終話 いつか、どこかの鉄路で
一週間後。
エルザブリュック機関庫、貨客ホーム。
二台の機関車が、重連で出発の時を待っている。
先頭は空色の機関車、テア号。後方は若草色の機関車、パオロ号。二台とも晴れの日に合わせてピカピカに磨かれ、塗装には染みひとつ無い。
雑然と貨物箱が並ぶホームには、二人の機関士を見送る人々が、小さな人だかりを作っている。
主な顔ぶれは、マテウス、ゾフィー、ハンスとオーラフ、そしてブラーヴァ。他に二人の顔なじみの整備士達や、同僚の機関士達が顔を揃えていた。
主役の一人であるフランツは、最後の荷物、着替えや身のまわりの物が入った大きな袋を、テア号の雑務室に押し込んでいるところだ。
〈歩杖〉への入団が決まったあと、二人はあわただしい一週間をすごした。
機関車団の支部があるヴァスマウロ・シュタットへの引っ越し準備は、二人が想像していた以上に大変だった。
機関士が街を移るとなれば、荷物一つというわけにはいかないからだ。
幸い、フランツもリンテも、様々な人の助けを借りて、何とかこの日に合わせて準備を終えられた。
公社関係の手続き、身分証や居住登録の変更は、マテウスが自分自身の引っ越しの合間に、ついでだと笑って引き受けてくれた。
持っていく物の分別、これは特にリンテが苦労していたが、ゾフィーが仕事を休んで付き合ってくれた。
機関車についてのに関しての面倒な手続きは、ハンスとオーラフ、彼らの斡旋会社が全面的に引き受けてくれ、わずか数日で完了した。
そして昨日のことだが、二人の知人友人が集まり、エルザブリュック一の安酒場〈エーミルの店〉にて、ささやかな送別会が行われた。財布の苦しい参加者のために、店長のエーミルはビールをタダで振る舞ってくれた。
なお、これはどうでもいいことだが、送別会の締めを飾った飲み比べにおいて、リンテは人生で初めて、ゾフィーに勝利した。
開けたビールの樽は両者合わせて十樽。ここ数年ないほどの白熱した勝負は、わずかジョッキ一杯の差で決着した。
日付が変わる頃、騒ぎ疲れた若者達は、店の二階を占領して眠りについた。
そして今日。
二人の少年機関士、フランツ・シュパッツと、リンテ・パルドは、生まれ故郷を離れる。
目的地、ヴァスマウロ・シュタットまでは、機関車ごと〈歩杖〉のメンバーがエスコートすることになっている。
彼らを乗せる列車、XTK142便の発車時刻は午前十時十五分。あと三十分もないが、まだ〈歩杖〉の機関車は到着していない。
「ちょっと遅いんじゃないか? 向こうさんは何をやっとるんだ?」
「落ち着けハンス。さっき係が来ただろう。ちゃんと予定の時刻で走っているそうだ」
落ち着かない様子で懐中時計をいじるハンスと、そんな相棒にため息をつくオーラフ。
となりではゾフィとリンテが、飲み比べの結果について言い合っている。
「やっぱり、途中でファウストの白ビールに手を出したのが敗因だったわ。度数強いって知ってたのに、油断しちゃうなんて一生の不覚」
「へへん! どんなに言い訳しても、負けは負けだからねゾフィ!」
「しょうがないわ、勝ちは餞別って事にしといてあげる」
そんな娘の様子を、車いすに乗って心配そうに見るブラーヴァと、それにつきそうマテウス。
「もうリンったら、こんなときまで何を張り合ってるのかしら」
「ラヴさん、リンはあのくらいじゃないと、なんていうか、リンらしくないですよ。まじめくさって挨拶するリンなんて、俺には想像つかないです」
周囲の知人たちから、マテウスに同意する声が上がる。
リンテの標的がゾフィーから彼らに変わり、人だかりがワッと湧いた。
彼らから少し離れて、フランツはようやく袋を押し込んだ。
雑務室の中は、もっていく荷物でいっぱいだ。
