皇妃選定会議
まだまだエクシーガ視点が続きます。
――夜が明け、陽が昇る。
目も眩むような眩しい太陽の光が世界を照らし、人々が起き出してから、しばらく。
太陽がそろそろ中天へと差し掛かる頃、スタンザ帝国の政に携わる主だった面々が、皇帝に重要な提言をする際に使う『朝議の間』へと集まった。
『朝議の間』は場合によっては臣たちの謁見も行われるため、正式な謁見の間ほどではないが広く、場合によっては百名近い有力者が集まることもある。
そして、今回は――。
「それではこれより、スタンザ帝国皇妃選定のため、総員による協議を行う!」
皇帝の席こそ空けているが、その椅子をややずらして中央寄りに座った第一皇子が、意気揚々と声を上げた。集った者たちが、一斉に礼をする。その数、およそ百名あまり。皇都や近隣にいた皇子たちと大勢の臣、呼ばれた有識者の面々、更には神殿関係者も揃ったことで、過去最大規模の協議会となったらしい。
「まずは、偉大なる我らが祖国に伝説の聖女様がご降臨なされたことを、皆で言祝ごうではないか!!」
「――スタンザ帝国、万歳!」
「――皇室に永遠の栄あれ!!」
「未来のスタンザ皇妃に、幸多からんことを――!!」
熱気に包まれる『朝議の間』で、エクシーガは流されることなく冷静に、場の雰囲気を観察する。彼の席は全体で見れば上座だが、皇族の中では順番的にも下座……要するに、百名以上いる人々の中で、特に目立ちもしない絶妙な位置で、全体を観察するにはもってこいなのだ。
(しかし……ここに居るほとんどの者が、エルグランド王国の姫君を、本人の意志も国の了承も得ず勝手に皇妃とすることに、疑問も抱かないとは。考えていた以上に、皇宮殿の〝歪み〟は大きいのかもしれぬ)
考えるエクシーガの前で、熱気冷めやらぬまま、皇妃選定協議は本格的に始まろうとしていた。
「協議と言いましても、決めることは特に多くはございません。せいぜいが、婚姻誓約書に署名する皇宮殿側の見届け人を誰にするかということくらいでしょう」
「まさに。陛下に現在、皇妃はおられませんからな。ご廃位の儀の必要もありませぬ」
「後は……さすがに式なしでというわけにも参りませぬゆえ、婚姻の儀の準備は進めねばなりますまい。その責任者は、今日決めてしまっても早過ぎるということはないのでは?」
「おぉ、確かに!」
和気藹々と、年配の重臣たちの間で進む会話。――待った、をかけたのは、彼らより二十から三十ほど歳若い、壮年の臣たちだ。
「――お待ちくだされませ、大臣方。聖女様を皇妃として仰ぐに、もちろん異論はございませぬが……そのお相手を皇帝陛下と決めるは、賛成しかねます」
「何と」
「皇帝陛下は、未だ病の床についたまま。この先、帝国を更に繁栄させるためにも、皇帝の座が空のままでは示しがつかぬというものでしょう」
「聖女様とて、婚姻の誓約を交わしたお相手が意識の戻らぬ病人では、あの若さであまりにお気の毒では?」
「貴様! 皇帝陛下を愚弄するか!!」
「皇帝陛下がどれほど高貴であらせられても、それは所詮この世の中だけのこと。――聖女様は天の御遣い、至上と崇めるべきお方にございます。かような聖女様の夫が、有事の際に剣を取り、聖女様をお守りすることすらできぬ者とは、それこそ天に対する愚弄というもの」
「おのれ……!」
音がしそうなほど歯を食いしばって憤っている重臣たちを薄笑いで眺めながら、壮年の臣たちは余裕たっぷりに声を張り上げる。
「我らは、聖女様のご婚姻のお相手として、第一皇子殿下をご推挙申し上げます。武勇の誉高く、兵たちからの信も篤き第一皇子殿下は、未来のスタンザ帝国を支配するに相応しきお方。――聖女様の愛を受けるに、相応しきお方と存じます」
「左様。まずは皇子妃として婚姻誓約を結び、いずれ第一皇子殿下が帝位に就かれた暁には、皇妃となって頂くのがよろしいかと」
「何を言う! 第一皇子殿下には、既に皇子妃がおいでではないか!」
「長きスタンザの歴史を振り返れば、皇妃殿下、皇子妃殿下のご廃位など、珍しくもないことでしたでしょう」
「神に遣わされた聖女様を娶るに血を流すとは――」
――そこから先は、泥沼だった。こうなるだろうと半ば予想はしていたが、既得権益を手放したくない重臣たちと、その座を奪いたい壮年世代が、互いに皇帝と第一皇子をディアナの婚姻の相手として譲らず、場は混迷を深めていく。意見を振られた有識者たちも、どちらを怒らせても自身の首が飛ぶことに変わりはないため、決定打にできない曖昧な意見しか言えない。
このまま両者が足を引っ張り合って、この協議自体が空中分解すれば、もう少し時間を稼げるか――!
