鬨の声を上げて
いつも感想、ありがとうございます!
ちょっと筆が乗ってきてストックがボチボチできたので、いつもよりは推敲したつもりですが、誤字脱字等あればお知らせ頂けますとありがたいです。
一晩明けて――朝。
「こ、れは……」
いつもと同じく早朝に目覚め、ひとまず簡素な普段着に着替え終えたディアナのもとへ、朝食よりも早く何通もの手紙が運ばれてきた。差出人はライア、ヨランダ、レティシア、シェイラ、そして――ジュークだ。内容は全員が同じで、「話したいことがあるので、朝食後に『紅薔薇の間』へ行くけど、特にもてなしとかは要らないからお構いなく」というもの。……ディアナ宛というより、侍女たち宛のような気がしなくもない。
「承知致しました。……予想された展開ですね」
手紙を運んでくれたリタに内容を伝えると、さらっとそう返されて。ディアナは思わず、唇を尖らせた。
「……どうせ、リタも反対なんでしょう」
「何がです?」
「分かっているくせに。――わたくしが、スタンザへ行くことよ」
ディアナが全幅の信頼を置く侍女は、滅多にないことながら、これ見よがしに深々とため息をついた。
「賛成してもらえるとお考えなのが、そもそもおかしいのです。ディアナ様のスタンザ行きに両手を挙げて賛成される方など、保守派のお歴々くらいでしょう」
「それはそうだろうけれど。わたくしだって、行かずに丸く収める方策があるならそちらの方が良いに決まってるけれど。現状、わたくしが出る以上の良策が思いつかないのだもの」
「……ディアナ様がそうお考えになっていることは、察しておりました。私だけでなく、他の皆も」
リタが、強い瞳でこちらを見つめてくる。
「確認致しますが、まさかディアナ様、スタンザ皇子殿下の思惑に従ってそのまま嫁がれるおつもりではありませんよね?」
「そんなわけ!」
反射的に大声を出してしまってから、ディアナは改めて深呼吸をし、心身を落ち着けて口を開いた。
「そんなわけ、ないでしょう。皇子殿下の狙いがわたくしで、外宮が側室の中から国使団の長を出すと方針を固めてしまった以上、わたくしが出るしかないから行くだけよ。――わたくしが一番、国使団全員を〝生きて帰せる〟確率が高いから」
「ディアナ様……」
「わたくしの目的はあくまでも、この難局を可能な限り陛下とシェイラの――ひいては後宮の利となるよう切り抜けること。そのためには〝国使団の全員帰国〟が必須条件だし、もちろんその中にはわたくし自身も含まれるわ。それに……」
「それに、何です?」
「……これは、国云々関係ない、完全な私個人の気持ちでしかないけど。皇子殿下のお気持ち自体はありがたいと思うし、人間的に彼のことが嫌いなわけではないけども、私、彼の気持ちを受け入れて、スタンザの皇子妃になることはできない。…………私の欲しい未来は、彼の隣には存在しないから」
ディアナの言葉に、リタの目がゆっくりと開かれていく。数拍の間を置いて、彼女はゆっくりと微笑んだ。
「そのお言葉を聞けて、安心致しました。ディアナ様がいつもの如く、自己犠牲の精神だけで突っ走っていらっしゃるのではと、危惧しておりましたので」
「それ、みんな言うけれど。わたくし、そんなに自己犠牲精神旺盛ではないわよ?」
「そう思っていらっしゃるのは、ディアナ様だけですよ」
ディアナの抗議にサクッと反論してから、リタは改めて背筋を伸ばした。
「ディアナ様。一つ、お願いがございます」
「なぁに?」
「ディアナ様がどうしても、スタンザへ赴かれるというのであれば。――必ず、私をお連れくださいませ」
ディアナが異議を唱えるより早く、リタは強く畳み掛けてくる。
「危険な旅になるであろうことは、十二分に承知しております。ですが私は、ディアナ様に忠節を誓った、ディアナ様ただお一人のための侍女。主が国のため、そして大切な方々のため、敢えて危険に身を投じるときに、黙って見ているだけなんてごめんです」
「リタ……」
