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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
219/280

昔語り②

過去話、後編です。


 ――シャロンと仲間たちにとって想定外だったのは、シュラザード侯爵のマリアへの執着心が異様だったこと、その一点に尽きる。何故かマリアだけをしつこく追い求めるようになった彼は、後宮への問い合わせでは埒が明かないと察したのか、内宮の侍女を買収し、情報を集めるようになった。侍女の多くは、階級問わず王宮勤めであることに誇りを抱いているため、外部の買収工作に易々と乗ることはないが……当時は、嫁入り前の箔付けのため、短期間のみ王宮に上がって侍女職に就くことが、新興貴族の令嬢たちの間で流行しており。己の職にさしたる自負も持たない彼女たちにより、内宮の情報が今よりずっと抜かれやすかったのも事実である。


 マリアの個人情報も、そのようにしてシュラザード侯爵の手に渡り。

 案の定、彼女の生家が没落寸前の古参伯爵家だと知った侯爵は、実家への援助と引き換えに、侯爵家へ嫁ぐよう、マリアへ圧力をかけてきた。

 実家の両親は、後継娘が侯爵夫人となってしまったら、トランボーノ家を継ぐ者が居なくなると、最初は難色を示したらしいが。援助の一つとして、トランボーノ伯爵家遠縁の青年との養子縁組を世話すると言われ、あっさり娘を売り渡すことに同意したらしい。

 折しも時代は、リファーニア王太子妃が世継ぎの男児を産み、後継の誕生を見届け安心したかのように、生来あまり身体の強くなかった先々代の国王陛下が崩御し、オースター陛下の治世が始まった頃。王宮全体が何かと忙しなく、侍女を守ることが最も困難な時であった。マリアだけではなかった、望まぬ婚姻から逃れて王宮勤めをしていた幾人もの侍女が、同じ侍女仲間に情報を売られ、王宮から消えていく。


「どうしてあの女たちは、これほどまでにわたくしたちを苦しめるの! ――わたくしたちが、いったい、何をしたと言うの!!」


 仲の良かった侍女が、ほとんど借金の形として新興貴族へ嫁がされることになり、王宮を去った日。彼女が遺した手紙を胸に抱き、悲痛な声を上げて泣き崩れたサーラの背中を、シャロンはただ、そっと撫でることしかできなかった。

 ――トランボーノ伯爵夫妻が、シュラザード侯爵家へマリアを嫁がせることを決めた以上、サーラの姿はそう遠くない未来の、シャロン自身でもあったから。


「両親が、シュラザード侯爵が、どんなに私を望んでも。私は絶対、リファーニア様の侍女を辞めるつもりはありません。王宮で、リファーニア様にずっとお仕えして、シャロン姉様と一緒に歳を重ねていくのです」


 マリアに残された砦は、彼女自身が正妃気に入りの上級侍女であるという、一点のみ。正妃の傍付きである彼女は、正妃本人が首を縦に振らない限り、王宮から下がることはできない。リファーニアもそれをよく知っていたから、せめて傍付きの者だけは守ろうと、産後の疲れが残る中でも死力を尽くしてくれていた。


 ……けれど。そうやって周囲に守られ過ぎたことが、却って反感を買ったのか。

 悲劇の〝あの日〟は、幾人もの悪意が重なり、引き起こされた。


 王宮で開かれた、小規模な夜会。即位したばかりのオースター王も、貴族からの支持を集めるべく、王宮での夜会にはなるべく参加しており、リファーニアも同席していた。一歳になったばかりのジューク王太子も、顔を近くで見たいという貴族たちからの要望に応え、夜会の最初だけ、リファーニアに抱かれて参加。その後は、リファーニアの退席を近くの部屋で待ち、ともに後宮へ戻る手筈であった。

 一歳になったジュークは当時、人見知りの真っ只中。知らない人間を世話役にはできず、乳母の他はリファーニア付きの侍女が交代で身の回りの世話を行なっており、その夜はたまたまマリアが当番であった。後宮外へ出る職務であったため、何人かが交代を申し出てはくれたけれど、侍女の数が減りつつある後宮で、これ以上仲間の負担にはなれないと、マリアは控室でジュークの世話をする職務に当たって。

