32.新生活
こちらではお久しぶりです。嘘告の第二章スタートです。
ちょっと時が戻ります。30話の少し後、デイジーが王都で働きだしたところから。
よろしくお願いします。
デュートリンドン侯爵家は歴史ある家門である。
領地のほとんどは肥沃な穀倉地であった。干ばつや水害ではそれなりに苦労はしてきたが、歴代当主はいつもそれを乗り越え、安定した領地運営を行ってきた。
そうして長らく農業一本でやってきたデュートリンドン家だったのだが五十年前に転機が訪れる。
大規模な蝗害に遭い壊滅的な打撃を受けたのである。この時もなんとか持ちこたえはしたのだが、当時のデュートリンドン家当主は危機感を抱く。農業一本でいくのは危険では? と。
そうして彼は農作物以外から収入を得る方法を模索しだしたのである。
当時の当主は現デュートリンドン侯爵の祖父にあたる人で発想が優れていたわけでもなく商才があるわけでもなかった。また強運でもなかった。だがそんな自分をよく知っている人だった。
悩んだ末に彼が始めたのは、歴史ある家門の縁故や伝手を最大限活用できる地道な事業、乳母とメイドの斡旋業だった。同時に会社も設立し家名の一部をとってデュート社とした。
これがデュート社の興りである。斡旋業は大当たりはしなかったが、それなりに上手くいった。
その後こつこつと実績を積み、創業者の次代の当主は事業の主軸を斡旋から派遣に変え、人材の育成にも努めた。丁寧な育成は功を奏しデュート社の紹介する乳母やメイドは優秀だと付加価値が付くようになる。
事業は徐々に大きくなった。
勢いに乗ったデュート社は十年前より新たに家庭教師の派遣部門も立ち上げた。
その名は“デュート社家庭教師派遣部門”。つい一週間前、デイジーが派遣家庭教師として採用されることになったのがここである。
王都のデュートリンドン家のタウンハウスから二街区ほど離れた場所にデュート社の本社がある。
ここは、五十年前の蝗害時にデュートリンドン家が手放した広大な庭の一部だった場所らしい。
本社となっている二階建ての建物は元は庭を手入れする庭師達の宿舎兼用具置き場で、庭を手放した際も利用者がいたのでここだけ手元に残したのである。
それを改装して社屋としたのだ。
この日、そんな本社二階のある一室をデイジーは訪れていた。
デイジーは昨日支給されたばかりの会社指定の濃紺のジャケットを羽織っている。ジャケットの胸ポケットにはデュートリンドン家の家紋である麦穂を簡略化したマークが刺繍されていた。
「改めまして、デイジー・パットンです。本日より、よろしくお願いします。クララさん」
入室してすぐに“デュート社家庭教師派遣部門 特別顧問”と銘打たれた机に座るクララに挨拶をした。
クララは学園時代にデイジーに意地悪してきていたあの侯爵令嬢で、デイジーをデュート社スカウトしてきた張本人でもある。
そしてクララはデュート社の派遣家庭教師の人材育成を担っていて、ここは彼女の執務室なのだ。
真っ青なビロードのドレスに身を包んだクララは優雅に微笑んだ。
「よろしくね、デイジーさん。今日は午前中はデュート社について、午後からは給与や休暇、勤務時間についての説明を受けてもらって必要書類の記入をしてもらうわ。事務の者が来るからしっかり聞いてね」
「はい」
「明日からは二ヶ月間、家庭教師としての研修を受けてもらうわ。生徒宅でのマナーや教え方の講義の後、実際の現場を見学して講師相手に摸擬授業もしてもらう流れになります」
「はい」
返事しながらデイジーは少しワクワクした。
学べるというのは楽しいことなのだ。
「その後は新規の生徒さんに試用期間ということで付いてもらって、指名がもらえれば定期的に通うことになるわ。指名がもらえれば給料は上がります」
「おおー」
嬉しいお知らせである。ただでさえいい金額のお給料にさらなる上乗せがあるらしい。
デイジーの実家には借金がある。いろいろあって数年で無理なく返せる額にはなったけれど、できるだけ稼いで早くに返済はしたいので、上乗せは嬉しい。
(貯金もしたいしな)
デイジーはここで、田舎の実家で暮らす陰のある年上の男性のことを思い出した。少し前まで夫婦として生活していた元軍人のレイリーだ。
今は“関係性の名前のない家族”としてデイジーの父シュミットと弟カルネと共にいるこのレイリーが、実家の借金が減った事情に大きく関係しているのだ。彼は軍を退いた時の慰労金のほとんどを使って残っていた借金の半額を払ったのである。
