役者は踊る、舞台の上で
男たち――配下の霊力者を連れ、王都近郊までやってきた〝あの方〟の動きは迅速であった。
「ひとまず、グレイシー男爵は〝こちら側〟へ引き込んだよ」
「グレイシー男爵、ですか?」
「クレスター伯爵家の嫡男、エドワードの婚約者であるクリステル・グレイシーの実兄さ。妹とは似ても似つかぬ、出来の悪い兄だがね。エドワードはクリステルにベタ惚れで、彼女のためなら何でもする。クリステルはグレイシー男爵家を守りたいと願っていて、エドワードもそれをサポートすべく立ち回っているが、爵位を継いだ実兄が二人の努力を嘲笑うかの如く、下手を踏んでいる状態なんだ。家のためには、どれほど出来が悪くとも、二人は現グレイシー男爵を排除できない。……目に見える弱みを抑えておくのは、常識だろう?」
「……さすがにございます」
心の底からの賛辞を、男は主へ告げた。エドワード・クレスターは、その類まれなる能力で王宮の外からディアナを完璧に補佐する、敵方の中核を担う存在だ。そんな大物を一瞬で大人しくさせる〝切り札〟を、この短時間で見つけて手中に収めるのだから、相変わらず気まぐれなようでいて、彼の行いには一切の無駄がない。
「ついでに、スタンザと内通している連中を焚き付けて、スタンザから親善国使を寄越すよう、働きかけておいた。連中も単純だからね、早ければ今月中にも、スタンザ帝室から〝親書〟が届くだろう」
「親善と銘打って、その実はエルグランド侵略を目論む、スタンザ軍の斥候が来るわけですね」
「私が視た〝未来〟の通りなら、そうはならないはずだ。国使団の長に選ばれるのは十中八九、エルグランド語が堪能な唯一の皇子、エクシーガだろう。――彼は、ディアナの〝運命〟だから」
〝あの方〟が視た、〝未来〟曰く。エルグランド王国の貴族社会で理解者に恵まれず、孤独に過ごしていたディアナ・クレスターは、彼女の優しさと聡明さを見抜いたエクシーガ皇子と交流を深め、やがて心を通わせ合って、エクシーガの皇子妃となる道を選び、エルグランド王国を永久に離れるのだという。ディアナがエクシーガの妃となり、スタンザ皇室の改革に夫婦で関わることで、帝国の侵略至上主義は薄れ、やがて本当の友好への道が開ける――というのが、本来の、あるべき〝未来〟だというのだ。
「……そう上手くいきますか? ディアナ・クレスターは後宮で多くの仲間を得て、今のところ孤独ではありません。それに、無自覚ではありますが、『仔獅子』に対して特別な想いを抱いております」
「ディアナの側はそうでも、エクシーガ皇子は違うだろう。片方が〝運命〟を拒絶したところで、もう片方が受け入れ、そうあるべく動けば、自然と〝世界〟は修正されるものだよ」
ただ、『仔獅子』が邪魔なのは確かだから、奴の排除策も何か考えないとね――。
そう呟いた〝あの方〟は、修正を繰り返して汎用性を高めた『姿隠し』の『紋様』を片手に、男へ、後宮の内偵任務を与えてきた。
「この『紋様』を使えば、クレスター家の『闇』や『仔獅子』に気取られることなく、近くへ潜むことが叶うだろう。……危険な任務だが、やってもらえるかな?」
「――あなた様直々に任務を与えられますは、我らの誉。お役に立てるは、この上ない歓びにございます」
「ありがとう。……クレスター家はともかく、『仔獅子』に関しては、あまりに情報が少ない。実際に、近くで調べるしかなさそうでね」
「はっ。必ずや、有益な情報を得て参ります!」
「無理はしないように。『千里眼』に続き、お前までもを喪うわけにはいかないのだから」
「……ありがとう存じます。そのお言葉だけで、我ら既に、報われておりますれば」
主への忠誠をさらに高め、男は単身、王宮へと赴いた。短時間の侵入であれば、『武』の中でもそこそこ使えるザックがリリアーヌとの伝達係としてこなしていたが、『紋様』を用いた長期潜入となると、男が初めて。ザックが作った隠し通路図をさらに充実させながら、男は用心深く王宮を、――中でも後宮を中心的に、探っていく。
そして、見つけた。
「……ここにいたんだね、姉さん」
「ルード? どうして……あなた、帰ったはずじゃ」
