表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
202/235

すれ違う心

今日のお話は少し短めです。


 早朝からリディルの部屋を訪ね、これまでの事情を明かした上で改めて彼女と手を取り合ったシェイラ。

 その場で今後について相談し、まずはナーシャと話してみなければ始まらないと、午後のお茶の時間を利用し、見舞いの名目でリディルと二人、会いにいくことを決めた。

 無事にリディルが仲間になってくれたことを、午前の正妃教育の時間に『名付き』の三人(昨日の今日だったので、秘かにレティシアも来てくれていた)へ伝えることもでき、滑り出しはひとまず順調――。


「この、お手紙は……」

「ひとまず、お見舞いへ伺いたい旨をお伝えしようと、ナーシャ様にお手紙を差し上げたのですが……その、お返事です」

「『昨日より気分も良く、平素と変わらず過ごしておりますので、ご心配には及びません』って……遠回しに〝見舞いは不要〟と仰っていますよね?」

「貴族的言い回しを解読すると、そうなりますわね」


 お茶の時間の少し前にリディルの部屋で落ち合ってすぐ、彼女から手渡されたナーシャからの手紙を前に、シェイラの胸を一抹の不安が過ぎる。

 リディルに視線を向けると、彼女も険しい顔をしていた。


「シェイラ様は、どう思われますか?」

「そうですね……。見舞いは不要、つまりナーシャ様は私たちに会いたくないと思われているということで……考えられるのは、ご懐妊の事実を知られるわけにはいかないと、警戒されている、といった可能性でしょうか」

「あるいは、既に私たちにお子の存在を知られていることを勘付かれ、追及を避けようとされているとも考えられますね」

「いずれにせよ……今のナーシャ様は、それなりに気心知れているはずの私たちですら信用できないご心境でいらっしゃるのでしょう。――やはりまずは、私たちはナーシャ様の味方だと信じて頂くところから始めなければ」


 今のナーシャが周囲を信じられないのは、お腹の中の子を、後宮が、国が、どのように扱うか分からないからだろう。側室が子を宿したと明るみに出れば、今の国情を鑑みても、父親が誰であれ大事になるのは避けられない。現時点では、父親が王だと思われても、王以外の男だとバレても、子の命を脅かす。

 そんな状況下では、たとえ友人であっても、おいそれとは信用できない。ましてやシェイラは、国王の寵愛を受けて正妃候補となった、いわば国王側、国側の人間だ。個人の意思とは関わりなく、国の決定に従わねばならない立場の人間を、無条件で〝味方〟だと思えるほどナーシャがお花畑でないことは、シェイラとてよく知っている。


(だからこそ――)


「今、ナーシャ様の信用が得られていないことは、当たり前なのです。私たちはまだ、大切なことを何一つ語り合ってはいないのですから。――ゆえに、私たちはナーシャ様と、もっともっと言葉を尽くして話す必要があります」

「……確かに、仰る通りですわ。幸い、手紙には『来るな』とはっきり書かれているわけではありませんから、『ひと目、お元気なナーシャ様を拝見したい』と言えば、お会いすることは叶うでしょう」

「えぇ。――行きましょう、リディル様」


 リディルの部屋とナーシャの部屋はそう離れていない。――二人は決意を固めてナーシャの部屋へと向かい、扉を叩いた。

 中から応対に出てきた侍女は、年若い、マリカと同時期に後宮へ上がった娘だ。確か、名前はモコといったか。素直な性格の頑張り屋さんで、ナーシャともう一人の先輩侍女も目をかけていると聞いている。


「シェイラ様、リディル様。いらっしゃいませ」

「モコ、こんにちは。ナーシャ様はいらっしゃるかしら?」

「はい、奥においでです。お二人がいらしたら、お連れするよう承っておりますが……ご案内してもよろしいでしょうか?」

「もちろんよ」


 追い返される展開も覚悟していたが、ひとまず会ってくれる程度には、まだ心を許してくれているらしい。内心ホッとしつつナーシャの部屋に足を踏み入れる。

 シェイラとリディルを迎え入れ、扉を閉めたモコが、そのまま二人に深々と頭を下げた。


「シェイラ様、リディル様。この度は、誠にありがとうございました」

「……どうしたの、突然?」

「昨晩から、ナーシャ様のお食事の献立がガラリと変わりました。ナーシャ様が最近苦手にしていらっしゃる、味や匂いの濃い食事ではなく、味も匂いもあっさりさっぱりとした食べ易いものへと。……ナーシャ様が仰るには、おそらくはお二人が、女官長様へ掛け合ってくださったのではないか、と」

