27 みんなが納得する答え
クライス歴一六二年、三月二十一日のエルザブリュック新報は、一面に大きくこんな見出しを掲げた。
〈密輸団、保安隊により壊滅さるる〉
記事では密輸団の壊滅に至った経緯や、保安隊の見解などが報じられているが、そこには〈歩杖〉はもちろん、フランツたちの名前すらない。
というのも、事件の詳細は保安隊、そしてエルツ氏族の名で伏せられていたからだ。一介の地方紙ができる取材では、事件の全貌どころか概要すらも得られなかったのだろう。
実際、記事の八割は推測やうわさ話の寄せ集めだ。
フランツは一面を流し読みすると、さっさと次をめくって別の記事を読みはじめた。
当事者であるフランツにとっては、記事の内容は二日前の話だ。すでに記事以上のことを知っていたし、今さら新しい情報もない。
久しぶりに休日らしい休日を迎えたシュパッツ家。
三人揃っての朝食も終わり、家はのんびりした空気に包まれていた。
新聞を読むフランツに、机に肘をのせて暇そうなリンテ。ブラーヴァはいつもの安楽椅子に座って、静かに目を閉じている。
あらかた新聞に目を通したフランツは、連載のクロスワードを解くために新聞を折った。彼のささやかな楽しみの一つだ。
と、リンテが折り返された一面に目を留めた。彼女はフランツに構わず指先で紙面をめくる。
「なになに……〈頭目と数人の団員は行方不明〉? はぁ? あのオバサン見つかってないのかよ」
フランツは目を上げる。
「オバサンって?」
「話したじゃん! 密輸団の団長、あたしのお腹にほら――」
オレンジのワンピースをたくし上げ、お腹を見せるリンテ。指と爪の跡が、傷になって残っている。
「この傷入れてくれちゃった、ケバいおばさんだよ! これのおかげで、お腹を見せる服が着られないんだよぉ。ほんと腹立つ!」
「ああ、そう言えば、そんなこと言ってたね」
クロスワードに顔を戻しながら、フランツは指で机をトントンと叩く。
彼の頭の中は、重なり合う文字を解くことより、別のことでいっぱいだった。
二日前の夕方、フランツたちと〈歩杖〉の三人はエルザブリュックに帰り着き、そこで解散した。
フランツとアドの危機を救ったあれ、装甲列車を吹き飛ばした何かについては、結局〈歩杖〉の面々からは確実なことは聞けなかった。
唯一のヒントとしてエドが言ったのは「列車砲は、一台だけとは限りませんよ?」という言葉だけだ。
(まぁ、それで目星はつくけどね……とはいえあのとき、どこにも列車砲なんてなかったはずだけど)
フランツは二重のお誘いを、つまりアドと正体不明の〈車団長〉からの勧誘を受ける形になったが、その件については、別れ際に保留と言うことで話がついている。フランツの腹はもう決まっていたが、受けられるかどうかは、今日の結果次第だ。
何の結果かというと……
「そういえばラッツ? カレンダー、今日の所にバツが付いてんだけどさ、何かあんの?」
ワンピースの裾を下ろして、リンテがカレンダーを指差す。
「んー、お客さん。もうそろそろ来ると思うんだけど」
フランツは集中できないクロスワードをあきらめると、新聞をたたんで席を立つ。
ちょうどその時、庭から呼び鐘が鳴る。
「来たね」
「誰? 誰が来たの?」
「リンも知ってる人」
フランツは席を立つ。興味しんしんのリンテも一緒だ。二人は連れだって、朝の空気も爽やかな庭に出る。
門扉にはまった呼び鐘が、外から再びチンチン、と鳴った。
「うわ、せっかちさんだね。ね、ラッツ誰なのさ?」
「今開ける、ちょっと待って」
フランツが鍵を開けると、扉は向こうから勢いよく開かれた。
「よぉラッツ! 不肖このマテウス・マルモァ、部屋を見に参上したぜ!」
