018 不穏なる予兆
目が覚めたからといって暗闇が晴れるわけではない。意識の覚醒はいつだってぼんやりと曖昧で、故にわたしは朝が苦手なのでした。自分が眠っているのか起きているのか、夢と現実の境界で微睡みに沈んでしまいそうになる。
「お目覚めですか」
けれどこの子はわたし以上にわたしの事が分かるようで、どうやらわたしの意識は既に現実の元にあるみたいだ。
『おはよう。あなたがアルニカ?』
澄んだ空気に波紋を拡げるように、魔力が伝えるわたしの声。彼女は少し驚いたみたいで、ほんの僅かに間が空く。とても機械仕掛けの人形とは思えないほど人間らしい。
「おはようございます、イヴさま。アルニカでございます」
優しい体温。アルニカは陶器に触れるような柔らかい手付きでわたしの髪を梳く。起きたばかりだというのに、また眠たくなってしまいそうなほど優しい手付き。
それは人が人に接するのと変わらない、迷いと戸惑いを抱いて。根底に心と思い遣りを感じるから、目が見えなくともわたしは安堵する。そもそもわたしはまるで赤子らしくないので、そういった意味でも彼女の抱く戸惑いは大きかったのかもしれない。
『アルニカ、あなたには心があるのね』
カラミティは言っていた。魔導人機は古い遺跡から発掘された過去の遺物であると。不思議な技術だ。アルニカが心に抱く不安も戸惑いも優しさも、とてもインプットされたものとは思えない。目の前に居る彼女は人間よりも遥かに人間らしいから。
『魔術も使えるのでしょう?』
とくん、と。まるでアルニカの鼓動が聴こえるようだった。わたしを抱く腕が小さく揺れて、みんながこれくらい分かりやすかったら良いのにと思う。
「そこまで解ってしまうのですね。驚きました」
ちっとも驚きを感じさせない平坦な口調。心はあれどもそれを表現する術はまだまだ練度が足りないみたいで、そのアンバランスさに愛嬌を感じてしまう。
「アルニカの術式は巻き付いた対象を凍結させる糸を生成し操作するもの。この力も身体も、すべてを我が主たるイヴさまの為に捧げることを誓いましょう」
堅苦しい言葉もなんだかぎこちなくて、クスリと笑みが溢れる。
『ありがとう、アルニカ。けれど覚えておいて頂戴。わたしが貴方に望むことはひとつだけ』
あなたが捧げる全てのもの。それらは全部わたしの為に在るべきではない。
『妹とわたしの、お友達になってもらいたいの』
わたしの望みはわたしの中には無い。それはルーシィを通してでしか得られないものだから。
『さあ、さっそく会いに行きましょうか。わたしの妹はね、天使のようにかわいらしいの』
わたしが目的地を告げる必要もなく、アルニカは歩き出した。真っ暗な世界の中でルーシィの魔力だけは光のようで見失いようがない。そしてわたしの魔力を取り込んだアルニカももしかすると同じような特性を得ているかもしれない。そうであったならこの先、ルーシィの身の回りはより安全で強固な空間となるだろう。
ルーシィの為にできること。それをひとつずつ重ねていこう。普通の人生、普通の幸せ。聖女とも審神者とも無関係な幸福を築いていくんだ。いつかわたしが居なくなろうとも、あなただけは幸せでありますように。
「・・・・おかしい。何か」
不意にアルニカは足を止めた。わたしには分からない何かを感じ取って、何処か遠くを見つめるように空を。
「何か大きな魔力が、こちらに」
どうしようもなく不穏な予感。平坦な言葉の余韻。待ちぼうけしている訳にはいかない。何かが起こるというのなら、わたしの居場所はただ一箇所。ルーシィの隣しかない。




