35.可愛い路線
デイジーはデュート社イチオシの若手家庭教師として、華々しくデビューした。
蓋を開けてみると、研修期間が終わる頃には既に新規の指名は受け付けにくくなるくらいに指名が入ったのである。
セイラの他にもクリケットクラブでデイジーのテスト対策に刺激を受けた後輩やその弟妹から指名が入ったのと、クララが王立学園の特待生で常に成績上位だったことをアピールして売り込んでくれたおかげだ。
クララはデイジーが没落した男爵家の令嬢だった背景も積極的に使った。家の為に苦学生をしていた過去は夫人達の心を打ったし、また元とはいえ貴族だったことは家柄を重視する貴族にとっては大切なことだった。
正式に家庭教師として働きだして数ヶ月が経ち、ずいぶんと仕事には慣れた。
最初の頃に、生徒一人一人に合わせた教材を作れば最強では? と燃え上がり、ぶっ通しで徹夜して作業した揚げ句に倒れた以外は大きな失敗もない。
倒れた時はクララとアラベラ、チェスターにまで「阿呆か!」とすごく怒られた。
「教材は、買って請求書を会社に回しなさい!」
「遠慮せずに請求書を事務方へ渡せと教えましたよね!」
「いつでも私に直接渡してね、とお願いしたよね?」
会社の医務室で目覚めたデイジーに三人はそう言って迫ってきた。
「も、も、勿体なくて」
教材は王立学園で使うようなものになるとかなり高く、会社持ちとはいえ気がひけたのだ。
涙目でそう返すともっと怒られた。
それ以来、教材はきちんと買ってすぐにチェスターに請求もしている。
そして教材の手作りを諦めたデイジーは生徒の弱みに付け込んだ小テストを作るようになっていた。
セイラから「デイジー先輩の小テスト、嫌なとこを突いてきて、すごくいやらしいです」とお褒めの言葉ももらった自慢の小テストだ。
この小テスト、あまりにマニアックなものを作ると本筋から反れてしまいテストの成績は上がらなくなるので偏らないように気をつけている。
だが、セイラに限ってはマニアックであるほど喜んでくれるのでデイジーもついつい頑張ってしまう。
最近のデイジーは、対セイラに特化したいやらしい小テストを作ることに燃えている。難解な問題と解答を作るのは自分の理解も深まるので非常に楽しく有意義でもある。
今日もデイジーは、自信作である非常にいやらしい小テストを携えてバンクス家へと向かった。
❋❋❋
デイジーが出かけた少し後、デュート社の敷地に一台の瀟洒な馬車が止まった。その車体には二輪の百合の家紋が入っている。
扉が開き、中から金髪に翡翠色の瞳の男が顔を出した。男は周囲を見回してから御者にすぐ戻ると伝えてデュート社へと入っていく。
「リオネル・グランツです」
受付で男が名乗る。
リオネルは少々緊張しながら受付を済ませ“デュート社家庭教師派遣部門 特別顧問”の元へと案内を受けた。
「…………」
歩きながらリオネルは自分がそわそわしているのが分かった。
ここでデイジーは働いているのだ。
デイジーとは彼女の故郷で別れて以来、連絡は取り合っていないがバルトーク経由でデュート社で働くことを知ったのである。
(いや、落ち着け。会うわけないからな)
しばらくは会わないと決意したはずなのに、姿を探してしまう己の情けなさに思わずため息が漏れてしまう。
前を行く案内役の茶髪の優男が振り返り怪訝な顔をしたので何でもないと微笑んだ。
そうしてリオネルは特別顧問であるらしいクララの部屋へとやって来た。
部屋へ入ると、待ち構えていたのはもちろんクララだけだった。分かっていたけどがっかりしてしまい、それは顔に出ていたらしい。
「残念ね。デイジーさんならいないわよ」
リオネルの様子にクララは挨拶もなしにそう言ってきた。
「知ってるよ。彼女がいない時に時間を取ってくれと願ったのはこちら側だ。久しぶり、クララ」
気を取り直して無理に笑うとクララも作り笑顔を返してくる。
「お久しぶりね、リオネル。どうぞ座って、ご用件はなにかしら?」
クララが執務机から立ち上がり部屋の隅の応接セットを指し示す。リオネルが座るとクララも向かいにかけた。