「マット!? 何で? マット何で?」
驚くリンテに、「ワンピース初めて見たぜ、すっげぇ似合ってる」とウインクするマテウス。今日はいつもの赤い整備服ではなくラフな私服だ。普通のジャケットに七分丈のズボンとTシャツ姿だが、黄色に緑に真っ青と、原色バリバリで目が痛くなりそうだ。
何を隠そう、彼こそがフランツの客だった。
「来てくれてありがと、マット。遠くなかった?」
「いんやぁ、ちょっと遠いが眺めが最高じゃねぇのここ。機関庫からトラム一本ってのも悪くねぇ。それにしてもお前、すっごい所に住んでんだな、持ち家かよ!」
いつもの早口も全開に、ズカズカと庭に入ってくるマテウス。
横ではリンテが頭を抱えている。
「ちょっと待て、ちょっと待てやマット。いったいどうして、なんで今日うちに来たわけ?」
「あろ? ラッツから何も聞いてねぇの?」
不思議そうなマテウスの言葉に、リンテのギロ目がフランツを向く。
「ラッツ? どゆこと?」
「ははは、まぁ、詳しくは中に入ってから、ね?」
食堂に通されたマテウスを、ブラーヴァが立ち上がって迎える。
「あなたがマテウスさんね? 真面目そうで、やさしそうないい方だわ」
「いんやぁ、それほどでもご婦人」
病で多少やつれているとはいえ、歳まだ三十五、リンテによく似たやわらか系の美人に褒められ、マテウスの鼻の下は早くもでれっでれだ。
「ちょい待てママ! こいつのどこをどう切ったら真面目そうに見えんのよ!」
「あら、リンにはまだ殿方を見る力はないみたいね。でも安心したわ。こういう方なら、一緒に住んでも問題なさそうね」
「一緒に!? マットが何で一緒に……ラッツ? いい加減せつめーしてよ。どういう事?」
詰め寄るリンテに、フランツは微笑んだ。
「これが僕の見つけた、みんなが納得できる答え、だよ」
しばし後。一緒にお茶を囲む四人。
「……というわけで、マテウスに部屋を貸そうと思うんだ。ついでに僕らがいない間、ラヴおばさんを助けてもらう。代わりに家賃はもらわない」
説明し終えたフランツに、リンテはアゴ指で首肯する。
「なるほど、確かにマットなら信用……はまぁ置けるし、仕事あるなら物くすねたりもしなさそうだし。でもマット、アンタはそれいいわけ?」
話を振られたマテウスはニヤッと笑って答える。
「家賃タダでこんな家に住めるんなら文句はねぇよ? ブラーヴァさんの事だって、俺こう見えて家事は得意なんだぜ。任せてくれよ、立派にやってみせるさ」
「オフィスがあんなだと、説得力薄いんですけど?」
胸を張るマットにジトッと流し目を送るリンテ。
「そこはそれ、ありゃオフィスだ自宅じゃねぇ。自分の家ならバッチリキッチリさ」
フランツも助け船を出す。
「そうだよリン。昨日、部屋を見せてもらったけど、しっかり片付いてた。……家具のセンスはちょっと微妙だったけど」
「んだよラッツ。お前には前衛的芸術って奴はわかんねぇのか? 普段使いこそアートであるべきなんだぜ?」
「どう考えても本一冊入らなさそうな曲がった本棚が芸術なら、僕はちょっと遠慮するよ」
援護射撃のはずが、思わずフランツまで攻撃に加わりそうになる。
しかし寸前で、ブラーヴァがカップを置くとリンテに話しかけた。
「どうかしら、私とラッツちゃんは納得できたわ。あとはあなた、リンはどう思うの?」
リンテはカップに目を伏せ、やがてツッと顔を上げた。
「いいと思う。あたしは、これに納得する。ラッツ、マット……ありがと」
「どういたしまして、リン」
「何だか知らんが、礼を言うのはこっちさリン。おかげで助かったぜ、一時は宿無し生活まで考えたからな」
