嘘は必ず悪魔の耳に入る
「嘘というものには必ずついた人間の願望が入るものです。ついた相手を騙し、時にそれが真実であれば良いと願う。それがどれだけ現実とかけ離れていても、人はついそうであれと願ってしまう。悪魔はそれを望みとして叶えようとします。そして正しくあろうと、清くあろうとする人間が自分自身を騙そうとして、他でもない自分に対してつく嘘というのを決して見逃しません」
「自分につく嘘ですか?」
「そうです。人は誰しも正しさ、正義、清廉さ、高潔さというのを持っているものです。それはどんな悪人であってもです。いや、悪人であればこそ、自らが正しさに背いているという自覚を持っているものだと私は考えていますが。自分が正しくない、醜い欲望を抱いてしまったと感じた時に、それでもその欲望を諦められずに嘘をつく人がいます。本来正しくないことを、こういう理由があるから正しいのだと。その時に悪魔はそっと囁くのですよ。その通りだ、と」
先生のする話は少し意外だった。
もっと嘘が悪い理由というのは、教義に反するからとか、なにかもっともらしい悪い理由を言うのかと思っていた。
ところが先生は全く別の話を続ける。
それは僕もちゃんとは知らなかった魔物の話だった。
「悪いのは自分じゃない。自分は正しい。そうやって誤った道を進め、さらにその先に進み続ける内に、その欲望は心のなかで育ち、やがては現実に影響を与える程に力を持ち始めます。悪魔はその欲望を利用して、欲望にふさわしい凶暴な力と凶悪な姿を与えます。すると現実にどんな動物とも似て非なる力を持った怪物が生まれます。ブラディス、君はもうそれを知っていますね?」
「……魔物ですか?」
「そうです。人を好んで襲い、殺戮し、暴れるケダモノ。魔物は動物のようにどこかの野山で生まれて育つのではありません。悪魔が人の心のなかで育てて生み出すのです」
「つまり、嘘をつくと悪魔が入り込んで魔物を生み出すから、嘘はついてはいけないということですか?」
先生は満足そうに頷いた。
「本当はこの話はみんなと一緒に、秋の収穫を終えた後に教えることなのですが、君だけ少し早く教えました。だから、今はまだ、他のみんなには言ってはいけませんよ」
嘘をつくとゴブリンになるのではなく、悪魔がその嘘から魔物を生み出す。
それはとても怖いことだった。
村の周りにも魔物は何度か出ていて、それで殺されちゃった大人が何人もいる。
逆に大人たちが殺した魔物なんかもいるんだけど、その死体を直接見るのは大人が駄目だって言うからはっきりと見たことがない。
でも、僕とペーターとで一度、こっそり見たことがある。
全体は見えなかったけど、それは手の先だった。
家の影から伸びていたそれは普通の人間の手のようだった。
ただ、大きさが有り得ないくらいに大きかった。
人の頭を何個も握り込めそうなくらいに大きな手。
それが爪と指の先が真っ赤に染まっていて、僕とペーターはすぐに怖くなって逃げ出した。
あんなものが襲いかかってきたらと思うと、僕はしばらく怖くなって眠れなかった。
「嘘や悪夢、恐怖、おぞましい欲望。悪魔はそうしたものを糧に魔物を生み出します。でも誰しもがそうしたものに打ち勝てる訳ではありません。特に何も知らない子供は悪魔に狙われやすい。だからこそ、無知という闇に知識という光を当て、世界に恐れるべきことはそう多くないということを、少しずつ私は君やペーター、クリス、みんなに順を追って教えています。ブラディス、君にはもう十分に世界を知るべき時が来ていると感じます。だからはっきり言いましょう」
先生がじっと僕を見て、そして真実を言った。
「大人たちが話すゴブリンは本当はいません。子どもたちが危ないことをしたりしないように、脅かしてそこから遠ざけるための作り話です」
「え?」
いない?
今まで僕を散々殺してきたゴブリンがいない?
そんな馬鹿な!
「嘘だ!だって……」
「嘘じゃありませんよ。魔物というのは人の欲望を反映します。そうすると1体1体がまるで違った姿かたちを取ります。ゴブリンという誰もが同じ姿かたちを連想する魔物というのはあり得ないのですよ」
じゃあ、僕を今まで殺してきたのは?