その事実を知った時、デイジーは猛抗議した。
レイリーとは確かに借金を共に返そうとは言っていたが、それに慰労金を突っ込むなんて聞いてなかった。一緒にこつこつ働いて返すのだと思っていたのだ。
慰労金はレイリーの個人的な資産で、いざという時の蓄えなのにそれをほとんど使い切るなんて信じられない。
レイリーの兄であり、借金元であるジェット伯爵も少々困っていたが、レイリーはしれっと「働いて返すとは言ってない」とかわした。
無効にしてくれ、あなたの将来はどうなるんだ、としつこく詰め寄ったけれど「俺の未来なんて知れている」と受け合ってくれなかった。てこでも意見を変えないレイリーに、デイジーも諦めるしかなかった。
(レイリーさんは、一人で細々と老後を送るつもりなんだろうけどさ)
でもそれはデイジーからすれば冗談じゃないぞと思う。レイリーはまだ三十七歳なのだ。寂しい老後を覚悟を決めるのは早すぎる。
夫婦生活を送っている間中、レイリーはデイジーの将来を奪うことをずっと憂えていたが、こうなった今、デイジーだってそれは同様である。自分がレイリーの未来を潰すなんて絶対にしたくない。
生き方はそれぞれだし、お一人様の老後は否定しない。でもそれは満ち足りたものであって欲しい。それには先立つものが必要だ。つまりお金である。
というわけで、デイジーはレイリーの為に貯金をすることを決意していた。
これから先、レイリーの人生の岐路が訪れれば問答無用で注ぎ込んでやるつもりだ。
(見てろよ。稼いで、稼ぎまくって、貯めといてやる!)
決意を新たに燃えるデイジーにクララは続けた。
「全く指名がつかないようであれば、最悪の場合は解雇もあります」
「…………」
燃え上がったデイジーの気持ちが一気に鎮火する。
それはあまり嬉しくないお知らせである。解雇されて田舎に舞い戻ってしまってはあまりいい給料は望めないのだ。貯金は難しくなるだろう。デイジーの顔が不安に曇ったのを見てクララは勝気に笑った。
「なあに、その顔。あなたはわたくしが見込んだ人材なのよ。クリケットクラブでの教え方は分かりやすくて丁寧だったわ。そして最終テスト以外は常に三位以内だったのは努力を続けられる証拠ではなくって? それは才能よ」
ガリ勉を才能と言い切ってくれたクララにデイジーは少し嬉しくなった。
「ありがとうございます」
心からのお礼を言うとクララはほんの少し頬を染める。
「ふんっ、そういうことだから指名くらい取ってもらわないと困るわ」
「頑張ります」
デイジーはかちゃりと眼鏡をかけ直すと、背筋を伸ばした。
「そうしてちょうだい。ああ、あと、お察しの通りわたくしはコネ入社なのだけど」
「…………」
クララの付け足しに何と返していいか分からずデイジーは続きを待った。
デュート社はデュートリンドン侯爵家が持つ会社で、クララはデュートリンドン家の長女である。
ぴかぴかの新人であるはずのクララの会社での肩書は、家庭教師部門の“特別顧問”。内情はともかく、外から見れば非常に強力な縁故による採用と待遇にしか見えないから否定はしにくい。
「でも腰掛けのつもりはないのよ。わたくしはわたくしで本気です。ゆくゆくは社長の座を狙っているの。まだ慣れないことも多いけど精一杯やるつもりだから、安心して頼ってちょうだいね」
そこでクララは椅子から立ち上がってデイジーの側へとやって来ると、手を差し出した。
嫣然と微笑むクララには同い年とは思えない貫禄がある。特別顧問となったのはコネだけの力ではないのだろう。
(お姉ちゃんがいたら、こんな感じなのかな)
「よろしくお願いします」
デイジーは不思議なキュンを味わいながら、クララと固い握手を交わした。
そうしてその日は諸々の説明を受けて終わった。
夕方、デイジーは新しい住まいである本社裏のアパートへと帰る。本社と同じく二階建てのアパートは一棟につき十部屋ある。こちらはデュート社が家庭教師派遣を始めた折に建てたらしい。アパートは二棟あるのだが、意外に入居希望者は少なく一棟は丸々空いている。
デイジーの部屋は埋まっている方の棟の一階の角部屋である。学園の寮よりは広いワンルームに小さなキッチンが付いていて、浴室には浴槽はないがシャワーがある。
「なんか、新生活って感じだなあ」
本日は出社初日であったし、具体的な話も聞いたので改めて働きだしたのだと実感する。
「頑張るぞ」
まずは二ヶ月の研修をきっちりやり切ろうとデイジーは思った。




