39.誇れる自分
朝、目を覚ましたデイジーは顔を洗い服を着替える。
それから愛用のゼンマイ式タイマーを使って簡単な朝食を作って食べ、洗濯と部屋の掃除を済ましてしまう。
日にもよるが帰りが遅くなることもあるし、帰宅後に資料の整理やテストの採点をすることもあるので、夕方よりも確実に時間がとれる朝に家事をやってしまうようにしている。
家庭教師の同僚の中には、家事は休みにまとめて行うという人もいる。週に一度か二度は完全な休みがあるのでそれも可能だが、デイジーの性分としては溜め込まずにやってしまいたいのだ。
本日もきっちり拭き掃除まで終えて、早めの軽い昼食も食べてからデイジーは身支度を整えた。
イヤリングを付けて会社指定の濃紺のジャケットを羽織る。この二つは今ではすっかり仕事に行く時のセットとなった。
玄関扉を開け、アパートのすぐ隣のデュート社本社へと向かう。
今日のデイジーの授業の受け持ちは午後からだ。
因みに家庭教師として生徒宅に赴くのは、午後が多い。朝は皆、何かと忙しいのだろう。
各家庭での枠は一枠二時間でデュート社の家庭教師達は午前に一枠、午後は二枠入れることが可能だ。これを指名で埋めるのである。
ぎちぎちに詰め込んでしまうと融通が利かなくなるので、ある程度の指名が入ると会社によって新規の生徒は制限される。
デュート社で働きだして一年と半年が経ち、デイジーの指名は上限十のところぎりぎりの九枠あり、新規の指名は停止中だ。
「おはようございます」
デイジーは本社の二階、“準備室”と掲げられた部屋の扉を開けた。
部屋には既に数人の同僚や先輩がいた。皆、教材を整理したり今日の予定をチェックしたりしている。隅の机ではサンドイッチを頬張っている者もいた。
皆一斉に挨拶を返してくれる。
ここは派遣の家庭教師のための部屋で、教材見本や資料、各家庭からの連絡が集めてあり、新聞やゴシップ紙も準備されている。
デュート社の家庭教師達は基本的にはその日の最初の授業前にここを訪れることとなっており、出勤の記録票もこちらで書く。
午後の時間は大体数人の教師がいて、準備や時間つぶしをしている。情報交換もできるし、小さいが各々のロッカーがあり教材を置いてもおける便利な場である。
クララやチェスター、アラベラも頻繁にやって来るし、会社のお偉いさんもたまに顔を出したりする。
「おはよう、デイジー。今日は一枠? 二枠?」
デイジーは出勤記録にサインをしながら、先輩ベテラン教師の挨拶に応えた。
「今日はフランネル家の一枠だけです。もう一枠は生徒さんが風邪らしくお休みの連絡があったんです」
「風邪が流行ってるわよねえ、私の受け持ちの子もかかってるのよ」
「クララさんもですもんね」
「そうそう。でももう熱は下がったらしいわよ。移さないように明日までは来ないんですって、あの子、存在感あるからいないと寂しいわね」
そんな会話をしながらデイジーは新聞とゴシップ紙を読んだ。時事ネタを把握しておくことは大切である。
その後は使用する教材を確認して、会社の馬車で生徒宅へ向かう。次の予定先や帰りは基本的には生徒宅が馬車を用意することになっている。これはデュート社が契約する際に約束させていることだ。
働きだしてすぐに思ったが、恵まれた環境で働かせてもらっているなと思う。
指名が全く取れなくなったら解雇もあり得るが、先輩方によると事務員として残らせてくれたりと救済措置はあるらしい。
それにそもそも、デイジーが働くこの一年と半年の間、自分も含めて指名がとれずに悩んだ教師はいない。
入ってみて分かったのだが、デュート社の家庭教師陣はなかなかのエリート揃いだった。
先輩や同僚には凄腕の文官や侍女として働いていたのを、結婚や出産を機に辞し子育てが一段落した後に働きだした人や、有力な就職先を蹴ってこちらにきた人もいる。
セシリアのように元社交界の華、なんて方もいる。
全員女性である。採用は全てスカウトらしい。
そんな彼女達は引く手あまたで生徒の家では丁重に扱われる。
そして、恥ずかしながらデイジーもその一員である。
自分で自分を誇るのは不慣れだが、それでも凄い人達に囲まれながらそれなりにやれているのは誇らしい。
会社でも派遣先でも王立学園の特待生だったことを評価してくれるので、今になってやっと、あの孤独な勉強生活が認められたようにも感じる。
(私のガリ勉、無駄じゃなかったんだなあ)
フランネル家に向かう馬車に揺られながらしみじみと思う。
大変充実しているデイジーの派遣家庭教師生活。実家の借金も順調に返せている。デイジーはなかなかの高給取りとなっているので、あと一年もかからずに完済できる予定だ。
(全部、嘘告のおかげなんだよね)
デイジーは右手でそっとイヤリングを触り、それを贈ってくれた人を思い出した。