「忘れ物をしたって言って、戻ってきたんだよ。側室の姉さんは、もうしばらく会場にいるはずって聞いて、探してたけど……まさか、こんな人気のない、暗がりにいるなんて」
「……ルード?」
「やっと……やっとだ。やっと、姉さんに触れられる……」
「……待って。待って、ルード。ダメよ、それだけは――」
「もしかして、さ。姉さんも、俺のこと、思い出してた? こんな綺麗な月夜は、いつも――!」
「だめ……っ」
ナーシャ・クロケットと、ルドルフ・クロケット。先の『貴族議会』で保守派を牽制する先頭に立ったクロケット男爵家の子どもたちで、ナーシャの方はクロケット家の力を鑑み、整理された後宮において、かなり上位の側室となっている。ナーシャが元は平民で、母がクロケット男爵に見初められ結婚したことにより、クロケット男爵家の籍を与えられたという情報は、男も聞き及んでいたが。
(まさか、義理の弟と、道ならぬ関係だったとは)
二人の様子を見るに、体を重ねるのはこれが初めてではなさそうだ。エルグランドの国法によれば、連れ子によって義理のきょうだいとなった男女は、婚姻関係を結ぶことが可能である。行くところまで行っている関係なら、まだ若い二人ではあるが、普通に結婚した方が早そうだが、話はそう単純にはいかないのだろう。
――それはともかく。
(使えるぞ、これは)
ほぼ形骸化しているとはいえ、ナーシャは表向き、国王の側室として後宮に住まう身だ。そんな彼女が義理の弟と肉体関係にあるなど、醜聞以外の何ものでもない。この情報を上手く使えば、勢いづいている革新派を一気に大人しくさせることも可能だろう。
(ちょうどおあつらえ向きに、グレイシー男爵も不祥事を起こした。エドワードはしばらく、そちらへ掛かり切りになるはず)
なるべく目立つところで、目立ったやらかしをさせるべく、〝あの方〟は巧みに王宮の貴族を動かし、グレイシー男爵にスタンザ製の手榴弾を購入させた。クリステル・グレイシーが邪魔なのは保守派も同じであるため、彼女を排除するため兄を使うと持ち掛ければ、王宮の保守派は疑いなく動く。
その、真の狙いは。クリステルとエドワードの動きを止めるのは大前提として、いかにもな〝理不尽〟とディアナを相対させることで、エクシーガ皇子に彼女の存在を知らせ、強烈な印象を植え付けること――。
(見た限りは、成功した。エクシーガのディアナを見る目には、間違いなく、恋情の欠片がちらついている)
このまま〝あの方〟の計画通り、エクシーガがディアナをスタンザ帝国へ連れ去れば、こちらはさほど労することなく、最も厄介な女の排除が叶う。おそらく追い掛けるだろう『仔獅子』がスタンザ帝国で暴れて国を滅ぼそうが、はたまた捕えられて処刑されようが、こちらに不利益は一つもない。いっそ共倒れしてくれれば万々歳である。
ディアナを排除すれば、必然、『紅薔薇派』の力は落ちる。外宮で、側室筆頭を国外へ出した責を革新派に被せれば(そうなる細工は流々に仕込んである)、勢いはさらに下降の一途を辿るだろう。そこに更なる醜聞――ナーシャの内通が明るみに出れば、もう革新派は死んだも同然だ。
そう計算し、ナーシャとルドルフの関係を、〝あの方〟へ報告したところ。
「よく見つけてくれた。これは、かなり強力なカードになるはずだ。使いどころについては、私の方で精査していこう」
滅多にない完全な褒め言葉まで頂戴し、男はますます、やる気を高めていく。
スタンザ帝国――エクシーガにディアナを連れ去ってもらうためには、彼らの意見が通る下地を、王宮にて作らねばならない。その裏工作を担ったのが、世間的には革新派と思われているウェイク伯爵だ。彼の父と兄が革新派だったのは間違いないが、その父と兄に反発していたウェイク伯爵本人は、水面下で保守派と通じ、彼独自の人脈を築いていたのである。同じく、世間的には中立寄りの穏健保守と思われているニッケスタック子爵とともに、彼は革新派の中でも声が大きく、いかにも人情家で、周りを巻き込む力のある者たちへ、スタンザ国使団への同情と共感を刷り込んでいった。