 ――ジュークを寝かしつけた乳母が休憩のため部屋を離れた、その僅かな隙を狙って、〝事件〟は引き起こされた。


「なっ、何の音だ!? あれは……誰か、誰かおらぬか!! ――あっ、シュラザード侯爵閣下」

「どうした、ロダン準男爵!?」

「侍女が、王宮侍女殿が暴漢に襲われて……っ」

「なにっ!? ――何をしている、貴様ぁ!!」


 王宮近衛騎士によって守られていたはずの、ジューク王太子が待機する部屋は、いつの間にか鍵すらかかっておらず警備もいない、無防備同然な場所となっており。

 そこにジュークとマリアがいることは、リファーニア付きの侍女女官と、あとはごく僅かしか知らなかったはずなのに、何故か〝暴漢〟に知られていて。


「――大丈夫かね、侍女殿。おや、あなたは確か」

「……っ!」


 入室してきた〝暴漢〟は、何故か眠るジュークに目もくれず、マリアだけを狙って襲いかかってきて。――現場を目撃したロダン準男爵は自ら助けに入ろうとはせず、何故か自分より高位のシュラザード侯爵が動くのを、黙って見ているだけという不自然さ。

 誰がどう見ても……襲われた当事者のマリアですら、これが出来の悪い三文芝居であることは、すぐに分かったお粗末な〝事件〟。概要だけ聞けば、生まれたばかりの王太子を襲おうとした卑劣な暴漢に立ち向かった侍女を、彼女に恋焦がれていた侯爵が助けた、美しいロマンス小説の一節にも思えただろうけれど、そう信じ込めるのは脳内お花畑な方々だけだ。

 それでも。王太子であるジュークにほぼ警護がなかったも同然の状況下で侍女が襲われ、それをシュラザード侯爵が〝助けた〟のは確かで。幸い侍女に大きな怪我はなかったが、そのような目に遭ってはもう、嫁入り先を探すのも難しいだろうと囁かれる中、助けたシュラザード侯爵が彼女へ求婚したという話に、噂(ゴシップ)好きな貴族たちは色めき立った。シュラザード侯爵がずっと密かに、件の彼女を想ってその実家に援助していたのだという話も美談的に流れ、彼の評価は爆上がりする。


 ――それほどシュラザード侯爵閣下が望まれる娘を手放されないとは、リファーニア妃殿下は見た目によらず、随分と強欲であられる――


 ……そんな言説が聞こえてきた日、マリアは涙ながらに、どうか自分の職を解いてほしいと、リファーニアへ訴えた。


「私自身が何を言われようと、そんなことはどうでもいい。けれど……大恩あるリファーニア様が私のせいで悪く言われることだけは、耐えられそうにありません」


 そう言って泣くマリアを、シャロンはただ、抱きしめて。


「ごめんなさい。――守れなくて、ごめんなさい」


 リファーニアもまた、泣きながら。頭を下げることしか、できなかった。




 ――リファーニア付きでなくなったマリアが、家長である父の命令を、縁談を、断ることはできない。トランボーノ伯爵家からの要請に従って王宮侍女の職を解かれ、マリアが王宮を去る日の前日、シャロンはマリアの部屋を訪れた。


「……この部屋が、王宮が、私の〝家〟でした。この先、どれほど長い時間を嫁ぎ先で過ごしても、この部屋ほどに居心地が良くなることはないでしょう」


 大して広くない部屋を、マリアは愛おしげに見回して。


「そんな顔をしないで、シャロン姉様。――私、満足してます。私の首一つで、リファーニア様のご名声と王家の信用をお守りできたのですから」

「リア……」

「あの〝事件〟の全容解明も進んでいると聞いてます。エリザベス様が、旦那様にお願いしてくださったと」

「えぇ。――クレスター家に任せておけば、きっと大丈夫」

「真に裁かれるべき〝裏切り者〟を見つけて、これからは絶対、ジューク様に危険が及ばないよう、お守りくださいませね」

「……えぇ、もちろん」


 十二歳で王宮へ上がった少女は、決して短くはない歳月を経て、立派な王宮侍女へと成長した。自らの身を挺しても王族を、主人を守り、そんな己を誇りに思う――強く気高い、忠臣へと育った。

