『紅薔薇の間』上映会
【ば、ばか、な……これが、総て、『紅薔薇』の計算通り、だと?】
……カイの眼前で狼狽えている男は、痩せぎすで覇気もなく、落ち窪んだ大きな目と逆立った茶金の髪が印象的な他は、お世辞にも〝その筋〟には見えない風貌だった。〝敵方〟の隠密諜報を担当していただけあり、身のこなしと気配の消し方は一流であったが、逆に言えばそこしかそれっぽいところがない。
【アンタも『千里眼』で視たんだろ? ここまで完璧にやり込められたら、イヤでも分かると思うけど。――『紋様』使いの『千技』さん?】
【なっ! 何故、その名を……】
【〝本丸〟はさすがに無理でも、王宮周辺をウロチョロしてた〝お仲間〟程度なら捕捉可能だから。アンタたちの呼び名くらいは分かったよ】
【あり得ない!!】
脇目も振らずに叫んだ男――『千技』と呼ばれた彼は、動揺のあまりか逃げることを忘れ、カイに向かって一歩を踏み出した。
【お前たちは、年が明けるまで確実に、私の存在を感知しきれてはいなかった! 感知できない存在を、『千里眼』は追えない!】
【完全不可能じゃないらしいけど、俺は無理だね】
【年が明け……後宮全体で霊術の使用ができなくなってからであれば、感知はできたやもしれん。だが、貴様ら『獅子親子』は、年明け以降ずっと、後宮の外へ出ていないだろう!】
【そこはさすがに把握してたか】
【で、あれば! 我らと同様に貴様らも、霊術の行使は不可能であったはず! ――年明け以降の後宮には、『年迎えの夜会』で張られていたものと同じ、〝使った霊術の効果を打ち消す結界〟が張られていたのだから!!】
【うん。〝それ〟が違う】
ひたすら狼狽する『千技』に返すカイの声に、澱みはない。あくまでも自然体である。
【年明け以降、後宮に結界が張られたのは確かだけど。父さんが――『黒獅子』が張ったのは、〝霊力の流れを阻害し、霊術を使えなくする結界〟なんだ。『年迎えの夜会』で使われた、霊術の発動そのものは問題なくできるけど、その効果が打ち消される範囲結界とは、理屈も効果も全然違う。ちゃんと自分の霊力と対話して、術が出なくなる原因を探ったら、すぐに分かったと思うよ】
【な……に?】
【霊力者としては初心者の、エドワードさんやディーだって分かったレベルだもん。霊力を自分の魂の一部と捉えて、その魂で何をしたいのか。術を使うのなら、それは何のためなのか。常日頃からそうやって対話しながら霊術を使ってる霊力者なら、あの結界の中に入れば、〝魂の一部〟が上手く動けなくなるってすぐ感じ取れる。『年迎えの夜会』で張られてた結界内でなら、霊力そのものに異常はないのに術は使えない、つまり〝発動した術が、発動した瞬間に破られてるんだな〟って分かるし】
【……】
【まぁ――霊力を単なる霊術発動のためのエネルギー源くらいにしか思ってない、ド三流の霊力者だったら、ひょっとしたら分かんないかもだけど】
「あらあら。カイったら、分かり易く煽るわねぇ」
「見た感じ、この方、霊力者であることにプライドを全振りしてる感じですよ? そんな人に〝ド三流〟とか本当のことを容赦なく……」
「というか、〝本場〟からいらしたソラ様にしてみれば、この国の霊力者など等しくド三流でしょう。カイは運よくソラ様に師事したおかげで一流になれたのよ」
『紅薔薇の間』主室の壁に設置された大きな白い一枚布に映るのは〝今のカイから見た景色〟であり、どういう理屈か布から聞こえてくる音は〝今のカイが聞いている音声〟だ。細かい仕組みは不明ながら、ソラは『千里眼』の霊術を改良し、〝送信符〟を持つ者が見聞きした光景を受け取れる〝受信符〟と、〝受信符〟から受け取った光景をそのまま映写できる一枚布を発明した。……それも、なんと降臨祭が始まるより前、ディアナたちがスタンザ帝国へ赴いている間に『陣』の構築だけはできていたというのだから、恐れ入る。
「旺眞皇国が〝本場〟かどうかは分かりませんが、霊力者が秘められた存在だったこちらの半島と比較して、研究開発と知識技術の継承に障害が少なかったことは確かでしょうね。お陰様で過不足ない実力を持てたわけですから、そこは素直に感謝しております」
