湖の王と若獅子は
今回、ジューク視点で話が進みます。
――秋深まる、雲月初旬。後宮から正式に、「エルグランド王国の国使団を立てることになった際は、側室筆頭『紅薔薇』を長とする」と回答されてから、数日。
最後まで国使団をスタンザ帝国へ送ることに難色を示していた王が後宮の回答をきっかけに折れたことで、その準備は急ピッチで進められていた。
「陛下。国使団の者たちの出国許可証に署名をお願い致します」
「こちらの身分証のご確認もご一緒に」
「予算案ですが、大臣会議で『もう少し削ることはできないのか』と」
「後宮より届けられた、国使団一行に必要な生活備品の一覧表が届いておりますが……スタンザ帝国との兼ね合いを考えますと、この全てを持ち込むことは難しいかと」
ジュークの執務室には連日、内務省や外務省、財務省の官たちが入れ替わり立ち替わり訪れ、ジュークの署名や判断を要求してくる。その度、感情のままに怒りたくなる己を自制しながら、ジュークは表面上は至って冷静に対応していた。
(大切な民を……俺個人の恩人でもある紅薔薇を危険な場所へ送り込む準備を俺自身の手で進めねばならないとは、これはいったい何の拷問だ)
ディアナをスタンザ帝国へ送ることが避けられないのであればせめて、人員も使える金も物品も、彼女を守れるように万全の準備をしたかった。補佐として頼りになる文官、心身ともに頑強で必ずディアナを守ってくれる武官ともに、今のジュークならば用意できる。キースもアルフォードも、ディアナがスタンザ帝国へ行くのであれば自分をつけてくれと申し出てくれた。
――なのに。
「……六名分、署名できたぞ」
「感謝致します。――いやはや、最初に『紅薔薇の間』の侍女と女官を全員同行させると言われたときはどうなることかと思いましたが、まさか『紅薔薇の間』付きがこれほど少数だったとは。こうなりますと、紅薔薇様に人望がないことを感謝せねばなりませんな。まぁ、国使団と申すには少々貧相にはなりますが」
ホクホク顔で出国許可証を受け取った内務省の中堅官吏が、上機嫌なあまりうっかり本音を口にした。ジュークが手の中の羽ペンを握り潰すより早く、控えていたアルフォードがほのかな殺気を漂わせる。
「ガリュー子爵。もしやとは思いますが今のお言葉は、側室筆頭として後宮の側室方をお守りすべく、自ら未知の異国へ赴かれることを決断された紅薔薇様への侮辱でしょうか?」
「は!? ……あ、いえ、」
「……そうだな。子爵、確か貴殿の娘御も側室として上がっていたと記憶しているが。紅薔薇の人望のなさゆえ国使団が貧相だと申すのであれば、紅薔薇よりよほど人望厚いであろうそなたの娘御に、長の栄誉を与えようか?」
「とっ、とんでもない! 『紅薔薇の間』が少数精鋭であるゆえ、幸運にもスタンザ側の要求と合致する形で団を組織できたことに感謝したつもりでしたが、失言でございました!」
アルフォードとジュークの凍てついた眼差しに、ようやく目の前の男は、国使団の派遣に最後まで反対していたのは誰あろう王本人であったことを思い出したらしい。言い訳にもならない言い訳をモゴモゴ述べ、逃げるように執務室を後にした。
その様子を見ていた、ジュークの署名、判断待ちだった官たちも、「書類を置いておきますので、ご確認をお願い致します」と言うが早いが、そそくさと退出していく。ジュークが見た目だけ冷静であったからか、彼らはジュークがここまで怒りを溜め込んでいるとは思っていなかったようだ。
――アルフォードと二人きりになった執務室で、ジュークは深々とため息をつく。
「傀儡のフリは、なかなかに難しいものだな」
「……まぁ、対外的に『ジューク王』は『紅薔薇様』にベタ惚れって設定になってるからな。〝惚れ込んでる女を異国へ遣らなきゃいけなくなった状況に苛立ってる〟って体にすりゃ、ギリ不自然じゃねぇよ」
「俺としては、この状況下でなお紅薔薇の悪女説が横行しているのが信じられん。側室筆頭の紅薔薇なら、いくらでも他の者をスタンザへ送ることが可能なのに、敢えて自ら行くと申し出たのだ。よほど穿った見方をしない限り、後宮の側室たちを守りたいがための選択だと分かるだろう」
「俺としても心底不思議だけどな。その〝穿った見方〟に謎の説得力を持たせちまうのが、クレスター家の顔面マジックだよ。今回だと、『スタンザの皇子殿下を籠絡して自らを連れて行くよう仕向け、スタンザ帝国にまで己の権勢を広めようとしている。何と欲深な女だ』って感じか?」
「……エクシーガ殿がスタンザ宮廷で強い権限を持っているならともかく、彼は実権など無に等しい十八皇子だぞ? そんな皇子を籠絡したところで、権勢を広めるなど無理な話だと思うが」
「だから今ディアナ嬢は、悪女として蔑まれる以上に馬鹿にされてるんだろ。『悪女とはいえ所詮は女、浅はかな企みだ』つって」