 ……けれど。


「満足して……笑顔だけ、残して。そうして去れたら、良かったのですけれど」


 ぽつり。

 微笑んだままのマリアの瞳から、透明な雫が、こぼれ落ちる。


「ねぇ、シャロン姉様。どうして女は、働くことも、嫁ぐことも、男の命令一つで好きにされてしまうのでしょうね」

「……リア」

「私は、結婚なんか、興味なくて。夫を持って、夫の家を守って、夫の子を産んで育てるより、こうして王宮で、信じ合える方々と一緒に、尊敬できる主人にお仕えしている方が、ずっとずっと幸福で、やりがいだってあったのに。そんな私の思いは、父の命一つで、なかったことにされてしまう」

「……」

「悔しいです、姉様。もしも、私が男だったら……オースター陛下に忠実な臣下となって、陛下のため身を尽くす人生を送っても、眉を顰めるどころか称賛されたでしょうに。どうして、同じことを女がしても、認めてもらえないのでしょう?」


 マリアとて、女官になりたかった。そのための勉学を欠かしてはいなかったし、模擬試験の点数も高く、受ければ合格圏内なのは確実だった。

 しかし。女官は婚姻後も仕事を続けることができるため、試験を受けるには家長の許可が必要なのだ。マリアをいずれ結婚させ、家を継がせるつもりだったトランボーノ伯爵が、女官試験の許可など出すはずもなく。

 男の身勝手な理屈で人生を定められたマリアは、最後の砦も脆く崩され――望まぬ未来に向かうしかない状況へと、突き落とされてしまった。


「シュラザード侯爵の妻になど、なりたくありません。あの男の家を守って、あの男の子を産んで育てるなんて、想像するだけで虫唾が走ります。……そんな私の気持ちも、なかったことにされてしまうのでしょうね」

「――させないわ」


 これだけは、と力を込めて。

 シャロンは、首を横に振る。


「あなたが、喜んでシュラザード侯爵家へ嫁いだなんて話は、絶対に後世へ残さない。マリアンヌという侍女は、侍女の仕事に誇りを抱いて、生涯王宮に尽くしたいと願っていたところを、卑劣な策略で希望を奪われてしまったのだと、何があってもそれだけは、正史に遺してみせるから」

「シャロン、姉様」

「……こんなことしか約束できない無力な姉を、どうか責めて、恨んでちょうだい。あなたの無念を、私たちは決して、無駄にしないわ」

「……そのお言葉だけで、充分です。どうか、いつまでも、お元気で」


 儚いほどの美貌を綻ばせ、そう告げるマリアを、シャロンは静かに抱き寄せて――。

 それが、〝侍女〟としてのマリアと言葉を交わした、最後となった。




 シュラザード侯爵家へと嫁ぎ、マリアンヌ・シュラザードとなったマリアのことは、伝聞調でしか耳に入ってこない。

 ジュークの養育を、警護を強化した宮の一つに任せたリファーニアが、ついに内宮の綱紀を糺すべく動き始めるのを補佐しながら、シャロンは遠く離れた〝妹〟を気にかけ続けた。


 結婚式は、領地にて盛大に執り行われたこと。

 結婚後すぐ、彼女の身は領地の屋敷へと移され、そこで〝新婚生活〟を送っていること。

 実家であるトランボーノ伯爵家は、迎えた養子がよく分からない事業に投資した結果、マリアが嫁ぐ前より困窮してしまったこと。領地運営もままならず、王宮より厳重注意を受けたこと。このままの状態が続けば、かつてのリアラー子爵家のように領地を減らされ、降爵処分もあり得ること。