〝受信符〟を片手に映像を操作しているソラは苦笑しきりである。彼曰く、「課題の並列処理は『符術師』が最も得意とするところだから、後宮内やシュラザード侯爵家の調査と並行して新しい『陣』を構築するくらい、大したことではない」らしいが。さらには言うに事欠いて、「『千里眼』は別段珍しくもない『時間読み』の霊術の一つで、故郷には自身が『過去視』した具象をそのまま鏡へ照射する一族もいて、その『陣』を作ったこともある。一から全て構築したのでは手間もかかるだろうけれど、その辺を組み合わせればある程度の雛形はすぐ作れるし、そこから先は微調整だけだから、煩わしいほどのこともなかった」と来た。カイをして「とんでもない」と言わしめる稼業者『黒獅子』は、ディアナたちの常識を遥かに超えたレベルでとんでもなかったのだ。
ちなみに、ソラが『千里眼』の〝送信符〟と〝受信符〟、さらには〝受信符映写布〟を作った理由として。
(後宮内がメインの活動場所になる以上、情報伝達にどうしてもタイムラグが生まれるし、状況を正確に把握するため、〝現場〟を見る目は一人でも多い方が良い。ならいっそ、誰かが見たものをそのまま、同じ時間に別の場所で大勢が見られるような霊術を構築できれば、いざというとき役立つのでは……という〝何となくの閃き〟だと仰っていたけれど。スタンザのカイと『遠話』で話していて、もどかしいことも多かったから、って。〝受信符〟を怪しい動きをしている人の懐へこっそり忍ばせられたら、監視用にも使えるとか……とても楽しそうに仰っていたわね)
おそらく、だが。ソラは単純に、新しい『陣』を構築する作業が好きなのだろう。ソラは『符術師』として相当な腕前という話だが、才能はもちろん、気質もピッタリ嵌っているのだ。〝こんなこといいな、できたらいいな〟という夢を実現できる『陣』を構築する過程が苦にならず、いくらでも試行錯誤できるし、その試行錯誤すら楽しめる。ディアナもどちらかといえばそういう気質なので気持ちは分かるが、逆にエドワードなどはそういった行ったり来たりの思考を厭う傾向にあるので、こればっかりは〝人による〟とも知っていた。充分な才能があって、努力を厭わない真面目な性格で、尚且つ試行錯誤を楽しめる気質の持ち主であったからこそ、ソラは『符術師』として、当代一の実力者となれたのだ。
〝過不足ない実力〟とソラは謙遜しているが、霊力者の存在が秘されたまま千年以上が経過したこの国において、彼は不足どころか過剰戦力である。今回の件で、ディアナはよーく……骨身に染みて、〝そう〟理解した。
――そう思考している間に、眼前の布には、〝ド三流〟と煽られて怒ることも考えつかないほど焦燥している、『千技』の姿が映し出されていた。
【だ……だとしても! 効果が異なっていたとはいえ、後宮で霊術が使えんことに変わりはあるまい! なのに、貴様は『千里眼』で我々の様子を見聞きしていたというのか!?】
【効果が違えば、その意味合いも違ってくるじゃん。後宮に張られてるのは、〝霊力の流れを阻害する〟結界だろ? なら、その効果を『打破』すれば良い。――俺の、霊力で】
絶句した『千技』にカイが示したのは、お馴染みガラスの飾り玉。以前、スタンザへ赴いたときに持っていった〝お守り〟と、見た目は全く同じだが。
【これには、結界系の霊術の効果を破れるように、俺の『打破』が付与されてる。これを持っていれば、後宮内でも霊術は問題なく使えるよ。俺は自前だから、この飾りも要らないけど】
【ま、さか、そんな……そこまで、貴様らは、霊術を自在に……】
【俺は『打破』持ってるだけの脳筋で、霊術を自在に操れるって評価なら、俺より父さんかな。結構色んな『陣』使ってるけど、たぶん父さんが作ったの以外は使えないし、俺】
「……そうなのですか?」
「そうでしょうね。あの子の霊力は本人も言うようにとても特殊で、通り一辺倒の『陣』では、逆にその効果を『打破』してしまいかねないのです。下手をすると破壊神一直線な霊力に、何からどう教えるべきか、なかなか苦戦したことを覚えてますよ」
