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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
252/259

逆転の鍵を握る者


 ジューク、エドワードとの密かな話し合いから、数日。


「おはようございます、ナーシャ様」

「おはようございます、ディアナ様」


 朝食を終えたディアナは、診察道具を天井裏にて先行させ、月に一度の母子健診のため、ナーシャの部屋を訪れていた。降臨祭(レ・アルメニ・アースト)の期間中はリタがフォローに入ってくれたが、概ね問題はなかったため、投薬も年が明けるまでとし、以降は日常生活に戻ってもらっている。何かあれば遠慮なく『紅薔薇の間』の侍女に託けてくれと言っておいたが特に申し出はなく、それとなく様子を見てくれている『闇』や『獅子親子』もナーシャの健康状態に異常はないという見立てだったため、ディアナがナーシャの部屋を訪れるのは、降臨祭前以来だ。


「ご無沙汰しております、ナーシャ様。『年迎えの夜会』ではお顔の色もよろしく、安心しておりました。その後、何か気になることはありましたでしょうか?」

「お気遣い、ありがとうございます。少し前まで感じていた、食事の際のむかつきなどは、ほぼなくなりました。むしろ以前より、食事の量が増えているように感じます」

「つわりも治り、そろそろ安定期に入ったのでしょう。食欲が増すのは自然なことですので、あまり気になさらず。しかし、急激な体重の増加は母子の負担となりますので、料理長にメニューを工夫してもらい、体重が増えすぎないようにだけしていきましょう」

「分かりました」

「他には、何かありますか?」

「……服を着ていると、分からない程度ではありますけれど。少しずつ、お腹が出てきたように感じます」

「お子様が順調に成長している証ですよ。痛みを感じたり、どこか苦しいということは?」

「今のところは特に……痛みはないですけれど、以前に比べ、胸も張り出してきた感覚はしていますが」

「妊娠すると、やがて生まれる赤ちゃんにお乳を上げる準備を体が始めます。そのため、胸も大きくなりがちで……自然な変化ですので、ご安心くださいね」


 とはいえ、腹部と胸が大きくなってくると、これまでナーシャがつけていた下着の類は使えなくなってくるだろう。既にコルセットの使用は厳禁としているが、今後はマタニティ用の下着を着用し、締め付けのない楽な衣服で過ごすべきかもしれない。

 聞き取った内容と所感をカルテに書き付け、ディアナはナーシャへ微笑みかけた。


「他に気になることはございますか? なんでも大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。お伺いしたいことは、これで全てですわ」

「なら、良かった。お伺いする限り、お腹のお子様は順調ですよ。……大変な時期を、よく乗り越えられましたね」


 涙ぐんで、ナーシャは頷く。ディアナも頷き返し、聴診器を取り出した。


「では、診察していきますね。お子様とナーシャ様がお元気かどうか、音を聞き取らせてください――」


 問診、聴診、視診、触診を行い、母子の健康を確認する。クレスターの産院で師匠に教えてもらったとおり、母親が負担に思わないよう、素早く丁寧に。さもベテランの風格を取り繕っているが、ディアナとて、師匠の産院以外の場所で、一人で、母子を担当するのは初めての経験だ。頼みにすべきは師匠に教わった知識と、かの産院で実際に患者たちと接する中で積み上げてきた実体験のみ。それらを思い返しながら、ディアナはテキパキ、診察を進めた。

 と、同時に。『森の姫』の霊力(スピラ)を使い、ナーシャの状態を詳細に把握していく。


(病の気配は、すっかり遠のいたわね。胎児の状態も安定して、もう流産の心配もなさそう。ナーシャ様は少しばかり疲れ気味だけれど、初めて妊娠したお母さんの状態としては、充分すぎるくらい落ち着いている方よ。ご本人が健康に過ごすことを意識されていて、それを侍女たちも助けていて、料理長も食の面からサポートしてくれて……様々な人の努力の結晶ね。本当に、あの状態からよくここまで、持ち直してくださったわ)


 何より、腹の中の赤子が強い。あの切迫流産の危機を、原始的な生きる本能一つで乗り越えた命だ。あのときより成長し、意識が少しずつ〝人〟の形を取り始めている今、「何がなんでも生まれてやる」という強固な意思を抱いていると伝わってくる。今後、どんどん心身が育っていく中で、その意思が強まることはあっても薄まることはないだろう。