「ディアナ様が〝最善〟のため動かれるというのであれば、手足となってお支えし、お守りすることこそ侍女の本分。……いいえ、仮に私が侍女でなかったとしても、大切なディアナ様を危険な場所へ送り出し、ただ待っているだけの立場は、私には耐えられそうもありません」
……ディアナとて、本当の本音を言えば、リタには一緒に来て欲しい。スタンザ語をディアナと同程度に操れて、植物知識も共有していて、自衛以上の戦闘能力もあるリタがついて来てくれれば、孤立無援のスタンザでどれだけ助かるかなど、目に見えている。
――けれど。
「リタ、本当に良いの? スタンザ帝国へ行くということは、どれほどの危険が待ち受けているか未知数の場所へ、自ら飛び込むということなのよ? もちろんわたくしは、何があっても全員無事に帰国できるよう全力を尽くすけれど、全ての危険を回避できるかどうかは分からないわ」
「十二分に承知しております、と最初に申し上げました。ディアナ様が許してくださらないのであれば、スタンザ側へ直訴してでもついて参ります」
「……分かった。分かったから、無意味に危険な真似はしないで」
さすが、年齢一桁の頃からディアナの〝姉〟をしているリタは、〝妹〟を一瞬で黙らせる術をよく心得ていた。交渉相手に敢えて最も危険なスタンザ陣を選択することで、ディアナの反論を初手から封じるとは。
息を吸って、吐いて、ディアナは少し苦笑した。
「……ありがとう。リタがついて来てくれたら、正直、とっても心強いわ」
「光栄です。全力を賭してお支え致しますので、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく、はわたくしの言葉だわ。――よろしくね、リタ」
……条件付きではあるが、リタの了承を取り付けることができたことに、ひとまずは安堵する。が、安心してばかりもいられない。
――本番は、ここからだ。
***************
「――さて。昨日の側室会議を踏まえて、今後の対応について検討しましょうか?」
朝食後、ほとんど間を置かずに訪ねてきたライア、ヨランダ、レティシア、シェイラの四人と、やや遅れはしたものの距離を考えるとやはり朝食後すぐに部屋を出たのだろうと思われるジュークとアルフォードが揃ったところで、ヨランダがにこやかに切り出した。……この状況で満面の笑みなのが、逆に、とてつもなく、怖い。
ヨランダが根回ししていたらしく、こちらは朝食時から『紅薔薇の間』に詰めていたマグノム夫人(おそらく、ディアナの逃亡阻止要員だろう)が、流れるように頷く。
「昨日の会が終わった時点で、『紅薔薇様』から申し付けがあった通り、後宮としては今回の国使団派遣そのものに賛同できない旨をお伝えしております。……内務省の者は案の定、『女が何を賢しらに』とご不満だったようですが」
「それしか言えないということは、『紅薔薇様』のご指摘そのものは的を射ているということね。――まぁ、男も女も関係なく、少しでもマトモな頭があれば、『紅薔薇様』のお言葉は正論中の正論だと分かるはずだから、無理もないことだけれど」
「……あの、ヨランダ様、マグノム夫人。聞こえよがしに『紅薔薇様』を強調するのは止めてください。ものすごーく、居心地が悪くなるので」
「あらあら。最近のディアナはご自分のお立場を忘れ気味かしらと思ったから、親切心で言ってみたのだけれど?」
……怒っている。ヨランダが、これまで見たことがないほど激烈に怒っている。
「本当に。ディアナはちょっと、自分を軽く考え過ぎです」
そんなヨランダを止めるどころか、レティシアが全力で乗っかった。
「私は、ディアナに『紅薔薇』の地位を押し付けることが、長い目で見て最善とは考えていませんけれど。でも、少なくとも今の王国で『紅薔薇様』と呼ばれ、側室の最高位にあるのはディアナなんです。そんなディアナを求めるスタンザ皇子がエルグランド王国と後宮を蔑ろにしているのは間違いないのですから、ディアナは真っ当に『馬鹿にしないで』と怒った上で、後は完全に拒絶するだけで良いでしょう」
「レティ……でも、それじゃ」
