54.偶然の出会い
クリケットクラブでの授業の後、夕暮れ時の学園の廊下をデイジーはえっちらおっちら歩いていた。
本日は特別授業の一回目だったのである。
気合いを入れて挑んだ授業はまずまずの出来だった。デイジーは程よい充足感に浸りながらサロンを後にしたところだ。両腕にはぎっしりと中身の詰まった鞄を三つ提げ、手には鞄に入り切らなかった資料と本日回収した課題の束を持っている。
この状態でサロンを出る時、優しい生徒さん達が手伝おうとしてくれたのだが、試験前の後輩を煩わせてはいけないと断っている。
(うーむ、素直に助けてもらうべきだったかなあ)
デイジーは早くも断ったのを後悔していた。
学園の玄関が果てしなく遠く感じる。ここは二階なのでまだ階段も下りねばならないのだ。気が遠くなりそうだ。
来たるべき階段の試練に遠い目ながはよろよろ歩いていると、窓から一陣の風が吹いた。
課題の束の一番上の紙がひらりと舞い上がる。
「あっ」
押さえようとした指は間に合わず浮かんだ紙は床へと落ち、すーっと綺麗に後方へと滑っていった。
慌てて、しかし大荷物ゆえにゆっくりと振り返ると、通りがかった短髪の男がかがんで課題を拾ってくれているところだった。
男は学生服ではなく、落ち着いた色のスーツを着ている。華やかさはないが洗練された様子で学園の関係者っぽくはない。纏う雰囲気から外部の人間だろうとデイジーは思った。
「すみません」
「いえいえ、落としましたよ」
男が顔を上げてデイジーを見る。それはデイジーの知っている顔だった。
「げっ」
この男に出会い頭に嫌そうな声をあげられるのは、これで二度目である。こっちだって嬉しくはないのでむっとしたが、デイジーはきちんと挨拶をした。
「お久しぶりですね。サーマン伯爵令息」
ヘンドリックが嫌そうな顔で固まり、しぶしぶといった感じでデイジーに近づくと拾った課題を差し出す。
「お久しぶりですね、パットンさん。何してんの? てか、すごい荷物だな」
「クリケットクラブで特別授業をしていました。これは教材と資料です。私は今、派遣の家庭教師として働いてまして」
「知ってる。クララんとこだろ」
「そうです。すみませんが両手が塞がっているので、拾ってくれた紙は一番上に乗せてください」
デイジーはヘンドリックの差し出す課題を目で指し示す。
「すごい荷物だな……」
ヘンドリックはデイジーの全身をじろじろと見てから、大きくため息を吐いた。
それから不本意そうにデイジーの持つ紙の束と、腕に提げていた鞄の内の一つをさっと奪い取る。
「えっ、ちょっと」
「持つよ」
「へっ」
この男から親切にされるなんて意外すぎて変な声が出てしまった。
「いや、この状況は持つだろ。そんな驚くなよ」
むっとした様子で言われてデイジーは少しだけ反省する。
「……ありがとうございます。サーマン伯爵令息はどうして学園に?」
「仕事だよ。サンプル品の持参」
「そっか。シンス商会で働いているんでしたね」
それについてはユーリから聞いていた。下働きから入ったヘンドリックはなんだかんだで地位を上げているらしい。
「そ。俺は今から帰りだけど、パットンさんも?」
「ええ、そうです」
デイジーが肯定するとヘンドリックはゆっくりと歩き出す。デイジーの荷物は鞄二つになっていたので階段は容易く降りられた。
隣のヘンドリックを見ると、資料の束と鞄を軽々と持っている。
さすが男性、助かるなあ、とデイジーは素直に感謝した。
「帰りの馬車はあんの?」
一階に降りたところでヘンドリックがそう聞いてくる。
「学園が用意してくれることになってるんです。これから受付で頼みます」
「へー、ならうちのに乗ってけよ。待つの邪魔くさいし、学園の手間も減るだろ」
「えっ? いや、あの」
戸惑うデイジーを置いてヘンドリックはすたすたと受付へ行き、デイジーの馬車を断りだした。
「そうなんです。シンス商会の馬車でお送りしようかと思っていて。いえいえ、ご心配には及びません。パットンさんと私は同級生なんですよ、旧交を温めようと。はい、もちろん責任を持って送らせてもらいます。いえいえ、こちらこそいつもお世話になってます。事務用品のような細かいものでも対応できるので、いつでもお声掛けくださいね」
デイジーへの口調や態度とは打って変わって和やかな笑顔で受付とやり取りするヘンドリック。
デイジーはぽかんとしてから、ちゃんと働いているんだなあと感心してしまった。
「さ、行こうか、パットンさん」
和やかモードのヘンドリックが爽やかスマイルを向けてくる。
この男からの爽やか笑顔はちょっと気持ち悪い。
「は、はい」
デイジーは引きつった笑顔で返事をしてシンス商会の馬車に乗り込んだ。
「この鞄、すげー重いんだけど、何入ってんの?」
馬車に乗った途端、モードが変わるヘンドリック。持ってくれていたデイジーの鞄をどさりと座席に置いた。
「参考書がぎゅうぎゅうに入っていて、その、それが一番重いんです」
「んなもん、持たせんなよ」
「あー、はは、すみません。でも勝手に取ったのはそちらですよ」
言うべきことは言わねばと主張すると軽く舌打ちされた。
(うわあ、感じ悪い)
肩をすくめて小さくなるデイジー。
荷物を持ってくれたことはありがたかったが、この馬車はありがたくない。
おそらくだが、学園側に良い印象を与えるために送ると言い出したのだろう。いいように使われた気がする。
(早くここから解放されたい)
思えば馬車でヘンドリックと気まずい時間を過ごすのもこれで二度目だ。
