34.ユーリとのお茶
「おや、デイジーちゃん。お出かけかい?」
その日、アパートの部屋を出てデュート社の本社を通り過ぎようとしていたデイジーに声がかかった。
低くはないが少しくぐもった穏やかな男の声。
デイジーが声をした方に顔を巡らすと、本社の一階の窓に腕をついた男がひらひらと手を振っていた。
「リナガモさん」
デイジーが名を呼ぶと薄茶色の長い髪の男、チェスター・リナガモは甘く微笑んだ。
眼鏡をかけて穏やかに微笑むチェスターは落ち着いた大人の男性で、体つきもすらりとしており顔立ちは優しく甘い。
「私のことはチェスターでいいよ」
「そういうわけにはいきません。アラベラさんからもあなたには気をつけるようにと言われてます」
アラベラとはデュート社のマナー担当の講師である。
デイジーはアラベラからチェスターはデュート社の事務員で、女たらしであると聞いている。
出社初日にデイジーに事務の説明と手続きをしてくれたのは彼で、初対面でとろりとした笑顔を向けられたデイジーは不覚にも少しドキドキしてしまった。
女たらしに簡単にドキドキしてしまった自分が恨めしい。今はアラベラの助言もあってしっかり警戒中だ。
「アラベラさんは厳しいからねえ。こう見えて女の子を泣かしたことはないよ。泣かれたことならあるけれど」
「それは同じことでは……?」
眉を寄せるデイジーにチェスターは、色っぽく笑う。
「違いが知りたい?」
「いえ、知りたくはないですね」
「つれないなあ、ところで今日はお休み? どこに行くの?」
「休みです。友人と会うんですよ。リナガモさんが教えてくれたカフェに行こうかと思っています」
デイジーの答えにチェスターの雰囲気が華やぐ。
「あそこは少し奥まったところにあるけど、その分落ち着くんだよ。友達同士のお茶にはちょうどいいと思う。何より値段が良心的だ。私の意見を採用してくれるなんて嬉しいね」
「アラベラさんが、リナガモさんは女性に気が多いところ以外は信用できると仰ってましたので」
たらしの事務員は仕事ができて、かなりの情報通なんだとか。裕福な伯爵家の次男でそれなりの人脈もあるらしい。
「アラベラ嬢がそんな風に認めてくれていたなんて嬉しいな。今度、食事に誘ってみようかな」
にこにこするチェスター。このように非常に軽い。デイジーがこれまで出会ってきた男の中で一番軽い。
「やめておいた方がいいと思いますよ。では、私は出かけますね」
「いってらっしゃい。良い休日を」
チェスターに手を振られてデイジーはデュート社の敷地から外へと出た。
❋❋❋
「王都にお帰り、デイジー、で、いいんかな?」
大通りから一筋入った小さなカフェ。席についたユーリは飲み物を注文をした後、まずそう言ってきた。
「そうだね。帰ってきたなあ、とは思う」
デイジーがそう言うとユーリが笑う。
つい二ヶ月ほど前に実家で会った友人は相変わらずの黒髪の美少女だが、背中まであった髪の毛を肩上までばっさりと切っていた。
待ち合わせ場所でその短さに唖然としたデイジーに、ユーリは「こっちの方が大人っぽいかなあって。ほら、商売してるし舐められたら困るやん?」と応えている。
「この店、いいなあ。知らんかったわ、そんなに新しくもなさそうやけど」
ユーリが店内を見回す。木造りの店内は全て使い込まれていて落ち着く。
「会社の事務員さんが教えてくれたの」
「へー、王都が長い人なん?」
「どうだろう、手慣れた感じはする」
「ふうん。それで働く会社はどうな感じ? デュートリンドン家の持ち会社やろ? よさげ? お給料はいいんよな? 待遇は?」
矢継ぎ早に質問してくるユーリ。
デイジーは格安で入れているアパートのことや、受けている研修について話した。今日のようにちゃんと休みもあるし、研修期間も満額ではないがお給料が出ていることも伝える。
話している間に二人の注文したカフェラテが運ばれてくる。ひと口飲んでみると美味しい。ユーリも満足そうだ。