「一つ、ご提案をしてもよろしいでしょうか?」
エクシーガの消極的な思惑を嘲笑うかのように、涼やかな声が上がった。席は下座ながら、その独特な衣装と空気で存在感のある、神殿から招かれた一団だ。
その中でも位の高い、上級神官のローブを纏った男が、ゆったりと立ち上がる。
「双方が仰ること、どちらも甲乙つけがたく、誠にごもっとも。――しかしながら、ここで討論するばかりでは、先へ進まぬこともまた事実」
「だが――」
「まぁ、お聞きください。我々神殿としては、まず何よりも、聖女様に末永くスタンザ帝国へとお留まり頂くことこそ肝要。――何しろ、此度の聖女様は天の御遣いであらせられると同時に人の子であり、故郷をお持ちでいらっしゃいますゆえ」
「……それは、そうだが」
「そのため、速やかに皇家にお入り頂くべきであるという点においては、ご両者とも一致しておられることでしょう。ならば――まずは聖女様のご婚姻相手を〝皇帝陛下〟に限るという婚姻誓約の前提書を作成し、神殿とご皇族方、臣の皆様方の署名を以て、ひとまずスタンザ帝国へ聖女様をお留め置きする、という折衷案は如何か? 皇帝陛下が持ち直し遊ばされればそれで良し、万一お隠れなさったならば、次代の〝皇帝陛下〟とご婚姻を結ばれることとなりましょう」
……相変わらず、神殿は油断ならない。現在、スタンザ皇家と神殿の仲は良好で、持ちつ持たれつの関係性を維持できているが、過去には神殿がときの皇帝を傀儡化し、権勢を誇った時代もあったと聞く。今も、神殿の一部にそのような権威主義が燻っていることは確かで、よくよく見れば今回呼ばれたのもそちらの一派のようだ。〝聖女〟を利用し、神殿の威信を高めようという意図が透けて見える。
――物腰だけは穏やかな、一見すると神に仕える者として争いを止めただけのような神官の〝折衷案〟に、老臣たちと壮年の臣たちは、それぞれ顔を見合わせた。
「確かに……それならば、聖女様にお留まり頂くことは、できるが」
「だが、そのような前提書一つで、王国を黙らせることができるか? 実際に婚姻を交わしたわけではないと言われてしまえば、反論は難しい」
「前提書と申しましても、形式は婚姻誓約書と変わらぬ正規のもの。皇帝陛下が現在病の床にあり、失礼ながら先行きが不透明であることを鑑みればむしろ、誠意ある対応かと存じます。聖女様のことを思えばこそと、ご説明申し上げることも可能かと」
「なるほど……」
場の空気が、神殿の〝折衷案〟へと流れていく。――罵り合いに近い泥沼の討論が収まり、『朝議の間』は鎮まりつつあった。
「異議あり。――その案には、賛成しかねる」
その、一瞬の静寂をついて。エクシーガは沈黙を破る。
これまで群衆の中の一人でしかなかったエクシーガが突然発言したことで、必要以上の注目を浴びる中、エクシーガは誰に視線を固定することもなく、全体に向かって朗々と言葉を紡いだ。
「なるほど確かに、ディアナ姫は未だ、どなたとも正式なご婚姻を交わしてはいらっしゃらない。しかしながら彼女は、エルグランド王のご寵愛篤き、王国の側室筆頭だ。エルグランド王がディアナ姫を代え難き存在として大切にしておいでであることは、この目で見た私が断言できる。――かような姫君を、一言の断りもなく帝国へ、皇族の一員として迎え入れるなどという事態になれば、エルグランド王国の怒りを買うは必至」
「何を弱気なことを。勇猛果敢な我らが帝国を治める皇帝陛下のお子ともあろうお方が」
「仮にエルグランド王国が怒りに燃え、聖女様を取り戻さんと戦を仕掛けてきたとしても、返り討ちにすれば済むだけの話ではありませんかな?」
「なるほど。大臣は、ディアナ姫――〝聖女〟の生まれ故郷に弓引いてでも、彼女を得ようと望まれるわけか。それはさぞかし、神もお喜びになるであろうな」
皮肉に満ちたエクシーガの相槌に、馬鹿な見解を述べた大臣は気まずい様子で口を噤んだ。