フランツ自身の荷物は少なめだが、パオロ号に入りきらなかったリンテの荷物が場所を占領している。
「こんなときまで僕に迷惑をかける……それもまたリンらしい、かな」
フランツは額の汗をぬぐって、雑務室のドアを勢いよく閉めた。
一つとなりの線路を、灰色の大型機関車が通りすぎていく。
乗っている初老の機関士に見覚えはないが、彼は帽子を取ってフランツに挨拶をする。禿げた頭がちょっとお茶目だ。
屋根の上には見習いだろうか、小柄な少年が立って、こちらに両手を振っていた。
「ありがとう、お元気で!」
フランツは手を振り返した。
灰色の機関車が、機関区の出庫ゲートを抜けてカーブに消える。
そして入れ違いに、後ろ向きに入ってくる機関車がある。緑、青、そして群青の三重連。
ゲートの転轍指示器が回転する。転轍機がギコギコと音を立てて、三重連をフランツたちが待つホームへと導く。
「……来るのか」
フランツは見送りの人たちに振り向く。
「来たみたいです、少し下がりましょう」
見送りが騒ぎながら白線の内側まで下がると、ちょうどホームに三重連が入ってくる。彼らは少し距離を開けて停車した。
一番手前のハインリヒ号の運転席が開き、フィーがよっこいしょ、と降りてくる。さらにゲルダ号からはアドがひらりと飛び降りる。
彼らは見送りの人だかりを見て、小さく声を上げた。
「どうもラッツさん。すごいお見送りですね」
「なかなか好かれてるじゃないか、フランツ」
照れて笑うフランツに、リンテが寄ってくる。
「ども、アドさん、フィーさん。今日はありがと」
「どういたしまして、リンちゃん。今日は機関区超えなきゃいけないから、二人は運転できないでしょ? 誰かが引っ張って来ようって話してたら、いつのまにか支部全員でお出迎えになっちゃった」
「どうせ暇人の集まりだ。心配はいらん」
この一週間ですっかり意気投合したリンテとフィーの会話に、アドが鼻を鳴らして笑う。
フランツは先頭に繋がれた濃紺の機関車、バルテロ号を指差す。
「エドさんも一緒なんですか? 降りてこないんです?」
「そのことなんだが……」
アドが複雑な顔をして口を曲げる。
「エドがついてくるのはまぁいいとして、実は奴が行くならと、その……〈車団長〉までついてきた」
「団長さんが?」
「ああ、挨拶もせずに団員を故郷から離すのは、忍びないそうな。降りてこんのは、今ごろ二人して身繕いに必死なんだろうさ。二人とも結構な洒落者だからな」
アドは皮肉っぽく眉を上下させる。
しかし、フランツは違うと感じた。まだ見ぬ団長はともかく、エドの悪戯好きの性格なら読める。きっと焦らしている。そうに違いない。
(焦らしているなら、もう登場するでしょ。だって……)
フランツはホームの時計を見あげる。秒針が一つずれ、二つずれ、そして……
遠くで橋の大時計が、十時の鐘を打つ。
バルテロ号の雑務室の扉が開く。
最初にホームに降り立ったのは、紺色ジャケットに乗馬ズボンの機関士、エドだ。
彼はフランツたちを見つけて軽く手を振ると、その手を雑務室の内側に、恭しく差し伸べる。
彼の手を取って現れたのは、小柄な人物。
白いシルクハットをかぶり、真っ白な細身のスーツに身を包んだ人物だ。女性のようだが、こちらからは後ろ向きで顔が見えない。
機関車から出るなり、その人物は手にした日傘を差して振り向く。
やっぱり顔が見えない。
「意地が悪いな、我らが女卿は」
アドが苦笑する。
「女卿?」
フランツが聞き返す間に、エドとその人物はこちらに近づき、顔がはっきりと見える距離で止った。
後ろの見送りから、ざわざわと声が上がる。
白い服、つまり相当の資産家であろう事をみてとったようだ。田舎の機関士たちにとってはあまり歓迎すべき相手ではない。
「こんにちは、フランツ君、リンテさん。そして皆さん」
