60.デイジーの告白
「会えるけど、この状態でデイジーに会うのは情けなすぎるから止めとく。伝言だけしようかな」
耳がそう聞き取ったところで扉が大きく開く。
応接セットまである広々とした個室のベッドにはリオネルがいて、傍らのバルトークと不機嫌そうに会話をしていた。
「えー、意味分かんねえな」
「せめて、半分の眉毛だけでも生えない、と……」
言葉が途切れて翡翠色の瞳がデイジーを捉える。リオネルは目を見開いて「デイジー……」とその口が動いた。
「っ……」
デイジーはぼろぼろと泣きながら早足でベッドに近付いた。チェスターとアスランの存在はすっかり忘れていた。
滲んだ視界にリオネルの包帯に巻かれた両腕が映る。
「う、腕はどうしたんですかっ? 治るんですかっ?」
デイジーは泣きながら噛みつくように聞いた。
「デイジー、どうしてここに?」
「そんなことはどうでもいいんですよっ、腕は治るんですかっ?」
「な、治る。治るよ! 火傷と裂傷だけなんだ」
デイジーの勢いに面食らいながらもリオネルが答える。
「裂傷っ? なんで⁉」
「ガラスの破片が刺さったんだよ」
「ガラス⁉ どれくらい刺さったんですかっ? まだ残ってるの⁉」
「大丈夫っ、昨日の内に全部ちゃんと取り除けてる」
「指はっ? 指は全部ありますかっ?」
「えっ、あ、あるよ」
「ちゃんと曲がりますかっ?」
「ちゃんと曲がるよ。落ち着いて、腱も骨も異常はないんだ。火傷はちょっと痕が残るかもだけど、安静にしてれば全治一ヶ月だから」
狼狽えながらも説明するリオネル。
二人のやり取りを見ながらチェスターがバルトークの肩をつんつんとつついた。
「私達、たぶんお邪魔だから出ようか、ね?」
「えっ、あんた誰?」
「誰でもよくない? 君はデイジーちゃんに想いを寄せてるわけじゃないよね?」
「あん? 俺はリアたん一筋で」
「はいはい、じゃあとりあえず退散しよう。よければリアたんの話を私に聞かせてよ」
チェスターはするりとバルトークの腕に自分の手を絡めるとアスランにも微笑む。
デイジーの豹変ぶりにびっくりしていたアスランは苦笑して、三人はそっと部屋を出た。
部屋を出る三人にリオネルだけは気付く。
最後尾のアスランはリオネルを振り返りウインクすると、扉まで閉めた。リオネルはぎょっとして慌てた。
「デ、デイジー、ちょっとこのシチュエーションはマズいよ。病室とはいえベッドもあるし、俺は君に片想いだって公言してるんだ。二人きりは変な噂が」
「片想いじゃないんですっ」
「えっ」
「うえっ、好きなんですっ、好きだもん。好きになるのはリオネルさんだけです」
デイジーはおいおい泣きながら告げた。
「ええっ」
リオネルは真っ赤になった。真っ赤になったリオネルは混乱しながら更に慌てる。
「いや、両想いだともっとマズいよ。こ、婚約もしてないし、二人きりは」
「婚約くらいすればいいでしょっ」
デイジーは聞こえてきた“婚約”にも怯まなかった。
婚約が必要ならやってやると思った。何なら、セシリアに取られる前に自分がもらう、くらいの勢いだった。
婚約していたなら今日だって、朝一番で病院に駆けつけられたのだ。リオネルの状態を聞き、何か力になれたりもしただろう。
一日中、何も分からずに不安に押しつぶされそうになることもなかった。
「私には借金もあるけど返す目処はたってますっ、婚約してくださいっ!」
デイジーの叫びにリオネルが固まる。
「……………………ウソだろ」
やがて漏らしたその言葉にデイジーは怒りだした。
「嘘なわけないでしょう! 大体、さっきの情けなくて会えないってなんですかっ、私がどれだけ心配したと思ってるの? それなのにっ、連絡の取りようもなくてっ…………ううぅ~」
怒りながらもデイジーの涙は止まらない。
朝からずっと不安で堪らなくて張り詰めていた気持ちが、リオネルの無事を確認して決壊していた。
安堵と、今日一日で知った自分の情けなさと悔しさと、リオネルへの想いが溢れる。
もうどうしようもなかった。
「ううっ、会わないつもりだったなんてひどい。それにどこが情けないんですか? いつもばっちりカッコいいくせに。いっつも余裕で、意地悪とかとするくせに」
「えっ、俺、意地悪なんかした? ごめん」
「は? 何聞いてたんですか? そういうのも含めて好きだって言ってるんですよ!」
デイジーは激昂した。
冷静な状態なら、病室に入ってからのデイジーの言動だけで“意地悪まで好き”と察するのは難しいと分かっただろうが、今のデイジーでは無理だ。
「あなたの全部が好きなんですよ!」
怒りのままに告白するデイジー。リオネルは再び真っ赤になった。
「…………」
「…………」
しんと部屋が静まりかえる。
デイジーの荒い息遣いだけが部屋の中に響いた。
「………………す、すごく、嬉しいよ」
やがて口を開いたのは真っ赤なリオネルだった。
「ちょっと非現実すぎて、まだ頭がついていっていないけど、とにかく嬉しい」
