33.そのイヤリングは…
さて、デイジーの研修は概ね順調である。
先輩家庭教師に教え方の基本的な講義を受け、デュート社のマナー担当講師から貴族の屋敷でのマナーを学んだ。
生徒への接し方や導き方は結局人それぞれらしく、教え方の講義では口にしてはいけないネガティブな言葉や、やる気を引き出すコツなどを教わった。
マナーの方は、十歳まではいちおう男爵令嬢であったデイジーは最低限の下地はあったので講師曰く「まあ、粗相はしないでしょう」とのこと。
人気の家庭教師となると、令嬢のマナーやダンスの練習にも付き合うらしい。
「あなたの活躍次第では、ダンスのレッスンもしましょうね」
マナー講師よりそのように言われて、ダンスに全く自信のないデイジーはそこまでの人気は出なくていいな、と思ったりもした。
一通りの講義を受けて、いよいよ実地の見学に同行させてもらうことになったある日の午後、クララがデイジーの部屋を訪ねてきた。
「何のおもてなしもできなくてすみません」
今日も素敵なドレスでやって来たクララにデイジーは安い茶葉で淹れた紅茶を出す。
二人がかけているのはアパートに元々あった簡素な二人用のテーブルである。
(絵面が変だ)
質素な部屋の質素な椅子に腰掛けるドレス姿の侯爵家令嬢。背景と人物がちぐはぐだ。
こんなところまで足を運んでくれるクララは仕事熱心なのだな、とデイジーは思う。
クララは学園での初対面の印象はあんまりよくなかったし、強引なので戸惑うこともあるが悪い人ではない。熱意もあるし優しいところもあると感じる。
今も明らかに安い茶葉で淹れた紅茶をちゃんと飲もうとしてくれていた。
「いただくわね」
クララはそう言ってひと口紅茶を飲み、眉を寄せた。同じタイミングで紅茶を飲んだデイジーも顔をしかめる。
「渋いわね」
「蒸らす時間が長すぎてしまったようです」
デイジーはいつもならどんな簡単な調理であってもレイリーからもらったゼンマイ式タイマーを使う。しかし大音量でベルが鳴るそれをクララの前で使うのは気が引けてしまい、何となくの感覚で茶葉を蒸らしたのだ。
薄いよりは濃い方がいいだろうと時間を置いたのが裏目にでたようだ。結果、紅茶はとても渋い仕上がりになっていた。
こんなことなら、タイマーを付ければよかった。というか砂時計を用意するべきだったと後悔するが今さらだ。
「これはお心遣いだけ、受け取っておくわ」
クララはもうひと口だけ紅茶を飲んでから、カップを横に下げた。デイジーも自分の分をすいと横に下げるが、もったいないので後で薄めて飲んでみようと決める。
「今日、部屋に来た本題なのだけれど、デイジーさん、あなた私服や私物はどんなものを持っていて?」
「私服、ですか?」
「ええ、来週からは実地見学でしょう? 貴族の屋敷では身だしなみも見られます。華美にする必要はないけれど最低限の格好は必要だわ」
「最低限の格好……」
できるだろうか。不安しかない。
「流行に敏感だと一目置かれたりもするわ。センスの良い着こなしができるならそれが一番なのだけど……そうね、学生時代のあなたを思い出すとそういうのは難しいでしょうね」
「お洒落さんになるのは無理ですね」
デイジーはしっかりと頷いた。
学生時代は制服の着こなしがダサいとユーリに何度も言われていた。
自分にお洒落のセンスがないことはよく分かっている。
「でしょうね。というわけで私服を見せてちょうだい。わたくしが大丈夫かを確認します。会社指定のジャケットを羽織るからあまりにひどくなければ何とかなるわ」
「分かりました」
デイジーはすぐに少ないクローゼットの中身を披露した。
出した服たちは以前にユーリに見せたものと同じである。ワンピースにブラウスにスカートにガーディガン。
「すくなっ」
クララはユーリと全く同じリアクションをした。
「えーと、ご存じだとは思いますが、私の家は裕福ではなくてですね」
「お家に伺ったから知っているわ。それにしても年ごろの娘なのに服が少なすぎない? あら、でも質は良さそうね」
ワンピースを手にとったクララが感心したように言う。
それらの服は王立学園に入学した際に領主のミシェルがお祝いで揃えてくれたものなので、いいものたちなのだ。デイジーは丁寧に扱っていたのでそんなにくたびれてもいない。
デイジーがその説明をするとクララは「なるほどね」と納得した。
「形は少し古いけれど無難なデザインだし悪くはないわね。まあいいでしょう」
「よかったぁ」
クララの合格が出てデイジーはほっとする。ミシェルの選択眼に感謝だ。
「これなら当面は何とかなりそうね。アクセサリーはないの? 少しの華やかさはむしろ必要なのだけど」
「アクセサリーですか…………あー、一つだけなら、あります」
デイジーの目が泳ぐ。
デイジーが持つ一つだけのアクセサリー。それは少々、いろんなことを思い出してしまう代物なのだ。リオネルからもらったイヤリングなのである。
リオネルとはきちんとお別れはしたが、贈られたドレスと靴とイヤリングは持っていて欲しいと言われて拒否できなかった。
ドレスと靴は箱に入れてクローゼットの奥にしまってあるし、イヤリングも小さな巾着に入れて机の引き出しに保管してある。
