第五章 壊れたあとに残るもの
二十一歳の誕生日は、去年とは違って、ちゃんと「彼氏と過ごす日になるはずだった」。
数日前、相沢から連絡が来た。
〈今度の誕生日、空けておいて。ちゃんとお祝いしたい〉
その一文を見た瞬間、胸の中で何かが弾けるように嬉しかった。
去年は、知らない男の人に祝ってもらった「特別な夜」だった。今年は、彼氏に祝ってもらう「当たり前の夜」になる——はずだった。
誕生日当日、私は一日中そわそわしていた。午後はバイトを休みにしていた。部屋を片付けて、シャワーを浴びて、慎重にメイクをして。去年の誕生日に着ていたワンピースを鏡の前で合わせてみて、「これは違う」とクローゼットに戻した。
――あれは、あの日の私の服だ。今日は、今の私の服を着たい。
約束は夜七時、駅前。六時四十五分。さすがに連絡がないまま出る勇気はなかった。
〈今日、七時に駅前で大丈夫でしたっけ〉
既読がつかない。五分、十分、十五分。
七時を過ぎた。カーテンの隙間から見える外の空は、すっかり暗くなっている。
七時半。八時。何度もメッセージを開いては閉じる。
八時を回った頃、ようやく既読マークがついた。その瞬間、呼吸が止まる。だが、そこからまた時間が動き出さない。既読がついたまま、返事がないまま、十分、十五分が過ぎる。
八時二十分。ようやく、短いメッセージが届いた。
〈ごめん、今日は無理になった〉
それだけだった。「無理」の理由も、「誕生日」の文字もない。絵文字すらない、素っ気ない一文。
画面を見ているうちに、視界がじわりと滲んだ。
――誕生日だって、知ってるよね。
去年、あのカフェで「誕生日なんですね」と声をかけてくれた人。あのレストランで、ケーキに名前を書いてくれた人。その彼が、「誕生日」の二文字を一度も出さない。
スマホが再び震えた。
〈また落ち着いたら埋め合わせするから〉
その一文が、とどめになった。
埋め合わせ。何かを失ったときに使う言葉。今日一日を、簡単に「埋め合わせ」で帳消しにしようとしている。
私は、その瞬間、やっと涙を流せた。声は出さない。ただ、頬を伝うものを止めることはできなかった。
――私の誕生日は、この人にとって、その程度の重さなんだ。
翌日、大学のキャンパスはいつも通りだった。昨日、自分の中で何かがひどく壊れたことなんて、この世界のどこにも反映されていない。
友達に「誕生日どうだった?」と聞かれて、「……まあ、それなりに」と笑ってごまかした。
数日後、約束していた「埋め合わせの日」が来た。指定された店は、駅から少し離れた居酒屋だった。誕生日にふさわしいような洒落たレストランではない。
――会ってくれるだけで、いい。
そう思っている自分が、どんどん小さくなっていく。
店を出たあと、駅までの道を並んで歩きながら、相沢が何気なく言った。
「白石さんって、あんまり怒らないよね」
「え?」
「昨日さ、同僚が彼女に誕生日の約束ドタキャンしたら、めちゃくちゃ怒られたって話してて。なんか、俺も気をつけないとなーって思ってたんだけど」
そこで一度、笑う。
「白石さんは、大人だなって思った。"仕事なら仕方ないですよね"って言ってくれるし」
喉の奥で、何かがからんだ。
――私が怒らなかったのは、大人だからじゃない。怒ったら、嫌われるのが怖かっただけだ。
「……そうですかね」
「うん。助かってる」
その「助かってる」という言い方が、自分の役割をはっきり突きつける。相沢にとって自分は、「怒らず、受け止めてくれる都合のいい彼女」なのだと。
――この人との関係を守るために、私が壊れていく。
そんな矛盾した感覚が、じわじわと広がっていた。




