『黒獅子』の戦略
――『全反射作戦』の端緒は、思い返せば『年迎えの夜会』前だった。
〈こちらからのお声掛け、失礼申し上げます。末姫様、国王陛下。……今、少しお時間よろしいでしょうか〉
『年迎えの夜会』で貴族たちが大ホールへやってくるまでの間、王と『紅薔薇』は待機時間である。去年も経験したことなので特に思うところはなく、ディアナはジュークとあれやこれやと雑談しながら(主にスタンザ帝国のことや、ディアナが留守にしていた間の王宮の出来事など、ざっくり報告を受けたあれそれの詳細についてだった)、夜会開始を待っていた。
そこへ突如、聞き慣れてはいるものの、このように〝突然〟降ってくることは滅多にない声が、天井裏から聞こえてきたのだ。
いずれ帰ってくるとは分かっていたけれど、まさか今日〝ここ〟にいるとは思わなかったその人を知覚し、ディアナは思わず立ち上がった。
「まぁ、ソラ様。お戻りなさいませ。もしかして、お兄様と一緒にこちらへいらっしゃったのですか?」
〈左様です、末姫様。少々思うところがあり、予定を変更して『移動陣』で戻って参りました。あちらの後片付けなどは、『闇』の方々に任せてあります〉
「もちろん、ソラ様が考えられたように動いて頂いて、何一つ問題はございません。特に霊力者関連は、わたくしどもの判断を待って動いては遅いことも多いでしょう。随時、ソラ様の良いようにお計らいくださいませ」
〈まさにその件で、末姫様にご相談申し上げたいことがあるのです〉
そう前置いて、ソラが語った〝相談〟こそ――。
「……なるほど。その二つの『結界』を使うことで、〝敵〟方の霊力者の動きを制限しようということですね?」
〈はい。カイに伝え、既に大ホールに張られた『結界』は、あの子の霊力を……『打破』を大ホール全体にかける、ほぼ完全なる〝霊術封じ〟です。カイの『打破』はとてつもなく強力で、本気になって仕掛けられた場合、おそらく私の術すら破るでしょう。あの子の上位に立てる存在は多くなく、現状エルグランド王国にはおりません。即ち、この『結界』の中で霊術を使える者もいない、という理屈です〉
「〝敵〟も使えぬが、〝味方〟も使えぬというわけか。……ないとは思うが、万が一、大ホールで『紅薔薇』を頼みにせねばならぬ事態が起きたら、患者とともに急いで場を移ってもらわねばな」
「そうですね。ないと思いたいですが」
リタからの報告によれば、今のところナーシャも腹の子も落ち着いているそうなので、よほど差し迫った事態にでも陥らない限り、ディアナが霊力を使うことはないだろう。とはいえ、物事に絶対などあり得ないので、頭の片隅には留めておくべき注意事項である。
そして。
「もう一つの『結界』は、明日以降、後宮全域を指定して、ソラ様が張られるとのことですが……そちらの効果は、また別であると」
〈その通りです〉
天井裏のソラからは、澱みない説明が降りてくる。
〈こちらもまた、〝霊術封じ〟として開発されたもの、なのですが。〝建物〟を指定して壁や床に『陣』を直接彫り入れ、符術師の霊力を注ぎ入れることで、永続的に発動する『結界』でして〉
「符術師のみが扱える『結界』ですか? それもまた、珍しいですね」
〈仰るとおり、かなり珍しいものです。〝符術師〟とはそもそも、自身の霊力を使い、『核』の性質ゆえに使えない霊術を使えるよう、己以外の霊力者の霊力の質と流れ方を、一時的に『変幻』させられる者を指すのですが〉
「そうでしたね。以前、聞いたことがあります」
〈つまり、その力を用いれば、霊力者の内にある霊力の質と流れを、霊術が使えないものへと『変幻』させることも可能、というわけです〉
「……なるほど」
ソラの分かりやすい説明に、ジュークが感嘆の息を漏らした。
「ソラ殿のお力は便利だと常々思っていたが、どのような力も使い方次第で全く別の側面が見えてくるものなのだな」
「その辺りは、権力や武力と、何も変わりませんね。自身の持つ〝力〟について識り、どのように用いて何を為したいか……自分自身と常に向き合いながら、使い方を考えていかねばならないのは、どのような〝力〟でも同じなのでしょう」
「……耳が痛いが、そういうことだ」
ジュークの首肯に、ディアナも微笑んで頷き、天井裏へ視線を移す。
「後宮には、大ホールにかけられているものとは別種のそちらが適切であると、ソラ様が判断なさったのでしょう? でしたら、わたくしどもにわざわざ断らずとも……」