集まった人々をぐるりと見廻し、腹の底から声を出し、エクシーガは力説する。
「彼女を聖女と崇めるならば、まずはそのご意志を確認するべきだ。姫がスタンザ帝国へ留まりたいと、皇妃として民を救済することこそ神のご意志と仰せになるならば、神殿の案もよろしかろう。しかし――エルグランド王国へのご帰国を望まれるのであれば、我らは速やかに、姫を送り届けねばならぬ」
「馬鹿なことを……!」
「せっかくご降臨遊ばされた聖女様を、みすみす他国へ渡すというのか!」
「なんと、愚かな!」
先ほど争っていた二派だけでなく、神殿も、他の面々も、いきり立って非難してくる。エクシーガが皇族だから肉体的には無事だが、そうでなければ詰め寄られてそのまま部屋から追い出されそうな勢いだ。
――喧騒を負かすべく、エクシーガは掌で一度、強く卓を叩いた。
「そなたらは! この傲慢さがいずれ国を滅ぼすと、まだ解らぬのか!!」
これまで、エクシーガが公の場で、これほど強く何かを主張したことはない。所詮は十八番目の皇子、母の身分も低く政にも戦にも関わらない、名ばかり皇子としか思われていなかったはずで。
そんなエクシーガの激昂に驚いたのか、場は一時的にではあったが、しんと静まり返った。
「聖女と崇めながら、ディアナ様のお心を尋ねようともせず。エルグランド王国の内情を、彼女を待つ方々の苦心を知ろうともせず、戦になったところで負けるはずもないと高を括る。何たる、浅慮。――何たる、傲慢」
「殿、下……」
「何故、ディアナ様の御身を我々が好きに扱えるなどと考えるのだ。権力で、腕力で、武力で他者を抑えつけ、従わせることを当然だと信じて疑わないのは何故だ。誰も彼もが、スタンザの〝力〟に屈するわけではないという〝当たり前〟に気付けぬことが傲慢だと、何故解らぬ」
「……っ」
「ディアナ様がスタンザ帝国の地を踏んでから、一度でもスタンザ帝国の理不尽に、〝力〟に屈したことがあったか。ときに真正面から立ち向かい、ときにはしなやかに受け流し、彼女は決して帝国の思い通りには動かれなかった。あくまでもエルグランド王国国使として、エルグランド王国とスタンザ帝国の友好のため、己にできる最善を模索し続けておられた。そのお姿を間近で拝見した者であれば、ディアナ様が己の意思を無視した勝手な〝誓約〟に従われるはずがないことくらい、分かるはず」
最初に言い争っていた二派と神殿が、反論を探すべく目を泳がせている。
結果として発言者の居なくなった場に、かつん、と軽い杖の音が響いた。
「ほっほっほ……いやはやまこと、ご立派になられましたのぅ、殿下」
「バルルーン」
「物見遊山のつもりじゃったが、陛下から小言を頂戴してしまった以上、儂も一つ、噛ませてもらおうかの。孫と歳の変わらぬ殿下にばかりご苦労をかけておっては、さすがに座りが悪うございます」
「……よく言う」
バルルーン翁を今回の協議に呼んだのは、他ならないエクシーガだ。ラーズでの宴での一幕、皇帝が倒れる前のやり取りから、彼はディアナや、真摯に生きる若者を邪険にはしないと踏んで。
「お集まりのお歴々。悪いことは言わぬ。今すぐディアナ姫を解放し、エルグランド王国へお帰しなされ。――命が惜しければ、の」
「……どういう、意味だ。バルルーン」
「そなたらが考えておるほど、エルグランドは甘い国ではない、ということじゃよ」
満面の笑みながら、バルルーン翁の目は欠片も笑っていない。――むしろ、恐ろしいくらいに真剣だ。
「隠居してから、何かと暇での。暇つぶしがてら、エルグランド王国へ嫁に行った姪と手紙のやり取りをしつつ、時々あちらの国の歴史書などを一緒に送ってもらって読んでおったのじゃが。――あの国は、その前身である『湖の王国』時代から、侵略戦争の類を一切行っておらぬ」
――その意味が、分かるか?