 やがて、月日が経ち――どうやら、シュラザード侯爵夫人が懐妊したらしいこと。


 世間一般ではおめでたい懐妊の知らせも、マリアの心を知っているシャロンにとっては、ただただ陰鬱な気持ちになるばかりで。

 しかもシュラザード侯爵は、腹の目立ってきたマリアを、そこでようやく社交場へ連れてくるようになった。妊婦と分かる身体で社交に参加するご婦人が居ないわけではないけれど、それは夫が何らかの事情で社交へ出られず、夫人が代行するしかないなどの場合に限られている。夫が妊婦の妻を社交場へ連れ回すなど、マナー違反ではないにせよ、妻を大切にしていないと顰蹙を買う振る舞いだ。

 それでも、ようやくマリアの顔が見られると、リファーニアに許可をもらって夜会の雑務担当に紛れ込んだ夜――シャロンは、思ったよりも表情の穏やかなマリアと、年越しの再会を果たした。


「ご無沙汰しております、シャロン姉様」

「えぇ……いえ、はい。お久しゅうございます、シュラザード侯爵夫人」

「もう、姉様。私がそう呼ばれるのを嫌がるって、分かっておいででしょう? 敬語も要らないわ、昔のように接してください」

「では、お言葉に甘えて……思ったより元気そうで良かったわ、リア」

「はい、姉様」

「……シュラザード侯爵は、あなたに良くしてくれているの?」

「そこは……ご想像にお任せしますけれど。領邸での生活は、覚悟していたほど悪くありませんでした。良くしてくれる使用人にも恵まれましたし」

「……そう」


 そういえばこの子は、気さくな雰囲気を纏って初対面の人間と仲良くなるのが上手だったな、と昔を思い出して頷くと、マリアはさらに、笑みを深くした。


「それに……今は、この子が居ますから」


 目立つ腹を撫でるその顔は、まさしく我が子を思う〝母〟のもの。

 穏やかな表情に、シャロンはむしろ不安を覚えてしまう。


「その子は……侯爵との?」

「種が誰のものかは、あまり考えないようにしています。父親が誰であれ、この子は私の腹の中で育っている、私の子ですから」

「そう、いうこと」

「とても母思いの良い子なのですよ。初期につわりもほとんどありませんでしたし、腹が目立ってきてからも、困らされたことはほとんどありません。お医者様から、これほど母体へ負担をかけない赤子も珍しいと、驚かれるほどで……」


 腹を撫でるマリアの手が一瞬止まる。次いでクスリと笑った彼女は、シャロンへ愛おしげな視線を向けてきた。


「ふふ。私が珍しく興奮しているものだから、どうしたのか気になるみたい。ぽんぽん蹴ってきてます」

「痛くはないの?」

「大丈夫ですよ。姉様、良ければ触ってみて」

「良いの?」

「もちろん」


 許可を得て触れた、マリアの腹はほんのり温かくて――。


「あ」

「ね? 蹴ってる、って分かるでしょ?」

「分かるわ。――お母様が心配なのね。大丈夫よ。私は、お母様の味方だから」


 思わずそう話しかけると、納得したように、腹の振動は収まる。目を丸くしてマリアを見ると、彼女もまた、苦笑していた。


「すごい子でしょう? 生まれる前から、外の世界が見えてるみたいな振る舞いをするのよ」

「あなたの子だもの。きっと見えているし、分かっているのだわ。さぞや賢く、美しい子が生まれることでしょう」

「だと良いけれど……実はもう、名前も決めてあるのです。男の子か女の子か分からないから、どちらでも良いように、両方考えているわ」

「まぁ、気の早いこと」


 そう言って笑い合った夜会の日が、笑顔のマリアを見た、最後となった。


 その夜会からしばらく経ち、産月が近くなったマリアがシュラザード侯爵領へ帰ったという話を人伝に聞いた、数日後。


「なん、ですって? 申し訳ありません、リファーニア様。話の内容が、よく……」

「わたくしも、信じたくはないけれど。――シュラザード侯爵夫人が、先ごろ、ご嫡男を死産されたそうよ」

「死産……!?」


 悲鳴のような声が己の喉より発されるのを、どこか遠くの出来事のように聞く。

 半ば意識が乖離する中、シャロンは何度も首を横に振っていた。


「あり得ません。マリアの子は母体に負担をかけぬ良い子で、とても健康に育っていたはずです。母であるマリアも、身重で夜会に出られるほどの健康体でした」

「直前までどれほど母子ともに健康でも、お産で何か一つでも問題があれば、赤子の命はすぐに儚くなってしまうわ。赤子が無事に生まれるというのは、それだけ大変なことなのよ」