「グランツ家の縁者で、こちらで人気の家庭教師を派遣して欲しいという家があってね。その家庭教師は今は紹介以外の新規の指名は取れないらしいからどうにかならないか、と相談されたんだ。我が家はデュートリンドン家とは懇意だし、俺と君は同級生だから」
リオネルは手紙でも事前に伝えていた内容を話した。
「人気の、というとセシリア・カネルソン嬢かしら。一番人気ですものね」
ばさあっと扇子を広げたクララが意味ありげに目を細める。扇子で覆われた口元は笑っているに違いなかった。
「セシリアじゃないよ」
「あら、呼び捨てなんて親し気ね」
「知ってるだろ? セシリアは兄さんの友人だし、幼いころから知っている人だ。君だって親しいじゃないか」
「うふふ、懐かしいわね。小さなわたくしとあなたで、散々四つ上のセシリアに遊んでもらったものね」
「昔話はいいから」
侯爵家の庭でセシリアに花冠を作ってもらったのはそれなりに美しい思い出ではあるが、今はそれは関係ない。
「それじゃあ、ご希望されてる家庭教師は一体どなたなのかしら?」
白々しくすっとぼけてくるクララ。どうやらリオネルの口からその名を出させたいらしい。リオネルはできるだけ朗らかに笑うのを意識して答えた。
「デイジー・パットン嬢だよ」
デイジーの名を呼ぶのは久しぶりだ。声に気持ちは出さずに言えたと思う。
だが、まあ、目の前の特別顧問はクリケットクラブでリオネルの恋の一部始終を目撃していた同級生である。
クララは一時はデイジーに嫌がらせめいたものもして、リオネルは本気で抗議したこともあるのだ。だからこのはったりは無駄である。クララが面白そうに笑みを深めたので、リオネルはげんなりした。
「そういうの、やめてくれない? 手紙にもデイジーだって書いただろ」
むすっとして言ってやるとクララは声を出して笑った。
「ふふっ、あなた、そっちの方がいいわよ」
「は? どういう意味?」
「素の方がいいってこと。学園ではヘンドリックとかジェイムスの前以外では猫被っていたでしょう。特に女の子の前では。わたくし、あなたの甘い笑顔は舐められてるみたいで嫌いだったわ」
「……別に舐めてたわけじゃない。一線は引いてたけど」
でもそう言いながら、無意識に下に見ていたかもとリオネルは思った。
ほんの一年ほど前までの自分はかなり不遜だったのだ。デイジーのことも最初は、ただの平民の女の子だからちょっと優しくして楽しい思いをさせてやろうなんて考えていたのだから。
「……君が不快に感じていたなら悪かったよ」
「あら、素直。失恋って人を成長させるのねえ」
「煩いな。そういう君も学生時代より少し丸くなってる」
クララはもっとツンとお高くとまっていたイメージだ。声を出して笑うことは滅多になかった。
「わたくしは働きだして変わったの」
「なら俺もそうだろ」
「リオネルは失恋でしょ。それより本題に戻りましょう。デイジーさんの指名ね」
「ああ、フランネル子爵家の長女と長男」
今回、デイジーの派遣を望んでいるフランネル家はリオネルの従兄弟達の家だ。
「フランネル家ね。グランツ家とはご夫人方が姉妹だったわね。しっかりしたお家だし問題はないけれど二人は無理よ、デイジーさんは売れっ子なの。枠がないわ」
「従兄弟たちはまだ七歳と五歳だ。フランネル家は一緒の授業でいいと言っている。料金は二人分払うってさ」
料金の部分でクララの眉がぴくりと動く。美味しい話だと思ったのだろう。
「いいお話ね」
「だろう?」
「…………念の為に聞くけど、デイジーさんを身内に派遣するために手を回したりしてないわよね? 彼女はそういうのに抵抗があるみたいなの」
クララの問いかけにリオネルは眉を寄せた。
「してない。あのさあ、俺だって好きな子の面倒はみたいよ。デイジーが教職を探してるって聞いて、なんならうちの縁戚で専属で雇って相場の倍の給料出して囲い込みたかったよ。でもそれじゃ意味がないんだ。デイジーは俺に負い目を持つのを嫌がってる。変に手を出したらきっと一生振り向いてもらえない。今回のこの話もフランネル家に持ちかけたりはしてない」