シェイラの質問にやっぱり苦笑しているソラからは、その〝破壊神〟を優秀な霊力者へと育てた苦労など一切感じられない。黒髪黒目にやや黄色がかった肌の色という、独特な見た目のせいで紛れがちだが、ソラの顔立ちそのものは柔和な、ともすればおっとりした雰囲気で、実のところ〝切れ者〟という印象を抱きにくいのだ。目鼻立ちが全体的に幼いこともあり、言われなければとてもではないが、凄腕の稼業者で常識外れの霊力者だなんて思われないだろう。
クレスター家は「一家揃って見た目詐欺師」だとよく揶揄されるけれど、ソラ様に比べれば可愛いものでは……とディアナが密かに思っている前で、『名付き』の三人とシェイラ、そしてソラの会話は続く。
「カイの霊力って、本来はそれほど危険なのですか?」
「制御できない状態となってしまったら、仲間であるはずの霊力者の霊術も、下手をしたら『核』までもを『打破』してしまいかねない力です。もしも旺眞で生まれていたら、制御できない場合の危険性のみが取り沙汰され、赤子の頃に始末されていた可能性は大いにあります」
「そこまでなの……? 聞いてはいたけれど、相当なのね」
「私はそれより、旺眞皇国が意外と物騒なことに驚いてるわ。いくら危険度の高い霊力の持ち主だからといって、生まれたばかりの赤子を〝間引く〟ような真似をするなんて」
「旺眞皇国は、この国とは比べものにならないほど、霊力者のコミュニティーが強く大きく、国中に根を張り、政にも近いのです。ゆえに、同じ霊力者を害しかねないカイのような存在は、そもそもあまり歓迎されません。霊力者を大きく害されることは即ち、国の生命線を絶たれるに等しいわけですから」
「そんなお国で生まれ、おそらくは中枢に近い場所で育たれたソラ様が、カイさんのお父様となられたのは、不思議な因縁を感じますね。ソラ様は、カイさんの霊力を目の当たりにされて、ご不安には思われなかったのですか?」
「……私はそもそも、カイを厭うような思想信条の〝仲間〟によって、国を追われました。元からあの国では異端のような立ち位置におりましたので、あの子の霊力を目の当たりにしたところで、不安も不快も覚えませんでしたね。この子が大きくなって、いずれ自分と同じ霊力者と交流するような機会に恵まれた際、下手に弾かれることがないよう慎重に育てねば、とは思いましたが」
側室たちの質問に答えるソラの言葉は澱みなく、かつ非常に分かりやすい。こういう師匠だったから、下手をすれば〝破壊神〟だったカイも真っ当な稼業者かつ霊力者へ育ったのだろうと、ご本人が納得を運んでくる仕様である。カイの霊力はとても珍しいそうなので、育てる側も試行錯誤の連続だっただろうけれど、その難しさも込みで楽しめるソラが、養育者として最適であったことは大前提として。
「……ディー? さっきから静かね。何か考えごと?」
「考えごと、というか……作戦の大枠立てたのはお兄様とわたくしだけれど、それがあんまりドンピシャにハマりすぎて、今、自分で自分に引いてるところ」
現実逃避に、霊力者や『獅子親子』についてつらつら考察していたのも、要するにそういう理由だ。きっと今頃、〝叛乱軍〟の中に潜入中のエドワードも、同じようにドン引きしているだろう。
――ルドルフの真相をエドワードが運んできたあの夜、兄、ジュークとともに練った、名付けて『全反射作戦』。この作戦がどの程度成功するかで、今後の王国の行く末が大きく変わることは間違いない。
当日は、ソラが霊術で状況を見せてくれると言ってくれた。ならば、自分だけでなくできるだけ多くの人に状況を知っていてもらいたいと、ディアナは予め作戦の決行日時をライア、ヨランダ、レティシア、シェイラへ伝え、当日は一緒に推移を見守ってもらいたいと頼んでいたのだ。――〝叛乱軍〟が予定通り〝決起〟してくれたら、合図としてクリスに王宮から後宮まで駆け込んできてもらうので、そうなったら『紅薔薇の間』まで来てほしい、と。
いくらルドルフが上手に〝叛乱軍〟を装えても、彼と対峙するベルティア侯爵とカロッグ伯爵がどう出てくるかはそのときになってみないと分からない。エドワードとディアナ――『賢者の慧眼』が立てられるのは、あくまでも現状況に基づいた推論と予測であって、『未来視』のように未来が覗けるわけではないのだ。