「良さそうやん。デュート社の派遣って評判いいで。そうやって人材確保してんねんなあ」
納得顔になるユーリ。
「指名は取れそうなん?」
続いて心配そうに聞かれデイジーは「実は一件入ったんだ」と照れながら答えた。
「ええっ、現場出てないのに!? すごいやん!」
「ううん、違うの。指名してくれたのはセイラさんなの。ほら、クリケットクラブで仲良くなった一学年下の子」
セイラはどこからかデイジーがクララの会社に採用されたと聞きつけたようで、つい先日、バンクス家から家庭教師の指名が入ったのである。
「あー、あの、眼鏡の可愛い子やな」
「そう。だからまあ、指名っていうかお情けというか、なんだけどね」
デイジーとしてはセイラは友情からデイジーを指名してくれたのだろうと思っている。だから自信満々に“指名がとれた”とは言いにくい。
「デイジー、そこで謙遜したらあかんで。そういうのも実力やからな」
「えっ、いやでも、セイラさんは同じ学園のよしみで選んでくれただけだよ?」
そう返したデイジーにユーリはきりりと眉を上げた。
「だからそれが実力やの! あんなあ、王立学園なんて皆、学業半分、人脈作り半分で通ってんねんで。昔は女はいい結婚相手探したらしいけど、今や卒業後に就職するためとか、働きだしてから有益になる相手を探す場やからな」
「そうなの?」
「そうやで、クリケットクラブなんてその最たるものやろ」
ユーリの言葉で、デイジーの頭にタコさんウインナー達が蘇る。タコさん達がお目見えしたサロンの食事会で、クラブメンバーは各領地の特産品を持ち寄っていたのだ。
「そういえば、クラブの食事会は領地を売り込む場だった……」
はっとするデイジーにユーリがうんうんと頷く。
「皆、いろいろ考えて交友してたりすんねん。貴族は特にな。だからデイジーが学園での繋がりで指名もらったんは誇っていいことやで」
「そうかなあ」
少なくともセイラは、打算なく純粋にデイジーのことを思って指名してくれたように思う。
「卒業しても気にかけてくれる後輩がおるなんて、すごいことやんか」
デイジーの思考を読んだようにユーリが言う。
(……それは、そうかも)
クリケットクラブで過ごした最終テスト前の時間は楽しかった。セイラや他の子達もそう感じてくれていて、それが今回の縁に繋がったのなら嬉しい。
「へへへ」
デイジーの頬が緩む。
「自信持ちや! デイジーは魅力的な子やで」
「うん」
照れながら頷いて、デイジーはユーリの近況についても聞いた。
ユーリは現在、実家のシンス商会初の王都の支店で仕入れ担当として働いているらしい。
「今度、デイジーの実家の近くにも仕入れの交渉で行くねん」
「飛び回ってるんだね」
すごいなあ、と思いながらデイジーはカフェラテを飲む。
「それで、デイジーの実家に寄ろうかと思ってんねんけど、寄ってもいい?」
「うん?」
カフェラテをごくりと飲んでデイジーは首を傾げた。
「うちに? いいけどなんで?」
前回、デイジーの実家にユーリが訪れた際、ユーリはデイジーの父と弟とかなり打ち解けていた。
娯楽の少ない田舎では再訪は喜ばれるだろうが、ユーリからしたら友人の実家なんて面倒くさいだけじゃないだろうか。
「ちょっと確認したいことあんねん」
「確認?」
「うん。なあ、デイジー」
ユーリが真剣な顔になってぐいっと身を乗り出す。
なんだろうとドキドキしていると、黒髪美少女な友人はこう言った。
「あたし、好きな人できたかもしれへん」
❋❋❋
「うーむ」
デイジーは唸りながら帰り道を歩いていた。
唸っている原因はユーリの“好きな人”である。
「まさか、レイリーさんとは……」
それはレイリーだった。
その名前が出てきた時、デイジーはものすごくぽかんとしてしまった。デイジーにとってのレイリーはどこまでも父的な存在の人だったからだ。
レイリーの方がデイジーに対してはずっと子供扱いだったせいもあるだろう。
(……確かに、カッコいいかな?)