「え、えぇ」


 何となくリディルと顔を見合わせて頷いてから、シェイラは努めて笑顔を崩さず、モコへと向き直る。


「昨日のお茶会のご様子を拝見してね。ナーシャ様、もしかして味の好みが変わられたのかしら、と思ったの。だとしたら、基本的に味の濃い王宮食では受け付けられないことも多いだろうし……昨日の貧血も、それが原因かしらと思って」

「そうなのです。ちょうど、紅薔薇様がスタンザ帝国へ発たれる、少し前からだったと記憶しておりますが……ナーシャ様のお具合が優れず、日に日に食べられないものが増えていかれて。私どももご心配申し上げ、せめてお医者様の診察を受けてくださいと何度も申し上げたのですが、『皆に迷惑も心配もかけたくないから、黙っていてほしい』と繰り返されるばかりでございました」

「そんなに前からだったのね……」

「はい。ですが、昨晩と今朝のお食事はナーシャ様のお口に合ったようで、久々に人並みの量を食しておられました。私、本当に嬉しくて、せめてお二人にお礼を申し上げねばと……」


 感極まって涙ぐむモコの背を、リディルが優しくさする。


「こちらこそ。ナーシャ様をずっと支えていてくれて、ありがとうね。あなたたちの支えがあったから、ナーシャ様も頑張れているのだと思うわ」

「いいえ。本当なら、ナーシャ様の体調不良が目に見えた時点で、どれほどご不興を買ったとしても、女官長様に報告申し上げてお医者様をお頼みしなければならなかったのに……『誰にも言わないで。お医者様も呼ばないで』と繰り返されるナーシャ様のご様子が、あまりにも鬼気迫っていらっしゃるように見えて、どうしても言えなかったのです。――下手にお知らせしてしまったら最後、ナーシャ様のお身体だけでなく、お心までもが危ういように思えて」


 俯くモコの髪を、リディルが微笑んで撫でる。その表情は慈愛に満ちていて、撫でられる度モコの表情が和らいでいく様に、さすが大家族の長女だと、シェイラは心中だけで称賛した。


「それで良かったのよ。常に身近にいる侍女まで信じられなくなってしまったら、ナーシャ様のお心は本当に、孤立無援になってしまうもの。――この先何が起ころうとも、あなたたちは変わらず、ナーシャ様のお心を第一に考えてね」

「は、い」


 リディルの言葉で落ち着いたらしいモコは、少しはにかみつつ頭を下げた。


「申し訳ありません。お見苦しいところをお目にかけました。――奥へご案内致します」

「えぇ、ありがとう」


 笑顔で頷き、モコの案内に従って奥までついて行く。

〝奥〟という表現から予想はついていたが、案内されたのは寝室だった。

 寝台の上で上半身を起こし、ナーシャが少し申し訳なさそうに微笑んで出迎えてくれる。


「シェイラ様、リディル様。お忙しいところ、ご心配をおかけしております。このような見苦しい様でのご対応となり、申し訳ございません」

「まぁ、ナーシャ様。そのようなお気遣いは無用ですわ」

「リディル様の仰る通りです。むしろ、お休みのところ押しかけるような真似をして、私たちの方こそお邪魔ではありませんか?」

「いいえ、そのような……お二人にご心配とご迷惑をお掛けしているのが、ただただ申し訳ないばかりで」


 少し俯いたナーシャは、しかし次の瞬間には切り替えて、控えめながらも見るものを癒す笑みを浮かべる。


「立ち話も落ち着きませんでしょう。こちらに椅子をご用意しておりますので、どうぞお座りください。――モコ、お茶の用意をお願いね」

「はい、ナーシャ様」


 ペコリと一礼し、モコはぱたぱたと下がっていく。まだまだ慣れていない感じが可愛らしい。

 勧められるまま椅子に座ったところで、ナーシャが改めて頭を下げてくる。


「本当でしたら、きちんとしたお茶会の席を整えねばならないのですが……昨日、不覚にも倒れてしまったものですから、さすがに今日は侍女たちが寝台から出ることを許してくれなくて。略式でのおもてなしとなってしまうこと、ご容赦くださいませ」