あれはゴブリンじゃない魔物ってこと?
「ブラディス、君のお父さんが話すゴブリンと他の大人の話すゴブリンとでまるで違ったことを言われたことはありませんか?同じ大人が話していても、前と違うことを言っているなって感じたことは?」
ある。
あった。
むしろ、お父さんも、兵士さんも、冒険者のおじさんも、みんな違うゴブリンのことを話していた。
そして、ああ、そうか。
違う話を聞くたびにゴブリンはより恐ろしくなっていった。
それは僕が、僕のせいってこと?
ゴブリンはもっと怖くないとって僕が考えていたってこと?
「その顔は、やっと分かったってことでしょうか」
「……はい」
つまり、僕には絶対にゴブリンを殺せないってことだ。
僕が悪いことを考えると、その通りに強くなるんだから。
じゃあ僕はどうすれば良いんだろう……。
「お父さんにはまだ本当のことを知っているというのは黙っておいてくださいね。叱られてしまいますから」
先生が珍しく笑った。
僕は全然笑えない。
「先生……」
「ちょっと顔が青いですね。少し衝撃的過ぎましたか」
「先生、僕が怖いもののこと、覚えていますか」
「ええ、ゴブリンと悪魔ですね」
「ゴブリンは分かりました。じゃあ悪魔はどうすれば追い払えますか?」
「それは……」
「祈りは無駄です。祈りじゃ悪魔は追い払えません」
先生は僕が何を言っているのか分からないのだろうか。
不思議そうに僕を見る。
そしてその目がなにかに気づいたように大きく開いた。
「まさか、ブラディス、君は!?いや、君には……!?」
僕には悪魔が憑いている。
そして僕を何度も殺したり、生き返らせたりして、魔物を育てている。
死ぬたびに強くなって、どんどんそこにいても不思議じゃないくらいにはっきりした姿になっていく。
これが僕に悪魔がしていたことだ。
「先生、僕には悪魔が憑いています。ゴブリンは本当はいないのかもしれませんけど、僕はそのゴブリンを」
嫌な足音を聞いた。
思わず振り向いて見ると、そこに剣と松明を持ったゴブリンが走ってきていた。
やっぱり見ていたんだ。
ポケットから石を出す。
それを握って、僕が生み出した怪物を見る。
半分嗤って、半分冷めた目だ。
もしかしたらゴブリンの顔じゃなくって、僕も今、そんな顔をしているのかもしれない。
「先生、どうすれば良いんですか?」
先生の方を見ないで尋ねる。
先生はあまりのことに驚いているのかも知れない。
答えよりも先に、もうゴブリンはすぐ目の前だ。
剣を振りかぶる。
きっと僕は躱せない。
逃げようとしても後ろから斬られるだけだ。
これは僕の恐怖なんだから。
こんなことが起こったらやだなって考えるほどにそれは現実になる。
だから僕は叫んで立ち向かった。
たったひとつの勇気を握りしめて。
ゴブリンの後ろにあの人影が見えた。
真っ暗で、でも人の形をしているってことだけは分かる影。
それが手を差し出す。
まるで手だけが浮いているみたい。
示すのはやっぱり思ったとおりにひとつの指。
つまりはあと1回。
次が最後。
振り上げた石は振り下ろす前に落ちた。
雷が落ちたみたいな衝撃に立ってられなくて倒れた。
痛みがあったのか、なかったのかも分からない。
ただ、声が聞こえた。
「ブラディス!君がいるのはドリームランドです!これは君の夢でありながら、誰かの夢でもある!だから君の自由になるところと、ならないところが……」
「そう、これは夢辺の出来事だ。さあ、夢の時間は終わりだ」
「悪魔の言葉に惑わされないでください!どんなに本当のように思えても……」
「本当ね。何が真実かなんて、お前には分かってるだろ。誰に何かを言われるまでもない。これが悪夢だって分かってても、どうしようもないくらいに悪夢の中では現実だ」
「ゴブリンはいない」
「でもゴブリンはいた」
夢?
本当?
聞くことはできない。
真っ暗になって。
そして僕は。
「さあ、それじゃあ最後。次は悪夢か本当か?」
また死んじゃった。