尋ねられた壮年の臣たちは、皆、怪訝な顔になり……まだ若い、柔軟な思考を持つ者たちが疑問の表情を浮かべた。
「侵略戦争を、していない……? それでどうやって、あの土地を統一したと?」
「簡単なことじゃよ。――王国を侵略しようと戦を仕掛けてきた国を、ひたすら返り討ちにする。千年以上もコツコツと、自分たちからは一切戦を仕掛けず、ただただ防衛に徹し、そんな『湖の王国』の有り様に共鳴した国々を傘下に収め、じわじわと領土を広げたのじゃ。もちろん、傘下となった国にも同じく専守防衛を徹底させ、傘下の国が攻め入られた際は、盟主国として相手国を叩きのめす。そうしてある程度領土が広がったところで都市国家群全体を『エルグランド王国』として纏め、その後百年かけて半島を統一したようじゃな」
「では……」
バルルーン翁の語る〝エルグランド王国史〟を聞いて、何かを察した一人の若者が立ち上がる。――つい先頃、一躍時の人となった青年、ブラッドだ。彼もまた、ディアナと関わりあった者として、エクシーガの推挙で席を用意した。
ディアナを救うため、力を貸してほしい――深夜にも拘らず部屋を訪れて頭を下げたエクシーガに、ブラッドは二つ返事で応えてくれて。こうして共に、闘ってくれる。
「エルグランド王国が、半島統一後からこれまで、どことも戦をしない歴史を重ね続けたのは……平和に惚けていたわけでは決してなく、単にどこからも、誰からも攻め込まれなかったから、ということでしょうか?」
「左様。つまり、裏を返せば――攻撃を受けた瞬間、彼の国は無力な小動物の皮を投げ捨て、容赦のない肉食獣の爪と牙を相手の喉元へ食い込ませるということじゃ」
「しっ、しかし! 今回、我々はエルグランド王国へ攻め入るわけではない!」
「――エルグランド王国が、自国の側室筆頭を、その意思を無視した婚姻で無理やり他国に奪われて、それが自国への〝危害〟に当たらぬと考えるほどの腰抜け国家と?」
「可能性として、あり得なくはない!」
「あり得んことは確かにないが……それは希望的観測というより、自分に都合の良い妄想と呼ぶべきじゃな」
苦しい反論をバッサリと切り捨てられ、老臣が撃沈した。
ついにバルルーン翁は笑顔すら消し、老いを感じさせない鋭利な光を瞳に宿して、言い放つ。
「先ほど殿下は、ディアナ姫をスタンザの〝力〟に屈する方ではないと仰ったが……儂が見る限り、祖国であるエルグランド王国もまた、スタンザに屈する甘き国ではない。むしろ、我欲に走って手を出せば、痛い目を見るのは我らの方であろう。――帝国の力及ばぬ国などないという幻想と傲慢は今すぐ捨て、姫をエルグランド王国へお返しすべきと、儂は進言致す」
「私も、僭越ながらバルルーン様に賛同いたします」
「同じく」
「……エルグランド王国との友好こそ、スタンザ帝国が目指すべき新たな導にございましょう」
「聖女様を重んじればこそ、お帰り頂かねば……」
ぽつぽつ、ぽつぽつと。巨大な円卓のあちこちから、散発的にバルルーン翁を支持する声が上がり出す。ブラッドのようにエクシーガが呼んだ者だけでなく、若手を中心に――おそらく、この先の帝国を憂う、心ある者たちが立ち上がったのだ。
……しかし。
「――愚かな」
上座の限りなく中央、空の玉座の隣に座っていた第一皇子のひと睨みに勝てるだけの力を持つ者は、バルルーン翁の他には、エクシーガも含めておらず。
「……さ、さよう。第一皇子殿下の仰る通り!」
「控えよ、若造どもが図々しい!」
「神の御意志あらばこそ、聖女様はスタンザ帝国へご降臨なさったのです。帝国が聖女様を得るは即ち、神の御心にもそぐうこと。もしもエルグランド王国がそれを〝危害〟と捉えるならば、彼の国こそ神に逆らう不信心者となりましょう」