「ですから、何度も申し上げますが、私たちにそのようなお気遣いは必要ないのですよ。大切なお友だちの体調が優れないとなればお見舞いするのは当然ですし、お見舞い相手に格式張ったおもてなしを要求するのは、単なる常識知らずというものです」

「本当に……ナーシャ様は少し、周囲に気を遣いすぎておいでです。たまには肩の力を抜いて、気を休める時間を持ちませんと」

「リディル様、シェイラ様も……お優しいお言葉、ありがとうございます」


 ナーシャが姿勢を戻したタイミングで、モコがお茶を持って現れる。リディルに遠回しな〝見舞いは不要〟という手紙を出していても、こうしてお客用の準備を整えている辺り、いかにも気遣い屋のナーシャらしい。

 サイドテーブルにお茶の用意を整えたモコは、予めナーシャから申し付けられていたのか、そのまま下がっていく。――室内には、シェイラたち三人と、湯気の立つカップ三つだけが残された。

 沈黙が気まずくなる直前、さすがの胆力でリディルが口火を切る。


「ナーシャ様。お身体の具合はいかがですか? 午前中に頂いたお手紙では、普段と変わらず過ごせていると綴られていましたが」

「本当にもう、体調は良いのです。侍女たちが心配するので、こうして寝台の上にはおりますけれど、今すぐ出歩いても問題はありません。そもそも、昨日ああして情けない姿を晒してしまったことからして、日頃の不摂生が祟ったに過ぎませんもの。自己管理ができていないと言われてしまえばそれまでですが、こうして大袈裟に病人扱いされるような状況でもないのですよ」

「ですけれど……食が細くなっていらしたのは確かなのでしょう? それも、随分と前から」

「……リヴィエラとモコには、悪いことをしてしまいました。私が黙っていて欲しいと願ったばかりに、マグノム夫人から随分と詰問されたそうで」

「いいえ。侍女が主の願いを優先するのは当然のことですもの。二人も覚悟の上で、口を噤むことを選択したのでしょう。マグノム夫人も、そこは理解してくださると思います」


 リヴィエラとは、ナーシャに仕えるもう一人の侍女の名だ。シェイラの部屋のレイとマリカと同じく、ナーシャの部屋もベテランのリヴィエラと新人のモコでコンビを組んで、側室付の職務をこなしている。

 侍女を気遣うナーシャへ、暗にそれ以上心配する必要はないと告げる。正しく理解したナーシャが安堵した様子で頷くのを見て、シェイラの胸中は複雑に揺れた。


(自分以外のことは、こんな風にお話しくださるのに……)


 ナーシャが自らの不調について触れられたくないと思っていることは、この短い会話だけでも充分に察せられる。顔面蒼白で意識を失った現場に居合わせた友人(ふたり)を前になお、単なる不摂生のせいだと誤魔化そうとしているのだから、ナーシャが己の抱えているものを打ち明けることはないだろう。

 彼女が何を思い、何を考えて、こうまで頑なになるのか。……分からなければ、シェイラから踏み込むしかない。


「……ナーシャ様」


 ここでも先陣を切ろうとしてくれたリディルを視線で制し、シェイラは静かに口を開いた。


「……はい、シェイラ様」

「もう、止めにしませんか。――真実を、取り繕うのは」

「……」

「ナーシャ様とて、お分かりのはずです。いつまでも、このままでは居られないと。一日、また一日と過ぎる度、ナーシャ様のお身体は変化していかれるはず。――新たなお命を育まれているのですから、変化は自然の摂理です」