もちろん――ただ話すだけで人の心が簡単に移ろえば苦労はしないので、彼らが工作する場には極力男も天井裏にて〝同席〟し、『心理操作』の『紋様』を駆使してバックアップしている。あの『紋様』は本格的な『洗脳』ほどの効果は見込めないものの、薄ぼんやりとした〝意識〟を広く撒くだけならば充分なのだ。外宮は後宮ほど『仔獅子』のガードも固くなく、天井裏での活動は、むしろそちらの方がやり易かった。
(……本格的に霊術の修練を積んでいるのは『仔獅子』だけでも、クレスターの『闇』は首領を筆頭に総じて勘が鋭い。『姿隠し』を使っていても、違和感を覚えられてヒヤリとしたことは、一度や二度じゃなかったからな。奴らは基本、外宮までは足を伸ばさないから、こちらの工作を邪魔されずに済んだが)
特に、昨年の貴族議会以降、身の程知らずにも〝王の切り札〟として調子に乗っている『外宮室』などは、機密情報が気軽にポンポン交わされていたため、〝敵〟がこちらの情勢をどれほど正確に把握しているか確認するのにもってこいであった。連中も霊力者のことは教えられ、〝超常の力を操る異能力者〟だと認識している割に、その異能力者が自分たちの真上にいるかもしれないという危機感は、全くもってなかったのだ。彼らが官吏として優れていることは否定しない(内務省を中心に、貴族階級出身の官吏の使えなさは、一応の味方側ながら目を覆いたくなるものがあるので、余計に『外宮室』の有能さが際立つ)が、所詮は彼らも平和慣れしたエルグランド民ということだろう。
男がそうして、後宮と外宮を行ったり来たりしている間に、なかなか覚悟を決めないエクシーガ皇子の決断を促すべく、〝あの方〟が機を読んで保守派を動かし、彼に〝寵妃〟の真実を知らせ。
やっと、エクシーガ皇子が〝運命〟を掴み取るべく、堂々とした工作を行なって。
エクシーガの後押しをすべく、再びウェイク伯爵とニッケスタック子爵、そして〝味方〟の保守派たちが、〝側室に準王族の身分を与え、エルグランド国使団の長としてスタンザ帝国へ派遣する〟という案を既定路線とすべく、動いた。
「――そうして善意から王とスタンザの仲立ちを続けて、周りの保守派は彼らの熱意に流されたことにして消極的な賛成に回り――これで送り出した側室に、スタンザ帝国との間に問題が勃発すれば、さぁ誰の責任になる?」
「ここ最近の王宮を見ていて、そんな思惑を感じる。――ここまでの仕込みはスタンザ国使団には無理だし、そもそもそんなことをする利点もない。せっかく繋いだエルグランドとのツテを自らご破算にするようなモノだからな。この流れで得をするのは、革新派の台頭を目障りに思っている、エルグランド王宮の保守派だけだ」
「革新派の有力者たちの力を削ぐと同時にジュークの味方を減らし、スタンザ帝国との仲を悪化させて自由交易を見直す。更に後宮まで巻き込むことで、どう足掻いたって頂点である『紅薔薇』が動かなければならない状況を作った。動きさえすりゃ、攻撃の隙なんていくらでも作れるからな。一石二鳥どころか四鳥かそれ以上、そしてその全てが保守派に有利な展開と来てる。――スタンザ国使団の裏に、保守派か、彼らに力を持たせたい〝何者か〟がいるのは間違いないだろう」
当時、状況を唯一正確に把握していたのは、やはりというべきか、クレスター家のエドワードのみであった。事態が目まぐるしく動く渦中にあって、〝あの方〟が一目置く『古の一族』の末裔だけは、状況に流されることなく、冷静にことの本質を見極めていたのだ。彼が外宮室の官吏たち相手にこの話をしていたとき、男はたまたま外宮室の天井裏に潜んでいたが、あの若さでこの洞察力とは末恐ろしいと、密かに舌を巻いた。
――まぁ、そのエドワードをして、全てを把握したときには遅かったのだが。
ディアナ――側室『紅薔薇』がエルグランド国使団の長となり、スタンザへ派遣されることが決まってから、実際に出立するまでは、怒涛の日々であった。関係者間で一番の想定外は恐らく、『仔獅子のカイ』がエルグランドの王宮侍女に扮して同行することになった辺りだろう。男性の同行をやんわり断られた結果、「なら侍女になれば良い」という発想らしいが、裏社会でその名を知られるだけあって、なかなかに思考回路がぶっ飛んでいる。
そうして、慌ただしく準備が整えられ、ディアナは後宮から去っていき――。
(ちょっと、待て。聞いてないぞ……!!)