今の生活はリオネルの嘘告から始まっていると思うのだ。
あの嘘告によってデイジーは強制的にガリ勉生活から引っ張りだされた。
リオネルは優しく王子様をしてくれて、ドキドキし通しだった。楽しくて切なかった時間はデイジーの宝物だし、あの時間がなければユーリやクララ、フリージアと接点を持つこともなかった。勉強は楽しいということや、人に教える喜びも知ることはなかった。
嘘告がなければ、自分は惰性でガリ勉を続けて卒業し、今頃は故郷の村でレイリーと暮らしていただろう。レイリーの人柄を考えると、それはそれで穏やかで楽しい日々だったとは思う。実際、短い夫婦生活はわりと充実した日々だった。
でもきっと心の奥底で“特待生を維持するための苦労は何だったんだろうなあ”と報われない思いを抱き続けたはずだ。
こんな風に自分を誇らしく感じたりもしなかったんじゃないだろうか。
どちらがよかったのかと、簡単に断ずることはできないが、デイジーは今の自分が好きだ。
情けなさを承知で白状すると、仕事で最初にこのイヤリングを身に付けだした時は耳にはめる度にリオネルを思い出して切なくなったりもしていた。
仕方ない。あんなにもキラキラしていた半年間だったのだ。切なくもなる。
だが、それもほぼ毎日となればその内に慣れた。今ではイヤリングはすっかり馴染みになっていて付けるだけでリオネルを思い出すことはない。こうして意識的に思い出すだけだ。
(そろそろ、偶然に会いたいなあ、なんて)
久しぶりにじっくりと金髪に緑の瞳を思い浮かべてみる。
きっと更にカッコよくなっているに違いない。
今なら、会っても堂々と自分の近況を話せる気がする。
リオネルは教師をしてみたいという目標を初めて話した人で、背中も押してくれた人でもある。きっと今のデイジーの様子を喜んでくれるだろう。
(こんなに頑張ってるよって言いたいなあ)
ひょっとしたら、リオネルはデイジーがフランネル家で教えていることを知ってくれているかもしれない。
「噂は聞いてるよ。すごいね」と甘い笑顔で言ってくれるだろうか。
久しぶりにきゅんとしてしまうデイジーの胸。でももう切なくはない。だからきっと会っても大丈夫だ。
(会えないかなあ、同じ王都にいるのに会えないものだね)
そんなことを思いながらデイジーはぼんやりと車窓を眺めた。
「先生、お茶しましょう」
ソニアとラファエルの授業が終わったところで、シルフィがにっこりしながら誘ってきた。
子爵夫人はお茶好きでお喋り好きなのだ。
「そういうのはお断りすることになっているのですが」
上手くいった試しはないのだが、デイジーはいちおう断ろうとはしてみる。
会社は生徒宅で受ける接待を推奨はしていない。しかし禁止はしていない。特に貴族相手となるとこういう社交も大切なので、場合によっては積極的な参加が必要だというスタンスである。
もちろん、教師が負担に感じるようであればすぐに相談するようにも言われている。
シルフィとのお茶は苦ではない。お喋り好きの彼女はいつも一方的に話すのでデイジーは聞き役となる。
話は明るい内容ばかりで、ソニアやラファエルが高確率で登場するので聞いていて楽しい。たまに社交界のゴシップなんかも教えてくれて為にもなっている。
「ふふ、もう淹れてしまっているの」
デイジーの形ばかりのお断りを遮ってシルフィが笑う。これは彼女のいつものやり口である。
「では、少しだけ」
デイジーは苦笑しながらお茶の席へと案内された。
「今年は風邪が流行ってるんですってね。先生は大丈夫?」
「私は今のところ、元気です」
「気をつけてくださいね。数日で治るらしいけど熱が高くなるんですって」
「それはしんどいですね」
「最近は解熱剤が全然手に入らないらしの。見つけたら買っておいた方がいいわ、先生」
「うーん、私は小さい頃からあんまり薬は飲まないで治していたので……」
薬はそれなりに高価だ。裕福ではなかった子供時代を送っていたデイジーは滅多に使ったことがない。ほとんど自然治癒で治してきた。
熱は寝ていれば下がるのである。
「私よりも、ソニアさんとラファエルくんが心配ですね」
デイジーがそう言うとシルフィが頷く。
「ええ、子供達の分の解熱剤は何とか手に入れておいたの。子供がしんどいのってこっちが辛くなっちゃうでしょう」
「私も年の離れた弟がいるので分かります。小さい頃は弟がしんどそうだと心細かったです」
デイジーは七歳年下の弟カルネを思い出す。小さなカルネがぐったりしている時は何も手につかなかったりしたのだ。
「まあ、弟さんがいらっしゃるの? 是非、いろいろ聞きたいわ」
シルフィが嬉しそうに相槌を打ち、この日のお茶ではデイジーはカルネについていろいろ語ることとなった。