 ナーシャの表情から、微笑みが完全に消え失せた。限りなく無に近い表情の裏で、彼女がどんな感情を抱いているのか……今のシェイラに、推し量ることは難しい。

 痛いほどの沈黙を破ったのは――……静かな、吐息の音だった。

 これまで見たことのない、凍るような自嘲を浮かべ、ナーシャがくすくす笑う。


「もう、確信を得ておいでなのですね」

「……はい」

「シェイラ様だけでなく、リディル様、マグノム夫人も、……もしかしたら『名付き』のお三方、睡蓮様、鈴蘭様、菫様も?」

「何故……」

「何となく、です。今朝、シェイラ様が、牡丹様を除いた『名付き』の皆様方と親しくしておいでなのは察しがついておりましたゆえ、もしかしたら――、と」

「ナーシャ様……」

「ですが、そうですか……疑惑段階でなく、既に何らかの手段にて確信を得ていらっしゃるとなると、確かに仰る通り、これ以上の取り繕いは必要ございませんね」


 すっと背筋を伸ばし、ナーシャは真っ直ぐ、シェイラへと向き直る。

 これまでになく、ナーシャが真っ向から偽りなく対峙してくれていると分かるのに……何故か、不吉な予感がシェイラの足元を揺らした。


「シェイラ様の仰せの通り、今、私の腹の中には、新たな命が宿っております。……紅薔薇様ご不在により、ただでさえ後宮が安定を欠く中、このような厄介な事態を運んでしまいましたこと、誠に申し訳ございません」

「謝罪など……どのような世情であれ、新たな命の誕生は慶事です。ナーシャ様が謝られることなどありません」

「通念としては慶事であっても、現在の後宮で〝側室が孕む〟ことが何を意味するか分からぬ程、世間知らずではありませんから。謝罪すべき事柄であると、さすがに弁えております。――ましてや、シェイラ様は国王陛下のご寵姫様。であれば尚更に、謝罪は必要でしょう」


 聞きようによっては、ナーシャがジュークと通じたかのようにも受け取れる言葉だ。ジュークの言葉を聞く前のシェイラなら、もしかしたら疑心暗鬼になったかもしれない。

 けれど、今のシェイラは、理屈と心情の両方で、ジュークがシェイラ以外と男女の仲へ発展することが〝あり得ない〟と言い切れる。

 微笑みすら浮かべて、シェイラはナーシャを見つめ返した。


「ナーシャ様の仰る意味での謝罪であれば、それはどちらも私ではなく、現在の後宮における最高位、紅薔薇様へ申し上げるべきでしょう。私がジューク陛下の寵愛を受けていようと、ありがたくも正妃の位を目指すことを許されていようと、現在の後宮の頂点は紅薔薇様――ディアナ・クレスター様であり、正妃代理として後宮の諸問題に取り組んでいらっしゃるのも彼女です。確かにディアナ様がスタンザ帝国へ発たれる折、他の『名付き』の方々と共に留守を預かりはしましたが、彼女の役目や地位が私へと移ったわけではありませんから。以前も今も、私は謝罪を受ける立場にありません」

「……ちらとも、お疑いにならないのですね。陛下のことも、――私の、ことも」

「陛下のことも、ナーシャ様のことも、少しは存じ上げているつもりです。お二人とも火遊びを好まれるご性格ではありませんし、もしも本心から通じ合うことを望まれるのなら、まずは私をきちんと捨ててからになさるでしょう。……なんて言い切れるのも、弱い私を支えてくださる皆様方のお心あればこそ、ですが」

「そう、ですよね……」


 静かに目を伏せるナーシャへ、シェイラはやや身を乗り出した。


「ナーシャ様。どうか、ご事情を教えて頂けませんか?」

「事情……?」

「私は、ナーシャ様のお力になりたいのです。お子様のことも含め、可能な限りナーシャ様のお心に沿うよう、この先のことを考えたいと思っています。……お子の父君や、その方とどのような未来を望まれるのかなど、どうかお聞かせ願えませんか」


 一瞬だけ、ナーシャが大きく目を見開き――、

 しかし、次の瞬間。


「未来……、ですか」


 低く、暗く。

 ぽつりと呟いたナーシャは、一気にその表情を険しくさせた。


「望めば、叶えてくださるのですか」

「え――、」

「例えば私が、望む未来をお伝えすれば。シェイラ様は、それを叶えてくださるのですか? ――こんな国など滅びてしまえば良いと願っているとしたら、滅ぼしてくださるのですか!?」


 突然のナーシャの激昂に呑まれ、シェイラは思わず言葉を失う。

 押し黙ったシェイラに、ナーシャは皮肉げな笑みを浮かべた。


「皆が皆、望む未来を得られるわけではないのです。どれほど願っても、――切ないほどに欲しても、決して手の届かない〝望み〟を抱く苦しさが、絶望が、シェイラ様に分かりますか」

「ナーシャ、さま」

「分からないでしょう、シェイラ様には。陛下の寵愛を得て、正妃を目指すことを高貴な方々に認められ……望む未来への道のりは険しくとも、確かに地続きでいらっしゃるシェイラ様には、天に瞬く〝星〟を望んでしまった愚か者の嘆きなど、絶対に分かるはずがない!」

