48.ユーリの失恋
講習会を終えたデイジーは、今ではすっかり気に入りとなったチェスター推薦のカフェでユーリと会っていた。
出会い頭から目が腫れ、どんよりしていたユーリに悪い予感はしていたのだが、席に着いて注文を終えるとユーリはみるみる涙を溢れさせた。
「デイジー、あたし……振られてん〜〜っ」
それだけを告げてわあっと泣き、カフェのテーブルに突っ伏すユーリ。
予感的中である。
デイジーは慌ててハンカチを取り出してユーリに渡した。頭をよしよしと撫でてもあげる。
「えーと、レイリーさんに?」
それしか考えられないけれど確認はしておく。確認は大事だ。
「ぞうー」
早くも涙と鼻水でくぐもっているユーリの返事。
「ちょっとずつ仲良くはなってたんだよね?」
ユーリの恋の進捗は、たまに会う度に聞いていた。
「ぞうー、だから、告白してみだのにぃ」
「ダメだったの?」
問いかけるとユーリは突っ伏しながら頷いた。
「そっかあ……」
この一年半の間、デイジーが実家に帰ったのは一度だけだが、ユーリは仕入れの仕事の経路を調整してちょくちょくデイジーの実家へ顔を出していた。レイリーに会うためである。好きどうかを確認した結果、ばっちり好きになったらしい。
ユーリはデイジーの実家に寄る口実のために、デイジーの手紙や王都のお土産を持って行ってくれるので、デイジーとしてはとてもありがたかった。
ユーリのおかげでデイジーは父シュミットと弟カルネが元気なことも逐一知れたし、風邪の大流行の際には会社から支給された解熱剤もカルネのために実家に届けてもらった。
また、レイリーが隣町の警邏隊で事務員として働きだしており、そこで上手くやっていることもユーリから聞き、嬉しく思っていた。
そんなレイリーは頻繁に顔を出すユーリに「本当によく来るな」と笑いかけるほどには気を許してきていて、前回それを教えてくれたユーリはとても幸せそうだったのだが。
「こどもどは、づぎあえないって言われたあぁ」
ぐすぐすと鼻をすすりながらユーリが言う。
デイジーのユーリの頭を撫でる手にぐっと力が入る。こうなるのでは……と危惧はしていたのだ。
(だって、私にもそうだったもんな)
レイリーとの仮の夫婦生活の間、レイリーはデイジーのことはずっと子供扱いだった。
デイジーと同い年で、しかもその友人となると、それ以上に見るのは難しいだろう。
レイリーがユーリに笑いかけるのも、庇護すべき年下への笑顔なのだろうな、と薄々思っていたのである。
早めに忠告すべきだったのだろうか。
でも、デイジーの考えでユーリの恋を止めるのは違うと思ったのだ。
「そっかぁ」
上手い慰めの言葉が出てこなくて、とりあえず相槌を打つデイジー。
「でも、しごどあったから、がんばって切り替えてん〜」
「えっ、仕事?」
「ぞうー」
告白してばっさり振られたユーリは、その後に大事な商談が控えていたため歯を食いしばって王都に戻って仕事をこなしたらしい。
強靭な精神力である。
「それは、頑張ったね」
「うん。昨日やっとおわってん」
そうしてユーリは昨晩から泣いているのだと言って再び涙を流す。
「うえっ、子供ちゃうし、二十歳やし」
「うん、うん」
「ちゃんと泣かんと仕事したしっ」
「そこがすごいよね」
「せやっ」
「本当に頑張ったね」
「せやぁ、大体、年齢を理由にするなんて卑怯やああ、解決しようがないやんっ、うああん」
泣き続きけるユーリ。おそらく一週間ほど堪えていた気持ちと涙なのだろう。
デイジーの渡したハンカチかびしょびしょになっていく。
ここで二人のランチであるベーグルサンドが運ばれてきた。
店員が戸惑った顔をデイジーに向け、デイジーは視線でテーブルの端を示してそれを置いてもらった。
まだユーリの涙は止まらない。そろそろデイジーのハンカチは用をなさなくなってきた。
(どうしよう)
お店にお願いして、布巾でいいから貸してもらった方がいいだろうかとデイジーがおろおろしていると、上からすっと男物の大きなハンカチが差し出された。
「どうぞ」
柔らかなくぐもった声。
「リナガモさん」
見上げるとデイジー達のテーブルの横には、デュート社の女たらしの事務員チェスターが立っていた。
「どうしたんですか?」
「それは私のセリフかなあ。私はお昼休憩なんだけど、一体どうしたの?」
「彼女は私の友人で失恋したてなんです」
「なるほどねえ。とりあえず、ハンカチどうぞ」
デイジーはハンカチを受け取るとユーリに手渡した。
チェスターは当然のようにユーリの隣に座ると「可愛いお嬢さん。よく分からないけど、私に話してごらん」と声をかける。
「あの、リナガモさん?」
「私が聞いておくからさ、デイジーちゃんはお昼を食べてしまいなよ」