あの幸運の儀式のように、テーブルの上で三人の手が合わさる。その上に、さらにブラーヴァの手がそっと乗せられた。
今ここから、新しい人生が発車する。これはまさに出発を告げる、幸運の儀式だ。
そして、ゆっくりと手が解かれる。
「さて、話が付いたところで部屋見せてもらっていいか? こっちがラッツの部屋?」
やおらマテウスが立ち上がり、一つの扉に手をかけた。
それはリンテの部屋の扉だった。
部屋の主は椅子から飛び上がると、すんでの所でマテウスの侵入を阻止する。扉はかろうじて半開きで押さえられた。
「こっち違う! あたしの部屋!」
「ああ、すまねぇ……んだよリン、人のこと言えねぇじゃねぇの。あーあ、すっかり散らかっちゃってまぁ。お前、掃除ヘタなのな」
フランツがマテウスの手を引いて笑う。
「だらしがないんだリンは。掃除はいつも僕任せだし」
「うっさいマット! あとラッツも黙れ!」
これ以上乙女の秘密を明かされたくないのか、門番のライオンもかくやという剣幕で、リンテが鼻息も荒くグルルルゥと吠えた。
改めてフランツの部屋を見たマテウスは、確かな様子で感心する。
「ん、いい感じに広いな。ベッドはリンの部屋に置くとして、こっちは仕事部屋にできそうだな。こんだけ広けりゃ問題ねぇ」
「仕事部屋? アンタ家でも公社の仕事すんの?」
そう問うリンテに、マテウスは首を振って否定する。
「副業ってやつだよ。ちょいと広い部屋が必要なんだ」
「そう言えば昨日も、仕事部屋だから入るなってマット言ってたけど、どんな副業をしてるの?」
首をかしげるフランツ。
マテウスは頭に手を当て、照れた笑いを浮かべる
「そいつはほら、秘密だ。なに、ヤバイ仕事じゃねぇし、音もしなけりゃ迷惑もかけねえ。これ以上はツッコんでくれるなよ?」
「何それ、気になる――」
リンテが食い下がろうとすると、庭から呼び鐘が聞こえた。
三人は顔を見あわせる。
「ラッツ? まだお客さんいたの?」
「いや、マットだけのはずなんだけど……」
「何にせよ、出た方がいいんじゃね?」
三人は庭に出た。
フランツはのぞき窓を開け、訪問者を確認する。
「どちら様です?」
「やぁどうも、ラッツ君」
小さな窓から覗いたのは、いつも通り爽やかな笑顔を浮かべるエドだった。
「エドさん!? どうしたんです?」
「いやぁ、実は団長にせっつかれましてね、いい加減答えを聞いてこいって。それで、入ってもいいですか? そうそう、今日は二人も一緒ですよ。この前のお礼がしたいそうです、特にアド君が」
「うるさいぞエド」
窓からはエドの顔だけしか見えないが、確かにアドの声も聞こえる。それにフィーのクスクス笑いもセットだ。
フランツが開けた扉をくぐって、三人が入ってくる。
エドは三日前と同じく、クリーム色のスーツにグレイのシャツを着ていた。
「ラッツさん、リンさん、おはようございます」
その左で挨拶するフィーは、緑のリーファージャケットにサスペンダー付きのショートスカートという出で立ちだ。
スカート、薄い黄緑のブラウス、ショートの白いソックスの全てにフリルがあしらわれ、見事なまでに少女趣味が全開になっている。
正直、似合うかどうかは微妙なところだ。
そして右隣のアド。
こちらは渋いマルーンのスーツに、濃い灰色のシャツの組み合わせだ。エドのスーツと違い実用本位というか、ずいぶん無骨な感じがする。
帽子はかぶっていないが、代わりに大きなサングラスで目元を隠している。
「フランツ、改めて礼を言いに来た」
「いえ、こちらこそ。助けていただいてありがとうございます」
アドが頭を下げ、フランツもそれに応える。
と、その横でマテウスがいきなり芝生を鳴らして後ずさった。
「えっ……ちょ、ま、さか! なんでここに!」