カイもディアナとともに国を出ていき、これで諜報活動がやり易くなると胸を撫で下ろしたのも、束の間。
――カイと入れ替わりで、カイの師匠であり、裏社会にその人ありと知られた重鎮、『黒獅子のソラ』がやって来るなど、想定外の外の外過ぎた。
しかも――!
ぱしん!
(……っ! やぶ、られた?)
これまで一度も見抜かれず、破られることすらなかった『姿隠し』は、ソラによっていとも容易く、まるで児戯を優しくいなすかのように、ないものとされた。破られたと察し、慌てて逃げたけれど、おそらく男が〝いた〟ことは見抜かれているだろう。
(迂闊だった……! カイが霊力者である以上、その師匠のソラも〝そう〟であろうと、予想はしていたが。まさか、これほどの実力者であったとは!)
ソラに近づくのは、得策ではない。そう判断し、男は拠点を外宮側へ移動して、後宮内部についてはソラの目を盗み、あるいは当人の術より遥かに精度は落ちるものの、『千里眼』を再現できる『紋様』を使って、コソコソと覗き見た。
――そして、知る。
(ナーシャ・クロケットが懐妊……? もしや、〝あのとき〟か)
子が腹の中でどのように育つかなど、男には知る由もないが、男女が交わることで女の腹に子が宿るのは、大人の一般常識だ。ナーシャが〝男〟と子ができる行為をしたタイミングは、『シーズン開始の夜会』でルドルフと〝密会〟した、あのときだけだろう。
(やはり……やはり〝あの方〟は、いつも正しい。あのとき拙速にナーシャを責めても、せいぜい彼女を後宮から追放し、クロケット家の力を削ぐくらいのことしかできなかっただろう。だが、〝王の妻〟である側室を孕ませたとなれば、その罪は格段に重くなる。王の血筋ではない子を王の子と偽ろうとしたと糾弾できれば、王家を乗っ取ろうとした罪……反逆罪も適応できる)
男は、ナーシャの懐妊を、意気揚々と〝あの方〟へ報告した。
話を聞いた〝あの方〟は、その瞳に知略の光を迸らせる。
「なるほど。ナーシャ・クロケットの懐妊を公にできれば、クロケット家はもとより、革新派を一気に弱らせることができそうだ」
「はっ」
「だが……既にナーシャの懐妊はシェイラ・カレルド以下、後宮の〝国王派〟の知るところとなり、王も情報を共有している。暴いたところで、最悪、『国王公認の仲だった』と庇われてしまったら、望んだほどの効果は得られないかもしれないね」
「それは……確かに」
「落ち込むことはないよ。お前の着眼点は、実に素晴らしい。――反逆罪、ね」
唇の端に笑みを上らせ、〝あの方〟は。
丸テーブル上に置いてある〝駒〟を、カツンと斜めに動かした。
「ナーシャを孕ませただけでは〝弱い〟なら。いっそルドルフには、本物の〝叛逆者〟になってもらおうか」
この上なく優しい微笑みを浮かべた、慈愛の眼差しで〝世界〟を見つめながら。
一片の慈悲もない策略を、〝あの方〟は組み立てていく。
後宮の『牡丹派』――リリアーヌ・ランドローズを中心とした古参保守貴族家出身の側室たちに働きかけ、ナーシャ・クロケットの懐妊を白日の元に晒せる策を裏から伝授。間に何人も挟んで〝自分たちで考えついた〟ように装ってあるので、まさか保守派や『牡丹派』も自身が〝あの方〟の掌の上にいるとは想像だにしていないだろう。……もしかしたら、霊力者とある程度近いリリアーヌだけは、男たちの影を感じ取っているかもしれないが。
「とはいえ、こちらはあくまでも〝囮〟だ。策の大枠は立てたが、細かい部分の調整と実行に我々は関わらない。成功率は半々といったところだろうね」
