59.その頃の病室
「これが提出する書類な。中身は事務方に大体書いてもらっておいた。休暇の申請と事故の届けだけはリオネルのサインがいるから……あー、家族の代筆でもいいだろ、たぶん」
薬師塔のローブをまとったバルトークがリオネルの両腕を見て告げる。
昨日の薬師塔での爆発事故の後、リオネルは問答無用で王立病院に担ぎ込まれ、薬師塔の部長のコネで三階の一番奥の広々とした部屋を割り当てられていた。
負傷したのは上半身だけだったので立つのも座るのも問題はないのだが、昨日の傷の処置に疲れ果てたリオネルはベッドの上でクッションにもたれている。
今日は午前中を眠って過ごし、今はずいぶんすっきりしていた。
「たぶんって……」
「もうさっきのお兄さんにリオネルの名前書いてもらったらいいんじゃね? 筆跡の確認なんかしねえよ」
「でも正式な書類だろ、親指だけなら動くから何とか」
ごそごそと手を動かそうとするとバルトークに書類で頭をはたかれた。
「動かすなって言われてんだろ?」
「大丈夫だよ。見た目はすごいけど火傷もガラスが刺さったのも、ほとんどが腕なんだよ」
むっとしながらリオネルは自分の両腕を見下ろす。
両方とも肘から下は指先に至るまで包帯でぐるぐる巻きにされて固定されていた。
爆発が起こった時に咄嗟に腕で頭を庇い、爆風と飛び散った薬品、破裂したフラスコのガラス片を浴びたのである。
手指にも火傷や切傷はあるが腕よりは軽い。でも無意識に動かさないようにと親指以外は添え木でがっちり固められている。
「とにかく動かすなよ。なんかあったらマイクが気にするだろうが」
マイクは薬師塔の新人でリオネルが指導係をしている男だ。今回の爆発事故を起こした張本人でもある。
「……そもそもあれはマイクのせいじゃないよ。俺の指導ミスだろ」
そう言ってリオネルはため息を吐く。今回の事故は自分の責任であると思うのだ。
やっていたこと自体は簡単な調合だった。新人教育の一環だ。そこで間違って混ぜ合わせてしまった薬品の相性が悪かったのだ。
間違ってしまったのもマイクだけが悪いわけではない。
そもそも保存する瓶に違う薬品が詰められていて、それをマイクが手に取り、中身の確認試験をしないままに使用した。
リオネルがマイクのミスに気付いたのは混ぜられた後で、フラスコの中ではもう嫌な反応が始まっていた。
「確認試験をちゃんとするように厳しく言っておくべきだった」
そうすれば防げた事故だ。
「いやいや、確認試験をいちいちやってる奴なんか薬師塔にはいねえよ。慣れたら匂いと質感で分かるし面倒くせえからな。形骸化してるマニュアルのせいだろ」
「慣れるまでは、やるべきだと」
「誰もそんな指導はしてない。俺だってしてない。お前は悪くねえよ。対応は迅速で的確だった。マイク突き飛ばしてすぐにフラスコをローブで覆っただろ? 部長が褒めてたぜ、真っ先に遮光したのは偉いってさ」
「光が触媒になる反応だったからね、当たり前だろ」
あの反応は光があると加速して増大するものだったのだ。
「あそこで咄嗟に思いつけるのは偉いだろ。被害が最小限で済んだのはリオネルのお陰だよ」
「君でもできたよ」
「それは分かんねえけどさ」
「とにかく、マイクには事故は俺のせいだから気にするなって言っといて」
「それはちょっとなあ。言ったら余計に気にするだろうし……こういう事故って結局、全員の責任だろ。ま、とにかく、くよくよしてないでゆっくり治せよ。あ、そういえばその眉毛は生えてくんの?」
バルトークはここで、無邪気にリオネルの左眉を指さしてくる。
そこに眉毛はない。
リオネルの左眉には、腕で防ぎきれなかった薬品が少しかかってしまったのだ。
眉は半分ほどが薬品火傷でなくなり、残り半分も治療のために剃られてしまった。今は軟膏が塗られ、てかてかと光っている。そして患部に髪が触れてはよくないと、前髪はピンで留められていた。
つまり、かなり滑稽な様子だ。
バルトークがわざわざそこに触れてきたのは、誰の責任云々の話題を変えるためだとは分かったが、眉毛に言及されたのにリオネルは苛ついた。
「おい、デリケートなことを聞くなよ」
「えっ、もしかして生えてこねえの」
「半分は剃ってるだけだから生えてくるよ。もう半分は微妙」
「微妙なのかよ。えー、いじってごめんな」
「目尻のほうだし、前髪で隠れるから」
隠れるはずだ。たぶん。
(眉毛ないの……デイジーは嫌がったりするかな)
ちょっとだけ弱気になる。リオネルがデイジーに対して自信があるのは今のところ顔だけだ。
半分の眉毛が永久に生えてこないことになれば、けっこう手痛いかもしれない。
「デイジーに幻滅されるかも……」
「は? しねえよ。あいつは人の外見だけ見る奴じゃない」
「時々、まっすぐな君が妬ましいよ」
リオネルは遠い目で言った。
「何言ってんだ? てかデイジーに連絡しとけよ。事故が記事になってたから読んでるかもしれねえぜ。心配してるよきっと」
「してくれてたら嬉しいけどね」
「火傷の全治に一ヶ月だったよな? 退院は?」
「三日後」
「じゃあ、いつものフランネル家で会えんのか?」
「会えるけど、この状態でデイジーに会うのは情けなすぎるから止めとく。伝言だけしようかな」
「えー、意味分かんねえな」
「せめて、半分の眉毛だけでも生えない、と……」
バルトークに言い返そうとしたところで、病室の扉が大きく開く。
そこには兄と見知らぬ茶髪の男に挟まれたデイジーがいて、泣きそうな顔でリオネルを見ていた。