「――外宮が〝側室を国使団の長とする〟と決めてしまった以上、誰かはスタンザへ行かなければならないと、ディアナは考えているのよね?」
静かに、いつもより低いトーンで、ライアがそう尋ねてきた。迷いはしたが、ディアナは無言で、コクリと頷く。
「……ここ最近の外宮の動きを見るに、避けられない流れかと」
「――いいや、させぬ」
ずっと黙ってディアナたちの会話を聞いていたジュークが、強い調子でディアナの言葉を否定した。アルフォードが心配そうにジュークを見るが、彼の決意は硬そうだ。
「俺――というより王としての〝私〟が、ただ臣たちの言葉を鵜呑みにするだけの〝操り人形〟のフリを辞めれば、いくらでも王の権限でこの事態をひっくり返すことはできる。重臣たちが何と言おうが、王としての判断を貫けば良いだけの話だ。国は一時混乱するだろうが、これ以上後宮を、側室たちを犠牲にすることはできない」
「陛下……」
集った全員の表情が複雑に染まる。〝それ〟が誰もスタンザへ行かせないための最適解であることは確かでも、その代償は決して小さくないからだ。
「……わたくしどもを守るため、陛下が犠牲になっても、全体で見て意味はありませんよ。むしろ、より悪い」
穏やかに、緩やかに、ディアナははっきりとした〝否〟を告げる。
「立場の重さで言えば、今、この国にジューク陛下より重いお立場の方はいらっしゃいません。『紅薔薇』の代替はいくらでもおりますが、『王』の替えは居ないのです。わたくしどもを守るため、陛下のお立場のみならずお命まで危うくさせるようなことがあってはなりません」
「紅薔薇……だが、このままでは俺は、そなたたちを守り切れぬ」
「わたくしども側室は、正式な王家の一員には数えられませんが、『王家に準ずる』存在なのでしょう? であれば我らは、ただ陛下に守られるだけのか弱い存在ではなく、陛下とともに国を、民を守る責務を負っているはずです」
「俺は、そなたのその理屈に甘えて、これまで散々そなたを苦しめてきた! もうこれ以上、俺を恥知らずな『王』にしないでくれ……!」
……この人は、本当に、この一年で予想だにしないほど大きく変わった。もともと名君となる素質は充分にあったけれど、それが今、花開いているのをひしひしと感じる。
「……その、お言葉だけで。陛下のそのお心だけで、わたくしの苦労は全て報われております」
心の底から、笑みが浮かぶ。……たぶん、『紅薔薇』や貴族としてではなく、『ディアナ』としての笑みが。
「途切れさせたく、なかったもの。目の前で喪うことが、どうしても耐えられなかったもの。――絶対に欲しかった、掴んで欲しかった、もの。その全てが今、わたくしの手の中にある。その現実だけで、わたくしはもう充分に幸福で、過去の全てに意味があったと肯定的に受け入れることができます。ですから陛下、わたくしへの負い目ゆえに、どうか判断を誤らないでください」
「紅、薔薇。そなたは……」
「陛下が『王』として真に立ち、ご自身の意志を貫かねばならぬ日は、いずれ必ずやって来ます。こんな風に側室一人を庇うためではなく、国の、民の行く末を左右する大きな岐路において、陛下のご決断とお言葉が必要不可欠な瞬間が、そう遠くない未来に訪れるでしょう。――そのときまで、陛下には玉座を守って頂かねばなりません」
ある意味、ディアナはジュークに酷を強いている。王として強硬な姿勢を見せれば『ジューク王』排除の動きが出てくることは分かり切っているのだから、切り札を温存するため、今は側室に負担を掛けることを受け入れろと言っているのだから。ジュークもそれが分かるからか、言葉を失った彼の表情は苦悩の色に染まっていた。
「……ディアナの言葉は尤もね。今のままでは、奇跡でも起こって外宮の論調が大きく変わらない限り、側室を国使として派遣する流れは変えられない」
