50.実力行使
昼前、デュート社の門前に瀟洒な馬車か一台止まる。その車体には左右対称に咲いた二輪の百合が刻まれていた。
そこへ慌てて走り寄る茶髪に眼鏡の女が一人。女が馬車に近づくとその扉が開いて金髪の男が降りてきた。
男は女に何か言いながら優しく微笑む。ちらりと見えた眼鏡の女の耳は赤くなっていた。
「セシリア、グランツ家の三男がデイジーにご執心って噂、本当だったのね」
「みたいね」
廊下の窓からたまたまその光景を見ていた家庭教師二人はささやき合う。その内の一人、セシリアはデイジーの様子に目を細めた。
「フランネル家での授業の度に会いに来てるんでしょ?」
「毎週、お茶だけしてるらしいわよ」
これくらいなら他言してもいいだろうとセシリアは同僚に告げる。グランツ家と懇意にしているセシリアにはある適度の情報が入ってくるのだ。
「へー、三男の方の片想いって本当?」
「本人が紳士クラブで片想いだって散々言ってるんですって。王立学園の同級生で当時から想ってたって聞いたわ」
「ひゅー、やるねえ、デイジー」
「ふふ、頭がいい女ってモテるのよ」
「そうよね。あなたがいい例よね」
「あら、あなたもでしょう?」
「まあね。それよりデイジーはこれからデートかしら?」
「どうでしょうね。デイジーの耳、真っ赤だったわね」
「可愛いよねー。いい子だし、幸せになってもらいたいな」
「そうね。あ、私ちょっと受付に言伝があるのよ。先に行ってて」
セシリアはゆったりと微笑むと同僚に断りを入れてデュート社の玄関へと向かった。
❋❋❋
「リオネル」
女の声にデイジーが振り返ると、本日もばっちり綺麗でカッコいいセシリアが笑顔で近付いてきていた。
彼女はデュート社の一番人気の家庭教師である。デイジーが目標としているのはアイアン女史であるが、セシリアのことももちろん尊敬しているし、ちょっと憧れでもある。
そんなセシリアがリオネルを呼んでいる。
「?」
「うわっ、セシリア」
不思議に思うデイジーの横でリオネルが慌てた様子になり、デイジーはちょっとびっくりした。
(セシリアさんのこと知ってるの?)
セシリアを見ると、彼女はリオネルに輝く笑顔を向けていた。
「最近会えてないのに私に挨拶もなしなんて、ひどいんじゃない?」
「もう子供じゃないからね」
「そうねえ、頭もこうしないと撫でられなくなったわね。寂しいわ」
笑みを含んだ声でセシリアが言い、手を伸ばしてリオネルの前髪に触った。リオネルがぱっと赤くなる。
「もう、やめろよ」
拒絶の声を出すがそこに冷たさはない。親しみすら感じてデイジーは目を真ん丸にした。
「お、お知り合いですか?」
「ふふ、母親同士が仲良しなのよ。お陰で私には血の繋がらない弟が三人もいるの」
デイジーの問いにはセシリアがそう答える。
「アスラン兄さんは同い年だろ?」
「私の方が二ヶ月お姉さんよ」
「それ、いつも言うよね」
「この二ヶ月は大きいわよ」
「はいはい」
ぽんぽんとやり取りをする二人はとても慣れている。デイジーはなぜかちょっとだけ胸が苦しくなった。
「そうだ、リオネル。今度、話したいことがあるの」
「今度? 長くならないなら今聞くけど」
「今はダメよ。これからデートなんでしょう。楽しんできてね」
セシリアはそう言ってデイジーに意味深な笑顔を向けると「じゃあね」と去って行く。
「デイジー、セシリアがいきなりごめん」
「いえ、気にしてないですよ。行きましょうか」
デイジーはセシリアがいなくなったのになぜかほっとしながら馬車に乗った。
「今日は予定を合わせてもらってありがとうございます」
馬車の中でデイジーは向かいに座ったリオネルにまず礼を述べた。今日はこれから二人でシンス商会に採寸に行くのだ。
「馬車で迎えにまできてもらって、すみません」
「俺がやりたくてやってるだけだから。そろそろ外でも見せつけたかったし、ちょうどよかったよ」
「見せつけたかった?」
「気にしないで。それよりデイジー、俺の呼び方なんだけど……」
「グランツ侯爵令息ですね」
デイジーはきちんと正しい呼び方をした。
「それなんだけどさ、そろそろ止めようよ。王立学園の同級生なんだし他人行儀すぎるよ」
「線引きは大切です」
「クララのことは“クララさん”じゃないか」
「それは……そうですけど、同性ですし」
「バルトークは?」
リオネルの声が圧のあるものになる。
「バ、バルトーク、ですか………」
「うん、バルトークは? バルトークに関しては名前を呼び捨てだよね?」
「えーと」
たじたじになるデイジー。どうにも旗色は悪い。
「俺のこともリオネルでよくない?」
「それはちょっと……」
リオネルの場合、呼び方を変えると関係性が変わる気がするのだ。そうなるとデイジーには自分が簡単にリオネルに転がり落ちる未来が見える。
(…………あれ? でも転がり落ちてもいいのかな?)
