58.面会
顔を上げるとそこには息を切らせたチェスターがいた。
「アパートにいないから探したよ」
茶髪の優男が微笑む。デイジーは慌てて涙を拭った。
「すみません。ご用でしたか」
「うん。デイジーちゃんはこれから私と王立病院へ行こう」
「えっ」
「ひどい顔色だよ。皆心配してた。このままじゃ今日は眠れないんじゃない? そして泣くほどならまず私を頼ってほしいなあ」
チェスターは自分を指さすと「コネも実力もある伯爵家次男なんだよ」と続けた。
「いえ、でも」
「曽祖母はグランツ家の遠縁の家の出だから、縁戚と言えなくもない」
「…………」
言えないと思う。それはもう他人では。
「そういう細い伝手をそれらしく言い張るのが貴族のやり方だよ、デイジーちゃん」
デイジーの思考を読んだかのようにチェスターが言った。
「つけ足すならグランツ家の長男とは王立学園の先輩後輩で交流もあった。あ、私が先輩ね」
「リナガモさんは王立学園出身だったんですね」
驚いて繰り返すとにっこりされた。
「そうなんだよ。よく私立のお坊ちゃん学校出身と間違えられるんだけどね。さあ、私の話はいいから行くよ。病院の面会は四時までだし急ごう」
チェスターがそっとデイジーの手を引く。現在の時刻は三時すぎだ。デイジーは思わず立ち上がった。
「いい子だね。そのままおいで」
チェスターはさっさと店員にカフェラテの代金を払おうとしたので、それは阻止する。
「カッコつけさせて欲しかったなあ」
チェスターはそう呟きながらデイジーを連れ出した。
店の前には既に会社の馬車が止まっていて、流れるようにそこに乗せられた。
「会社の馬車を私用で利用するのはよくないんじゃないでしょうか」
「王立病院はデュート社のメイド派遣を利用することもあるんだよ。だからこれは視察でもある」
デイジーの苦言にはぱちんとウインク付きでそう返された。
「もう乗っちゃったし、すぐに走り出しちゃうから、デイジーちゃんは彼の無事だけを祈ろうね」
チェスターが言い、馬車が動きだした。
デイジーとチェスターが王立病院に着いたのは三時半頃のことだった。
「こんにちは。私はチェスター・リナガモというんだ。これは家紋入りのカフスボタンだよ。これで証明になるかな? なる? ありがとう」
チェスターは受付に爽やかな笑顔で名乗る。
身分の証明にカフスボタンを出しているのを見て、デイジーは自分の耳に触れた。今日は仕事帰りにそのままの格好でカフェにいたので、グランツ家の家紋入りのイヤリングが付いたままだ。
(もしかして、これを見せたら面会できたのかな……?)
馴染みすぎていてすっかり忘れていた。
今さら切り札に気付いた自分が恨めしいが、別れているのだしそんな騙し討ちみたいなことはダメだろうと思い直す。
「グランツ家のご子息がここに入院してるでしょう。面会できないかなと思ってね。遠縁にあたるんだよ。え? 詳しい関係かい? うーんとね……あ、それより患者は面会謝絶なのかな? 違うんだ。じゃあ面会したいな……えーと、君は……名札を見せて。ありがとう、エンヴィさんだね。素敵な名前だ。気高くて少し甘い。君にぴったりだね。エンヴィ、いい響きだよね。ねえ、エンヴィ、君なら分かってくれると思うんだけどさ、貴族ってこういう時にお見舞いに行った行かないで後々もめるんだよ。どこの家が一番早かったとかね、うんざりだよね〜。でもこれも付き合いだからね。病室だけ教えてくれない? ちらっと顔だけ出して帰るからさ。絶対に患者の負担にならないようにするし君に迷惑はかけないよ。お願いエンヴィ。気高く優しい君だからこうして頼むんだよ?」
淀みないお喋りで受付係エンヴィを口説くチェスター。
デイジーは感心しながらそれを聞いていた。
そんなデイジーの前で、はにかんだエンヴィが病室を教えてくれている。
「ありがとう、エンヴィ」
チェスターは甘い笑顔で礼を言うと、振り返ってデイジーにも甘く微笑む。
