57.事故
「爆発事故……?」
見出しを読み上げた自分の声はとても平坦だった。
もう一度文字を辿り、記事にも目を向けるが言葉が頭に入ってこない。
デイジーは四度目でやっと記事の内容を理解した。
昨日の午後、薬師塔で小さな爆発があったらしい。
原因は混ぜ合わせると危険な薬物を混ぜたことによるもので、建物に被害はない。爆発による人的な被害は重傷者一名、軽傷者二名。
記事は大きくはなく、すぐに読めるものだ。でもデイジーは食い入るように何度も読み返した。
「デイジー、どうしたの?」
新聞を握りしめて固まるデイジーに気付いた先輩家庭教師が声をかけてくる。
朝の資料室にはデイジーの他に二、三人の家庭教師がいた。
「薬師塔で爆発事故があったらしくて、友人が働いているので……」
伝えながら、リオネルとバルトークの顔が浮かんでくる。
(薬師塔ってたくさん人がいるよね? 二人が怪我したとは限らないよね)
デイジーの胸の鼓動が速くなる。
もちろん怪我人が誰であれ無事は祈るが、やっぱり気になるのは自分の知り合いである。
「えっ、爆発?」
「この記事、他の新聞にも載ってたわよ。見出しだけで中身は読んでなかったけど、えーと」
デイジーから友人が働いていると聞き、家庭教師達は一緒に記事を読むと、一人が他の新聞を持ってきてくれた。
デイジーはさっとそちらにも目を通す。
さっき読んでいたものより大衆的なその紙面にも同じ記事があり、そこには重傷者の情報も書かれていた。
〈グランツ家の令息が重傷〉
目にした途端、デイジーの背中をひやりとしたものが駆け抜ける。
「まあ……」
デイジーとともに記事を読んでいた先輩達が小さく声をあげた。
デュート社の派遣家庭教師達の間では、グランツ家の三男リオネルがデイジーに片恋しているのは有名な話だ。
大人な彼女達は恋に不慣れな様子のデイジーを茶化してはいけないので、こっそり盛り上がっていたのだが、大方の予想はその内にくっつくだろうというものだった。
「ねえ、この重傷者って……」
「デイジー、大丈夫?」
「あのっ、ちょっとクララさんのところへ行ってきますっ」
デイジーは新聞を乱暴に置くと、クララの執務室へと走った。こういう情報は社内ではクララが一番早い。
リオネルとは同じ侯爵家であるし、家同士でのやり取りもあるはずだ。何か知っている可能性は高い。
特別顧問室に着き、ノックをして返事も待たずに扉を開けるが、がちゃんと音がして扉は開かない。
「えっ」
慌てながら扉横の札を見ると不在となっていた。
とぼとぼと資料室に戻ると残っていた先輩が予定表を見ながら「クララさんは今日はお休みですって」と眉を下げて教えてくれた。
「授業、誰かと変わってもらう?」
「城での事故なら、たぶん王立病院に入院してるんじゃないかしら? 行ってみてもいいかも」
口々にそう提案してくれてデイジーも一瞬、そうしようかと頭を巡らせた。
予定表から今日は非番で裏のアパート住まいの人を探して頼めば交代は可能だ。
(それで王立病院に行って、受付で聞けば…………)
そこまで考えてデイジーは少し冷静になった。
「…………」
「デイジー?」
デイジーは頭を横に振る。
「それはやめておきます」
「でも……」
「王立病院に行ったとして、受付で断られると思います」
城内の事故の負傷者で、侯爵家の縁の者ともなればリオネルは病院の特別室にいるだろう。平民のデイジーがいきなり行って案内してもらえるとは思えない。
王立病院は本来は王族のための病院で、敷居の高い病院である。最先端の治療は受けられるが、料金が高く、身分で扱いに差があると有名で平民には人気がない。患者はほとんどが貴族だ。
おそらく受付では事務的に「お答えできません」と言われるだろう。
それにもし怪我が深刻ならリオネルがいるのは治療室で、それなら家族しか面会できない。
(重傷ってどれくらいのことを言うんだろう? 骨折とか? 爆発だし火傷? 命に別条はないんだよね?)