「……そう言っている連中は、貴族議会での彼女を何一つまともには見ていなかったと大声で暴露しているに等しいのだがな」
「な? クレスター家の真実を知った上で改めて貴族連中を見ると、頭空っぽで目が節穴な輩がいかに多いか、よく分かるだろ?」
アルフォードの言葉に、不承不承頷く。二千年以上の長きに渡り密かにエルグランド家の知恵袋として寄り添い、半島統一後はその不可思議な顔を利用して貴族たちの『試し絵』となってくれている、偉大なる『森の賢者』一族。……知らなかった頃には見えなかった景色が、確かに今のジュークには見える。
――けれど。
「クレスターの者たちから申し出てくれた『試し絵』であり『試金石』なのかもしれないが、俺は彼らがこんな風に理不尽な目に遭っている様を見続けるのは辛い。……本当なら、こんな役目を誰かに負わせない国の方が良いに決まっているのだからな」
「それは……そうだが」
「……たぶん、同じことを父上も考えていたはずだ。関わるようになって気付いたが、紅薔薇の気質は夫人よりもクレスター伯寄りだろう。父上とクレスター伯は、互いに無二の親友であったと聞いた。あのお優しい父上ならば、あれほど情の深い親友を『試し絵』としてしまう己の立場に、苦慮されていなかったはずがない」
「……そうかも、しれないな」
ほろ苦い表情で遠くを見ているアルフォードは、在りし日の父、オースター王とデュアリスを思い返しているのだろう。二人を知る人の誰もが、オースターとデュアリスの間には何人にも分かち難い絆があったと言う。離れていても二人はいつだって一緒で、もしかしたら自分以上に相手のことを分かっていて、互いに一番互いの幸福を願い、守りたがっていたと。
……あの、真っ直ぐなようで捻くれ者のエドワードが、捻くれようもないくらい純粋に憧れた、そんな絆が二人にはあったのだ。
ジュークはオースターの息子ではあるけれど、父について詳しくは知らない。けれど、父が本当に話に聞くような優しく慈悲深い人であったなら、人間の暗部と直面し続ける役目を、誰よりも幸福になって欲しい人に与え続けようと考えていたわけがないと思う。――今のジュークが、ディアナをスタンザへ送るしかない現実に、心の臓を切り裂かれそうな苦悩を覚えているのと同様に。
(逃がせるの、ならば。こんな理不尽から、彼女を傷つけることしかできない世界から、今すぐ彼女を解き放てるのならば、俺は悪魔に魂だって売り渡す。……王でさえなければ、背負うものが何もなければ!)
……だが、それを言葉にすることは、当の娘が許さない。ジュークが王としての役目を放り出すことも、自身を犠牲に全てを収めようとすることも、彼女は一欠片とて望まない。
王としての、正道も。……ジューク個人の、幸福も。
当たり前のように微笑んで、ディアナはいつだって心から願ってくれている。
「……どうして、なんだろうな」
「……ジューク?」
「紅薔薇は何故、あれほど、誰かのために尽くせるのだろう。シェイラや、後宮の側室たちのために頑張ろうとするのはまだ分かる。紅薔薇と彼女たちは、見るからに相思相愛だからな。……だが、俺は違うだろう。紅薔薇に恨まれ、末代まで不幸を願われたとて、文句は言えない男だ」
「あー……去年のお前は、大分と迷走してたからな」
「迷走では済まん。死ぬまで毎日謝っても足りないくらい、俺は彼女を心身ともに傷つけてきた。ここまで来ると謝罪など何の意味も無さないと痛感しているから、言葉にできないだけだ。せめて彼女の苦悩を無駄にしないよう、後悔と反省を胸に努力と研鑽を積むことが俺にできる唯一の贖罪だろうと、日々己と向き合ってはいるつもりだが」
「ジューク……」
「ひとたびこうして問題が起これば、痛感せざるを得ない。……俺はまだ、人としても王としても未熟で、紅薔薇の力無くしては大切なもの一つ守れない、情けない男なのだとな」
置き去りにされた机の上の憐れな紙束を指で叩きながら、ジュークは自嘲した。
「俺が紅薔薇くらい有能で、守りたいものを守れるだけの強さがあれば、俺のような情けない『王』など、とうの昔に見限っているだろう。散々自分を傷つけて苦しめた男のことなど、憎んで当然だ。……なのに彼女は、心から俺の目指す『王』を信じ、俺自身の幸福を願って、明るい未来のために過酷な現実へと立ち向かうことを躊躇わない。あの深い信頼は、優しさは、強さは、どこから来る?」
「そう、だな……」
一度、ゆっくりと言葉を切って。アルフォードは静かに、窓の外を見る。
「それがディアナ嬢だ、と言ってしまえばそれまでなんだが。彼女の並外れたお人好しは、それこそ年齢一桁の頃からの筋金入りらしい。……昔、リタが言ってた」
「リタが……?」