「ナーシャ様、どうか落ち着いて……」


 伸ばした手は、ぱしりと音を立てて払われる。

 常は柔らかに光るヘイゼルの瞳に、熱く燃える氷のような怒りと絶望を浮かべ、ナーシャは真正面からシェイラを射抜いてきた。


「私の力になりたい? それならば何故、私の話を聞くより早く、マグノム夫人や『名付き』の皆様方に、私のことを知らせたの? ――どれだけ言い繕ったって、シェイラ様は結局、私よりも後宮の、国の方が大切だからでしょう?」

「それは違います!」

「違わないわ。正妃様を目指すことになった時点で、どう足掻いたって、シェイラ様は王国全体を最優先させなければならない立場だもの。恨んでなんかいませんわ、それが道理というものです」

「ナーシャ様、お願いですから話を、」

「したって、意味はありません。だって、シェイラ様はどれだけ言葉を尽くしても、私を理解できませんから。――陛下に愛され、多くの頼りになる方に支えられ、守られておいでのシェイラ様には、絶対に」


 それは、あまりにも激しい拒絶だった。分かり合おうとするより先に、〝絶対に分からない〟と撥ね除けられたことに、シェイラは覚悟していた以上の衝撃を受ける。


(間違えた、の……?)


 これほどの拒絶、昨日はまだ感じなかった。昨日から今日の間に、何が――。


(あ……)


 不意に、閃く。――間違えたのは、〝順序〟だと。

 昨日、ナーシャの懐妊を知った時点で、シェイラは事態の深刻さに慄き、皆で情報共有して事に当たらなければ手遅れになりかねないと焦ってしまった。

 しかし……果たして本当に、昨日の段階で『名付き』の三人やリファーニアにまで、事態を知らせる必要はあっただろうか。ナーシャの食事の件を考えても、マグノム夫人に話を通すのは仕方ないにしても、それ以上話を広げる前に、一度落ち着いてナーシャと話をする方を優先させるべきだったのでは。ナーシャ本人と妊娠についてきちんと話し合えてもいないのに、自らの預かり知らないところで勝手に自分のプライベートが広がっているとなれば……広げた相手を信じられなくなって当然だ。


(ナーシャ様のお怒りは真っ当だわ……なんてことをしてしまったの、私)


 後宮や国を優先して自分を蔑ろにしたのだろうと詰られても、これでは反論のしようがない。気持ちはどうあれ、シェイラの行動を見れば、そう捉えられても言い訳できない状態だろう。

 ――襲う後悔を、強く目を瞑って追い払った。今は、後悔より自責より先に、やるべきことがある。


「――申し訳ありませんでした、ナーシャ様」


 立ち上がり、深々と頭を下げる。


「私の至らなさにより、ナーシャ様にご不快な思いと、不安や苦痛を与えてしまいました。全ては私の未熟さと思慮の浅さが招いたことであり、マグノム夫人や『名付き』のお三方に非はございません。重ねて、お詫び申し上げます」

「……」

「そして、どうか誤解なきようお願いしたいのですが、今回の件は私の判断の誤りが発端であり、リディル様は私にお付き合いくださっただけです。……ナーシャ様が私を信じられなくなるのは致し方ございませんが、どうかお二人はこれまでと同じく、ご友人としてお付き合いくださいますよう、伏してお願い申し上げます」


 リディルが無言で、シェイラに視線を注いでくるのが分かる。

 頭を下げたままのシェイラに重い静寂がのし掛かる中、囁き声よりなお小さい、ナーシャの声が降ってきた。


「……シェイラ様のお気持ちは、分かりました。今日はもう、お帰りください」

「ナーシャ様……」

「私も、今の自分が冷静でないことは、自覚しているつもりです。これ以上お二人に、情けない姿を見られたくもありませんので、どうか」

「……分かり、ました」


 頷いて、シェイラはナーシャに背を向ける。

 別れの挨拶もそこそこに寝室を出るシェイラとリディルの背を、物悲しげなヘイゼルの瞳が追い縋るように眺めているのを、すっかり冷めた三つのティーカップだけが見守っていた――。


理論も方法も間違っていないのに、タイミングや順番をミスったせいで上手くいかないことって、現実でもままありますよね……人の心が絡む案件だと、余計にベストを見極めるのは難しいです。


次回は、ちょっと長めの転章が入ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