ぐるぐると嫌な考えばかりが浮かんできて、デイジーは立ち尽くした。
「デイジー。顔が真っ青よ。とりあえず授業は変わってもらいましょう」
「いえ、大丈夫です」
デイジーは心配そうな先輩の提案を断る。
「でも」
「休んでも私にやれることはありません。午後になれば新しいことも分かるかもしれないし、行ってきます」
機械的に手早く準備をするとデイジーは午前中の授業へと向かった。
そして心ここにあらずで授業をこなした。生徒には申し訳ないが、体に染み付いた習慣だけで仕事をした。
授業後、一度会社に戻ってくると多くの家庭教師に心配されてしまった。
夫が城で働いているという人は、今日の夜に事故のことを聞いておくと約束もしてくれる。
どうやら朝、会社を出ていくデイジーは足取りがおぼつかなかったらしく、皆で散々気を揉んでいたようだ。
余計な心配をかけて申し訳なく、また午前中の仕事ぶりを思うと情けなくて、デイジーはお礼と謝罪を述べて午後の一枠をこなした。
午後からの仕事は頭を切り替えて、朝よりは身を入れてやった。
一日の仕事が終わったデイジーはアパートの部屋に戻る気にはなれず、だからといって会社に居ても皆に気を遣わせるだけなので、仕事用の鞄を抱えて指定のジャケットを着たまま馴染みのカフェに寄った。
チェスターに教えてもらったここにはもう何度も一人で来ている。
窓際の一人席に座り、カフェラテを注文したデイジーはぼんやりと外を眺めた。
頭の中はリオネルのことでいっぱいである。
重傷とはどれくらいの怪我なのだろう。
一名だけの重傷者がリオネルだということは、リオネルは爆発の一番近くにいたのだろうか。それなら飛び散った薬品も浴びたのではないだろうか。
(目に入ったりしたんじゃ……)
そう考えてデイジーはぞっとした。
熱い薬品が目に入れば失明の危険もある。
全身がざわざわしだす。リオネルが失明してたらどうしよう。
(いや、落ち着いて)
デイジーは無意味に両手を擦り合わせる。どちらの指先も冷たかった。
せめて怪我の場所や具合だけでも知りたいが、どこにも聞きようがない。
(考えてみれば、私はリオネルさんへの連絡手段を持ってないんだ)
デイジーはグランツ家の住所すら知らない。侯爵家のタウンハウスとなれば調べれば分かるだろうが、知ろうとはしていなかった。でも調べて訪問したところで門前払いだ。
リオネルの働く薬師塔も同じだ。そもそも城内に入れない。
繋がりがあるとすればフランネル家のシルフィぐらいだが、生徒の家に私事で行けるはずもなかった。
(次のフランネル家の授業は来週だし、あ、バルトークに聞けば……無理だ、バルトークは城の寮に入ってるもん。入れないよ)
がっくりと項垂れるデイジー。
その内に悔しくて涙が滲んできた。
あんなにまっすぐに気持ちを伝えてくれているリオネルが苦しんでいるかもしれないのに、その状況すら分からないのが悔しかった。
何もできない。
何も知らない。
(何してたんだろ。ふわふわしてときめいてただけじゃん。馬鹿じゃないの)
散々会ってはいたのだがら、いざという時の連絡手段くらい聞いておくべきだったのだ。
震えて祈るだけしかできない自分が歯がゆい。
ひたすら歯がゆくて悔しい。
「………………本当に、馬鹿じゃないの?」
呆れて思わず声に出してしまった。ぽたりと涙がテーブルに落ちる。
リオネルが死んでしまったらどうしよう、とデイジーは思った。だってまだ気持ちを返していない。
自分は何という愚か者なのか。
リオネルからの好意にドキドキして嬉しかったくせに、自分からは踏み込まなかった。
やっと決意したくせに、セシリアとの婚約の噂を聞いて怖気づいた。ちゃんと好きだと伝えて、事情を聞いて話し合えばよかったのに。
(私、馬鹿だ)
ぽたぽたとテーブルの上に涙が落ちる。そこに影がさしてデイジーははっと顔を上げた。