自らの傲慢さを指摘されてなお捨てられず、聖女を求め続ける圧倒的大多数の前には、あまりにも無力だった。……無力を痛感せざるを得ないほど、どう足掻いても味方の数が足りなかった。
――轟々と鳴る非難の声に勢いづいたのか、ついに第一皇子が立ち上がる。
「かような腰抜けどもが未だにスタンザで息をしていたとは。ましてや、仮にも皇族に名を連ねておきながら、他国よりもスタンザが劣るかのような言説を平気で述べるとは。――売国奴はそれなりの処罰を覚悟せよ」
「第一皇子殿下、」
「聖女殿の御心など、そもそも確認するまでもない。偉大なるスタンザ帝国の皇妃となり、我のものとなることを厭う女子などおらぬ」
「殿下、お待ちを」
「仮に、万一、聖女殿がエルグランド王を想い、国に帰ることを望んでおるとしても。あの娘は随分と情け深い質のようであるからして、己が拒めば共に参ったエルグランドの女どもの首と胴が離れかねぬとでも言い聞かせれば、本心はどうあれ婚姻を受け入れよう」
「――っ、それは、」
「聖女殿が己の意志でスタンザ帝国を選んだとなれば、エルグランド王国にも口出ししようがない。それでも何か煩く言ってくるのであれば――そのときは、聖女の首を盾にすれば済む」
……さすが、卑劣さでは他の追随を許さないとまことしやかに囁かれている第一皇子だ。彼の〝武勇〟はほとんど、こうして誰かの大切なものを奪い、相手の心を踏みつけて成し遂げたものと聞くが、どうやら噂は正しいらしい。人質を取って相手を従わせ、目的を果たした後は人質を解放するなり厚く遇するなりすれば、まだ人の情と誠意ある対応だと言えようが、彼にとって人質は従属のための道具に過ぎず、用が済めば適当に遊んで捨てると専らの評判。――まして、それが立派なエルグランド王国への〝危害〟に当たるという発想もないとなれば、破滅一直線なのは目に見えている。
(……まぁ真面目な話、第一皇子が考える〝エルグランド王国の女ども〟の中にカイが紛れている時点で、彼が考えていることは所詮、砂上の楼閣に過ぎぬのだが)
自分も騙されたクチなので偉そうなことは言えないが、そもそもエルグランド王国が自衛の力を持たない〝女ども〟だけを送ったと信じ込んでいる時点で、相当に浅はかだ。――バルルーン翁にエルグランド王国が油断できぬ国だと指摘されてなお、そこに思い至れないあたり、思考力も欠如している。
(だから……陛下は、第一皇子殿下へ皇太子宣下することができなかったのだな)
皇帝陛下は女性関係の華やかな方だが、かといって思考が鈍いわけでもなかった。政への興味の薄さゆえ目立たなかったが、考えるべきことはしっかりと考える人であることを、エクシーガは知っている。
第一皇子が次期皇帝となれば、考えなしにエルグランド王国へ攻め入り、返り討ちにされるであろうことは明白。だから、皇帝陛下は皇太子宣下を行わなかった。……行えなかったのであろう。
「おぉ――さすがは、第一皇子殿下」
「まさしく。殿下の仰る通りに存じます」
「殿下を拒む女など、全世界を見回してもおりますまい」
……だが、当然のことながら、第一皇子を擁する者たちが、彼の論の危うさを指摘するわけもなく。
「まぁ……エルグランド王国などに遠慮して、みすみす宝を手放すことはありませんな」
「然り。後宮に閉じ込めている女どもの安全と引き換えなら、聖女様も進んで後婚姻を受け入れられましょう」
「前提書の調印までならば、今、ここで済ませても問題はないのでは?」
ひとまず聖女を留め置けるとなれば、老臣たちにも否やはなく。
「もちろん――それこそが、神の御意志」
もとより、聖女を得たい神殿側の後押しも加わったとなれば――!