そう言った〝あの方〟は既に、こうなる未来図を描いていたのだろう。ナーシャに掛かり切りとなった後宮を嘲笑うかの如く、密かに王宮の保守派を動かし、ルドルフと接触。彼の中にあった〝姉を奪った王への憎悪〟を煽りに煽った上で、「女を集めることばかりに熱心で、ろくに民のことも考えず、外敵を排除することも満足にできない弱腰の王など、国のためにならない。ジューク王の排除は国益に叶う正義だ」という価値観を吹き込んだ。表向きは革新派の実力者であるウェイク伯爵と、革新派の有力者とも交流があるニッケスタック子爵は特に、対ルドルフの洗脳工作における功労者である。
(まぁ、こちらが何か言うまでもなく、元々ルドルフには王への嫉妬と憎悪、反発心があったからな。既にあったものを育ててやれば良いだけだから、覚悟したほどの労力は必要なかったようだが)
心から愛する義姉の〝夫〟に収まっている王のことも、後宮という場所を守ることで結局のところ檻を厳重にしている『紅薔薇』のことも、ルドルフは実のところ、厭わしく思っていた。思考力を奪って相手を意のままに操る『洗脳』を使うまでもなく、彼の中に最初からあったものに少し水をやるだけで、その芽は簡単に土から出て、ぐんぐん、ぐんぐん育っていく。
霊力者たちと保守派がルドルフにしたことは、王を憎み、殺したいと思う動機の強化と、正当性の補強。あとはスタンザ帝国に内通していた各々が持っていた情報や武器密輸ルートの横流しくらいで、実際に戦闘員を集め、スタンザの最新武器を仕入れて急拵えではあったが軍隊と呼べる一団を組織したのは、紛れもなく、ルドルフ本人の意思と行動に他ならない。――ここまで事を大きくし、実際に王宮へ攻撃を仕掛けようとした以上、この後でクレスター家がどう動こうと、クロケット家を助けることも、革新派の凋落を食い止めることも、不可能。
(……『年迎えの夜会』以降、後宮全体で霊術が使えなくなったときは、少々ながら冷や汗をかいたが。大方、夜会時に大ホールで試していた〝指定した範囲内で霊術の効果を破る〟結界を、後宮にもかけたのだろう。いい加減、後宮の天井裏から〝味方〟以外を除外しようという魂胆が透けて見えるが、実行するには遅すぎたし、後宮だけでは不充分だとこの期に及んでまだ気付かないとは)
だが、それも無理のない話。『黒獅子』と『仔獅子』の動きをもっと効率的に削げる方策はないかと嗅ぎ回った結果、霊力者たちは超特大の爆弾を仕入れていたのだ。
『仔獅子のカイ』――『黒獅子のソラ』が拾って育てた男の、出生の秘密を。
秘密、と大袈裟に表現したが、実際のところそう秘されていたわけではない。単に『獅子親子』がカイの本当の親と棄てられるまでの経緯に興味なく、探ろうとしていなかったが故に明かされなかっただけで、実際はカイとカイの生母の両方を知っていれば、容易に想像のつく〝秘密〟だったようだ。〝あの方〟はどちらとも実際に顔を合わせたことはなかったが、繋がっている貴族には、カイの生母とカイが扮した侍女〝カリン〟が瓜二つなことに驚いた人も大勢いる。そちらの筋から情報を得て探れば、彼の血筋と両親の現在を知ることは容易かった。
(おあつらえ向きに『仔獅子』の実父は、自身の欲望に忠実で、己の望みは全て正当なものと信じて疑わず、自省する謙虚さなど欠片も持ち合わせない、人間の底辺だったからな。少し嗾けてやるだけで、実に我々の都合に良いよう、動いてくれたらしい)
カイの実父、シュラザード侯爵にとっての重大事は〝若い頃の妻と瓜二つの侍女〟を手中に収める一点のみで、それを阻む者は、女官長だろうが『紅薔薇』だろうが身の程知らずの邪魔者という認識であったそうだ。シュラザード侯爵を動かす謀に男は詳しく関わっていないが、ちょっと『姿隠し』の『紋様』を渡して使い方を教えただけで、見事に王宮へ忍び込み、ディアナの目の前で女官長を襲撃するという〝大金星〟を上げてくれたという。