(この子の、一途な執念は……お父君譲り、かしら)


 胸に迫るものを、ぐっと飲み込む。……今日に限り、ディアナの本題は、この診察の〝後〟にこそ、あった。


「結構ですよ。――あの〝病〟での遅れを取り戻そうとするかのように、お子様はどんどん大きくなっていますね。服装に気をつけるのはもう少し後かと思っていましたが、そろそろ準備を始めた方が良さそうです」

「元気ならば、他に望むことはありませんわ。……あの、それで、準備とは」

「世間一般で言う、マタニティウェアというものです。コルセットは妊娠とあまりに相性が悪いため、既に外して頂いてますが」

「はい。……あ、でも、『年迎えの夜会』のときだけは、お腹を締め付けないよう気をつけながら、着用しました。そうしないとどうしても、ドレスの型が崩れてしまうので」

「一般的なドレスは、コルセットありきで作られていますからね。しかし、それでは妊娠中、女性はドレスが着られなくなってしまいます。そこで登場したのが、お腹を締め付けないタイプの妊婦用下着と、コルセットがなくとも型崩れせず綺麗に着られる、妊婦用ドレスというわけで……この二種を指して〝マタニティウェア〟と呼ぶことが多いです」

「そうなのですね……私、何も知らなくて」

「妊娠出産などまだまだ遠い、十代の貴族子女が知らないのは当たり前ですよ。こういうことは、少しずつ経験して覚えていくものですから」


 少し肩を落としたナーシャに笑いかけ、ディアナは背後に控えてくれているリタを、くるりと振り返った。


「リタ。悪いけど、リヴィエラとモコと一緒に、準備しておいたマタニティウェア一式を取りに行ってもらえるかしら。いざ使うときにもたつかないよう、着用の仕方や着付けのコツなんかも教えてもらえると助かるわ」

「承知いたしました。人目につかずお二人を『紅薔薇の間』へご案内し、諸々ご説明申し上げ、荷物を持って戻るとなりますと、結構なお時間を頂くこととなりますが、よろしいですか?」

「皆が戻ってくるまで、わたくしがナーシャ様の侍女代理を務めるわ。大丈夫よ」


「そんな畏れ多いこと……」と困惑した様子のリヴィエラであったが、実際問題、これからナーシャが着用する衣類の使い方を知らないわけにはいかないと判断したらしい。最終的にはモコを引き連れ、ディアナとリタに向かい、「よろしくお願いいたします」と頭を下げてきた。


「いってらっしゃい。そう畏まらなくても大丈夫よ。こんな朝から来客があるとしても、シェイラかリディル様くらいでしょう。あの二人なら事情を知っているから、わたくしのおもてなしでも許してくれると思うわ」

「というより、シェイラ様とリディル様であれば、お茶が飲みたいならご自身で淹れられるのでは?」

「間違いないわね」


 軽口を交わしながら、笑顔で、ディアナは侍女三人を見送った。

 ナーシャと二人、残された室内で。ディアナはゆっくり、ゆっくりと、振り返る。


「……お茶にしましょうか、ナーシャ様」

「いえ、そんな。ディアナ様にご用意させるなど……」

「わたくし、お茶を淹れるのは得意なのです。良ければ淹れさせてくださいませ」

「で……では、お言葉に甘えまして」


 やはり、ナーシャは他者の機微に敏感だ。本音ではおそらく、側室最高位である『紅薔薇』に茶を淹れさせるなど、と思っているだろうけれど、ディアナに引く気配がないのを察し、何も言わずに引き下がった。

 今、だけではない。思い返せばナーシャはいつも、ここぞという場面で外すことなく、ディアナの力になろうとしてくれた。――昨年の貴族議会、あのランドローズ侯爵と一対一で対峙した際に引かなかったのは、あそこで引けば、後宮側に引き寄せつつあった流れが途切れてしまうと読んだからだろう。クロケット家を引き合いに出されてなお、「元平民で連れ子の自分は、クロケット家と真に連なっているわけではない」と、家を守りながら保守派を糾弾する、見事な立ち回りを見せた。

 ナーシャは、それだけのことができる令嬢だ。そんな彼女が、たった一度だけ見せた、あの大きな違和感を――。


「どうぞ、ナーシャ様。熱いので、お気をつけて」

「……ありがとうございます、ディアナ様」


 あの違和感の意味を、ディアナが感じ取れていたら。

 ナーシャを、これほどまでに苦しめることは、きっとなかった。


(……本当、人って、間違いばかりを犯す生き物なのね)