「……やれやれ。止めておいた方が身のためじゃと思うがのぅ」
「バルルーンの老いぼれよ。貴様の売国、反逆行為については、後ほど審議いたす。覚悟せよ」
「兄上!!」
「――貴様もだ。お情けで皇族の末席を許されているだけの賤しき身が何を勘違いしているのか、我に歯向かうことを覚えるとは。国使などという下らんものに選ばれ、偉くなったとでも錯覚したか!」
「……いいえ。己が特別であると無意識に錯覚していたことに気付き、〝偉い〟存在だと信じ込んでいた幻想から覚めたのです。兄上が未だ抜けきらぬ――愚かな世界を脱したのです!!」
「貴様ぁ!! ――我を愚弄するか、そこへ直れぃ!!!!」
沸点が低いという噂も聞いてはいたが……この程度で剣を抜いていては、まともな臣が集まらないことも頷ける。誰だって、諫言即斬首な主には仕えたくないだろう。
抜身の剣を手に走ってきた第一皇子に青ざめたサンバが、エクシーガを庇おうと壁際から駆け寄ってくるのを制し、椅子を蹴立てて立つ。周囲を巻き込まぬよう、卓から充分な距離を取って。
「……私は、剣がさほど得意ではないのですが」
「――っ、この期に及んでまだ、歯向かうか」
「残念ながら私は、ここであなたに殺されるわけにはいかない。――生きて果たすべき、誓いがある」
「おのれ……!」
どこまでできるかは、分からない。だが、相手の剣を見極められれば、勝機はある。
念のため、と携帯しておいた剣を抜いたエクシーガを見て、第一皇子の表情が憎々しげに歪んだ。
「この……!!」
真正面から振りかざされた剣を避け、そのまま前へと進む。――剣は間合いが命、懐に飛び込まれたらどうしようもないという、本で読んだ知識を頼りに。
「貴様……っ」
「御免!」
エクシーガの動きを見切れず、剣を振り下ろしきってしまった第一皇子の懐はガラ空きだ。まさかエクシーガが直進してくるとは思わなかったらしく、狼狽して体を逸らし、体勢を崩したところに体当たりする。――見事に倒れた第一皇子は、勢い余って剣を取り落とした。
(何とか、なった、か――?)
人生で初めての実戦に、知らず上がっていた息を整えるべく深呼吸した――その、瞬間。
「――何をぼうっとしている!! ものども、こやつを捕らえろ! 我の前に、跪かせるのだ!!」
倒れた第一皇子が喚き、彼を支持する者たちが泡を食って立ち上がる。エクシーガに迫る彼らを押し留めるべくサンバやブラッドが間に立とうとするが、多勢に無勢ではどうにもならない。
――あっという間に形勢は逆転し、エクシーガは数名の臣に群がられ、抑えつけられ、第一皇子の前に跪かせられた。
(こ、れでは!)
動きを封じられたエクシーガの前に、表情を消した第一皇子が、剣を構えてゆらりと立つ。
「我を、公衆の面前で、よくも愚弄してくれたな……!」
「……ご自身に従わぬ者を認められず、斬らずにはおられないのであれば、兄上が治めるスタンザ帝国はいずれ、人の絶えた寂しき土地となりましょう」
「黙れ……!」
「私を斬ったところで、兄上の思うように、事は決して運びませぬ。――ディアナ様は、兄上の手中に収まるような、小さき方ではあらせられぬゆえ」
「黙れと言っておるのが分からぬか!」
「黙りませぬ。私には、皇族に生まれた者として、命尽きるまでスタンザ帝国のため生きる責務がございます。――帝国を滅ぼす愚行に黙るは、責務の放棄に等しい」
「き――さまあああぁぁぁぁ!!」
逆上した第一皇子の剣が迫るのを、どこか他人事のような心地で眺める。
時の進みがゆっくりになり、サンバが自身の名を呼ぶのを、遠い世界に感じていた――。
走馬灯なう! なエクシーガの運命やいかに!?
……自分で書いといてなんですが、スタンザの第一皇子殿下は、私がこれまで書いてきたキャラの中で最も扱いやすく、かつどうしようもないお方です。
四十も超えてこれってどうよと言いたいけど、いるんですよねぇこういうお方……(遠い目)
 