ベルティア侯爵とカロッグ伯爵が想定外の動きをしたり、万一王国軍の中に彼らと内通する者がいれば、作戦の効力はかなり薄れる。その場合は、今後の対応について、また話し合わねばならない。結論を知らせ、また集合日時を指定して……とタイムラグを発生させるより、リアルタイムで状況を確認し、そのまま話し合いへ突入した方が効率的、という理由もあり、こうして変則的な観劇会が開かれている。
……まぁ、実際に蓋を開けてみれば。エドワードとディアナの『慧眼』が外れたところは一つもなく、侯爵と伯爵の動きもドンピシャで。ルドルフも課せられた役目を全うしてくれ、言うことなしの百点満点状態だったのだけれど。深刻なお茶会が開かれることはなかったが、お呼びした四人の側室方に、ただただ自策を見せつけただけみたいになった。こんなときどんな顔をすれば良いのか、ちょっと真面目に分からない。
珍妙な顔で沈黙するディアナに、シェイラが笑う。
「策が失敗したならともかく成功したんだから、もっと普通に喜んで良いのよ?」
「シェイラ様の仰るとおりだわ。クレスター家がそういった計略を得意としているのは周知のことだけれど、今回は伯爵様のお知恵を拝借することなく、エドワード様とディアナの二人で頑張ったのでしょう? 次代に隙がないことも知らしめることができて、良いことずくめじゃない」
「本当にね。『王国の影軍師』の二つ名に偽りなしと示せて、伯爵様もさぞかし鼻がお高いでしょう」
「裏社会にその名を響かせる『獅子親子』の全面的な協力を得られるという点でも、ディアナはとても稀有な存在です。お二人の実力がはっきり示せた以上、余程の命知らずでなければ、霊力者たちとてこれ以上楯突く真似はできぬでしょう。まさに完璧な計略、『叡智のクレスター』に相応しき振る舞いかと」
「待ってレティ、その呼び名知らない」
「ご存知ありません? 昨年の貴族議会にいらした、主に革新派貴族の間でじわじわ広まっていますよ?」
「これ以上二つ名は要らない、切に要らない……!」
ライアが口にした『王国の影軍師』ですら、過剰な評価と恐れ慄くばかりなのだ。この上〝叡智〟だ何だまで言われてしまったら、少なくともエドワードは暴れるだろう。『賢者の慧眼』を代々受け継いでいることは間違いないけれど、一を聞いて百を知る早分かり能力が備わっているのと、優れた知恵者であることは、実際のところ同じではない。下手をすれば知りたくない〝真実〟ばかり掘り当て、精神を病んでしまいそうになるところを、歴代の〝クレスター〟は自らの意思で『賢者』であれるよう使ってきたのだ。それらを美辞麗句で飾られても、「持ち上げたところで〝国〟のためには何もしないぞ」としか返せないのが正直な心情なのである。
ディアナの心からの叫びをどう受け取ったのか、シェイラがちょっと苦笑った。
「クレスター家の方々が、知恵者とも軍師とも自認していらっしゃらないのは分かったけれど。実際にここまで綺麗に〝敵〟を一網打尽にできる策を組み立てて実行できるのだから、賞賛を集めるのは仕方ないんじゃないかしら……?」
「予測どおりピッタリ嵌ればってだけで、上手くいくかは出たとこ勝負みたいなところあったし……」
「上手くいく確率はどれくらいで考えてた?」
「七、八割くらい?」
「……詳しくないけれど、ギャンブルの世界で勝率八割なら、それはもうほぼ確実に〝勝ち〟なんじゃないの?」
「わたくしも詳しくないけれど、お兄様は運任せな賭け事があまりお好きでないみたいだから、そんなお兄様ががっつり立てた策なら、八割くらいにはなるのかなって」
そう。こんなドンピシャな策を立てた〝立役者〟は、きっとディアナではなくエドワードなのだ。ディアナはちょこっと助言しただけで、全然、全く、〝軍師〟とかではない。
(お兄様は武術がお得意だから、〝軍師〟の二つ名もお似合いになるわ。今回は下手をしたら戦にも発展しかねなかった危機だし、お兄様の戦闘本能が最良の〝策〟を閃かせたのよ、きっと。わたくしも口出しはしたけれど、影響は微々たるもののはず……!)
エドワードが聞いたら「あの策立てたのは、それこそ八割お前だろうが!」と正論ど真ん中でぺしゃんこに潰してきそうな言い訳を、心の中で唱えながら。
今日に至るまでの道のりを、ディアナはそっと思い返す――。
次回以降、しばらく過去回想が続きます。