エドが丁寧に頭を下げる。横にいる人物はまったく動かない。
「今日は皆さんに、我らが〈車団長〉をご紹介いたします」
エドがそう挨拶し、日傘の人物にうなずく。
日傘がゆっくりと上がり、その下から覗いた顔にフランツは驚きを持って目を見張った。
「ごきげんよう、機関士さん。またお会いしましたわね」
「あなたは……あのときの」
「すっごい、び……じん、だね。ラッツ」
リンテまで大きく口を開けるが、それも無理はない。
白いすぎるほど白い肌に、バラ色の陰が差す怜悧な顔。トルコ石の瞳はどこまでも澄み、プラチナの結い髪は軽やかに風に揺れる。
そう、十人中十人が振り向く、絶世の美少女。
あの白い少女は、シルクハットを脱いで手に持ち、その場にいた全ての人に向けて頭を下げる。
完璧な礼と、深い感情を込めた動きだ。
「皆様方、はじめまして。私の名はフィオレ・シュマルカッツ。
〈歩杖機関車団〉の〈車団長〉です。
よろしくお見知りおきのほどを、お願いいたします」
横でアドとフィーが恭しく頭を下げる。
見送り勢はいっせいに息をのむ。
少女の全身、一挙手一投足から溢れる気品に打たれたのだ。
細い身体から、朗々たる声が流れ出る。
「この度はフランツ・シュパッツさんと、リンテ・パルドさんを、我が車団に迎えるに当たって、お見送り大変感謝いたします。
皆様方の所からよき若者を迎えることは喜ばしくもあり、反面、心苦しくもあります。
お二人のことは、私が責任を持って全てを保証いたします。どうかご安心くださいますよう、お願い申し上げます」
そして再度、少女、いやフィオレは深く頭を下げる。
もはや誰もが彼女の存在に圧倒され、ため息を漏らす。
その中でフランツは、驚きこそすれ圧倒はされず、持ち前の観察力でもってこの少女を分析する。
(気品や威厳、礼儀作法はともかく、この威圧感はいったいなんだろう。この人、どこか普通の人間と違う感じがする。うまくは、言えないけど)
そんなフランツに、フィオレは一瞬だけ、イタズラな表情を浮かべる。
それはすぐに消え、白い少女は上品な微笑みで、その場を見わたすのだった。
重い音を立ててハインリヒ号とテア号が接続される。
出発の準備は全て完了し、あとは発車するだけとなった。
フランツはテアとコードを繋ぎながら、運転席から外を見下ろす。
ハンスやオーラフ、そしてブラーヴァがフィオレと話している。おそらく二人のことを頼んでいるのだろう。
やがて見送りが機関車から離れる。
フランツはコードを出来だけ引っ張ると運転席を降りて、エドと共に機関車に戻ろうとするフィオレを呼び止めた。
「あの、フィオレさん、いえ〈団長〉」
スイッと寄ってきたフィオレは静かに頭を振る。
「まだ正式に団員ではないのだから、団長と呼ばなくていいわ。それに、私を呼ぶときは、できたら〈女卿〉と呼んでほしいわね」
「それはなぜ?」
「理由はないわ。あだ名みたいなものよ」
フィオレはクスッと笑う。
「それで、なぜ呼び止めたのかしら?」
「なぜあのとき、僕に名乗らなかったんですか?」
彼女は口に手を当て、鈴のような笑い声を立てる。
「あら、名乗る必要があったのかしら? 私はただの乗客で、あなたは機関士。名を交換する場面でもないでしょう? ……そんな目で見ないでちょうだい」
フランツの咎めるような目に、申し訳なさそうにフィオレは眉を伏せてみせる。
「あなたもご存じでしょう? 私は意地悪なの。あれは、ちょっとした悪戯と思って。悪気があったわけでも、なにか考えがあったわけでもないわ」
フランツはその言葉を頭から信じるつもりは無かったが、ここで突っ込んでも、おそらくこの人物は答えないと確信した。
それならば、と、フランツはもう一つの疑問をフィオレにぶつける。