デイジーはたまにそれらを見返しては自分の初恋を思い出したりもしていた。
そして見返すたびに、デイジーの胸は少しだけきゅうと鳴っている。
リオネルは今までの人生で一番デイジーをときめかせてくれた人で、一番対等でいたかった人だ。
別れたことに後悔はしてない。負い目を抱えたまま関係を続けたくはなかったし、何よりデイジーは自分の力で自分の人生を取り戻したかった。
だから未練はないけれど、胸はまだ痛む。こういうのは時間が解決するのを待つしかないだろう。
(大丈夫。イヤリングはあくまでもイヤリングだもん)
デイジーは自分に言い聞かせて、そっとイヤリングをテーブルの上に出した。
ころりとテーブルに転がったイヤリングがキラキラと輝く。クララは丁寧にそれを手に取った。
「ふうん……いいじゃない。小ぶりだけどいい石だわ。カットも素敵ね。これ、わりと値が張ったんではなくって? 領主様は奮発なさったのね」
「あ、いえ……それは、別の方から、その、いただきまして」
「別の方? ちょっと待って、これ、クリップに刻印があるじゃない」
クララがイヤリングをひっくり返してクリップ部分に注目する。
そこには花の模様が彫られているのをデイジーは知っていた。花は左右対称に二輪咲いていて可愛い。
「ああ、それ。私は百合の花かなあ、と思っているんです。手が込んでますよね」
にこにこするデイジーにクララは呆れた顔になり、小さく呟いた。
「これ、グランツ家の家紋だわよ……」
「え? 何ですか?」
「…………何でもないわ。話は変わるけど、デイジーさんは貴族の家門について詳しくはないのよね。お父様が昔、男爵位を持っていたことはあったけどほとんど領地から出なかったのかしら」
「はい。すみません。社交デビューというものをする前に爵位はなくなりましたし、あった時も半分農家みたいな家だったので付き合いもなく。学園で目立ってた方の家名と爵位くらいなら分かるんですけど」
それも同級生本人くらいしか分からない。当主や夫人の顔などはそもそも知らないし、貴族同士の縁戚についてもさっぱりである。
マナー講師からもその点については指摘されていた。
貴族からの指名が入るようになれば、そこは強化すべきだと言われている。
「そう……そうよね。何も知らずになのね」
「なんだか、すみません」
クララが額を抑えてため息を吐くので、デイジーは身を小さくして謝っておいた。
「いいのよ。これから覚えていけばいいわ」
「頑張ります。あ、デュートリンドン家についてはしっかり詳しくなったんですよ! 歴史から何からばっちりです」
「そう、ありがとう。その意気で頑張りなさい」
「はい!」
「そしてとりあえず、こちらのイヤリングしかないなら、これを付けて行くようにしましょうか。小ぶりだけど良い物だと分かるわ。良い物を愛着を持って使っているのは年上のご婦人の受けがいいの」
家紋はかなり近づかないと見えないしね、とクララは口の中で付け足す。
「分かりました」
「失くさないようにね。それなりに高価よ」
「もちろんです。大切なものなんです。ずっとしまっていたんですけど、使わないと可哀想ですしね」
「ええ、そうね」
クララがにっこりする。
そうしてデイジーの私服に合格点を出したクララは部屋をあとにした。
デイジーは服をしまい、自分の分の紅茶にお湯と砂糖を入れて飲んでみた。
「…………」
うむ、飲めないことはない。
ゆっくりと紅茶のようなものをすすりながらデイジーはイヤリングを摘んで眺めた。
❋❋❋
デイジーの部屋を出て、アパートの廊下でクララは再び額を抑えた。
「家紋入りのアクセサリーって……リオネルはどれだけ本気だったのかしら……確か卒業パーティーをすっぽかされて振られたのよね。あれはプロポーズするつもりだったんじゃないの?」
リオネルが嘘告相手だったはずのデイジーに本気になって振られた話は一部のクリケットクラブのメンバーの中では有名な話である。まさか結婚まで考えていたとは。
貴族の家の家紋を身につけられるのは一族のものだけだ。それを贈るということは、迎え入れる準備があるということになる。
「でも当のデイジーは家紋入りって気付いてないし、あの様子だとグランツ家の家紋を知らないのね……」
クララはゆるゆると首を振って遠い目になった。
(なんか、リオネルが可哀想)
クララはリオネルとは幼い頃からの仲である。同じ侯爵家同士で交流があったのだ。特別に仲がよかったわけではないが、同い年だし友情めいたものは感じているので不憫には思う。
「それにしても振られたなら普通は刻印消さない? 悪用されたらどうするのかしら?」
グランツ侯爵家ともなれば、その後ろ盾があるというだけで融資などを有利に進めることができるだろう。
店によっては婚約者だと言って、ツケで買い物も可能だ。
そこまで考えてクララは、デイジーはそんなことはしないだろうとその考えを追い払う。
どちらかというとあれを持ったままでいることは、デイジーに想い人ができた時に誤解されて困るのではないだろうか。
「折を見て注意すべきなのかしら」
そう呟きながらクララは本社へと戻った。