アルフォードがリタとの想い出話を口にするのは、とても珍しい。ジュークが覚えている限り、初めてのことではないだろうか。
「当時は、ディアナ嬢のことだなんて知らなかったけどな。……『私の主は、愚かなほどに優しくて、いつだって自分のことより他人のことばかりで、目の前で苦しんでいる人を絶対に素通りできないお人好しです。私は、そんな主に命どころか人生丸ごと拾われたから、あのお方が誰よりも幸せになってくださるように、己の全てを捧げたいのです』って」
「……確かリタは、幼い頃から紅薔薇付きの侍女として、共に育ったのだったな?」
「あぁ。リタが〝拾われた〟のだって子どもの頃の話だ。筋金入りだろ?」
アルフォードは静かに、苦く笑って。
「……昔は、リタの恋人であれた頃は、分からなかった。自分の全身全霊を捧げても守りたい、幸せになって欲しいと願う〝主〟がいることの幸運と、幸福が。自分自身の幸福よりも優先したい相手と巡り逢えることが、どれほど稀有な奇跡なのか。――恋なんて不確かなものよりよほど絶対的な、譲れない己の〝軸〟となるほど重いものなんだ、ってことがな」
「アルフォード……」
「――悪い、聞き流せ。くだらない後悔だ」
ジュークが何かを聞き返すより先に、アルフォードは豪快に笑う。
「たぶん、お前の疑問は、ディアナ嬢本人か、彼女を彼女以上に知る人に聞かなきゃ解消しないんじゃないか?」
「あ……あぁ。そう、なんだろうな」
アルフォードの様子が気にはなったが、本人にはこれ以上話すつもりはなさそうだ。
ジュークはそれ以上深く突っ込んで聞くことはせず、アルフォードの言葉を心中で咀嚼した。
(紅薔薇のことを、紅薔薇以上に分かっている者……か)
思いつくのは、エドワードたち彼女の家族と、……そして。
(――彼、か)
枯葉色の髪に、光の当たり方で幾重にも色を変える神秘的な紫紺の瞳を持った青年、カイ。ずっと声だけしか知らなかった彼と、クレスター領で初めて対面したときは驚いた。どこか女性的な優しげで美しい顔立ち、それほど筋骨隆々には見えない身体つき(もっともそれはエドワードにも言えることだが)な、ぱっと見は優男にすら思える年下の彼が、あれほど鋭い言葉を、ときに人間離れした殺気を放つ人物だとは、にわかには信じ難かったからだ。……その翌日の〝ピクニック〟で、彼もまたディアナと同じく意外性の塊なのだと実地で理解したが。
そんな彼が、ただひたすらに慈しみ、大切に大切にしているのがディアナだ。――彼はいつだってディアナのことを一番に考え、ディアナの望みを最優先する。そのためならば、自分自身の感情さえも後回しにして。
(紅薔薇の、彼への感情もそうだが。彼が紅薔薇を想う心も、どこから来るものなのか)
単純な恋とも、無償の愛とも、判別できない。ただ、凡人には計り知れないほど底の見えない、深い想いだということだけは確かだが。
(……分からないなら、聞くしかないな)
――少しだけ、考えて。ジュークはアルフォードを振り返る。
「彼と。――紅薔薇の隠密、カイと話ができないだろうか。できれば、二人きりで。紅薔薇には、内密に」
「カイと?」
アルフォードは分かりやすく、納得しつつも容易には頷けない、複雑な表情になった。
「確かに、アイツならお前の疑問に一定の答えは示してくれそうだが。――王の盾としては、ああいう未知数の男とお前を二人きりにさせたくはないな」
「心配してくれるのはありがたい。だがカイは、紅薔薇の意に沿わないことはしないだろう」
「……あくまでも〝今のところ〟って但書がつくけどな。――分かった。リタに託けとく」
「助かる。ありがとう、アルフォード」
「礼は要らん。当たり前のことだからな。――っと」
アルフォードの視線が忌々しげに執務室の扉に向く。ジュークは苦笑した。
「やれやれ。どうやら休息はここまでらしいな」
「……外宮の連中は王を過労死させたいらしい。いっそ倒れてやったらどうだ、ジューク?」
「そんなことをしたら間違いなく、俺は後からシェイラや紅薔薇に怒られる」
軽口を叩きつつ、やがて開かれる扉を前に、ジュークは今一度『王』の仮面を被り直すのであった。
***************
そんなこんなで、夜。
当然ながら時間内に執務は終わらず、自室に持ち帰ってアルフォードに手伝ってもらいつつ一枚一枚書類を片付けていると、不意に室内に不自然な風が吹いた。
〈……紅薔薇サマもそうだけど、この国の偉いヒトはちょっと働き過ぎだよね〉
「カイ!?」
〈なんで驚くの? 昼間、リタさん通じて呼び出しかけたのそっちでしょ?〉
アルフォードと顔を見合わせ、何となくお互いの気持ちを確認し合うと、ジュークはそのまま上を向いた。
「確かに、話がしたいと託けはしたが。正直、来てくれるかどうかは半々だと思っていた」