「なら、もう一つ。なぜ、僕とリンを団に誘ったんです?」
「もちろん有能になると踏んだからよ。
といっても納得しないでしょうから、そうね、リンテさんはともかく、あなたに関しての理由を教えてあげる」
彼女はフランツに顔を寄せ、小声でささやく。
「あなた、エドに言ったそうね。『あなたは何者か』って。あのエドにそんなことが言えた人、あなたが初めてよ」
顔の近さに、フランツの息がつまる。澄んだ湖水のような瞳が、フランツの目の奥を捕らえて放さない
「私ね、自分が何者なのか自分でよくわからないの。
だから、あなたに教えてほしい。私が何者なのか、その答えをね。それが、あなたに側にいてほしい理由よ」
「それは……人を殺してでも?」
フランツの押し殺した問いに、フィオレは艶然と微笑む。
「もちろんよ。それにしても、変なことを聞くのね」
彼女は顔を離し、日傘を軽やかに傾けながら踵を返す。そしてふり返って、フランツを再び見る。
「私は何者か? この問い、いつかかならず答えてちょうだいな。ずっと待ってるわ」
白き団長、優雅なる女卿はその言葉を残し、エドを従えてバルテロ号へと歩いていった。
フランツは運転席に戻る。
計器腕板の上、無線機があったところに、小さな黒い板が鎮座している。連絡用のシーフォだ。
フランツが触ると、たちまち四つの映像が表面に浮かぶ。
『団長さんと何話してたの?』
すぐに、リンテがこちらをのぞき込んでくる。
まだ慣れきってないのか、ちょっと近づきすぎだ。丸顔が映像いっぱいに大写しになっている。
「ちょっとね、そのうち話すよ」
『ふーん……浮気?』
「そういうのじゃないし、てか付き合ってもないし」
『冗談じゃん! マジで否定しないでよ』
ふざけてカラカラと笑うリンテに、フランツの心が軽くなる。少なくとも、リンテはまだ一緒にいてくれる。
映像の左下に映ったアドが、二人に軽くせき払いした。
『そろそろ出発する。そっちは操作せずに――』
「そのことなんですけど、アドさん」
『ん?』
フランツとリンテ、二人は機関士達に笑いかける。
「次の機関区まで、いや、街を出るまでで構わないので、僕らにも運転させてください」
『そうそう、今日の朝ラッツと話したんだけど、やっぱり、街を出るのに、運ばれてくのは何か違う気がして。ダメかな?』
アドたち五人はちょっと考えるが、すぐに全員が笑顔でうなずく。
『問題ない、大丈夫だ』
『こっちの運転を合わせればいいだけですし、簡単にできますよ。フィーは賛成です』
『そういうのいいですね、私も好きですよ。何ならヴァスマウロまでずっと運転してもらっても構いませんが――』
『エド? いつから、そんなにやんちゃになったのかしら? 私ちょっと悲しいわ』
そして全員を代表するように、フィオレがバルテロ号の後部座席で手を鳴らす。
『いいわ二人とも、次の機関区にはいるまで、あなたたちの手で動かしなさい。やり方は……』
言葉を止め、訊ねるように顔を傾けるフィオレに、二人は満面の笑みで答えた。
「機関車のことなら」
『あたしたちに任せて!』
時計が針を進める。
午前十時十五分。
五つの汽笛が五重奏を鳴らし。
三十の動輪がレールをつかむ。
高々と蒸気を噴きあげ。
誇らしく胸を張り。
見送る人に別れを告げて。
未来という名の鉄路へと。
軽やかに滑り出していく。
フランツ・シュパッツ。
リンテ・パルド。
一つの物語を紡いだ彼らは、これから人生という名の路線を、縦横無尽に駆けめぐる事になるだろう。
しかしまたいつか、彼らは物語と出会う。
いつか、どこかの鉄路で。
Endeas "JungFyhrer un VajxOyl".
『少年機関士と白い油』終話。
Bao, Sanas endelosa Xtreki.
線路は続くよ、どこまでも。