「……残念ながら外宮の結論は変わりません。今、エルグランド国使団をスタンザへ派遣するという意見に対し、明確な反対を述べてくださっているのはストレシア、ユーストル、キール家の三家を除けば、クロケット男爵と彼に近い少数の新興貴族家、後はアーネスト家くらいです。側室方のご実家、特に革新派や新興貴族家の中には、内心では反対したい方々も多いでしょうけれど、ドレディ男爵閣下が声高に賛成論を唱え、それが外宮の大多数の意見になってしまったからか、〝側室の親〟としての個人感情を出し辛くなってしまっているようでして」
「あぁ、なるほど。ドレディ男爵様も側室の親であることは違いないのに、側室を国使にするとなればご自身の娘が選ばれるかもしれないのに、娘を異国へ遣りたくないという個人的感情よりも国益を優先させていらっしゃる、なんてできたお方だ……という空気になっているわけですね?」
「その通りです、ユーストル嬢」
いつもは穏やかなアルフォードの瞳も、さすがに苛立ちの色が強い。彼には珍しく、舌打ちせんばかりの様相だ。
「そもそも、裏で糸を引いてこんな事態を作り上げやがったのは、どこのどいつだって話ですよ。普通なら、超がつくほど異国大嫌いな保守派のお大尽方が、スタンザ国使団の要求をほぼ無抵抗でホイホイ受け入れるなんてあり得ないんだ。側室を国使団長に、って話もそうだが、奴らそれ以外の人選にも口を挟んできてる。で、外宮はそれにも一切反発しない。……絶対おかしい、何かある」
「想定の範囲内ですが、やはりそう出ましたか。具体的には、何と?」
「――予定外の国使団ゆえ、あまり大規模なものはお控え願いたい。皇帝への無用な刺激を避けるため、武官の同行はご遠慮を。今回はあくまでも両国の親善交流が目的なので、実務の文官も必要ないと考える。国使団の長となられる側室様と、そのお世話をする侍女が数名いれば事足りるでしょう……だそうですよ?」
「あらあらあら……『ノーガードで人質に来い』という本音を遂に隠さなくなりましたね。皇子殿下の真意を知っているわたくしたちには、ディアナへの『身一つで嫁に来い』なぁんてメッセージすら透けて見えます」
「一応、往復の道程と滞在期間中の簡単な予定は提示されましたけどね。滞在はおよそ二週間予定で、往復期間を含めると一月強の外出に過ぎないのだから、それほど大仰な団体にする必要もない、という建前だそうです」
「そんなもの。向こうへ連れて行きさえすればこちらのものだと考えているに決まっているわ。エルグランド王国にはスタンザ帝国より足の速い船は存在しないのだから、一度連れ去れば奪還するのも容易にはいかないと、そこまで計算して」
言葉を交わせば交わすほど、ライアとヨランダ、アルフォードの言葉が荒くなっていく。生粋の貴族として生まれ育ったこの三人がここまであからさまに苛立つとは、異常事態もここに極まれりだ。
……それにしても。
「殿下の強引さはおそらく、スタンザ帝国の皇室あるあるなんでしょうけれど。国も違えば求婚の作法も当然違うわけで、仮にもエルグランド人のわたくしを〝女として〟欲するのであれば、せめてこちらの作法は踏襲して頂きたかったですね。――こんな強制的な形で『嫁に来い』と言われても、相手に好意を抱けるどころか、はっきり言って逆効果なんですが」
ディアナのシンプルな感想に、全員の視線が一斉に突き刺さった。その目と表情は、言葉よりも雄弁に、「何を当たり前のことを」「そんな求婚、そもそも聞いてやる道理すらねぇだろ」「お人好しも大概にしなさい」と語っている。
「……いえ、単純に疑問なのですよ。彼は学者としては本当に優秀な方で、スタンザ帝国とエルグランド王国の文化や意識の違いなども、かなり深いところまで学んでいらっしゃいましたから。それなのに、その学びを今回まるで活かせていないのが、どうにも腑に落ちなくて」
「だからって、その疑問を解消する必要はないからね? 皇子殿下が、そして外宮の思惑がどうであろうと、ディアナがそれを斟酌してあげる必要などないわ」
強い調子でライアがそう言い切ると、身体ごとジュークに向き直った。
「――陛下。もしも、エルグランド王国国使団の派遣が避けられないのであれば、どうかこの私を、団の長にお命じください。エルグランド要人の父と、スタンザ有力貴族家バルルーン家出身の母を持つ私は、両国の友好の証である国使団の長に相応しい身の上であると考えます」
