46.聞いてない再会
「せーんせっ、お茶しましょ?」
フランネル家でのソニアとラファエルの授業が終わったデイジーを、いつものようにシルフィがお茶に誘ってきた。
「遠慮を」
「もう用意してしまっているの」
もはや形だけになりつつあるお断わりのくだりをしようとしたのだが、シルフィはデイジーの言葉を待ってもくれなかった。
デイジーは苦笑しながら「それでは、少しだけ」と返す。
(ずいぶん前のめりだなあ)
今日のシルフィはテンションが高い。お喋り好きな子爵夫人はどうしても喋りたいことでもあるようだ。
デイジーはシルフィに案内されるままに廊下を進んだ。
「あれ、いつもの応接室ではないんですか?」
シルフィとのお茶によく使うこじんまりした部屋を通り過ぎたので聞いてみると、シルフィはうふふと笑った。
「今日は気分を変えてサロンでと思ってるの。それにもう一人参加者もいるのよ。もう到着していて待たせてあるわ」
「もう一人? お客様ですか? それなら私はお邪魔ではないでしょうか?」
「いいのよ。甥だもの」
「甥御さん…………」
デイジーの頭が激しく回転しだす。
(甥? あれ? 甥? ちょっと待って、フランネル家とグランツ家は確か、夫人同士が姉妹で、えーと)
甥の正体について考えたデイジーの心臓がドキンと跳ねる。
それは嬉しいのドキンだった。シタラ家で握られた手が熱を帯びる。
(待て待て、まだグランツさんだと決まったわけではないぞ、喜ぶな私…………ん? 喜んでいるのか私?)
混乱しだすデイジーにシルフィがこう告げた。
「先生とも知り合いのはずなのよ」
「……」
そうなるともう待ってるのはリオネルしかあり得ない。デイジーの胸は勝手に高鳴った。
(本当にグランツさんに会うの? 今から? えっ、どうしよう)
中途半端な心構えのままデイジーはサロンに到着してしまう。シルフィによって扉は簡単に開けられた。
「お待たせしたわね、リオネル」
シルフィが呼びかけると、明るく広い部屋の窓際に座っていた男がこちらを向いて微笑んだ。
男は扉が見えやすいように斜めに座っていたようで、組んでいる足がよく見えた。ベージュのスラックスに包まれた足はとても長い。
(足、なっが!)
息を呑むデイジー。
長い足がほどかれて男が立ち上がり、デイジーの方へと歩いてくる。デイジーはまじまじと足の動きを追った。それはとてもゆっくりに感じられた。
男はやがてデイジーの前で止まった。足を追っていた視線を上に移動させると、スラックスと揃いのベージュのジレとジャケットが目に入り、淡い緑色のシャツの襟元が見える。
ドキドキしながら更に視線をあげると、シャツと同じ翡翠色の瞳がデイジーを眩しそうに見つめていた。
「久しぶりだね、デイジー」
知っている声で名前が呼ばれる。
「っ……」
デイジーはときめきで胸が痛くなった。
ただでさえ、シタラ家での出来事以降はリオネルを思い出してしまって切なくなることが多かったのだ。このタイミングでのご本人登場はときめくしかない。
ぽかんと口が開いて、目が潤んでしまう。
シタラ家での遭遇は一瞬だったし、わけも分からぬままに会社に帰ってしまっていた。こうして改まってリオネルに会うと、その体には厚みが出ていて、頰は少しそげているのに気付く。でもデイジーを呼んだ声には変わらない包み込むような優しさがあった。
「…………」
リオネルに会えたら、堂々と挨拶して自分の近況について話すはずだったのに言葉が出てこなかった。
シタラ家でのお礼も言わなくてはいけないのに、痛いくらいのドキドキに何も言えなくなる。
ひたすらにドキドキしかできなくて、たぶん自分の顔は今、真っ赤だ。
「デイジー?」
リオネルが優しく目を細めて首を傾げる。
その仕草にぎゅんぎゅんするデイジーの心臓。死ぬんじゃないだろうか。
「デイジー、大丈夫?」
リオネルは身を屈めて視線を合わしてきた。
