第七章 静かな部屋の真ん中で
小さな「NO」を一つ言っただけで、何かが劇的に変わるわけではなかった。
相沢との連絡は、それまでと同じように続いていた。数日空いてから、ふいに短いメッセージが届く。
でも、私の一日は、少しずつ形を変え始めていた。
朝、目覚ましで起きる。枕元のスマホにすぐ手を伸ばす代わりに、まずカーテンを開ける。光の具合を確かめるように窓の外を眺めてから、やっとスマホを手に取る。相沢からの通知がない画面にも、だんだん慣れてきた。
イラストサークルの見学に行った日は、緊張していた。教室の前に立つと、中から笑い声とペンが走る音が聞こえる。
「連絡くれた白石さん? よかった、来てくれて」
メガネをかけた先輩が笑いながら、席に案内してくれた。
「そのスケッチブック新品? 今日のために買った?」
隣に座った女の子が、ちらりと覗き込んだ。
「……わかります?」
「わかる。角がまだ生きてるもん」
鉛筆を動かしている間だけは、相沢のことを考えなくてすんだ。そのことに気づいた瞬間、少し胸が軽くなった。
ある日、友達とのカフェで、ついに相沢のことを詳しく話した。
誕生日のドタキャン。「埋め合わせするから」で片づけられたこと。自分の都合でしか呼び出さないこと。
友達は黙って聞いてから、静かに言った。
「白石はさ、"仕事なら仕方ないですよね"って言ってくれる、優しい彼女ポジションにいるんだと思うよ。でも、それってさ、"ちゃんと大事にされてる"とは別の話じゃない?」
その言葉は、鋭いけれど、不思議と痛くはなかった。むしろ、ずっと喉に引っかかっていたものを、外側から名前をつけてもらったような感覚に近い。
「"忙しいから"って連呼する人って、自分の人生を最優先してるだけなんだなって。それ自体が悪いわけじゃないけど、その人生に自分がちゃんと含まれてるかどうかは、別問題じゃん」
帰り道、私は何度もさっきの会話を反芻していた。
ノートの「これから」の欄に、新しい一文を書く。
「この関係を、いったん立ち止まって考える時間を取る。」
――"終わらせる"って書いてない。"考える時間を取る"だけ。それでも、その一文は、今まで絶対に書けなかった種類の言葉だった。
しばらくして、相沢からメッセージが来た。
〈今週末、飲み会入らなくなった。久しぶりに会えない?〉
前の私なら、喜んで「会いたいです」と即答していただろう。でも今は、「ここで流されたらまた元に戻る」という恐怖もある。
私は、ゆっくりと息を吐き、スマホに指を置いた。
〈少し、お話ししたいことがあります。会って話せたら一番いいんですけど〉
送信ボタンを押した瞬間、心臓が跳ねる。
〈どうしたの、怖いこと言うじゃん〉
〈ちょっと、自分の気持ちを整理したくて〉