「ライアさん!?」
「ディアナ、黙って。身分と血筋を考えれば、私以上にこの役目が適任な人間はいないわ」
ディアナは思わず、ヨランダを振り仰ぐ。これまでの関係性を見るに、ライアを止められるのがヨランダしかいないのは明白だ。
ディアナの視線を受けたヨランダは、にっこりと笑って。
「スタンザ側が侍女の同行を許してくれて良かったわ。――陛下。ライアを長とする国使団に、わたくしも侍女として同行する許可を」
「ちょ……っ、ヨランダさんまで何を言い出すんです!」
「あのね、ディアナ。これまで散々、あなたにばかりこの国と後宮の問題を背負わせて、命の危険にまで晒しておきながら、わたくしたちはあなたの陰に隠れてこそこそ動くしかなかった。あなたを矢面に立たせて、自分たちは安全圏で策だけ弄するような、そんな闘い方はもう終わりにしたいの」
「だからといって……危険過ぎます!」
「ライアは母君がスタンザ屈指の有力貴族家の姫君だったのよ? ある意味あなた以上にスタンザ宮廷のどす黒さは知っているし、知っていれば対策だって立てられるわ。ライア一人で厳しい部分は、わたくしがフォローする。伊達に『社交界の花』と呼ばれていないもの」
「ライアさんとヨランダさんは、この後宮に必要なお方です。わたくしが不在にすることはこれまでもありましたが、わたくしがおらずとも『名付き』の御三方とマグノム夫人、クリスお義姉様がいらっしゃれば何とかなることは実証済みでしょう。逆に、お二人抜きで後宮を上手く纏め上げる自信など、わたくしはもとよりこの場の全員が持てないはずです」
それに、とディアナは必死に論理を組み立てる。
「ライアさんがどれほどスタンザ宮廷の黒さをご存知でも、味方が絶対的に少ない以上、立ち回りに限界は必ず来ます。お二人は、エルグランドの貴族令嬢としては同年代に並び立つ者は居ないほど全てにおいて優れておいでですが、失礼ながら武術や暗殺術に明るくはいらっしゃらないでしょう。わたくしは最低限の自衛なら独りでもこなせますし、何より自慢ではありませんが、毒殺系の暗殺阻止においては本職以上の働きができると自負しております。――スタンザ帝国に森は存在しないようですが、そこに大地と植物がある限り、わたくしの目の前で毒は意味を為しません」
「食べ物と飲み物に気をつければ、大抵の毒殺は阻止できるでしょう?」
「いいえ。世の中には、吸引系の毒も、血中注入系の毒も、多種多様に存在します。変わり種では、芳香剤として枕の下に忍ばせ、夜毎悪夢を見せることで気力を削り、自ら死を選ぶよう仕向ける精神作用系の毒すらあるのです。知識も耐性もないまま、それら全てを退ける術はありません」
ここで仲間を説得できずして、何が『知』の殿堂たる『賢者』の末裔だ。歴史の中で、『賢者』の力は常に仲間を、大切なものを守るために使われてきた。偉大なる先祖の足跡を汚さぬためにも、引くなんて選択肢はディアナにはない。
「ライアさん。ヨランダさん。先ほど陛下にも申し上げましたが、わたくしを気遣うがあまり、どうか大局を見誤らないでくださいませ。今回の事態へと導いた見えない〝誰か〟の思惑を打ち破るためにも、エルグランド国使団は必ず、全員無事に生きて王宮まで帰り着かねばならないのです。それのみならず、可能であればスタンザ帝国で何らかの成果を上げる必要すらある。ただ行って帰るだけでは、『何のためにスタンザまで行ったのだ』という保守派からの批判は避けられないでしょうから。――現状、その二つをこなせる確率が最も高いのは、暗殺術に一定の耐性があり、かつ、一方的ではありますがスタンザ皇子殿下から好意を抱かれているため自由に動ける範囲が広そうな、わたくしだけではありませんか?」
「ディアナ……」
犠牲になるのではない。闘いに赴くのだ。――欲しい未来を、この手で掴むために。
ディアナの決意を感じ取ったのか、ライアとヨランダ、そしてレティシアの表情が苦悩から思案へと変わる。
あと、もう一歩――!