〈えー、ひどいな。アルフォードさんがわざわざリタさんに託けて、しかもディアナに内緒で、なんて言われたら、いくら俺でもそれなりに真面目な話があるんだろうな、ってことくらい読み取れるよ?〉
「……だから、その日のうちに来てくれたのか?」
〈まぁね。俺もスタンザ行きの準備でそれなりに忙しいし、話すなら早い方が良いかなと思ったから〉
カイ自身が提案した、彼がスタンザ帝国へ同行するための『奇策』は、関係者全員の驚きと納得を以て受け入れられた。いくつかジュークの側でも協力したが、肝の部分は完全に後宮とカイ本人任せだ。シェイラから聞く限りでは、「まったく問題ないといいますか、問題ないことがおかしいといいますか、とにかく腹立たしい程度には順調です」とのことなので、首尾は上々なのだろう。
ジュークはカイの言葉に頷くと、アルフォードを見た。
「カイと二人にしてくれ。呼ぶまで誰も、この部屋には入らせないように」
「……は」
心配そうな視線を返してきたアルフォードだが、ジュークの表情に決意の固さを感じ取ってくれたようだ。了承を返し、正面の扉から出て行った。
そんなアルフォードを感謝とともに見送って、扉が閉まったのを確認してから、ジュークは再び上を見る。
「人払いは済ませた。降りてきてはくれないか」
〈話なら別に、このままでもできるよ?〉
「……できれば、顔を見て話がしたいのだ」
〈ふーん? まぁ、いいけど〉
言葉とともに、黒装束のカイが降ってくる。ジュークにとっては久々に見る、彼の姿だ。
「改めてこんばんは、王サマ」
「あ、あぁ。突然済まなかった」
「突然なのはお互い様だし、気にしないで。――何か話があって呼んだんでしょ?」
「そう、だな」
カイの表情は笑ってもいなければ特に不機嫌そうでもない、正しい意味での無表情だ。以前シェイラが、「ディーの居ない場所でカイさんと話すと、その別人っぷりにいつも戸惑うんです」と言っていたが、なるほどこれは別人である。
少し考えて、ジュークは口を開く。
「……紅薔薇の様子はどうだ?」
「スタンザ行きの準備のこと? それなりに進んでるんじゃない?」
「そう、か。金銭も準備品も、過不足なく与えられているとは言い難いが……」
「王サマが考える〝過不足ない準備〟がどんなモノか知らないけど、今のディアナはまず第一にスタンザへ行った全員が心身ともに無事で帰り着くことだけ考えてるから。そっち方面の準備は問題なく進んでるよ」
「な、なるほど」
相変わらず、ディアナは実に賢明だ。外宮側の嫌がらせなど意にも介さず、己の為すべきことだけを見つめている。
自らの情けなさに思わず自嘲したジュークに、カイが軽く首を傾げた。
「どうかした?」
「いや……己の力の無さと愚かしさに、改めて気付いただけだ。そうだな、紅薔薇ならば『国使団』の体面など、そもそも気にしないか」
「あー……そっちの意味」
何かを察したのか、カイは皮肉げに笑って。
「そっちを怒ってるのは、ディアナ本人よりむしろ周りの人たちじゃない? 今日も後宮からスタンザへ持っていくもの一覧にケチつけられた女官長さんが冷ややかに怒って、それをディアナが宥めてたし。俺はしがない稼業者だから、お貴族サマの体面なんてモノは分かんないし、いざとなったら身一つで逃げなきゃいけないかもなんだから、荷物は少ない方が良いんじゃないのって単純に考えてたけど。どうも、そう簡単な話でもないっぽいよね」
「そうだな。仮にも国の名を冠した『国使団』である以上、あまりに貧相な形では王国そのものが侮られることにもなりかねん。……まして今回のように、男手の一切が排除された極少数の『国使団』となれば余計に、せめて見映えだけでも整えねば」
「あ、それ、ヨランダさんも怒ってたね。『実質的に人質なのは明らかでも、〝国使団〟として異国へ送る以上、せめてその建前は取り繕うべきでしょう!』って。俺も、たぶんディアナ本人もピンと来てないけど、今回の『国使団』に使われているお金とか準備品って、お貴族サマの常識的には随分貧相な部類なんだって?」
「……節約、の建前でな。さすがにこれでは国の体面に関わると、外務省が頑張ってくれてはいるが」
「まぁ、ディアナは王宮侍女さん四人ついただけで『多い』って感じるような子だし、お金使った豪華なドレスや宝飾品の類は〝貴族令嬢の化けの皮用に使う小道具〟としか思ってないし、普段使いの小物類だって金額で選んでないから、お貴族サマ的にどれだけ貧相だろうと気にしないどころか『無駄に立派』くらいは思いそうだけど。それはともかくとして、内務省の保守派貴族さんって、自分たちの盛大な矛盾に気付かないのかな?」
皮肉げな表情のまま、カイは淡々と言葉を紡ぐ。