「それでも……それでも、生まれる前からあれほど優しい子が、母を悲しませるような生まれ方をするとは、信じられません……!」

「……どれほど優しい子であっても、か弱い赤子であることに違いはないもの。シャロン、どうか落ち着いて。わたくしたちは嘆くより、我が子を失って傷心しているであろうあの子を、マリアを、何としてでも支えなければならないのよ」


 かつて自分付きだった侍女の不幸に、妃が個人的な見舞いを送ることは、別段おかしなことではない。リファーニアはすぐに見舞いの品と手紙を用意し、シャロンを使者に立てて、シュラザード侯爵領へ送った。

 ――〝女神の山脈〟の南端に広がるクレスター地帯の森と並んで有名な、マミア大河以西の大森林、〝メルナオの森〟。その森を有する領主の一人がシュラザード侯爵であり、ここがシュラザード家の本拠地だ。


「おぉ、これほどまでにお気遣いくださるとは……!」


 王宮からの使者を待ち構えていたらしいシュラザード侯爵は、見舞いの言葉など聞いてもおらず、王宮からの見舞いの品に目移りしている。その姿はどう控えめに見ても、思わぬ不幸で我が子を亡くした父親とは思えない。種が誰のものかは考えないようにしている、と言ったマリアの言葉は正しかったのだろう。……だとしても、無事に生まれていれば後継となったはずの男子を喪ったとなれば、当主として少しは落ち込みそうなものだが、それすらないとなると。


「貴族当主としても不適格ということか……」

「――何か仰いましたかな?」

「いいえ、何も。――ところでシュラザード侯爵、差し支えなければ夫人のお見舞いをしたいのですが」

「あぁ、そうでしたな。案内させましょう」


 ……これが、あれほどマリアに執心していた男の姿だろうか。今の侯爵からは、あの頃感じた狂気的なまでの妄執が綺麗に消え失せている。数年で興味を無くすなら、何のためにマリアを王宮から奪ったのかと問い詰めたくなる気持ちをグッと堪え、シャロンはマリアの部屋へと向かった。


「姉様……来てくださったのね」


 そうして再会したマリアは、最後に会った日の面影は欠片もなく、虚ろな顔をしていて。起き上がってこそいたが、ベッドから出ることすらできない憔悴し切った姿と、この世への未練一切を手放した生気の無い様相に、シャロンは思わず、周囲の目を忘れ駆け寄っていた。


「リア……!!」

「姉様……申し訳、ありません。王国の次代を担う子を、私は……」

「何を謝ることがあるの。あなたは母として、精一杯を尽くしたでしょう」

「いいえ。……いいえ」


 何度も、何度も。

 マリアは力なく、頭を振る。


「守れなかった。あれほど、優しい子を。母思いの、良い子を。守り、切れなかった……!」

「リファーニア様が、仰っていたわ。子は、無事に生まれてくるだけで、奇跡なのだと。奇跡が起こらなくても、それは、誰が悪いわけでもないと」

「無事に、生まれるだけで……奇跡」

「えぇ、そうよ」

「……そう、ですね。――そうかも、しれません」


 ぼんやりと、そう口にして。

 虚ろな眼差しを、マリアは窓の外へと向ける。


「あの子にとっても……これで、良かったのかもしれません。あれほど純粋で優しい子が、愚かで残酷な貴族社会に苦しまず……そういったものを知らない世界へ旅立てたことは……」