「大局、と言うのなら。一番良い選択肢を、ディーは最初から除外しているわ」
静かになった『紅薔薇の間』に、糸のように細く、それでいて鋼のように強い声が通った。これまで、ずっと無言で話の行方を追っていた、シェイラだ。
「そもそも、スタンザの皇子殿下がディーをスタンザ帝国へ連れて行こうとしているのは、ディーが生涯誰にも愛されないまま、正妃の務めだけを果たして朽ちていくのを憂いたからなのでしょう? 勘違いも良いところだけれど、正直なところ、気持ちだけならすごく分かるの。私も、皇子殿下と同じ情報を与えられて、皇子殿下と同じ権力があれば、もしかしたら強引にでもディーを連れ去りたいと願うかもしれない。それくらい、今、彼から見えているディーの状況は悲惨なはずだもの」
「えぇと……全部、勘違いなんだけどね?」
「えぇ。だから、その勘違いを正してあげれば良いのよ。――私が、スタンザへ行って」
今度こそディアナは声を失い、反射でジュークを見た。これは何より、ジュークが絶対受け入れられない案のはず。
しかし予想に反して、ジュークはいたって静かに、シェイラの言葉を受け止めている。……もしかしてこの二人、昨夜のうちに意見を擦り合わせたのか。
「エルグランド王の寵姫である私が国使団の長となれば、皇子殿下の溜飲はひとまず下がるでしょう。エルグランド王国は側室筆頭であり正妃候補でもある『ディアナ・クレスター』を蔑ろにしていないという、殿下向けのアピールにもなる。義両親から捨てられたも同然の私は、二度とエルグランド王国に帰れない可能性の高い人質となっても、全然おかしくない立場だし」
「……それで? 帰りはどうするつもりなの?」
「皇子殿下の誤解を解くの。自らの思い違いに気付けば、殿下はディーを諦める。私を人質にしておく意味も無くなるわ」
「百歩譲って殿下はそれで良くても、スタンザの宮廷は? せっかく手に入れたエルグランド王国の人質を、そう簡単に帰すと思う?」
「仮に、私が帰らなくても。……ディーや皆様方と違って、私はこの国に、絶対必要な存在ってわけじゃない」
「馬鹿なことを言わないで。本気で怒るわよ」
ディアナは強く、シェイラを睨み据えた。
「あなたは、この国の未来の正妃でしょう。陛下とともに、この国を背負い、守り支え、導く立場よ。陛下と同じように、あなただって替えは利かない」
「ディーだってさっき、『紅薔薇』はいくらでも代替が利くって言ったじゃない!」
「それはあくまでも立場の話で、シェイラの替わりはどこにも居ないでしょう!」
思わず立ち上がり、ディアナはシェイラに歩み寄った。
「この国のどこに、あなた以上に陛下を愛して、あなた以上に陛下に愛されている女性がいるというの。あなた以上に陛下を支えるという強い気概を持っていて、あなた以上に正妃の立場を背負う覚悟を決めていて、それを成し遂げる才覚がある人なんて、国中どころか世界中探したって、あなた以外にいるわけない!」
「でも!」
「絶対、聞かない! あなたが必要ない存在だなんて言葉、もう二度と、あなたの口から聞きたくない!!」
半ば本気で怒り、その感情のまま、ディアナはジュークを振り返って睨む。
「奥様がこのような思い違いをなさっているのなら、それを正すのは夫のお役目ではありませんか?」
「紅薔薇……」
「相手の言葉を何もかも受け入れるのが夫婦ではありませんよ。わたくしも以前、最大級に落ち込んでいるときに馬鹿なことを口走りましたけれど、そのときたまたま一緒にいたカイに、すごい勢いで怒られました」