「この国の保守派の人たちって、エルグランド王国が世界で一番素晴らしい! って主義主張なんでしょ? それなのに敢えて『エルグランド国使団』の見映えを貧相にしてスタンザ帝国に侮られる〝隙〟を作るなんて、俺だったら絶対にイヤだけどなぁ」
「……俺もそう思う。が、今の彼らにとっては、スタンザ帝国での紅薔薇の立ち回りを困難にさせる〝嫌がらせ〟の方が重要らしい」
「まぁ、見た目貧相な『国使団』なんて、迎え入れる側からすれば人質どころか献上品くらいにしか思えないだろうからね。自国から丁重に扱われていないことが透けて見える人間じゃ、質にする価値もない」
低く呟くカイの唇には、紛れもない冷笑が浮かんでいた。
「学ばないよねぇ。今、保守派さんたちがせっせと積んでるその〝嫌がらせ〟って、既に去年、前の女官長さんが散々やって、ディアナには何の意味もないどころか逆効果だって証明したコトばっかりなのに。――侍ってる人数がどれだけ少なかろうが、服装や使う品の総額がいくらだろうが、そんなもの、ディアナ自身の価値には何の影響も及ぼさない」
「そ、れは……」
「ディアナなら、『国使団』が貧相ならそれすらも利用して、逆にスタンザ国内での立場を確立するくらいの立ち回りは余裕でこなすよ。そもそも、クレスター家がそういう家なんだから」
「そう、だったな」
「話はそれだけ? なら、俺、もう行くけど」
クレスター家でディアナの隣にいるときとは、本当に様子が違う。ディアナ相手だとどこまでも柔らかく、優しげに煌く紫紺の夜空には、今は何の光も灯っていない。表情も声も静かで冷たく、その様はまるで月明かりに凍える雪原のよう――。
(……いや、違う)
こうして改めて、〝カイ〟だけを間近で見て、唐突に気付く。
確かに、今の彼はとても冷たい。けれど、だからといって氷のように温もりがないわけでもない。
むしろ――。
「……俺と話をするのは、そなたにとって苦痛か?」
「――は? 何、急に」
「できるだけ早く、話を切り上げたいように見えたのでな」
「そりゃ、さっきも言ったけど、俺だってそれなりに忙しいから。無駄な時間は、少ないなら少ないほどありがたいよ」
「……俺と話す時間は無駄、か」
「王サマにとってはどうか知らないけど、正直、俺にとってはそうだね」
ごく普通のトーンで、とてつもなく鋭利な言葉が放たれる。言葉の使い方を知らないだけならば単なる無礼者だが、この男は間違いなく、分かった上でその言葉を選んでいるのだろう。ジュークの返しにも、まるで動じる気配はない。
「……随分と嫌われたものだな」
「別に俺、王サマのこと嫌いじゃないよ?」
「その態度でよく言う」
「本当だって。王サマが去年の今頃のままだったなら、好き嫌い以前に抹殺対象だっただろうけど。あの状態からよくまぁここまで這い上がったよねって、そこは感心してるし評価もしてる。そういう不屈の精神の持ち主は、嫌いじゃない」
「……そうか」
受け取りようによっては褒め言葉にも聞こえるが、冒頭の〝抹殺対象〟の一言が全てを物語っている。おそらく、彼は今も様子見を続けていて、ジュークがディアナにとって完全な〝害〟となれば、いつでも抹殺する心算でいるのだろう。……ディアナをこの上なく大切にしている者たちにとって、そもそもジュークは怒りと憎しみの対象だろうから、そこに否やを言うつもりはないけれど。
(……あぁ、そうか。だから〝違う〟のか)
一見しただけでは、ただ冷たいだけのようにも思える、カイの態度。
けれど、これは違う。彼はただ、計り知れないほど強い意志の力で、己の感情を抑えているだけだ。ディアナにあれほど愛情深く接している彼が、その彼女をひどく傷つけ、今なお苦しめている男に、怒りを抱かないはずがない。――そんな男に呼び出されて、不快でないわけがないのだ。
(どう、して……)
かつてのリタのように、エドワードのように、燃える怒りをぶつけてくれば良いものを。彼は、王だからなんて理由で忖度して言いたいことを我慢するような、そんな男では――、
「ち、がう」
「……今度は何?」
「そなたが。そなたが今、俺に何も言おうとしないのは、怒ろうとすらしないのは……俺が〝王だから〟ではない」
その瞬間、カイの顔から、全ての表情が抜け落ちる。完璧な無表情の向こう側に、そのときジュークははっきりと見た。
「そなたは、あくまでも、彼女のために。……紅薔薇のために、己の心を全て隠して、俺と対峙しているのだな?」
ディアナを――ただ一人の女をどこまでも深く、激しく愛する、紛れもない男の情を。
表情も言葉も消し去ったカイに、ジュークは訥々と言い募る。
「ずっと、確信が持てなかった。そなたはあまりにも、感情を隠す術に長けているから。……だが、ようやく、分かった」
「……あのさ、王サマ」
