47.講習会
「このように意に沿わぬ行為を受けた時、まず毅然とした態度でお断りすることが大切です」
デュート社の資料室の黒板の前でチェスターに囲われたアラベラは、囲われた腕の隙間から聴講者達を見据えながら語りかける。
アラベラはチェスターによって、いわゆる壁ドンをされてい状態なのであるが、彼女はいたって落ち着いている。
これが演習だと分かっているからだろうか。
(いや、アラベラさんだからかな)
自分だったら真っ赤になっているだろうな、とデイジーは思った。
リオネルと再会した数日後の今日、デイジーは“派遣先で意に沿わぬ行為をされた際の対処法”の講習を受けていた。
この講習は先日発生したとある事案を受けて開かれている。受講は任意だったがけっこうな人数が受講していた。
因みに“とある事案”とはシタラ家でデイジーの身に起こったことであるのだが、それはきちんと伏せられている。
講師はマナー担当のアラベラ。
講習では最初にそもそも意に沿わぬ行為とはどういったものかという説明があり、対処の基本はきちんとした拒絶であると伝えられた。
「やめてください」「こういったことは困ります」「会社に報告することになります」等の言葉で冷静に拒むのが基本だ。
相手が軽い出来心の場合はこれで引いてくれることが多いらしい。もちろん引いてくれたとしても会社には報告する。
それでも引かない場合は、簡単な護身術を身につけておき行使するのも手だとアラベラが言い、現在はチェスターに協力してもらっての実演の最中なのである。
「相手がしつこい時は、こうして」
アラベラはチェスターの手を取るとくるりと身を翻した。
「こうして」
アラベラはチェスターの腕を身を翻した勢いでねじりあげる。
「こうです」
ねじった腕をぐいっと曲げる。
「いたたっ、痛いよ。アラベラさん」
「ええ、痛くしておりますので」
「今の言葉はちょっとクルなあ。もう一回言ってくれない?」
目元を赤くするチェスター。ざわりと受講者達が引く。デイジーも引いた。
アラベラはため息を吐くと、チェスターを離した。
「リナガモさん、ふざけないでください」
リナガモはチェスターの家名だ。伯爵家である。
「こんな時くらいチェスターと呼んでほしいなあ」
残念そうなチェスターにアラベラは再びため息を吐いた。
「どんな時でも、あなたはリナガモさんです」
「皆はけっこう、チェスターって呼んでくれるよ?」
デュート社でチェスターのことを家名で呼ぶのはアラベラとデイジーくらいである。ほとんどの者は“チェスターさん”と呼ぶ。アイアン女史は“チェスター!”と呼ぶ。
「真面目にやってください」
「私はいつでも真面目だよ。そして真面目な話、中途半端な抵抗はやめた方がいいよ。引いてくれないなら大声で助けを呼ぼう。男が怒ったら怖いからね」
「それは今から説明します」
アラベラは冷たく言い返すとデイジー達に向き直った。
「チェスターさんも仰いましたが、抵抗は逆効果になることもあります。一番は口頭での冷静な拒絶や助けを求めることです。怯えて震えるだけというのは非常によくないです。同意していたと見なされる場合もありますからね」
アラベラの最後の言葉にデイジーは身を小さくした。
自分はまさに、怯えて震えただけだったのだ。情けない。
ここでアラベラが気遣うようにちらりとデイジーを見たが、すぐにまた正面を向いた。
「ですが、迫られた時の恐怖は体験して初めて分かるものです。いざという時はなかなか動けないし、声も出ない。私もそうでした」
皆が少しざわめく。アラベラは三十代前半の凛とした女性だ。マナー講師らしく歩く姿はきびきびとして颯爽としており、強そうである。艷やかな黒髪はいつも乱れなくひっつめられていて、化粧や服装にも隙がない。
そんなアラベラが怯えて震えていただけなんて、想像ができなかった。アラベラがくすりと笑う。
「前の職場でのことですけどね。幸い、他の方に助けてもらいましたがとても悔しくて、猛然と護身術に通いました、護身術を身に付けておくことは心の余裕にも繋がりますのでお勧めではあります」
それを聞いて、泣くだけではなく前を向くところはアラベラらしいなあとデイジーは感心した。
「こういった講習や、これまでの事案を他人事だとは思わずにしっかりと頭に刻んでください。何かあった時に少しでも行動に繋がるように」
アラベラの言葉にデイジー達は「はい」と勢いよく返事をする。
「よろしい。さて、次ですが、意に沿わぬ行為というのは分かりにくい時もあります。褒め言葉や愛を囁いてこちらを良い気分にさせてくる場合もありますので、舞い上がらずに冷静に相手を見極めましょう」
「…………」
覚えがありすぎてひやりとするデイジー。
それはつい数日前、リオネルに会った時の自分ではないだろうか。もちろんリオネルに邪心はなかったが、それにしても自分はチョロかった。
(……私ってば完全に舞い上がってたじゃん)
打ちひしがれるデイジー。
(いやでもさ)
デイジーは少しだけ言い訳をした。
(あれに冷静になるのは無理だよ。だってグランツさんだよ。あんなの王子じゃん。あれは特別だよ)
自分を慰めるデイジー。デイジーの中でリオネルは別格の王子なのだ。
試しにサンドリーに「好きだよ」と言われるところを想像するとちゃんとぞっとしたので、サンドリー相手なら冷静になれそうである。
デイジーは眼鏡をカチャリとかけ直して気を取り直した。
「“可愛い”や“素敵な人だね”といった褒め言葉には注意しましょうね」
続いたアラベラの言葉には、受講者の一人から声があがる。
「それなら大丈夫です。チェスターさんによく言われてるから」
「あはは、本当だ。かなり免疫あるかもー」
「全然、本気にしないもんね」
資料室が笑いに包まれる。デイジーもチェスターにはしょっちゅう可愛いと言われているがもはやびくともしないので、これには完全同意だ。
チェスターに甘く囁かれても胸はドキドキはしない。多少は嬉しいがそれだけである。
リオネルに言われるのとは違う。
(そう、やっぱりグランツさんだけ特別なんだよ)
深く納得するデイジー。
「ちょっとちょっと、私はいつでも完全に本気だよ? 皆、とても可愛いよ」
茶髪ロン毛の事務員のチェスターが心外だというように主張すると、それにも「はいはい、ありがとうございます」「もー、懲りないよねえ」と笑いが起こった。
講習会が終了し、皆、三々五々に散っていく。
「デイジーはこの後は授業?」
「いえ、今日は休みです」
同僚の一人に聞かれてデイジーは答えた。
「友人とランチ予定もあるんです」
楽しい予定にデイジーの頰が緩む。友人とはユーリのことである。
「あら、いいわね」
短い会話をしてデイジーは資料室を後にする。アパートへ一度戻ってから時間通りになるように部屋を出た。