『紅薔薇』として立つ覚悟を決めてから、ずっと。考えつく限りの最善を尽くしてきたつもりだった。より良い未来を得るために、妥協は一切していないつもりだった。

 けれど。


(そのとき見えていた〝最善〟が、本当に最善かどうかなんて……後にならないと、分からないことも、ある。最善になるよう尽くした結果が、こうして最悪に近くなることも)


 完璧な人などいない。未来が見えるという『未来視(さきみ)』の霊力者(スピルシア)でさえ、間違うときは間違える。

 だから、人は。


「――ナーシャ様」


 間違いに気づく度、立ち止まって。


「……はい、ディアナ様」

「今日は――謝罪と、お願いをしたく、参りました」


 立ち止まったところから、やり直していくしかないのだ。

 今度こそ……間違わないようにと、願いながら。


 静かに凪いだ、それでいて強い、ディアナの意思を感じ取ったのだろう。

 ナーシャは、飲みかけのお茶を、そっとサイドテーブルへ置いた。


「謝罪とお願い、ですか? ……畏れながら、ディアナ様に謝罪頂く心当たりがないのですが」

「えぇ。ナーシャ様が、わたくしにお怒りでないことは、分かっています。それでも、わたくしはあなたに謝りたいと、謝らねばと、思ったのです」


 ベッド上のナーシャは背筋を伸ばし、掛布を強く握り締めた。


「ディアナ様が、私に謝られることなど、何一つございません。入宮されてからこれまで、ただただひたすらに、私たち立場の弱い側室が苦しい思いをすることがないようにと、心を砕いてくださったこと、僭越ながら存じております」

「えぇ。皆様が――ナーシャ様が、わたくしにそうやって好意的であることに、甘えて。その奥にある、ナーシャ様が抱えていらっしゃったものに、長らく気づけていなかった。それはきっと、怠慢だっただろうと思うのです」

「私に……抱えるもの、など」

「抱えるものがあるからこそ、ナーシャ様はお子様を愛し、守ろうとしておいでなのでしょう?」


 ディアナの穏やかな問いかけに、ナーシャは。


「――……」


 無言のまま、ただ美しいヘイゼルの瞳を、切なく光らせた。

 自分用に淹れたお茶を飲み干して、ディアナはまっすぐ、その瞳と対峙する。


「ナーシャ様。ナーシャ様はなぜ、後宮へいらっしゃったのですか?」

「そ、れは、」

「開設当時、後宮の先行きは不透明で、一度側室となれば生涯を縛られてしまう可能性も、決して低くはありませんでした。家族との折り合いが悪かったり、実家があまりに困窮していてまとまった支度金が必要だったりと、側室方の事情はさまざまでしたが。ナーシャ様のご実家、クロケット男爵家は王国でも有数の資産家ですし、拝見した限り、ご家族仲も良好でしょう。少なくとも、クロケット男爵がナーシャ様を後宮へ入れねばならない理由はないはずです」


 そう。思えば最初から、ナーシャはこの後宮における〝異端〟であった。〝よくある理由〟に紛れ、誰もがずっと、見過ごしてしまっていたけれど。


「……見えるものが全てとは、限りませんでしょう? 以前にも申し上げたとおり、私はクロケットと名乗ってこそおりますが、実際は貴族の血を引く者ではありません。義父(ちち)がどれほど良い方でも――良い方だからこそ、居心地を悪く感じてしまうことも、あります」

「そうですね。わたくしは、義理の家族を持ったことがありません。ですから、そのように言われれば、そういうこともあるのかと納得するしかなかった。納得して、踏み込まないことが〝正解〟だと……そう判断したことこそが最大の過ちとも、知らずに」

「何、を」

「だって、ナーシャ様。ナーシャ様は、ご家族のこと、とても大切に思っていらっしゃるでしょう? 我が身を犠牲にしてでも、守りたいと願うほど」


 貴族議会で、ランドローズ侯爵から、遠回しに「実家を潰されたくなければ黙れ」と迫られた際、ナーシャは一歩も引かなかった。一歩も引かず――「養子の自分は、そもそもクロケットの者ではない」と実家(クロケット)と己を切り離してまで、家族を守る覚悟を固めていたのだ。