〈いえ、末姫様。ご説明申し上げた『結界』には、一つ、とても大きな欠点があるのです。それゆえ、ご相談とご説明に参った次第でして〉
「欠点、ですか?」
〈はい。――こちらの『結界』は、申し上げましたとおり、通常であれば霊術を使える霊力者の霊力を、使えないものへと『変幻』させるものです。もとより霊術を使えない〝常人〟に影響はありませんが、無自覚で術を使っている……末姫様やシリウス殿のようなタイプの霊力者がもしも他にいらした場合、霊力の流れが阻害されることにより、心身の健康が崩れる恐れがありまして〉
「そ、それは……確かに大きな欠点ですね」
〝敵〟が霊術を使えなくなる利点はあれど、それで〝味方〟まで崩れてしまったら、あまり意味はない気がする。
口に出さずともディアナの懸念は見通せたようで、ソラの声がやや穏やかなトーンになった。
〈そうなのです。何しろ、発動させた符術師当人でさえ、長居したい場所ではなくなるくらいですから。霊術を無意識のうちに発動している霊力者は、それだけ『核』が魂と馴染み、霊力を魂の一部として受け入れているのです。それが急に『変幻』してしまうわけですから、理解が及ばない分、心身に与える影響は決して小さくないでしょう〉
「えぇ、分かります」
〈そしてもちろんながら、理解が及んだからといって、我慢するには限界があります。特に末姫様は、霊力をご自身の一部として、大切に対話しながら育てていらっしゃいますから。急に応答がなくなれば、ご不安にもなるでしょう。末姫様を苦しめるような策は、お二人が仮に認めたところで、カイに却下されて終わりです〉
「……間違いないな」
〈ゆえに――『結界』への対抗策として、以前にお渡ししたカイの『打破』を付与した〝お守り〟を改良し、破れる対象が固定される代わりに永続効果がつくようにしたものを作りました。その新しい〝お守り〟を、末姫様はじめ、分かる範囲の霊力者の皆様方へお渡しする予定です〉
「つまり、ソラ殿が張った『変幻』の『結界』を、カイの『打破』が常に打ち破っているという状態にするわけだな?」
〈左様です、国王陛下。『結界』そのものは建物に張られるので、〝お守り〟によって効果を『打破』したところで、その影響は〝お守り〟持ちの当人にしか及びません。『変幻』の『結界』の中にありながら、〝お守り〟を持った霊力者だけは、常と変わることなく霊術を扱える。これで我々は〝敵〟に対し、圧倒的有利に立つことができるでしょう〉
「えぇと……圧倒的すぎて、可哀想な気がしますね」
「だが、ソラ殿の『結界』が最も有用な策であることも確かだ」
大きく頷いたジュークに、壁向こうから笑いを含んだ呼吸が漏れて。
〈本日張られた大ホールの『結界』は、その効果があまりに強大であることは疑いようもなく、〝敵〟の霊力者も強さを感じ取っているでしょう。これを経験してしまったら、同じように霊術が使えなくなる『結界』に足を踏み入れた際、安直に〝大ホールと同じもの〟だと誤認する可能性は大いにあります。そうなれば、〝敵〟の霊力者を後宮から追い出すと同時に、霊術を扱えぬは『獅子親子』も同じ条件であると勘違いさせ、我々への警戒を緩めることも叶うはずです〉
「確かに。ソラ様とカイは本当ならもっと動けるはずですのに、『隠形』の呪符持ちの〝敵〟がいるせいで、警戒してあまり大っぴらには動けませんでしたものね」
〈後宮へ参ってすぐ、どうにも怪しいと勘が働いて術を放ち、一度だけ、『隠形』を破ることが叶いましたが。さすがに敵もさるもので、それ以降は油断せず、隠れ切っていますのでね〉
「後宮で潜めぬとなれば、外宮へ出てくるか?」
〈探ったところ、〝敵〟が外宮の情報収集先として主に活用しているのは『外宮室』のようです。『結界』を張り、『外宮室』上で待ち伏せるなどすれば、捕捉も可能かと〉
「……目の付け所は悪くない辺り、きっと優秀な隠密なのでしょうね」
苦い気持ちで頷き、ディアナは天井を見上げた。
「お話、大変よく分かりました。――それでソラ様、ご相談とは?」
〈はい、末姫様。説明申し上げた結界は、明日の午前中に最終の調整を終わらせ、現時点で判明している霊力者の皆様へ〝お守り〟を渡してから、午後に発動予定なのですが〉
「現時点で判明している霊力者というと――紅薔薇と、『闇』の首領殿と、エドワードと。そなたら『獅子親子』と……他に誰かいたか?」