頰を染めたリオネルがじんわりと微笑む。
「そういう、気の抜けた笑顔も好きなんです」
ぐすぐす泣きながらデイジーは付け足した。
「デイジー……」
リオネルは包帯でぐるぐる巻の両腕をあげて――――ぴたりと止まった。
「はあ、抱きしめたかったのにな」
残念そうに呟くと、まだ涙の止まらないデイジーに切ない眼差しを向ける。
「ごめん、涙も拭いてあげられないね。枕元にあるタオルでよかったら使って」
「うう〜」
デイジーはタオルを自分で取ると、どんどん出てくる涙を拭う。
「ここ、座りなよ。もっと近くで泣いてほしい」
リオネルが自分の横を腕で示してデイジーはベッドの端にちょこんと腰掛けた。
「ほら、頭は俺の肩に乗せて、その方が楽だよ」
言われるままにリオネルの肩におでこを預けると、そっと包帯の腕がデイジーの背中に触れる。リオネルが大きく息を吐いたのが分かった。
デイジーはふんわりと抱きしめられながら泣いた。
しばらくしてやっとデイジーの涙が止まる。
「落ち着いた?」
優しく聞かれて頷くと、リオネルの肩から顔を上げた。すんすんと鼻をすする。
決壊した感情はだいぶ凪いできていた。
「目も鼻も真っ赤だ。可愛い」
そう言われて恥ずかしくなる。いい大人がしっかり泣き喚いてしまった。
「デイジーの泣き顔はこれでニ回目だね」
「すみません、取り乱しました」
「ううん、嬉しかった。前はとても辛かったから余計に」
「前?」
前に泣いたのはいつだっけと記憶を辿ろうとしたデイジーをリオネルはやんわり止めた。
「そのことはいいんだ」
「あれ? ところでバルトークがいませんでしたか?」
部屋を見回してデイジーは首を傾げる。リオネルは眉を下げて笑った。
「んー、三人はわりと早い段階でいなくなってたかな」
「三人?…………三人」
泣きすぎてぼんやりしていたデイジーの頭がはっきりしてくる。
(そうだ、ここへはリナガモさんと、お兄さんも一緒に来たんだった)
さあっと青くなるデイジー。部屋に入ってからリオネルしか見えてなかったが、確かにあと三人いた。
変な汗が出てくる。
「デイジー?」
「私、とんでもない醜態をさらしたんじゃ」
「さらしてないと思うよ」
「ええっ、でもリオネルさんに縋り付いて怒鳴り散らしましたよね⁉ 泣きながら」
「ふふ、うん。思い出すとそれすら可愛いね」
「可愛いわけないです」
「大丈夫。三人がいたのは最初の方だけだから」
「最初の方だけ……」
「それより、そろそろ面会時間が終わっちゃうんだ。とても名残惜しいけど」
リオネルがちらりと時計を見る。時刻は四時五分前を指していて、デイジーは慌てた。
「ほんとだ、すみません。すぐにお暇しますね」
「待って、デイジー」
立ち上がって帰ろうとするデイジーをリオネルが止める。
「その、返事だけさせてほしい」
「返事?」
「婚約の申し込みの」
「こんやく?」
意味が理解できなかったのは一瞬だった。すぐに先ほどの自分の『婚約してくださいっ!』を思い出す。
「…………あ」
「申し込んでくれたよね?」
リオネルがとろりと微笑む。ベッドにいるのでこちらを見る目は上目遣いだ。
前髪ピン留めで片眉がないのに、その破壊力は大きい。むしろ増しているかもしれない。デイジーの顔に熱が集まった。
「も、ももも申し込みましたね。あの、でもあれは……」
あれは勢いに任せて言ってしまったものだ。
「あれは…………」
でも本心だった。
「…………」
デイジーは覚悟を決めて息を吸う。背筋を伸ばして眼鏡を正した。女は度胸だ。
婚約くらい、やってやる。借金がなんだ。すぐに返す予定だ。自分はまあまあの高給取りである。人脈だって作ってやる。後悔はさせない。
デイジーはまっすぐにリオネルの目を見て言った。
「リオネル・グランツさん。先ほどは乱暴な申し込み、失礼しました。でも気持ちに変わりはありません。私はあなたと婚約したいです」
リオネルは優しく笑ってこう答えてくれた。
「喜んで」
面会時間も迫っていたので、デイジーはリオネルの病室を後にした。
出る前に洗面を借りてぐずぐずだった顔を少しだけマシにする。四時ぎりぎりに受付まで戻るとチェスターが和やかにエンヴィと話し込んでいた。
「おやデイジーちゃん、お帰り。じゃあエンヴィちゃん、私はこれで。名刺を渡しておくね、人手不足で困ったことがあったら一度デュート社に相談してみてほしいな」
デイジーに気付いたチェスターは鮮やかにエンヴィに名刺を渡して別れを告げる。
「お待たせしてしまってすみません」
「私は私で楽しい時間を過ごしていたから問題ないよ。三男くんが無事でよかったね」
「はい」
「しっかり話せた?」
「は、はい」
「では帰ろう」
チェスターが微笑み、デイジーはアパートへと戻った。
その日は気分が高まったままで、なかなか寝付けなかったが幸せな夜だった。
後日、新聞のお知らせ欄にグランツ侯爵家の三男が婚約したことが小さく載せられた。