ぎゅんぎゅんが加速するから止めてほしい。デイジーははくはくと口を動かした。
「ごめん。驚かせたみたいだね」
眉を下げてしょんぼりするリオネル。
それも止めてほしい、萌える。
「とりあえず座ろうか、歩ける?」
デイジーはがくがくと頷いた。エスコートの手が差し出されたので反射的にそれにすがる。
リオネルはデイジーを優しく見つめながら席へと誘導した。かちんこちんで椅子に座るデイジー。周囲の音が遠い。
「どうしようかしら。私は完全にお邪魔な気がするけど、初回から二人きりはどうかと思うのよね」
真っ赤に固まったままのデイジーの横でシルフィがリオネルに囁く。
「気にせず座ってください、叔母上」
リオネルはスマートに椅子を引いてシルフィを座らせた。
「…………先生ったら、こんな風になっちゃうのね。いつもはきりっとしていらっしゃるのに。リオネルが心配していた理由が分かったわ」
「とても奥手なんですよ」
「確かに番犬はいた方がいいわねえ。でも先生の気持ちが固まらないのに物事を進めてはダメよ」
「分かっています……それは二度としないと誓いました」
「そうしなさいね。先生? せーんせっ、しっかりして、お茶をどうぞ」
カチャリと目の前に香り高い紅茶が置かれて、デイジーは機会的にそれをひと口飲んだ。
甘酸っぱいベリーの香りが鼻へと抜ける。少し正気を取り戻したデイジーはそれなりに優雅にカップを戻した。すっと眼鏡を正す。
「すみません。グランツ侯爵令息とは久しぶりだったのでびっくりしてしまいました。ご無沙汰していますね」
デイジーは落ち着いた声でリオネルに挨拶をした。
デイジーの発した“グランツ侯爵令息”にリオネルの眉がぴくりと動くが無視だ。
今のデイジーとリオネルの関係は、派遣の家庭教師とその生徒の関係者。呼びかけはこれ一択だろう。
「シタラ家では、ご挨拶もお礼も言えず失礼しました」
「あの時は大変だったんだしいいんだよ…………大丈夫だった?」
最後の問いかけの部分の声は硬い。
「はい、大丈夫でした」
すぐに答えるとリオネルはふにゃりと気の抜けた顔になった。
「よかった。クララから元気そうだとは聞いてたけど、デイジーの口からも聞けてすごく安心する」
「ご、ご心配をおかけしました。クララさんから、わざわざ駆けつけてくれたと聞きました。ありがとうございます」
「うん」
「…………」
「…………」
簡単なやり取りの後、無言になってしまう。シルフィが場を取り持つように口を開いた。
「先生とリオネルは王立学園で同級生だったのよね?」
「はい。クラスが一緒になったことはないんですけど」
デイジーは淡々と答えた。
シルフィは自分とリオネルが付き合っていたことを知らないだろう。何でもない元同級生として冷静に振舞わなくてはと気合いを入れる。
「あら、そうなの?」
「ええ、だからあんまり接点もなかったんですけど、お名前は存じてました」
(よし、調子が戻ってきた)
すらすらと話せたデイジーは満足して再び紅茶を飲んだ。ぎゅんぎゅんしていた心臓もだいぶん落ち着いてきている。
もう大丈夫。あとはリオネルと穏やかに再会を喜びあって近況を語るだけだ。
「学生時代の先生は可愛いかったでしょうね」
シルフィがそんな社交辞令を言ってくれるので、デイジーはこういう時のお決まりでそれを受け流そうとした。
「いえいえ、そんなことは」
だがこれをリオネルが遮る。
「とても可愛いかったですよ。今ももちろん可愛いですが」
デイジーは紅茶を吹きそうになった。
「あらあら、リオネルったら、もしかして片想いなの?」
シルフィは動じることなくゆったりと甥に聞き、あろうことかリオネルは堂々とこう答えた。
「片想いです。叔母上、昔も今も」
「ぶっ、げほっ……ごほっ」
本格的にむせるデイジー。
「まあ先生、大丈夫?」
「だ、だいじょぶ、です。げほっ…………えっ?」