自身にまつわる出来事が、何よりも大切にしている女を煩わせたとあっては、いかな『仔獅子』といえども冷静ではいられまい。実際、シュラザード侯爵をそのまま放置していては、王陣営の動きを大きく阻害する。それが分からぬ『獅子親子』ではなく、〝あの方〟の目論見通り、その後の彼らはシュラザード侯爵の排除に奔走したようであった。――その隙を縫い、男たちはルドルフを〝叛逆者〟へ仕立て上げる策を仕掛けたのである。
(『仔獅子』がもう少し直情的に王都のシュラザード侯爵邸へ仕掛けてくれれば、なお良かったのだがな。あの邸には、『仔獅子』の動きを封じるべく、ありとあらゆる罠が張り巡らせてあったらしいから、引っかかってくれれば連中の戦力を大きく削ぐことが叶ったものを)
最大の罠が不発に終わったとはいえ、『獅子親子』はシュラザード関連に掛かり切りにならざるを得ず、そのため〝霊術封じ〟が後手に回ってしまった。あちらもただ安穏と過ごしていたわけではなく、『年迎えの夜会』までに情報を集めてかなり真実まで肉薄し、さらにはルドルフが〝軍〟を組織していることまで突き止めたようだが、やはりナーシャ・クロケットを落とせなかった以上、彼を止める手立てまでは見出せなかったらしい。ルドルフは若い分思い切りがよく、さらには当人の性質によるものか、一度道を決めたらちょっとやそっとのことでは己を曲げることもない少年ゆえ、ディアナたちもナーシャを説得する以外の活路が思い浮かばなかったのだろう。――実際、年末から年明けしばらくにかけて、彼を案じる友人たちが何度も接触を図り、ときには自宅まで招いて、急に付き合いが悪くなった理由を問いただしていたが、ルドルフは一切靡くことなく拒絶していた。
ナーシャにとって、ルドルフは大切な義弟であり、それ以上に愛する相手だ。王の側室と、そうと知っていて子ができる行為をすることが、王家にとって重大な背信行為である以上、ルドルフの命を守るためにもナーシャは、彼が腹の子の父親であると認めることはできない。
ディアナがナーシャを説得すべく、最初に彼女の部屋を訪れた日、男は二人の会話を聞くことができなかった。既に後宮には『年迎えの夜会』時に大ホールで使われた結界が張られており、『姿隠し』の『紋様』が無効化される以上、突撃すればナーシャの部屋の天井裏に詰めている『闇』と真正面から鉢合わせてしまう。『闇』と『獅子親子』の死角をつける一番近いポイントで待機していたところ、そこにちょうど、ナーシャとの話を終えたディアナと、彼女腹心の侍女がやって来たのは幸運であった。
「……予想はしていたけれど、手強いわね」
「ディアナ様が確信を持って迫っても、ですか?」
「全部憶測で、証拠なんてないだろう、って返されちゃったわ。そう言われるとね……」
「だとしても、ルドルフ殿が謀叛を実行へ移せば、その類はご実家にも、ナーシャ様にも及ぶでしょうに」
「滅びるのならいっそ共に、というお気持ちなのかもしれないわ。前に、シェイラがそんなことを言っていたもの」
難しい顔で侍女に告げるディアナの表情からは、ナーシャの説得が一筋縄でいかないことへの苦悩が感じられた。会話を盗み聞くことはできなかったが、ディアナの様子を見る限り、ナーシャが簡単に陥落することはなさそうだ。
それは、男だけの所感ではなく。
「ルドルフ殿だけでなくナーシャ様も、あまり好ましくない方向に、覚悟が振り切れておいでなのですね……」
「えぇ。あまり望ましい状態じゃないわ」
「どうなさるおつもりです?」
「下手にルドルフ殿を触ると、〝敵〟にわたくしたちの思惑が筒抜けてしまうかもしれない。ルドルフ殿だって、国王側にいるわたくしたちの言葉を聞く気はないでしょうし。……やはり、ナーシャ様からお話頂くのが一番だと思うのよ」