でも一回目は走ってない馬車だったので、今回は走ってるだけマシかもしれない。
(うん、マシだ)
目的地があるって素晴らしい。到着したら終わるのだ。あとは耐えるだけだと腹を括ったのだが空気が重い。
「…………」
「…………」
「サーマン伯爵令息は、最近のお仕事はどうですか?」
雰囲気に耐えられなかったデイジーは大人として、世間話でもしてみようと話しかけてみた。
「別に、普通だよ」
ヘンドリックが一言答えて会話は終了した。
「…………」
「…………」
(もうちょっと引っ張ってよ。さっきの受付への態度を私にしてくれてもいいじゃん。ふん、もう知らない)
かちんときたデイジーは世間話を諦めた。
考えてみれば気まずかろうが、空気が重かろうが困りはしないのだ。
ヘンドリックとは仲がよかったわけでもないし、これから仲良くしたいわけでもない。
小さく息を吐いて車窓に目を移す。黄昏の街の中、人々が家路を急いでいた。
デイジーはアパートの自分の部屋を思い浮かべる。決して広くはないが清潔で落ち着くデイジーの小さな城。
キッチンには野菜と卵があったから夕飯はそれで何か作ろう。パンはあったかな……と考えているとヘンドリックが口を開いた。
「なあ」
「はいっ」
不意打ちに勢いよく返事をすると、真面目な顔のヘンドリックがいた。
そしてその後の質問も不意打ちだった。
「パットンさんがリオネルを許せないのはあいつが嘘告してたから?」
「んんっ? え?」
デイジーはびっくりしてヘンドリックを見返す。
「許せない?」
(なんで? そんなこと、思ったことはないんだけどな)
驚くデイジーには構わずにヘンドリックはこう続けた。
「あんたがさ、学生時代から嘘告のことを知ってたって最近聞いたんだよ…………それでさ、もし、そのせいでリオネルに怒ってるなら、リオネルは許してやってくんないかな。あんたへの嘘告を焚き付けたのは俺なんだ。リオネルは最初から乗り気じゃなかったし、パットンさんを好きになってからすぐに嘘は止めるって宣言もして、嘘告をやめてる」
「あ、へぇ~……そ、そうだったんですね」
それは知っている。焚き付けた現場なら見ていたし、リオネルより途中から嘘ではなかったと聞いた。
どうやらヘンドリックは中途半端な情報しか知らないらしい。
デイジーがリオネルを振ったことと、嘘告がバレていたことしか知らないのだろう。そして今も尚、リオネルは片想いだと公言している。
どうやらそこからデイジーがリオネルを“許せない”になったみたいだ。
「その、だから俺が悪かったよ、ごめん」
ヘンドリックが頭を下げる。
「あの」
「リオネルのことは許してやってよ。そんで、今のあいつを見てやってほしい」
ヘンドリックの声に必死さが混じった。
「…………」
これが男の熱い友情というやつだろうか。
(青春が続いている)
素敵な話だが、このまま頭を下げてもらっているわけにはいかない。男の友情は置いておくことにして、慌ててヘンドリックに声をかけた。
「サーマン伯爵令息、頭を上げてください。私はリオネルさんのことは怒ってないですよ。許さないとかもないんです」
デイジーの言葉にヘンドリックが顔を上げる。
「そうなの?」
「はい」
「じゃあなんで、付き合わねえの?」
今度は心底不思議そうに聞かれた。
「へっ」
「リオネルってカッコいい部類だろ? 基本は真面目で優しいし、でも硬いとこはなくて話は分かるいい奴だぜ。パットンさんからしたら爵位なんてどうでもいいかもしれないけど、実家に力があるっていうのもマイナスにはならないよな。あいつはちゃんと働いてもいるし」
ヘンドリックは曇りなき眼をデイジーに向けてきた。
「いや、それは分かりますけど、確かにリオネルさんはカッコいいですけど。こちらにも事情というか、準備というか、いろいろ……」
デイジーは真っ赤になってしどろもどろで言い訳をした。
次のハーブ園デートで告白もするつもりで、しかもそれは次回のクリケットクラブの授業の翌日で、七日後である。
でもそこまでヘンドリックに伝えるのは違うと思う。
「そもそも、今回は付き合ってとかは言われてなくて、もちろん気持ちは伝えていただいているので返事はしなくてはとは思っているんですけど、でもリオネルさんもこっちの事情は汲んでくれていてですね……」
喋りながら訳が分からなくなってくる。一体自分は何を言っているんだろうと途方に暮れてヘンドリックを窺うと、期待に満ちた目で真剣にデイジーの答えに耳を傾けていた。
(ひえっ)
何か実のあることを言わねばと焦るデイジー。
「あの、えーと、とにかくですね。デ、デートなんかもする予定ですし、前向きというか、いえ、確約はできないんですけど、極めて前向きに検討中というか」
「えっ、デートすんの?」
ここでヘンドリックが驚きの声をあげる。
「は、はい」
「………なんだ。あいつ、なかなか誘えないってうじうじしてたからてっきりまだなのかと。細かいことは全然教えてくれねえしさ……何だよ、順調なのかよ」
「順調かどうかは」
「とにかくリオネルに怒ってるわけじゃないし、今のリオネルと向き合ってくれてるってことでいい?」
ヘンドリックの問いにデイジーは頷いた。ヘンドリックが大きく息を吐く。
「よかったぁ。はああぁ」
脱力した後、ヘンドリックは優雅に足を汲んで座り直した。それから窓枠に肘をつきデイジーの方は見ずにこう言った。
「変な話をして悪かったな。嘘告のことも悪かったと思ってる。子供だったなあと反省してる」
口調は素っ気ないがその耳は赤い。
デイジーは「分かりました」と返しておいた。




