19
海から吹いていた筈の風が、ぱたりと止み。
辺りは、静けさと共に暗闇が広がっていく。
私は、皆から少し離れ、一人岩場に腰をかけ海を見つめている。
海面には、大きな月の光が淡く波間を照らしあげ、その青白い光を見つめていると、神秘的でいて…近寄ると飲み込まれてしまう怖さを感じ、ぶるりと肌に寒気が走る。
ーふぁさ。
「夜の海は、冷えるから。」
そう言って、ヴォルフが私にストールを羽織らせた。
「お嬢さんに、風邪をひかれたら…他の二人が何かと煩いしね。」
そう言って私の隣に腰を下ろす。
普段あげている髪を、無造作に下ろし、ぼんやりと遠くを見つめるその横顔は、危うい色気を孕んでいて…何故か胸の鼓動が早くなる。
銀糸の髪が、月の光を受けてキラキラと溢れ落ち…思わず息を飲んだ。
「ん?」
何?そんなに見つめて。っと目を細め、ヴォルフが伺うような視線を私に向ける。
「惚れちゃった?」
「ーっな!?」
顎に手を宛て、不適に笑うその顔。なんだか悔しい。
「そんな事、あるわけないじゃない!」
「あらま。残念。」
私が即座に否定すると、ヴォルフは、愉しげにくつくつと喉を鳴らす。
「…流石女好きね。ストールとか、いつの間に用意してたのよ。」
ストールにしろ、やり取りにしろ…手慣れ過ぎていて、胸の辺りがムカムカする。
「怒らせちゃった?こんな事するのは、お嬢さんだけにだよ。ーって言って欲しい?」
「別に、貴方の特別になんてなったら、大変そうだから遠慮するわ。」
他の女性に、いわれのない嫉妬を向けられても困るもの。
「確かに。俺の特別は…キツイと思うよ。」
「俺の愛は、重いから。」
そう笑って私から目を反らす。一瞬、金色の左目が、哀しげに揺れた気がして、思わずヴォルフの手を掴んでいた。
「ん?」
「…ヴォルフ。貴方って…何者なの?」
ずっと気になっていた事。飄々として、神出鬼没。女好きでだらしない。口が上手くて、手も早い。その癖、瞳だけは真剣な色を宿し、熱を孕んで見つめてきたかと思うと、哀しみで揺らいで目を反らす。
チャラい色男かと思えば、貴族御用達のお店の常連で、所作が無駄に綺麗だし…。
「俺の事…気になる?」
気に…なる。…気になって…いる。
気が付けば、ヴォルフの事を考え、目で追っている…かもしれない。
気にしちゃいけない。気になっちゃいけない。
ヴォルフはダメだ。と本能が警告してくる。この男は、危険な雄男だ…。だから、捕まってはいけないーっと。
掴んだ手を、握り返され…肩がビクリと跳ね上がる。
「知りたい?…俺の事?」
覗き込まれ、その瞳が私を捕らえる。
「教えて…あげようか?お嬢さんだけに。」
吐息のかかる距離で囁かれ、ゾクリと背筋が震える。
ダメだ。この瞳に見つめられると…逃げれそうにない。
きゅっと目を閉じ、身を強張らせると
ーバコッ!!
至近距離で、無遠慮に頭を叩く音が響いた。
「ーった!!」
「何をするんだ!?セシル!」
非難めいたヴォルフの声に、腕を胸の前で組み、不機嫌さを顕にしたセシル君が、私とヴォルフを見下ろしていた。
「ーそれは、こっちのセリフなんだけど?」
今、ミコトに迫ってたよね?っと目を細めヴォルフを睨み付ける。
「目に入って、不快なんだけど。手当たり次第、口説くのやめなよ。」
「魅力的な女性がいるなら、チャンスがあれば口説くべきだと、俺は思うけどな。」
「そういう軽い態度が、ムカつくんだけど?他の女みたいに、軽い気持ちでミコトにちょっかい出すのは止めなよ。」
「へぇ?軽い気持ちじゃなきゃ…いいのか?」
「あんたが、本気で向き合う気があるなら…ね。」
「…。」
沈黙が、夜の海に溶ける。
ーはぁ。っとため息が溢れた。
「興が剃れた。お嬢さん。この続きは、またいつか…。」
そう言って、ヴォルフが立ち上がり、離れる。
「ヴォルフ?」
「俺の事…知りたければ。いつでも教えてあげるよ。」
「ただし。ベッドの上でね。」
振り向き様に、口角をニッとあげ茶化し去る。
「何なの…あいつ…。」
握られていた手に、ヴォルフの微熱が残っている。困惑する私の頬を、セシル君のひんやりとした手が、ムギュッと挟んだ。
「ねぇ。少し目を離したらこれなの?」
「え?」
「ミコトは、隙がありすぎるって言ってるんだけど。」
「はぁ。」
「危機管理無さすぎ!ヴォルフは、危ないって前に言ったよね?僕。それとも何?ヴォルフとそーいう関係になりたいの?僕、邪魔だった?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど…その。ごめんなさい。」
セシル君の気迫に、たじろぐ。待って。私なんで叱られてるんだろう?
「あまり心配かけないでよね。僕だって付きっきりで側にいられるわけじゃないんだから。あんたに何かあったら…その…皆困るし!傷付いて泣くのは、あんたなんだからね。」
面倒見の良いセシル君は、弟もとい兄的ポジションにもなりつつある。
弟であり、兄であり、先生…。本当に頭が上がらないです。
「その。…いつもありがとうね。」
世話の焼ける姉でごめんね。って呟いたら、ミコトは、僕の姉じゃない!ってすごく…すごーく怒られた。ソウデスヨネ。こんな頼りないのが姉とか、嫌だよね。
宿への帰り道。
深いため息を吐くセシル君の頭を、ルドルフさんが、ポンポンと宥めるように撫でていた。
私も撫でたいなぁ…と見つめたら、凄い顔で睨まれたので、断念した。
いつか…セシル君の柔らかな髪を、私も撫で撫でしてみたいです。