「でも、手強いのですよね?」
「手強いけれど――慎重に、でも確実に、牙城を崩していくしかないわ」
まさか、真上に〝敵〟が潜んでいるなど思いもよらず、ディアナは率直に心情を吐露し、ナーシャに頼るしかない歯痒さを覗かせる。ルドルフを止めたいがゆえにナーシャの牙城を崩したいディアナと、ルドルフを守りたいがゆえに堅牢な城をますます堅固にしていくナーシャは、どこまでもすれ違っていた。
そのすれ違いは、結局、今日まで解消されることはなく。
(間に合わなかったと……誰よりも『紅薔薇』自身が、己を酷く責めるのだろうな。これで心折れて大人しくなってくれれば、〝あの方〟もこれ以上苦慮なさらず済むのだが)
〝あの方〟は何も、ディアナが憎くて追い詰めているのではない。むしろ、伝承内でも特別に語られている『森の姫』の霊力の継承者である彼女のことは、味方で仲間の男たちより、ある意味で尊重していた。
尊重しているからこそ……彼女には霊力の導きに従い、『森の姫』として最も求められる場所で尊崇を集め、幸福な生涯を全うしてほしかったのだ。
「何故だ、ディアナ。『森の姫』の霊力が覚醒したのなら、己の進むべき路も、同時に見えただろう。何故導きに逆らい、好んで修羅道へ足を踏み入れようとする……!」
ディアナが……エルグランド国使団が、無事帰国の途へついたという一報が、王都へ入った日。
悲壮な顔で、絞り出すような声でそう苦悩した〝あの方〟の姿は、今も男の脳裏に灼きついている。
(これで、ディアナも思い知るはずだ。霊力の導きに逆らってまで、〝世界〟が好転することなどないと)
――眼前では、ルドルフ率いる〝叛乱軍〟が、いよいよ王宮の正門前まで迫っている。本当に門を突き破らせては戦闘が激化してしまうため、その前に食い止める手筈だ。
(あぁ、来たか)
王宮を囲む塀に沿って、二人の貴族がそれぞれ東と西から、自領の軍を引き連れ、門前へやって来る。その後ろに続いているのは、先ほど民から知らされ、慌てて駆けつけた王国軍だろう。
王国の一大事に、誰よりも早く参じた二人の貴族――エルグランド王国古参貴族であり、それぞれ側室の父でもある、ベルティア侯爵とカロッグ伯爵は、門前で互いの槍を交差させ、「止まれ!!」と叫んだ。
「何者だ!! これより先は、国王陛下のおわす居城である! 武装した無頼の者を連れ、足を踏み入れて良い場所ではない!!」
「武力でもって王宮へ攻め入るは、国王陛下に弓引く大罪なるぞ! 速やかに武器を捨て、投降せよ!!」
「べ、ベルティア侯爵閣下と、カロッグ伯爵閣下……? これは、どういうことです!」
ルドルフにとっては、スタンザ武器の密輸ルートを提供してくれたベルティア侯爵と、スタンザ宮廷暗部とも深く繋がっている情報網を有し、そこからの情報を流してくれていたカロッグ伯爵は、頼りになる〝味方〟だったはず。その二人が、門を破らんとしたまさにそのとき、明らかな敵として立ち塞がったわけだから、混乱するのも尤もだ。
――だが。
「貴様、今年デビュタントであったクロケット男爵家の嫡子か? 王国貴族に名を連ねる誉れを受けながら、頂点たる国王陛下の座所を害さんとは、どういう了見か!」
「馴れ馴れしく呼ばれる筋合いなど、我らにはない! これだから新興の者は、ろくに礼儀も知らぬとは」
「何を……何を仰るのです。あれほど親身になってくださり、『貴殿の憂いは我々の憂いでもある。ともに国の歪みを正そう』と救いの手を――!」
「ふざけたことを申すな! 何故、王国古参であり、国王陛下の忠実なる僕である我々が、そのようなことを言わねばならぬ!」
「そんな……武器の入手先も、スタンザ帝国の情報も、全部お二人が……!」