デイジーにはウインク付きでそんな言葉が飛んできた。
ユーリの手元のチェスターのハンカチを見ると既に涙に濡れていた。借りたハンカチを使ってしまっている以上、相席だけを断るのは悪い気がする。
そしてチェスターは悪い人ではない、先ほどの講習の一幕でも分かるように、なんだかんだでデュート社の女性達の間では親しまれていたりもする。彼はどこまでも弁えた女たらしなのだ。
「…………」
「ほら、私のことは気にしないで。ベーグルサンドが冷めてしまうよ」
デイジーはテーブルの端のベーグルサンドに目を向けた。注文したベーグルサンドはホットサンド仕様ではないので、元から冷めているので気遣いだけ受け取ることにする。
(ま、いっか)
「では、いただきますね」
デイジーは昼食を食べだした。
向かいではチェスターが適度な相槌と質問でユーリに上手く気持ちを吐露させていく。
きっとユーリもすっきりできるだろう。
やがてチェスターのところへはほうれん草とベーコンのパスタが運ばれてきて、チェスターはユーリに相槌を打ちながらその合間に優雅にパスタを口に運んだ。さすが伯爵家令息だな、とデイジーは感心する。
「確かに、年の差を理由に振るなんてズルいよね。やめときなよ、そんな男」
随分とユーリが落ち着いてきた頃、チェスターがレイリーに対しての意見を述べた。
「…………え?」
これに我に返ったユーリがまじまじとチェスターを見る。目と鼻は真っ赤だが涙は止まっていた。
「レイリーさんの悪口はやめてくれへん? てか、誰?」
「ひどいなあ、途中で自己紹介したんだけどな。デイジーちゃんの仕事仲間でチェスターだよ」
「なんか、ぼんやり聞いた気もする。二十六歳で伯爵家次男なんやっけ?」
眉を寄せて思い出すユーリ。泣きながらでも相手の情報をしっかり把握しているのはさすが商家の娘だ。
「そうだよ。ね、デイジーちゃん」
同意を求められてデイジーは頷く。
「勝手に相席にしちゃってごめんね、ユーリ」
「大丈夫やで、話しやすくてすっきりした。このハンカチもチェスターさんのやんな?」
ユーリが握りしめたハンカチを見る。それはしっとりと湿っていた。
「…………新しいのん見繕って返すわ」
「それは気にしないよ。それよりさ」
チェスターがここでテーブルに肘をついて身を屈め、ユーリを下から覗き込んだ。
「私にしない?」
甘く優しい声でチェスターが言う。
「こんな美しいお嬢さんを年齢だけで振る男なんてやめてさ、私にしとこうよ。私もその人と同じで年上だよ。体格は負けてそうだけど、ユーリちゃんのためなら鍛えてもいい」
とろりとした笑顔を浮かべるチェスター。
デイジーはちょっとドキドキしてしまったのだが、ユーリは微塵も揺らがなかった。
「いやいや、あり得へんし。それに考えてみたら振られた理由、年齢だけやし、つまり他の部分は好ましいってことやんな」
目も鼻も真っ赤だが、ユーリの声は覇気を取り戻していた。
「うーん。どうだろうね」
チェスターは微妙な顔だ。
「そこは“そうだよ頑張れ!”って言うとこちゃう?」
「そうかなあ。でも頑張る君も素敵だろうね」
「せやろ! まずはあたしがもう子供やないってことを分からせたるわ! そこからやな!」
すっかり元気になったユーリはお昼をもりもり食べだした。
そこからは、どうやったら大人の女として見てもらえるのかを三人で話し合ってみた。デイジーは主に聞き役である。
「へこんでる場合やなかったな、あたし頑張るわ! こっちの話ばっかりでごめんな。今度デイジーの話も聞くから」
店を出て晴れやかな笑顔で去っていくユーリ。
デイジーはチェスターと共に小さく手を振ってそれを見送った。
「振られてしまったなあ」
残念そうなチェスター。
果たしてあれは振られたに入るのかな、とデイジーは首を傾げる。
とここで、デイジーは少々気になることがあってチェスターにお願いをしてみた。
「リナガモさん、差し支えなければさっきのやつ、私にも言ってみてくれませんか?」
「さっきのやつ?」
「“私にしない?”です」
チェスターは目を丸くした後に、心得たと微笑む。
「デイジーちゃん、私にしない? 年上は好き? とりあえずデートしようか」
甘い声にデイジーはやっぱりちょっとドキドキした。
でも、ぎゅんぎゅんはしなかった。どうやら自分が笑っちゃうくらいにチョロいのは、リオネル限定らしい。王子は特別なのだ。
「ふむ。ひと安心しました。ありがとうございます」
ドキドキが収まってからデイジーはチェスターにお礼を告げる。
「ひどいな。私を実験台にしないでほしいなあ」
チェスターはそう言ったけれど、その笑顔は優しかった。