「家族が大切でも、居心地は良くない場合もあると思います。ですけれど、そういう人は一般的に、家から適度に離れることを選ぶ。――一度入ればいつ出られるかも分からず、寵愛を得られるかも分からないのに王の〝妻〟として扱われる〝側室〟という立場で後宮入りするのは、〝適度〟と呼ぶにはあまりに遠いでしょう。こんな距離の取り方は、実家と絶縁したい人が選ぶものであって、仲は良好だけれど養子という立場に引け目を感じている方が選ぶものではありませんよ」


 ディアナが入宮し、結果的に改革になるような立ち回りをしたから、今はさほど閉じている印象を持たれないけれど、開設当時の後宮は、その全貌も先行きも判然としない、閉ざされた〝王の庭〟だった。正妃を目指す者か、身分的に正妃は無理でもワンチャン寵妃にならなれると野心を抱く者か、あるいは何らかの理由で世間から身を隠したい理由がある者か……それくらいの層にしか刺さらない、間違っても世間並みの感性を持つ令嬢が行きたがる場所ではなかったのだ。

 だからこそ、内務省は〝支度金〟を出してまで、人を集めようとしたわけで。そのお金目当てで、王の寵愛も野心も全くない娘たちが集まってきたのは、まぁ分かる。

 しかし。その時点でもまだ、後宮は男子禁制の〝王の庭〟で。一度側室となった先に何が待ち受けているのか、誰も――当事者の王ですら知らなかったことは、変わりない。

 そして。ナーシャが入宮したのは、まさにそのタイミングであったのだ。――〝支度金〟を求めてやって来た令嬢たちに紛れ、お金に全く困っていない、クロケット男爵家の娘として。


「思い返せばずっと、小さな違和感はありました。……ですが、ナーシャ様はさすがです。人の心の機微に聡いということは、裏返せば、己の振る舞いが他人にどのような印象を与えるか、人よりずっとよく見えているわけですから。あくまでも『家族のことは好きだけれど、養子ゆえ実家に居づらく、側室となることで家のためになるならと思って入宮した』という、よくある話だけれどその事情には触りづらい側室として、目立ち過ぎることも埋没することもなく、過ごしていらっしゃいましたね」

「……当然、でしょう。それが事実ですから」

「そうですね。おそらく、ナーシャ様はずっと、嘘はついていないのだろうと思います。――ただ、その〝奥〟にあるものを、徹底的に秘めていただけで」

「……」

「その、秘めていたものの、一片(ひとひら)を。……わたくしは、たった一度、拝見しました」


 指が白くなるほど強く、ナーシャは掛布を握り込んでいる。

 聡い、彼女のことだ。ディアナがナーシャの〝秘め事〟の全てを知り、確信していると、もう気づいているだろう。

 責めるつもりはないと伝えたくて、ディアナは少し身を乗り出し、掛布を握るナーシャの手を、上から包み込んだ。


「ナーシャ様が秘めていたのは……クロケット男爵令息、ルドルフ殿との間にある、姉弟(きょうだい)以上の〝情〟、ですね?」

「……っ、」


 ヘイゼルの瞳が、無言の慟哭に揺れた。否定も肯定も返ってこない中で、絶望にも近い感情が瞳に映る、ナーシャの表情こそが〝答え〟となる。


「ルドルフ殿と接しているときのナーシャ様は、完璧すぎるほど完璧な、隙のない姉君でいらっしゃいました。ともすれば、ルドルフ殿に対し、冷たくも見えてしまうほどに厳しくて……普段のナーシャ様であれば、そのような振る舞いは和気藹々としたあの場に相応しくないと、すぐに察されたでしょうに、ご友人の取りなしにすら、応じる気配はなくて。違和感はありましたが、あのときのわたくしは未熟で、ナーシャ様のお心の深い部分まで、理解することができなかった」

「……」

「ずっと気づけなかったこと。寄り添えなかったこと。どうか、謝らせてください。側室筆頭として……それ以上に、後宮で共に生きる、仲間として」

「な……にを、」

「お二人のご様子を拝見するに、きっと、ナーシャ様は心も身体も何もかもを明け渡して、ルドルフ殿を受け入れていらっしゃったわけではないのでしょう。……想像することしかできませんが、平民に生まれ、母の再婚により貴族籍を得、義理の父と弟ができたという身の上で、その弟から想いを寄せられ、自身も想うようになったところで、両想いだからと単純に手を伸ばせるわけでないことは、分かります」