レイリーは長身でがっしりしている。陰はあるけど顔も悪くないと思う。
(ユーリは年上が好きってそういえば言ってたなあ)
いつだったか学園の寮でした恋の話を思い出す。
(応援はするよ、するけど……)
ユーリはしきりにデイジーがどう思うかを気にしていた。もしデイジーがレイリーに少しでも恋愛感情があって不快に思うなら自分は二度とレイリーに会わないし、好きな人かの確認もしないと何度も言われた。
それについてはきっぱりと大丈夫だと言えるし、先ほどユーリにも宣言している。
本当に好きになったのなら応援するとも伝えた。
(でも、難しくないかな?)
レイリーは完全にデイジーを子供扱いだったのだ。デイジーと同い年のユーリにもそれは変わらないんじゃないだろうか。
レイリーとは数ヶ月、共同生活を送ったが頑ななところがある人だとも思う。
ユーリが恋したとして、その成就は困難な気がするのだ。
(私が止めるのも変だしなあ)
そんな権利はデイジーにはない。
(レイリーさんなら、ユーリを無闇に傷つけたりはしないよね)
そこは断言できる。女に器用なタイプとは思えないので優しくしてくれるかは分からないけれど。
(…………)
帰り道中考えた結論としては、見守るしかないな、であった。
そうして唸り抜いたデイジーがデュート社の敷地に戻ってくると「デイジーちゃーん」と自分を呼ぶ声がする。
振り返ると、本社からチェスターが駆け寄ってきていた。
「お帰りデイジーちゃん、これどうぞ」
チェスターが分厚く豪華な装丁がされた本を差し出す。
「チェスターさん、これは?」
「貴族年鑑だよ。アラベラ嬢が渡しておいてって。古いものだから部屋に持ち込んでも構わないよ。返すのはここを出ていく時でいいってさ。数年前のだから最新じゃないけど、家名とか縁戚はあんまり変わらないからね」
どうやらチェスターはあの後アラベラを食事に誘い、これのお使いを頼まれたようだ。食事はおそらく振られていると思われる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ちなみにこの栞をはさんでいるページが私の家だよ」
受け取った本の中ほどに栞がはさんである。デイジーは苦笑しながら「熟読してみます」と軽く流した。
「うんうん、こういうのは関わりがあるとこから見た方が頭に入るからねー、これから行く予定の家とかも見ておくといいと思うよ」
真っ当なアドバイスが返ってきてデイジーはちょっとこの女たらしの事務員を見直した。
部屋に戻り、デイジーはさっそくリナガモ家とバンクス家の項目に目を通してみた。簡単な歴史と現当主の略歴が書いてあり、家紋が載せられている。昔は詳細な家族構成なども書かれていたらしいが今はそこまで載せていないらしい。
「ふーん」
二つの家門を確認した後、ぼんやりと索引でグランツ家を探す。
「あった」
もちろんあった。
でもページをくろうとしたデイジーの手は止まる。
「…………」
デイジーは何となくグランツ家のページを開けるのはやめておいた。また胸がきゅうと鳴るような気がしたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
さて、お知らせをひとつ。
こちら「嘘告されるらしいので、楽しんでみることにした」が書籍化されます。
SQEXノベルスさんからで、2026年11月6日発売予定。
嬉しいですねえ、皆様の応援のお陰です。ありがとうございます。書影などが公開されましたらまたお知らせに参りますね。
因みに、各書店さんにて予約ができますー(小声)