「そなたが紅薔薇を何より大切に想っていることは、周知の事実だ。それなのに、そなたはこれまで一度も、俺に怒りをぶつけたことがない。怒りの存在すら、見せない」
「これは、マジの忠告なんだけど――」
「どうしてだろうかと考えて、ようやく分かった。そなたは俺に、怒りの片鱗すら見せられないほど――」
「――他人が親切心で隠してるもの、興味本位で暴かない方が良いよ?」
一瞬、瞬きの間、ほんの刹那。
空気が、世界が――入れ替わる。
ジュークが気付いたそのときには既に、漆黒を纏う男はその本性を顕にし、獣の如き獰猛な殺気と鋼の刃を思わせる鋭利な怒気を、まごうことなき本気でジュークへと突きつけていた。
正面の扉が、がたりと音を立てる。
「へい――」
「来るな、アルフォード! 誰も中へ入れるな!!」
以前、愚かなことを口走った自分に一瞬だけ落とされた、〝死〟を直感する気配。
あんなもの、この男にとっては児戯にも等しかったのだと、今この瞬間、ジュークは実感する。
本能的な畏れ、思考を塗り潰す恐怖の中で、それでも〝これ〟から逃げるわけにはいかないと、誰に守ってもらうわけにもいかないと、ジュークは天啓のように悟っていた。
アルフォードを拒んだジュークに、カイが面白そうな笑みを浮かべる。
「……へぇ? 守ってもらわないんだ?」
「そなたと、こうして二人で話をすることは、俺が望んだことだ。なのに、自分に都合が悪くなったら守ってもらおうだなんて、そんな勝手な話はない」
「今の俺がその気になれば、指一本動かさずにアンタを殺れるって、さすがに分かってるよね?」
「……分かっている。だが、ここで助けを求める権利は、俺にはない」
ジュークの答えに何を感じたのか、カイの殺気が僅かに薄れる。指一本動かせず、呼吸すらままならなかった金縛り状態から解放され、ジュークは考えるより先に深呼吸していた。
新鮮な空気を取り入れ、僅かに冷えた頭で、言うべき言葉をかき集める。
「そなたの親切を、気遣いを、無碍にしたことは謝る。だが、俺はずっと知りたかった。そなたの、本当の心を」
「謝罪は要らない。俺がアンタ相手に全部隠していたのは、アンタのためじゃなくディーのためだ。――で、ここまでやれば嫌でも俺の本当の心とやらは分かったと思うけど」
「……あぁ。よく、分かった」
「単純に疑問なんだけど、俺の本心知って、何がしたいの? ディーの名誉のためにこれだけは言っとくけど、俺の気持ちはあくまでも俺だけのもので、ディーは何も知らない。どっかの馬の骨が勝手に熱を上げてるだけの状況は、側室の不義には当たらないだろ?」
思わぬ言葉に、ジュークの目は丸くなる。そのままの顔で、首をぶんぶん横に振った。
「まさか。仮にそなたと紅薔薇が相思相愛だったとしても、不義になど問えるものか」
「まぁそりゃ、精神的なモノなんて証明のしようがないし?」
「精神的なものに留まらなかったとしても、だ」
カイの表情は動かないが、室内に渦巻く怒気が僅かに濃くなったのが分かった。
心を落ち着けるべくもう一度深く呼吸し、ジュークは改めてカイを見る。
「……そなたは、俺のことを人として嫌いではないとしても、男としてはこの上なく嫌いだな?」
「……アンタさ、頭そこそこに良いんだから、敢えて相手を怒らせるような質問するなよ」
ついにカイは、気配だけでなく表情に、声に、強い怒りを昇らせた。〝獅子〟の名を冠する者に相応しい、野性的な荒々しい怒りだ。
「男としてのアンタ? 嫌いどころの話じゃないよね。今すぐ首を落として四肢引きちぎって、荒野で獣の餌にしてやりたい程度には目障りだし、気に食わないし、存在そのものが消えて無くなれば良いのにくらいは思ってるよ。――どこの世界に、自分の存在全部をかけて守りたい女の〝夫〟に、寛容でいられる奴がいる? その〝夫〟が彼女を愛して幸福にしようとしているならまだしも、そんなつもり欠片もないくせに、〝夫〟の立場だけは手放そうとしない。百遍殺しても足りない程度には、憎い存在だ」
「ぁ……」
「スタンザ皇子は単純に妬心から気に食わないけど、正直、ヤツの気持ちは分かる。今すぐ戦争仕掛けてエルグランド王家を滅ぼそうとしないだけ、まだヤツは理性的だし、良心的だとすら思ってる」
「カイ……」
「アンタ、今、簡単に『不義には問えない』って言ったけど。それ、スゲー上から目線で腹立つどころの話じゃないから、二度と言わない方が良いよ。言われたこっちからすれば、側室が誰と何しようが構わないなら、今すぐ後宮を閉鎖して側室全員解放しろとしか思えない言い草だ。――彼女たちを縛りつけている罪悪感から逃れるためだけに、心を殺して〝側室〟に徹している人たちを侮辱するようなことを言うな」
それは、どこまでもディアナを想い、深く深く愛するがゆえの、激しい怒りだった。自分本位な感情からではなく、カイはあくまでもディアナの幸福を第一に願い、それを阻む存在を憎んでいる。