「リア……」

「姉様……私、ひどい母親ですね」

「何を言うの。そんなはずがないわ」

「いいえ。あの子を喪ったのは、紛れもない私の〝罪〟です」


 断言するリアへ、これ以上、何を言えようか。

 あまりに無力な己へ絶望しながら、シャロンは密かに、リファーニアからの見舞いの品と手紙を、掛布の中へ忍ばせた。

 マリアが僅か、目を丸くする。


「姉様……」

「リファーニア様も心配しておいでよ。早く元気になって、また王宮へ遊びに来てちょうだい。あなたになら、妃殿下はいつでも、招待状をお書きになるわ」

「……勿体無いことです」


 ――先ごろ、内宮規定の一部が変更された。女官試験を受けるのに、家長の許可が必要なくなったのだ。かつて侍女をしていた者であれば実技試験も免除され、筆記と簡単な面接だけで合否が決まる。マリアであれば、突破は容易い。

 リファーニアからの〝見舞い〟には、シュラザード侯爵家を離れても当座は凌げるだけの価値がある宝飾品と、女官試験について詳細が記された紙、そして、いつでも戻ってきて構わないと綴られた妃殿下直筆の手紙が入っている。王宮から侯爵家への見舞いの品々はあくまでもフェイク、こちらが本命だ。シャロンがかけた言葉と合わせて考えれば、マリアなら気づいてくれるはず。

 この部屋の誰が、シュラザード侯爵に忠実な配下なのか不明な現状、シャロンにできるのはこれが精一杯である。微笑んで、立ち上がる。


「具合が悪いときに無理をさせるのも申し訳ないし、私、そろそろ帰るわね」

「……ありがとうございました、シャロン姉様」

「お礼なんて良いのよ」


 また来る、と言いたいけれど、言えない。あの侯爵が、王宮の使者でもないただの〝シャロン〟をマリアの見舞いとして受け入れるとは思えないし……シャロンもまた、マリアの居なくなった王宮で勤め続けることに、限界を覚えつつあった。

 ……立ち上がったシャロンに、何かを察したのだろうか。マリアが、ふと視線を上向けてくる。


「……姉様。ここまでいらっしゃるのに、森の外縁を辿って来られました?」

「え? えぇ、〝メルナオの森〟よね? それが最短ルートのようだったから、辿ってきたけれど……」

「何か――変わったことは、ありました?」

「いいえ? 冬が近いからか、小動物たちが活発に動いている様は見えたけれど、普通の森に思えたわ」

「そう、ですか」

「何か……あるの?」

「いいえ。――何もないなら、良いのです」


 そう言って目元を和らげたマリアは、先ほどよりは少しだけ、穏やかで。

 ……言うつもりのなかった〝本音〟を、シャロンはポロリと、溢してしまう。


「リア。どうか――どうか、生きてね」

「姉様……」

「勝手な願いと、分かっているけれど。どうか、私のために、生きて」

「姉様の、ために……?」

「あなたが居なくなって、実感したの。どれほど深い闇の中でも、どれほど過酷な地獄でも……あなたと一緒なら、全部、全部、楽しかったと」

「……はい」

「きっと、この先も、たくさんの絶望が私たちを襲うでしょう。けれど……あなたが、この世のどこかで生きてさえ、居てくれるなら。私も諦めず、生きることができるから」

「はい。……はい。同じです、私も」


 マリアが、力無い手で、シャロンの手をそっと握る。


「どうか、姉様も、生きてくださいね。私にとっては、姉様こそが生きる縁(よすが)で――幸福の導(しるべ)、そのものです」

「えぇ、リア。必ず……」

「必ず、生きて。生き抜いた先で、また、お会いしましょう」


 絶望し、憔悴してなお、これほどまでに輝く光を、シャロンは知らない。


「姉様。――お元気で」


 最後の、別れのときでさえ。

 彼女は眩い、星であった。


ブラザーロマンスがあるなら、シスターロマンスがあっても良いじゃない!(某◯◯◯様が見てるシリーズを掲げながら)の精神で突っ走りました。

次回、時間軸は現在へ戻ります。

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― 新着の感想 ―
全く同じ事を常々思ってました笑 ブロマンスがあるならシスターロマンスもと
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