〈……うんまぁ、すごい勢いで怒った記憶はあるけど。今の文脈だと、無駄な誤解を生みそうだよね? 別にディアナの献身と自己犠牲のギリギリラインを怒るのは、俺の専売特許じゃないでしょ〉
「まぁ、そうね。最近は割と皆から怒られる」
今の今まで気配すらなかったが、このメンツが集っているときにカイが外しているとは思えなかったので、ディアナも、集まった面々にも動揺はない。
そのまま声だけで、カイは会話に加わった。
〈ねー、シェイラさん、王様。気持ちはスゲー分かるけど、たぶんスタンザの皇子に二人の仲見破られたことをめちゃくちゃ気に病んでるんだろうけど、そこ言い出したらキリないからさ。俺だって『闇』の皆さんだって、あの日あの瞬間、たまたま嫌な偶然が重なってあの邂逅を許しちゃったのは痛恨のミスだし、それはディアナだって同じでしょ〉
「えぇ。というか、一番下手打ったのは私だと思ってる。あれは本当にシェイラが気にすることじゃないし、陛下とシェイラに非があったわけでもないわ」
〈そ。どんなに過去を悔やんだって、時間を巻き戻すことは誰にもできない。いつだって俺たちは、今、この瞬間から最良の未来を目指して、最善を尽くすしかないんだよ。過去を反省して未来へ活かすことは大切だけど、過去の過ちを悔いるあまりそれに囚われて、最善を見失うのは似て非なる愚だ〉
冷静なカイの言葉に、シェイラはほとんど涙ぐみながら、天井を見上げて。
「ではカイさんも、ディーをスタンザ帝国へと送ることが最善だと、そう言いたいのですか?」
〈個人的感情を抜きにして、目的と候補者それぞれの技量、取り巻く状況を総合的に判断すれば、ディアナが一番適任かなとは思うよ。次点だとライアさんだけど、〝全員無事での帰国〟を最重要ミッションに掲げるなら、ライアさんよりディアナの方が成功率は高い〉
「あなたは! ディーを危険な場所へ送ることに、抵抗はないの!?」
〈個人的感情を最優先させて良いなら、スタンザ国使団とこの国の保守派貴族を皆殺しにして、外宮の意見とやらを力ずくで変えるに決まってるよね? ――けど、そんなことをすれば、ディアナをスタンザへ送らず済む代わり、この国にスタンザ軍を呼び込むことになる。そしてそれは、ディアナを何より苦しめる最悪の展開だ〉
カイの強い、そして深い声に、室内の全員が言葉を失った。シェイラのみならずジュークも目を丸くして、ただ無言で天井を見つめている。
〈俺はこれ以上、ディアナから大切なものを、一欠片だって奪わせたくない。それはアンタたち友人の命だったり、国と民の平穏だったりもするんだろうけど、一番はきっと、どんな困難や恐怖にだって最善のためには臆さず立ち向かう、どこまでも清廉な志だ〉
「カイ……」
静かな戦慄が、しばし室内を支配して――。
「……ずるいわ、ディー」
やがて、シェイラがぽつりと呟いた。
「一番最初に、カイさんを味方につけておくなんて。勝てるわけないじゃない」
「……そうね。私も、本気のカイに勝てたこと、一回もない」
「最強の援護ね。本当にディアナは、抜け目ないんだから」
「シェイラ様の仰るとおり、ずるいです」
ヨランダとレティシアの相槌に、シェイラは苦笑しつつ頷いて。
「でもまさか、カイさんがディーをそんな危険な国へ送り出すことを受け入れるなんて思わなかったわ。以前私を助けるために、ほんの一日二日離れただけで、もの凄く不機嫌になっていらしたのに。今回は一月以上でしょう?」