(そう、だな。もとより、紅薔薇を愛する者にとって、俺は憎まれて然るべき存在だ。カイは紅薔薇を、人としてはもちろんのこと、ただ一人の女性として、これほど深く愛しているのだから。……カイだけではなく、もしかしたら他にもいるかもしれない、側室を愛している男たち全てに、俺はこの上なく憎まれているのだろう)
それでも、カイは殺気と怒気を放つだけで、実際に武器を取り出すことはしない。霊術でジュークに危害を加えようとも、しない。
それは、きっと。他ならない、ディアナのために。
「わる、かった」
ゆっくりと、カイに対し、ジュークは言葉を紡いでいく。
「だが、カイ。俺は、罪悪感から逃れたくて、言ったわけではない。時間はかかっても、必ず後宮を閉じ、側室皆を自由の身にしようと、決意も固めている」
「……まぁ、そうでないと困るよ」
「そなたにとっての唯一が紅薔薇であるように、俺にとっての唯一はシェイラだ。シェイラ以外は愛せないし、〝女〟としての幸福を約束することもできない。俺は、一度に複数の女性を愛せるほど、器用な性格ではないからな」
「……うん、それで?」
「だが、俺自身が授けることはできなくても、願ってはいるのだ。側室皆が、それぞれにとって最高の未来を掴み、幸福となることを。俺個人としても、王としても。そのためなら、どんな努力も惜しまない」
そこで一度言葉を切ってから、ジュークは真っ直ぐにカイを見る。
「その中でも、紅薔薇のことは――ディアナのことは、特別に思っている。王として特別扱いすることはできないが、俺個人としてはどうしたって、特別に思う。俺にとっても、シェイラにとっても、彼女は恩人だ。彼女が居てくれたから、俺を諦めずに待ち続けてくれたから、俺は最後の最後で踏み留まることができた。……父の願いを、祈りを、繋ぐことができた」
「……うん」
「ディアナには、至上の幸福を掴んで欲しいのだ。……いいや、違う。彼女は、絶対に、誰よりも幸せにならなければいけない。彼女が幸福でない未来など、許されない」
どこか意外そうな表情になったカイに、ジュークは一歩、踏み出した。
「だって、そうだろう。ディアナはいつだって、誰かのために尽くして、他人の幸福を自分のことのように喜んで、それで満足してしまうんだ。俺みたいなどうしようもない、見捨てたって誰も文句は言わないような者にも、彼女は大切な友人たちと変わらない思いをくれる。そんな娘が幸福にならない世界など、間違っているに決まっているではないか!」
「……意外なところで意見が合ったね。俺も、心底、そう思うよ。ディーが幸せじゃない世界なんて、価値どころか存在理由すらない」
でも、とカイは静かに笑った。
「アンタ、一つだけ間違ってるよ。ディーは絶対、アンタを見捨てたりしない」
「……散々彼女を傷つけて、苦しめた俺を?」
「残念ながら、アンタ如きが傷つけられるほど、ディーの魂は柔じゃないから」
少し遠い目をして、カイは呟く。
「アンタがディーを、クレスター家を勘違いしてた頃は、確かにディーにとっても苦しい時間だったけど。その全てが報われた瞬間、彼女の魂はその傷すらも大切な思い出へと、未来を繋いだ勲章へと昇華させたんだ」
「しょう、か……」
「ディーは、世界や人間の残酷さを知らないわけじゃない。この世界はどうしようもなく薄汚れていて、人間はとことん愚かで、救いようがないことも知ってる。でも、それでもあの子は、その全てを受け入れてなお、人間を、世界を、心の底から愛する路を選んだ」
「愛する――」
「真の意味で愛することを知った、高潔な魂の持ち主だから――アンタがどれだけ愚かでも、ディーはアンタを見捨てない」
当たり前のような顔をして、カイはジュークに、真理を差し出す。ジュークの愚かさ、辿ってきた過去さえも、ディアナは心から慈しんでいるのだと。慈しんで、信じて、その全てを抱えながら歩くことを、祝福しているのだと。
ジュークは、二度、三度、喘ぐように息を吸って。
「……それが、ディアナか」
「そう。それが、ディー。――この世界で唯一、存在だけで俺を幸福にしてくれる、俺の最愛」
「……存在だけで、か。そなたは無欲だな」
「別に無欲ってわけじゃない。俺だって男だから、欲しい気持ちには普通になるよ。単に、俺の欲よりディーの幸せの方が何百倍も大事ってだけ。……俺の気持ちを優先させてディーを困らせたり苦しめたりするくらいなら、今は見せずにこのままで良い」
いつか、エドワードが言っていた。カイは――裏社会でその名を知られる『仔獅子』は、決してブレない鋼の意志の持ち主だと。癪ではあるが、ディアナの傍を許すのに、これ以上の男は見つからないと。
……この、男なら。『王』としては禁忌でしかない〝願い〟を、託すことができる。