 ナーシャの瞳が、これ以上ない大きさに見開かれた。

 力が一瞬緩んだ隙を見逃さず、ディアナは包んでいたナーシャの手を握る。


「側室として入宮なさったのも、他ならぬルドルフ殿と距離を取り、諦めてもらうため、だったのではありませんか? 単に家から出た程度で薄れるような想いではなく、ルドルフ殿を想いながら他の殿方と婚姻を結ぶこともできなかった。――その点、王が興味を示していない後宮であれば、側室になったところで形だけ。心はルドルフ殿に捧げたまま、物理的にも心理的にも遠のくことができます」

「……、れ、は」

「ご実家の居心地は、とてつもなく悪かったことでしょう。……お二人のことを、義理とはいえ仲の良い姉弟だと信じているご両親と、ナーシャ様を〝姉〟ではなく〝女性〟として愛しているルドルフ殿に挟まれては、居心地良く過ごすことなど到底叶いませんから」

「……」

「もしも、ルドルフ殿が、ナーシャ様との婚姻を望んでいたとしたら……より苦悩は深かったのではないかと、お察しします。クロケット家は紡績商として並ぶ者のいない存在とはいえ、貴族としてはまだまだ歴史も浅く、これから力をつけねばならない。嫡子の婚姻は家のためになる相手を選ぶのが順当だろうに、よりにもよって、血筋的には単なる平民でしかない義理の姉などを選ぼうとしている。それでは決して、家のためにならない――」


 暴かれたことへの絶望と、暴かれていくことへの動揺と、驚愕と。

 暴くディアナに対する、恐れ。

 それらが忙しなく、ヘイゼルの瞳の中で、複雑に揺れ混じっている。

 怖がらせて申し訳ないとは思うけれど、ここを明らかにしなければ、ディアナたちはこれ以上先へ進めないのだ。


「だから……ナーシャ様は、決断されたのですね。ルドルフ殿への想いと関係性は、胸の奥のさらに奥へ秘め、『家族のことは好きだけれど、養子ゆえ実家に居づらく、側室となることで家のためになるならと思って入宮した』――側室として、入宮すると」

「わ……たし、は、」

「それほどまでに思い悩まれていると、もっと早くに気付けていたら。わたくしの立場であれば、微力でも何かのお役に立てただろうと思いますし……何より、ナーシャ様をお独りで苦しませずに済んだだろうと、申し訳なく感じるのです」


 ナーシャの目を見てそう告げ、ディアナは頭を下げた。

 ややあって、静かな声が降ってくる。


「……顔を、上げてください。ディアナ様がそのように思われることなど、本当にありませんから」

「ナーシャ様」

「仮に、私が、どれほど苦悩していようと。……叶わぬ想いに、胸引き裂かれる絶望を、幾度も、幾度も味わおうとも。それらは全て、私が得た、私だけのもの。どなたにも――ディアナ様にも、共感し、共有して頂こうとは思いません」

「ナーシャ様、わたくしは、」

「今までのお話は、全て、ディアナ様の憶測にございましょう? 証拠など、何一つないのですから」

「ナーシャ様!」


 す、と手を引いたナーシャへ、ディアナは身を乗り出して。


「警戒されるお気持ちは分かります。ですが、どうか聞いてください。恐らくルドルフ殿は、あなたへの想いゆえに、我が身もろとも国を滅ぼしかねない、恐ろしい陰謀の渦中に立とうとしておられます。彼を引き戻し、救えるのは、あなただけ。ナーシャ様、たったお一人だけなのです」

「……それが、ディアナ様の〝お願い〟ですか」

「ナーシャ様のお心に負担をかけてしまうようなことを申し上げるのは、本当に心苦しく思っています。しかし、ルドルフ殿の歩みの先に、決して希望はありません。ナーシャ様と、お子様と。そして、他ならないルドルフ殿の、未来のために。わたくしは是が非でも、彼を止めねばならないのです――!」