「おそらく、ですが。『闇』の数名にも心当たりがあるのと……クリスお義姉様と、後宮近衛の数名と。あと、アルフォード様と、同じく国王近衛の数名にも渡す必要があるかと。お義姉様とアル様は『探索』と『追跡』を使っておいでですし、お兄様に及ばないだけで、お二人とて戦闘力お化けなのは間違いありません。『武』の霊力、でしたか? その持ち主であると感じます」
〈そうですね。もともと『武』の霊力を持つ者は、武術や戦闘に惹かれやすいのです。そのため、戦闘を生業とする人の中には一定数、『武』の霊力持ちがおりますし、中でも団長クラスまで昇り詰める方は、『武』に特化した霊力者であることが多いですね〉
「な、なるほど……」
〈他に、私が観測できている範囲で言いますと。後宮厨房長と、針子をしている下級侍女、そして……後宮にいらっしゃる可能性は低いですが、念のため、王太后殿下にもお渡ししておくべきでしょう〉
「厨房長、と、針子?」
「はっ、母上も、なのか!?」
意外な人をピックアップされ、ディアナもジュークもシンプルに驚いた。厨房長のビスタは普通に親しい知人だし、針子はおそらく知らない侍女だが(下級侍女と側室が関わることは基本的にない)後宮を支えてくれている、大事な一人である。
そして、リファーニア王太后――ジュークの母であり、ディアナにとっては両親の友人である〝リファ小母様〟もまた、霊力者であったとは。
〈霊力者と申しましても、派手な異能を使っていらっしゃるわけではありません。『核』もさほど大きいわけではありませんが……このお三方がお使いの霊術は、それぞれお仕事に直結していますので。使えなくなったら、お困りでしょう〉
「厨房長……ビスタが使ってる霊術って?」
〈いわゆる『感覚強化』です。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を鋭くさせることで、食材にとって最も良い状態に調理された瞬間を見極める。彼は単に集中しているだけのつもりでしょうけれど、あれほど細やかに『感覚強化』をコントロールできる霊力者は滅多にいません。朗らかで豪快な風情の方ですが、本質は繊細なのかもしれませんね〉
「針子をしているという下級侍女は、どのような霊術なのです?」
〈とても軽いものですが、『心癒』の使い手です。それも、付与特化型の〉
「付与特化型?」
〈件の侍女は、刺繍がとても得意なのです。仕事も、後宮で使われるカーテンやタペストリーなどへの刺繍を割り振られています。彼女は無意識のうちに、自身が刺した刺繍に『心癒』を付与し、その刺繍を見た側室方や侍女、女官の方々の心を癒しているようです〉
「あー……」
言われてみれば、やたら上手な、見ていて和む刺繍があるなと心当たりに行き合った。たまたま借りたサロンのカーテンだったり、廊下に何気なくかかっているタペストリーだったりとばらばらなので、「こちらの刺繍、見ていて和むわね」程度で流していたが。……そうか、あれも立派な霊術だったのか。
「は、母上は? 母上は、どのような……」
〈王太后殿下ほど、常人とほぼ変わらぬ『核』でありながら、わずかに使える霊力を有効活用していらっしゃる方はいないでしょう。――殿下は、その霊力で自身の身体を活性化させ、老いを緩やかにしていらっしゃいます。霊力者は一般的に、常人より老化が遅いとは言われていますが、霊術として可能にしていらっしゃるのは、おそらく、王太后殿下のみでしょう〉
「お、老いを、緩やかに……?」
「あぁ……小母様の見た目が若いのは、見た目だけじゃなくて、本当にお若いってことですか」
〈もちろん、自然な老いを止めることはできませんが……努力でできる最大範囲を少し超えた〝若さ〟を保っていらっしゃることは、確かですね〉
ジュークががくりと肩を落とす。
「緊張して損をした気分だ……ソラ殿が〝仕事に直結している〟などと言うから、何事かと」
「直結しているではありませんか。正妃不在の今、女性王族の頂点はリファ小母様です。国の威信を示すため、小母様は常に美しく、〝頂点〟に相応しい装いをと腐心しておいでなのですよ。無意識で〝若さ〟を保つ霊術をお使いなのも、その一環かと」
〈私も同意見です。王太后殿下がお住まいの『藤の宮』は後宮とは別の建物ですから、『結界』の範囲外ではありますが。殿下が後宮にいらっしゃる可能性もある以上、保険のためにお渡ししておいて、損はありません〉
「そう、か。……そうだな」
何度か頷き、ジュークは姿勢をもとに戻した。
「その三人を含めた霊力者に〝お守り〟を渡すのが、相談か?」
〈それもありますが……どちらかといえば、お願いしたいのは、後宮への『結界』展開後に霊力者が発覚した場合の対応ですね〉