「さ、行こうか」
「すごいですね、リナガモさん」
「見直したなら、チェスターと呼んでほしいなあ」
「それはちょっと」
「残念。病室は三階の特別エリアの個室だって」
チェスターはすたすたと歩き出し、デイジーもそれに続く。
三階の個室、そこに怪我をしたリオネルがいるかと思うときゅっと胃が縮んだ。手はずっと冷たいままだ。
「こうして病室を教えてくれて、面会できるってことは深刻な状態ではないんだと思うよ」
顔が強張ったデイジーにチェスターが優しく言う。
「……そうですよね」
意識不明とか、四肢の欠損とか、失明しているとかではないのだろう。ないはずだ。
それでもデイジーは上手く表情を作れなかった。
そわそわと階段を上がり、二階の踊り場までやってくる。
「チェスター先輩?」
ここで上からそう声がかかった。
デイジーとチェスターが見上げると金髪の男が不思議そうに二人を見ていた。
「やあアスラン、久しぶりだね」
チェスターがにこやかに手を挙げると、男は二人に近付いてきた。
デイジーはすぐにこの金髪の男がリオネルの長兄アスランだと分かった。嘘告の時のデート中に一度だけ出会ったことがあるのだ。
「お久しぶりですね。どなたかのお見舞いですか? おや?」
ここでアスランがチェスターの隣のデイジーに目を向ける。
「……あなたはデイジーさんだよね? 覚えているかな、アスラン・グランツです。リオネルと一緒の時に会ったよね」
「は、はい、お久しぶりです」
自分が覚えられていたことにびっくりしながらデイジーは挨拶を返す。
「デイジーちゃんと知り合いなの?」
チェスターがアスランに問いかける。
「弟の同級生なんですよ…………あれ、もしかして二人はここにはリオネルのことで……?」
「察しがいいね、その通りだよ。新聞に記事が出ていただろう。デイジーちゃんは朝からずっとリオネルくんを心配しててね。同じ職場のよしみで私が連れてきた」
「そうか、わざわざありがとう」
アスランが礼を言ってくれたので、デイジーは縋るように聞いた。
「突然ごめんなさい。あの、リオネルさんには無理に会わなくてもいいんです。ご迷惑ならこのまま帰ります。でも差し支えなければ怪我の具合だけでも教えてもらえませんか? 治る怪我でしょうか?」
デイジーはとにかく早くリオネルの無事を確認したくて必死だった。
「ああ、リオネルなら…………」
アスランはそう言いかけてぴたりと止まった。そしてそっと目を伏せる。
言い淀む様子にデイジーの背中がざあっと冷えた。
「ひ、ひどい怪我なんですか……?」
聞いた声は震えてしまった。
ここでアスランが意味ありげな目配せをチェスターにしてチェスターがほんの少し眉を上げたのだが、リオネルのことで頭がいっぱいのデイジーはそれには気付かなかった。
「教えてくださいっ、教えてくれたら帰りますっ」
「リオネルは…………そうだね。幸い命に別条はないんだけど、かなり落ち込んでいてね」
「落ち込んでる? まさか後遺症が残るとかですか?」
背中のざわざわが広がった。
どうしよう、どんな怪我なのだろう。自分にできることはあるだろうか。
「私の口から言うのもなんだから、本人に会ってやってくれないか? こっちだよ」
重々しい口調でアスランは言うと、くるりと踵を返して階段を上がり始める。
デイジーの心臓はどくどくと脈打った。
「デイジーちゃん、行こう」
チェスターまでもが暗い声だ。デイジーは震えながら小さく頷くと階段を上がった。
そうしてたどり着いた三階の一番奥の部屋。
部屋の扉は半分開いていて中から聞こえてきたリオネルの声をデイジーはばっちりと聞き取った。
「会えるけど、この状態でデイジーに会うのは情けなすぎるから止めとく。伝言だけしようかな」
お読みいただきありがとうございます。
あと3話です。明日の夕方か夜には完結予定です。