シルフィに背中をさすられながらリオネルを見ると切なく微笑んで告げられた。
「今も好きなんだ」
「っ…………」
ぎゅんと上がるデイジーの体温。
おかしい、なんだこれは。
穏やかに再会を喜び合うはずが、いきなり告白されてしまった。
「えっ?」
「俺は今でもデイジーが好きなんだよ。諦めてない」
「ええっ」
デイジーの頭はまったく働かなくなってきた。思い描いていた再会と違いすぎる。
デイジーとしてはリオネルとの再会はもっとこう、あっさりしているはずだったのだ。
街中とかですれ違って「あれ?」「わっ、久しぶりだね」という小さな驚きから始まり「元気?」「今は何してるの?」みたいな気軽な会話をして「そっかあ、また会えるといいね」という当たり障りのない挨拶をして別れる。そんなよくあるやつになるはずだったのだ。
再会した途端に秒でときめいて、息つく暇もないまま生徒の親の前で告白されるなんて聞いてない。
百歩譲ってときめいたのは自分が不甲斐ないせいだ。だからそこは納得しよう。デイジーはチョロいのだ。でも告白は聞いてない。
「デイジー、俺」
呆然とするデイジーにリオネルは尚も話しかけようとするが、これはシルフィが止めた。
「リオネル、先生がびっくりしてるわよ。それくらいにしましょう」
「……そうですね。気持ちは伝えたし俺は満足です。デイジー、その紅茶はどう? ユーリ嬢の店で買ってきたんだ」
「ユーリの?」
友の名前に反応してデイジーの頭が正常に働きだす。
「うん、偶然だけど本人にも会ってね。カフェに付き合わされた。押しが強いよね、びっくりしたよ」
「ふふ」
黒髪美人で訛りのある友人を思い出してデイジーは笑った。
「新しいお名前が出てきたわね、どなたなの?」
シルフィが興味を示したので、デイジーはユーリについて説明した。
シンス商会の名を出すとシルフィは「あら、シンス商会には時々お世話になってるのよ」と身を乗り出す。
そこからはいつものシルフィとのお茶になった。紅茶を二杯飲んでからデイジーは次の予定があるからと席を立ちあがる。
いつもならここで子爵家の侍女がデイジーを玄関まで送ってくれるのだが、今日は当然のようにリオネルが送ってくれた。
「突然ごめん。迷惑だったら言ってほしい。でも迷惑でないならアピールは続けるつもりなんだ」
玄関に向かいながらリオネルが言う。
「アピール……」
「今はまだ、何かを返してもらおうとかは期待はしてないから、重く受け止めないでほしいな」
「はあ……」
「また会いに来てもいい?」
「それは……」
「だめ?」
「だ、だめではないですが」
「よかった。じゃあまた会いに来るね」
眩しく笑うリオネルにくらくらしてしまう。
「あ、そういえばバルトークが結婚するって」
「はあ!?」
軽く付け足すように言われた大事な情報にデイジーは声をあげた。
「結婚⁉」
「うん」
「フリージアさんと?」
「そうだよ」
どうやら伯爵に認められたらしい。よかったじゃないか。
「式は八ヶ月後だったかな。デイジーに会うって言ったら伝えといてくれだってさ。その内に正式な招待状も送るって」
「ええっ、分かりました。とりあえず、おめでとうと伝えておいてください」
「うん、伝えておく」
「…………バルトークと仲がいいんですね」
思わずそう言うとリオネルはちょっと嫌そうな顔はしたけれど否定はしなかった。
どうやら否定しないほどには仲が良いらしい。
玄関に付き、伯爵家が用意してくれた馬車にデイジーは乗り込む。リオネルが「じゃあ、またね」と言うのでデイジーは「はい、また」と頷いて扉を閉めた。
「…………」
動きだした馬車の中で、先ほどのやり取りはまた会う約束をしたことになるのだろうか、と思い悩むデイジー。
「なるのかも……」
困るような気もするし、嬉しいような気もした。
吹っ切ったはずの恋が追いかけてきていた。