「どうしたのマット?」
リンテがマテウスに訊ねるが、マットは震えてアドを見るばかりだ。
「そ、そ、その、人、いやその方、ってか」
「マット、そんなに驚かなくたっていいよ。この人は機関士のアドレァ・ゲルドーさん。この前助けてくれた人だよ」
フランツがなだめつつアドを紹介するが、マテウスはまるで間違ってるとでも言うように、首を振るばかりだ。
そんなマテウスに、アドがスッと寄ると手を差し出す。
「君はたしか、マルモァ管理助士だったな。一昨日はすまなかった、急いでいたので礼を欠いた」
「へ?」
今度はフランツが面食らう番だ。
二人はどうやら、一昨日以前に面識があったらしい。
(そういえばあのとき、マットは昨日の、って言ってたけど。……ああ、氏族を乗せて来たの、ゲルダ号とハインリヒ号だった)
四日前の機関庫を思い出す。今にして思えば、あれも彼らの仕事の一環だったのだろう。
フランツは取りなすように、マテウスとアドの間に入る。
「アドさん。あなたが氏族を乗せてきた方だから、マットも驚いているんですよ。だってほら、四日前にアドさんとフィーさん、クライス氏族の方をお連れしたんでしょう?」
それを聞いたアドは、なぜだかものすごく怪訝な表情をした。
「ん? どういう事だ?」
横でエドが、ステッキをコツンと鳴らしてせき払いする。
「あー、アド君。もしかして君は、ラッツ君とリンさんに正式な名乗りをするの、忘れたのではありませんか?」
「……そうか、フィーのせいですっかり忘れていた」
アドがはたと手を打ち、フランツたちに正対すると背筋を正す。
「フランツ・シュパッツ、それにリンテ・パルド。改めて名乗らせてもらうぞ。俺の名はアドレァ・ゲルドー・リースクーゲル・クライス。
クライス氏族、リースクーゲル家門、ゲルドー家に属する者だ」
「は、い?」「ちょ、ちょっと、待って!」
フランツとリンテは揃って飛び上がった。
「普段は家門と氏族は省略している。なにぶん鬱陶しいからな、俺の家門は傍流も傍流だから、相手を萎縮させるだけで役にも立たん」
頭をかきながらそう言うアドに、フランツは唖然として立ちつくす。
今なら、フランツはマテウスの心境がよくわかる。いきなり雲上人が現れ、親友と親しそうに話してたら、フランツだって混乱するだろう。
「というわけだ、肩書きなど構うな」
「いや、構うなって……アドさん、それ無茶です」
思わずツッコミを入れたフランツの肩に、アドが大きな手を置いて笑う。
「できてるじゃないか、その調子で頼む」
もう何も言えないフランツの背中を、パンっとリンテが叩いた。ふり返れば、彼女はすっかり調子を取り戻している。
「ラッツいいじゃん。本人がいいって言ってるんだし。あたしもちょっと驚いたけどさ、よく考えりゃ氏族だって結局、人間でしょ? 同じ人間相手にそんな縮み上がる必要はないんじゃない?」
「その通りだ」
その言葉にアドが笑ってうなずく。そしてなぜか、フィーとエドまでもが笑っている。
フランツは一つ息をついて、軽く頭を振ると〈歩杖〉の三人を見る。
「じゃぁ僕は、今まで通り、機関士のアドさんだと思うことにします。それでいいんですよね?」
「そういうことです」
エドが進み出る。
「さて、立ち話が長くなりましたね。どうしましょう、本題の方が長くなりそうなら、また中にお邪魔した方が?」
エドの申し出に、フランツは首を振ってリンテを抱きよせる。
「いえ、それには及びません。さっき話し合って、答えが出ました」
そして二人は笑顔でうなずき合い、同じ言葉を発した。
「「お誘い、お受けします」」
白いハトが二羽、朝日をいっぱい翼に受け、軽やかに飛んでいった。




