇ!! またボコボコじゃねえかよお!」
週に3日程、学校帰りに通っている、とある道場に向けて、おれは全力で自転車のペダルを踏んだ。
――――
「よりによってあの記憶だったか……」
現実に戻ってきた俺は言い知れぬ疲労感に包まれていた。
あの記憶は、俺の数少ない高校生当時の記憶だ。正直あの一連の話と、二年の時、あまりにも成績が悪いがために、立候補者不在で押し付けられた生徒会長、そして会計の女子と付き合ったことしか記憶にない。どうにも碌でもない青春時代を過ごしたものだと後悔したが、すでに終わってしまった話なのでどうしようもない。
――次はまともな記憶でありますように。
俺は祈るように、次の泡を弾くのだった。