ソラの言葉の意味がいまいち分からず、ディアナはジュークと視線を合わせ、もう一度上を向く。
「後宮や後宮関係者が霊力者かどうかは、ソラ様が一通り調べてくださったのでは? だからこそ、先ほど仰ったお三方を見つけられたのでしょう?」
〈私が見つけたのは、あくまでも〝霊術をほぼ日常的に発動させている人物〟のみです。私も常に後宮全体を見ていられるわけではありませんから、あまり高頻度で霊術を使っていない霊力者については、見逃している可能性があります〉
「頻繁に霊術を使わない霊力者、もいるのか?」
〈いますね。代表格では、〝夢〟によって〝時間〟を読む型の『時間読み』は、そもそも自分がいつ〝時間〟を読めるかも不明瞭なまま、偶発的に霊術を発動させている事例が多いです。旺眞ではこの型を『夢視』と総称しますが、この霊力に目覚めた者は、まず自身が霊力者だと気付いていない可能性が非常に高い。従って、自覚的な行動などもしない。ゆえに、見落としやすいのですよ〉
「まぁ……たまにやたら現実的な夢を見る程度で、自分が特別な力を持っているとは普通思いませんよね。夢に見るのが未来なら、何度か繰り返すことで『あの夢は未来のことでは?』と気付けても、過去とか現在じゃ確かめようもありませんから、『なんかやたら現実的な夢だったな』で終わるでしょうし」
〈そうなのです。『時間読み』の中でも『夢視』は、その持ち主を見つけ出すところから、修練を積み霊術の精度を上げるまで、最も難しい霊力の一つと言われています〉
だとしたら、スタンザ帝国で知り合ったバルルーン翁は、自覚している『夢視』の使い手で、しかも神殿に顔が利く程度の実力者であったわけだから、結構な稀少例なのだなと思いつつ、ディアナは大きく頷いた。
「お話を纏めますと――ソラ様がわたくしたちにお願いしたいことは、『夢視』に代表される〝無自覚な霊力者〟の皆様方が、『結界』発動後に何らかの心身の不調に見舞われた場合のフォロー、ですね? 具体的には、不調になった方へ予備の〝お守り〟をお渡しする、ということになるでしょうけれど」
「……できそうか、紅薔薇?」
「マグノム夫人にお願いしておきましょう。日頃から後宮全体へ行き届いた目配りをされている方ですから、不調を起こすのが誰であれ、最終的にはマグノム夫人の耳へ入ります。マグノム夫人まで報告が上がった不調者をソラ様かカイに確認して頂き、該当者であれば〝お守り〟を渡す。これならば、お二人の日々のルーティンをそれほど崩すことなく、フォローできるかと」
〈そうして頂けると、私も大変助かります〉
「分かった。そちらのことは任せよう。国王近衛と後宮近衛については、両団長に話を通しておく」
「お願いいたします、陛下」
ディアナが頭を下げたところで、タイミング良く、ノックとともに扉向こうから声が聞こえてきた。
「陛下、紅薔薇様、失礼いたします」
入ってきたのはアルフォード。通常は護衛としてジュークの近くを離れることはないけれど、こういった夜会の場では王族警備の最重要責任者のため、直前まで関係各所との調整であちこち走り回ることも多いらしい。
それにしても、タイミングが最高に良いというか、噂をすれば影というか。相変わらず絶妙な人である。
「ご報告いたします。予定された貴族の入場が完了しましたので、これからお二人のご準備を……な、何か?」
ディアナも意味深な顔で見てしまったけれど、ジュークも同じ気持ちだったようだ。無言の視線を受けたアルフォードが少し戸惑うのを見て、ジュークと二人で少し笑う。
「いや、何でもない。ちょうどアルフォードに話さねばならぬことができたところだったのでな」
「まるで図っていらしたかのようなタイミングが、少し面白かっただけです」
「そうでしたか。……今の方がよろしいですか?」
「いや、後で良い。夜会後に、グレイシー団長も交えて話そう」
ジュークの言葉で、どうやら後宮警備に関わることだと飲み込めたらしいアルフォードは、真面目な顔で頷き返す。
「承知しました。グレイシー団長にも、声をかけておきます」
「あぁ、頼む」
「ところで、わたくしたちもそろそろ準備した方が良さそうですね?」
「そうでした。お二人の入場準備をお願いしたく、お声掛けに参った次第です」
「分かった。……行けるか、紅薔薇?」
「はい、陛下。いつでも」
最後にもう一度、天井裏へ密かに黙礼し、気合いを入れて『紅薔薇』の仮面を被り直し、ディアナは『年迎えの夜会』へ挑んだのである。