リオネルはフランネル家に自分からデイジーのことを話したりはしていない。
叔母から希望の家庭教師としてデイジーの名前が出てきた時はまったくの不意打ちで激しく動揺もしてしまった。
叔母がデイジーに興味を持ったのはリオネル絡みだろうが、一見ふわふわした感じの叔母の中身はわりと強かだ。きっとしっかり下調べをして、子供たちの為になると確信して決めたのには違いなかった。
だから、叔母の心を決めさせたのはデイジーなのだ。
『グランツさんにお金で買われるのだけは絶対に嫌です』潤んだ目でそう言ったデイジーを思い出す。
プロポーズだってそれで断られた。彼女は自分の足で立ちたいと言っていて、それができる人なのだ。無理やり手折るわけにはいかない。
「正直、君が羨ましいよ。ただの同級生ならこうやってデイジーを助けられたのになとも思う」
「ふーん」
「…………あのおじさんからの借金返済は受けてるしな」
ぼそりと呟いたのはレイリーのことである。
リオネルはミシェルを通じて、レイリーがデイジーの家の借金の半額を軍からの慰労金を使って払ったことを聞いていた。
自分は何もできないのに、あっさりデイジーの力になっているレイリーに嫉妬したし、レイリーからならお金を受け取るのかと悔しかった。
「おじさんって?」
「何でもない。こっちの話」
「ふーん…………ねえ」
「なに?」
「つまり、デイジーさんにとってあなたはただの同級生じゃないってことなんじゃない?」
「…………え?」
「ま、期待しない方がいいけど。でもイヤリングも大事にしてたわよ」
「イヤリング……」
リオネルの胸がざわめく。
それは自分が贈ったイヤリングのことだろうか。
「どういうこと?」
「身だしなみについて助言した時に装飾品はあるか聞いたら、大切そうに出してきていたわよ。良い物だし仕事へは付けて行くように伝えたわ。同意してた」
「えっ、あれ、つ、付けるの?」
“大切そうに出してきた”だけでもかなり嬉しいのに、デイジーがそれを付けてくれるところを想像するとリオネルの頰は緩んだ。
目元を赤らめて、嬉しそうになるリオネルにクララは目を丸くする。
「びっくり。リオネルって可愛い顔もできるのね」
「煩いな」
「わたくしは御しやすくて分かりやすい男って好きよ。その路線で行ったら? デイジーさんにも受けがいいと思うわ」
「はあ!?」
「あの子、面倒をみられるよりも、みたいタイプよね。年下の押しの強い犬系男子とかに弱そうじゃない?」
「はああ!? じゃあ家庭教師なんて絶対ダメだろ! 生徒なんて年下の男ばっかりじゃないか」
「あら、本当ね」
クララがころころと笑う。
「……おい、俺で遊んでるだろ」
いらいらしながら聞くとクララは悪びれた様子なく、ごめんなさいねと返してから真顔でこう言ってきた。
「それにしても家紋入りのイヤリングは引くわ」
「……本気だったんだよ。家にも許可を取った」
リオネルは三男なので、結婚相手をどうこう言われるような立場ではない。また、最近は貴族の権勢も昔ほどではなく家同士の政略結婚も減っている。
そして相手はデイジーだ。
競馬場でデイジーと会ったことがある長兄は両親にとても良いお嬢さんだと言い、三人で嬉しそうに賛成してくれた。
だから振られた時は随分と居心地が悪かった。リオネルが落ち込みまくっている時、母は妹である叔母に相談もしていたらしい。叔母はそれでデイジーを知ったのだ。
「すごいわねえ、ところで今も未練があるの?」
「未練どころか諦めてない」
リオネルは強い眼差しで言い切った。
デイジーのことは一切諦めていない。
デイジーが自分の足で人生を歩みだしたら、もう一度告白するつもりで、それまでにデイジーに相応しい男になっていようと思っている。
「へー、頑張って」
「適当に応援するなよ」
「可愛い路線でいった方がいいと思うわ」
「だから俺で遊ぶなよ」
「本気なのだけれど、あ、フランネル子爵家のことは前向きに考えておくわね」
そう言ったクララはにっこりして、そろそろ帰れとリオネルを追い返した。