〈……どうしてシェイラさんまで、俺が黙ってディアナを送り出す前提で話を進めるのかなぁ。ついてくに決まってるでしょ、もちろん〉
「ついて行く……って、先ほどの騎士団長様のお話、聞いていらっしゃいました?」
シェイラの困惑に、アルフォードも頷く。
「今回、男が同行するのはかなり難しいぞ。隠れてついていくにしても、船への密航、港からスタンザ宮殿まで、宮殿内での隠密行動と、難易度は相当なものだ。いくらクレスター家のバックアップがあるにせよ、お前一人でどこまでできるか……」
〈みたいだね。俺も昨夜シリウスさんに確認したけど、スタンザの宮殿ってかなり開けた造りらしくて、隠れられる場所はかなり少なそうだって聞いた。密航までは何とかなっても、その先は厳しいだろうって。父さんのサポートがあればどうにかなるかもしれないけど、ずーっと霊術使うのも面倒だし〉
「分かってるじゃないか。それなのに、どうやってついて行くんだ?」
〈まぁ、考えてることがあるにはあるんだけど。俺にできるかどうか、まずはそこからなんだよね。――近いうち相談したいから、ライアさん、悪いけどちょっと時間取ってくれない?〉
藪から棒に指名されたライアが、やや驚いて視線を上げる。
「私、で良いの? ディアナでなく?」
〈うん。たぶん、ライアさんが一番的確に相談に乗ってくれると思う〉
「……分かったわ」
ライアが頷いたところで、ジュークが立ち上がった。
「紅薔薇。……済まない。結局、またそなたに、そなたたちに頼ってしまうことになりそうだ」
「謝罪は必要ありませんよ、陛下。これは、単なる役割分担です」
演技でなく、ディアナはゆっくり微笑んで。
「スタンザとの外交問題はひとまずわたくしに預け、陛下は内政に集中なさってください。味方とできそうな方々を集め、見えない〝敵〟の正体を暴くために必要な情報を漏らさず入手することもまた、過酷ながら外せない闘いです」
「紅薔薇……」
「シェイラも、ね。正妃教育はもちろん、『紅薔薇』不在での後宮では、どんなことが起こるか分からないわ。わたくしが居ないことで、リリアーヌ様が何か仕掛けてくる可能性も高くなる。大変だろうけれど、皆の平穏をどうか守って」
「ディー……もちろんよ」
「ライアさん、ヨランダさん、レティ。これまでにない長さの『紅薔薇』不在となりますが、どうか後宮を、そしてシェイラの補佐を、よろしくお願いします。――この難局を乗り切れば、事態の風向きは変わる。わたくしたちにとって良い方へと、必ず」
「――えぇ」
「……仕方ないわね」
「ディアナの頼みなら、聞かないわけにはいかないです」
内政を、ジュークに。後宮を、シェイラと『名付き』の三人に預け。
「ここから、始めましょう。――反撃への、前哨戦を」
譲れない戦場へと、ディアナは遂に、踏み出した。
というわけで『悪役令嬢(異国)後宮物語』がいよいよ始まります(嘘だろ導入だけで30話超え……?)
ちなみにTwitterさんでもこっそり愚痴りましたが、どうやら『にねんめ』の話数は、このままいくと軽く『いちねんめ』を超えることになりそうでして……どうしてこうなった、これでも書くこと厳選してるのに。
長くなってしまいそうで申し訳ありませんが、涼風の作風を好んでくださっている方々は長文ばっちこいな猛者様が多いようなので、このまま甘えて突き進みますね。
次回、ディアナさんは一回休みの予定です。