「全て、貴様がクロケット家の力を使ってしたことであろう? 武器の密輸も、スタンザとの内通も!!」
「……まさか、こうして全部、俺に罪を被せるために? でなければ、現れた方といい、あまりにタイミングが良すぎる!」
「往生際が悪いぞ! 神妙に縄につけ!!」
「タイミングだと? 我らはただ、王都に乱の兆しありという風説を耳にし、万が一に備えていたに過ぎぬ。国を思い、陛下に忠義を尽くすがゆえの備えを、邪推するのはよしてもらおう」
意気揚々と語るベルティア侯爵とカロッグ伯爵の言葉に、必死で応酬していたルドルフも、徐々に状況が飲み込めてきたのか、顔色を一気に悪くしている。味方だと思っていた人たちが、実際は自分を罠に嵌めるため、虎視眈々と機会を窺っていた一番の敵だったのだ。それに今更気付いたところで、〝叛乱軍〟を率いて王宮前まで来てしまった以上、もうどうすることもできない。
三人が話をしている間に、ベルティア侯爵とカロッグ伯爵の領軍がそれぞれ正門前を固め、遅れて来た王国軍は、その周りで所在なげにふんわり佇んでいる。誰がどう見ても、〝王国の危機に馳せ参じた有能な古参貴族が王宮の正門を守り、王都の警備が任務でありながら叛乱軍を察知もできず出遅れた王国軍が右往左往している図〟だ。
望み通り――狙い通りの絵図を作ったベルティア侯爵とカロッグ伯爵は、誇らしげに……その実はニンマリと、笑って。
「こうなっては最早、貴様に逃げ場所などない! 少しでも王国貴族としての誇りがあるのなら、潔く投降せよ!!」
青ざめたルドルフに、最後通牒を突きつける――!!
「……いやホント、あのときエドワードさんに乗ってて良かった。そうじゃなきゃ、俺は今頃本当に、逆賊として討たれてあの世行きだ」
逃げ場がなくなったはずのルドルフから落ちたのは、小さな、小さな呟き。『千里眼』の『紋様』を使っていたからかろうじて聞き取れたが、聞き間違いかと思うほど、ぼそりとした独り言だった。
――否。
(聞き間違い、で、あってくれ)
馬鹿な。
そんなまさか、この状況で、これから〝総て〟ひっくり返されるなんてことは――!
ばさり。
馬上のルドルフが、ずっと馬の鞍につけていた大きな旗を、勢いよく掲げる。
旗上に踊るは、湖を臨む優雅な城を、麗しい女神と勇敢な剣を掲げた騎士、竪琴を持つ吟遊詩人、杖を持つ賢人が四方から守護する――エルグランド王国の、旗章。
旗が、風に乗って広がった瞬間。
場の図式は、ガラリと変わる。
「なっ!!」
「こ、これはどういうことだ!!」
これまでの行軍中、武器は持てども掲げてはいなかった〝叛乱軍〟が、一斉にその照準をベルティア侯爵とカロッグ伯爵、及びその配下の領軍に合わせ。
周囲を所在なげにうろつくばかりだった王国軍は、一糸乱れぬ動きで剣先を、同じく侯爵と伯爵の軍へ向ける。
一瞬の間に起きた逆転劇に、男の思考が完全に止まった――、
その、とき。
「何もかも思惑通りのお芝居なんて、つまんないじゃん。やっぱこういう舞台は、最後の最後に大どんでん返しがないと」
男しかいなかったはずの隠し部屋に、突如響いた年若い男の声。
『千里眼』で何度か聞いて、知っているはずの相手なのに、それが〝誰〟か理解することを、本能が拒む。
「さて――ディー監修のお芝居も充分楽しんでもらったところで、そろそろ終幕といこうかな」
暗がりに光る、紫紺の双眸。
――男たち最大の天敵、『仔獅子のカイ』が、狭くはないが広くもない隠し部屋の扉を塞ぎ、獰猛に嗤っていた。
演出者気取りで踊らせていたはずの者が、実はずっと〝踊らされていた〟お話。
踊らせていた者、踊らされていた者、踊っていた者――次話から、徐々に明かされます。