「――カイ。そなたに、頼みたいことがある」
「内容によるけど?」
「そなたにとってはおそらく、簡単なことだ。――どうか、紅薔薇を、ディアナを頼む。いざとなれば、彼女を連れて逃げてくれ。スタンザからも……エルグランドからも」
カイの目が、少し大きくなった。
「そんなこと頼んじゃって良いの? アンタ、王様でしょ?」
「良くはない。むしろ、ここは王として、『紅薔薇を守り、何としてでも無事にエルグランド王国へ連れ帰ってくれ』と言わねばならない場面だ」
「だろうね。なのに、『逃げろ』って言っちゃうんだ?」
「紅薔薇は、おそらく、どれほどの極限状態に置かれても、絶対に逃げることを選ばない。……だが、俺は皮肉にも、彼女より少し長く生きているのでな。全てを投げ打ってでも逃げなければならない状況があることも、逃げたところで世界は意外と終わらないことも知っているんだ」
「そうなんだよね。たぶんディーはこれまでの人生で逃げたことないから、逃げることにものすごい罪悪感があるみたいだけど」
「ディアナが『紅薔薇』でいてくれなければ、とても苦しい状況下であることは確かだ。だから王としては、『紅薔薇』としてのディアナを失えない。――だが、俺としては、彼女の友人としての俺は、そんな責任などディアナが背負う必要はないから、どうか望む場所で、望む相手と幸福に生きてくれと言いたいのだ。……こんなことはそなた以外、誰にも言えないが」
「まぁ、仕方ないよ。……ジュークさんの友だちって、エドワードさんも含めてギリ、『王様』の仕事繋がりだから」
その言葉と同時に、ジュークにかかっていた圧が、幻のように掻き消える。安心より困惑を抱えてカイを見ると、彼は少し苦笑していた。
「……分かりたくないのに、分かっちゃったなぁ」
「カイ……?」
「〝あの〟クレスター家の人たちが、二千年以上ずっと、エルグランド家の人たちと絆を結び続けてきた、その理由。……アンタたちってたぶん、遠い遠い遥か昔から、そうやって馬鹿みたいに真っ直ぐなんだろうね」
「それは……褒め言葉、なのか?」
「褒めても貶してもないよ、単なる感想」
そう言うと、カイはどこか吹っ切れたように笑って。
「言われなくても、ディーのことは俺の全部をかけて守る。誰よりも優しいあの娘が、望みの全てを叶えて幸福に笑っている未来こそ、俺が絶対に譲れないモノだから」
「カイ……」
「その未来を実現するには、もう逃げなきゃどうしようもないって状況になったら、ありがたく、遠慮なく、逃げさせてもらう。……けどまぁ、そんな事態は最後の最後だよ。ディーは大事な人たちを見捨てて逃げるなんて絶対にしないし、王国中にシェイラさんの正妃擁立を認めさせて、実現させて、それを見届けてからじゃないと意地でも自分のこと考えようとしないだろうし。ディーがそう望んでいる以上、俺はその望みの実現のために、持てる力を尽くすだけ」
「……そなたは、そなたたちは本当に、揺らがないな」
「俺がというより、ディーがね。スタンザ行きにしたって、同じこと。ディーの望みは、『エルグランド国使団』が全員無事で王宮へ帰り着くことなんだから、『王様』は慌てず騒がずどっしり構えて、国使団の帰国を待っていれば良いんじゃない? その間に、自分のやるべきことを着実に進めて」
獅子を受け継ぐ青年の、煌く紫紺の瞳には、強い決意と覚悟が宿っていた。
彼ならば――ディアナを深く愛し、彼女の全てを受け入れ包み込むように慈しんでいるこの男ならば、この先、あらゆる苦難から、必ずディアナを守り抜くだろう。
そう確信し、ジュークもまた、覚悟を胸に強く頷いた。
「あぁ、もちろんだ。紅薔薇が成果を上げ、帰ってきてくれたそのとき、その効果が最大限に活かせるよう、俺たちは俺たちの為すべきことを進めておく」
「その言葉を聞けて、ちょっとは安心した。――ひとまず信じるから、よろしくね」
――夜が明ければ、また、新たな戦いが始まる。
ディアナの、カイの想いを無に帰さぬよう、闘志を胸に、ジュークは挑み続けることを誓うのであった。
ここらでカイに一度、溜まった鬱憤をある程度晴らしておいてもらおうと設けた機会でしたが、予想外の話の転がり方に、3回くらいジュークの命を危ぶみました。「いや、言いたいこと言って良いよとは確かに言ったけど、もうちょい言葉は選んで、相手にも配慮してですね……」と仲裁入れようとしても、もちろん彼は聞いちゃくれない。そしてなまじ優等生なものだから、お怒りの内容至極ごもっともで、地の文ですらジュークをフォローしてあげられない。
むしろ、この状態のカイ相手に、馬鹿がつくド率直一つで乗り切ったジュークに拍手を送りたいですね。よく頑張ったよ!
次回よりいよいよ、スタンザ編が本格的に始まります。