 ディアナの訴えかけに、ナーシャは。

 どこか暗く平坦な、感情を見せない表情を返す。


 そして――。











「……あれ、ディアナ様。ナーシャ様とお茶をしていらっしゃったのでは?」


 リタを含めた侍女三名が、両手に山ほどの荷物を抱え、ナーシャの部屋へ戻って来たとき。

 ディアナは、ナーシャの寝室内、ベッド脇にある椅子ではなく、主室(メインルーム)にあるソファーに、一人で座っていた。

 目を瞬かせる侍女三人に、ディアナは少しだけ笑って。


「ナーシャ様はお疲れになったみたいで、少し休むと仰ったの。リヴィエラ、モコ、後はお任せできるかしら」

「……承知いたしました」

「何かあれば、いつでも連絡してね」

「はっ、はい!」


 リヴィエラとモコの二人に辞去の挨拶を述べ、ディアナはリタとともにナーシャの居室を出て、人気のない通路を選びながら歩き出す。

 ひとまず、誰もいない通路から隠し通路へ入って――。


「……予想はしていたけれど、手強いわね」


 盛大なため息とともに、この上ない弱音を吐き出した。

 何となく察していたらしいリタは、少し眉間に皺を寄せ、ナーシャの部屋の方を見る。


「ディアナ様が確信を持って迫っても、ですか?」

「全部憶測で、証拠なんてないだろう、って返されちゃったわ。そう言われるとね……」

「だとしても、ルドルフ殿が謀叛を実行へ移せば、その類はご実家にも、ナーシャ様にも及ぶでしょうに」

「滅びるのならいっそ共に、というお気持ちなのかもしれないわ。前に、シェイラがそんなことを言っていたもの」


 先日、ジューク、エドワードと今後の方針を固めた後、ディアナ腹心の従者であるリタには全てを話しておきたいと申し出て、「リタなら構わない」と了承を得ている。ジュークの方もアルフォードとキースに話しただろう。相談相手がいるというのは、気持ちの面で随分と楽だ。


「ルドルフ殿だけでなくナーシャ様も、あまり好ましくない方向に、覚悟が振り切れておいでなのですね……」

「えぇ。あまり望ましい状態じゃないわ」

「どうなさるおつもりです?」

「下手にルドルフ殿を触ると、〝敵〟にわたくしたちの思惑が筒抜けてしまうかもしれない。ルドルフ殿だって、国王側にいるわたくしたちの言葉を聞く気はないでしょうし。……やはり、ナーシャ様からお話頂くのが一番だと思うのよ」

「でも、手強いのですよね?」

「手強いけれど――慎重に、でも確実に、牙城を崩していくしかないわ」


 ナーシャとてきっと、本心では、ルドルフと幸せになりたいはずなのだ。その道は、きっともうすぐ開けると説明し、時間をかけてでも、ナーシャの頑なな心を解いていくしか、今のディアナに〝路〟はない。


 そう、信じて。


 手紙は、毎日。


 数日おきに、会いにも行って。


 拒絶こそされないが、ナーシャの態度は当初と変わらず、ひと月が過ぎた頃――。




「――先触れなき訪室、失礼致します!」


 そろそろ社交シーズンの終わりも見え始めた、雪月の第三週、初日。

 清涼な朝の空気を切り裂いて、突然、クリスが――後宮近衛騎士団の団長が、『紅薔薇の間』へと駆け込んできた。

 侍女たちに囲まれ、今シーズン最後のサロン開催について打ち合わせていたディアナは、ただならぬ義姉(あね)の雰囲気に、頭を切り替える。


「どうしましたか、グレイシー騎士団長」

「畏れながら――っ、畏れながら申し上げます! 先ほど、王宮の正門を護る騎士隊より通達あり! 王都の中央街道(メインストリート)を進む、武装集団の存在が、確認できたと!」

「――っ!!」

「集団が手に持つは、スタンザ帝国にて開発、実装された、最新の火薬武器とのこと! あまりに非現実的な光景に、今のところ彼らを触る者はおらず――このまま進めば、正門護衛の騎士隊との武力衝突は避けられない流れ!」

「それ、って――」


 ……そう呟いたのは、果たして誰、だろうか。


「王の住まう城に弓引く……謀叛にございます!!」


 かたん、と。

 ミアの指から筆記具が滑り落ち、机に落ちた音が、虚しく響く。


 ……春から始まった、全貌の見えない〝敵〟の策略。

 それらがいよいよ実を結び、最悪の結末を、無慈悲に運ぼうとしていた――。


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