嘘告は終了している。
そしてリオネルはこのニ年の間、デイジーのことを好きでい続けてくれたらしい。自分がうっかり恋に落ちたとして、問題はないのではないだろうか。
(もしかして、付き合っても問題はない……? え? 付き合う? この王子と?)
まじまじとリオネルを見てみる。
本日もキラキラしていて足が長い。
(うわあ……)
デイジーの顔はみるみる赤く染まった。気持ちがふわふわして地に足が付かなくなる。
デイジーはぶんぶんと頭を横に振った。
(落ち着け! まずは借金返すんだから)
そう、話はそこからだ。
「バルトークはバルトークだからいいんです!」
自分でもかなり無理矢理な返事をすると、リオネルはふーんと拗ねた顔になった。萌えるから止めてほしい。
「…………分かった。そういうことなら、実力行使させてもらう」
拗ねたままのリオネルが言う。
「じ、実力行使?」
ここは走る馬車の中で密室である。デイジーの心臓はドキドキと音を立てて、背中がひやっとした。でも相手はリオネルなので本気で怖くはない。
なんだろう、なにかな、不安だな、お手柔らかにお願いしたいな、と思っているとリオネルは不敵に笑った。
「俺もデイジーのこと、先生♡って呼ぶよ」
「へっ?」
「ねえ先生♡、先生は今日も可愛いね」
「!」
甘い声で言われて、デイジーは目をまん丸にした。リオネルの発する“先生”はまるでその後ろに♡が付いてるように甘い。
「どうしたの先生、びっくりしてるの?」
「!」
小首を傾げるリオネル。もちろん先生の後ろには♡が付いている。
止めてほしい、ものすごくむずむずする。金髪の美青年、しかも同級生からの“先生”呼びは妙な背徳感まである。変な扉が開きそうだ。
「もちろん外でも先生って呼ぶよ」
「!」
(そんな……)
周囲から見れば変な趣味の人達と思われかねないじゃないか。せめて先生の後の♡は取ってほしい。
「先生♡、俺、先生のことが好き」
「!!」
ぼふんっと真っ赤になるデイジー。これはダメだ。
上手く説明できないけれどダメなやつだ。絶対にダメだ。
「先生?」
「分かりました! グランツさんで!」
デイジーは陥落した。
「せ ん せ い?」
にっこりと、ゆっくりと繰り返されてデイジーは何とかこう口にした。
「………………………………リ、リオネル、さん」
違和感がすごい。口が上手く動いてくれなかった。
「呼び捨てでリオネルは無理?」
再びぶんぶんと頭を横に振る。呼び捨ては無理だ。
「リオネルさん、でお願いしたいです」
もう一度そう呼ぶとリオネルはにっこりした。
「ありがとう、デイジー。たとえ“さん”付けでも嬉しいよ」
「いえ、とんでもないです」
デイジーはかちゃりと眼鏡を直す。
「くれぐれも間違えないようにしてね。間違えたら俺も“先生”って呼ぶからね」
「分かりました」
デイジーは間違えないように口の中で何度も“リオネルさん、リオネルさん”と唱え、リオネルは満足そうににこにこしていた。




