26 さあ、帰りましょう
この時のことについて、フランツとアドレァ、二人の意見は食い違ったままだ。
フランツはこう語る。
無我夢中だったから確たる事は言えないが、とにかく二人の選択が、あの瞬間に最良の結果へとつながった。不思議でも何でもない、当然の結果だ。
対してアドレァはこう語る。
あのとき二人は最悪の状況で、最悪の選択をしたはずだ。しかしこうして自分は生きている。フランツは認めたがらないが、あれは奇跡の結果だった。
ともあれ二人は、終生この時のことをふり返っては、肩を組んで同じ感想を語った。
後にも先にも、自分たちが死ぬと確信したのは、あのときだけだった。と。
山岳予備線の線路は最悪だ。
レールはガタガタ、枕木はゆるみ、カーブのレール間隔は開きがちで安定も何もあったものじゃない。定期的に通る列車がいないから、整備がどこまでも後回しにされている。
かろうじて通れる程度の、とんだ劣悪路線である。
しかし今、フランツとアド、二人は線路に文句を言っている場合ではなかった。
「次左カーブ。ぐらつき気味です!」
『速度六十でいけるか?』
「……いけます!」
二人が短い会話を終える。
間を開けずに、二台の機関車は曲がりの浅いカーブに入った。
固定のゆるんだレールのせいで、列車が細かく揺れ、不規則に左右に振られる。後ろのゲルダ号の車輪など、今にも浮き上がりそうだ。
『こらえろゲルダ!』
ゲルダ号が不自然に左にかたむく。
重心が内側に滑り、二台はなんとか速度を維持したままカーブを抜けた。
『ヒヤヒヤさせられる!』
ゆるい蛇行に入り、安定した運転席でアドが額の汗をぬぐう。
「今、ゲルダが傾きませんでしたか!?」
『ちょっとした小細工だ。説明はあとで……できるかわからんな』
フランツは速度計を見て、感心の口笛を吹く。
「まったく速度が下がってないなんて。機関銃といい今のといい、ずいぶん機関車に手が入ってるんですね」
『半分は勝手に付けられたものだ。改造マニアがいるんだよ、歩杖の取引先にな。もっとも、好きこのんで変な改造をしたがる奴もいる。たとえばエドの奴とかな』
「それ、何となくわかります」
フランツの相づちに笑うアド。しかし後ろをふり返り、即座に苦い顔になる。
『クソッ! お客さんが追いついてきた』
「みたいですね」
片目で回折鏡を確認するフランツ。
二台のかなり後方、岩壁のすき間に、黒い装甲列車がチラチラと見えかくれする。
先頭に装甲列車を置き、その後ろに列車砲が、さらに後ろには列車砲を運んできた機関車が連結している。
三両編成、ずんぐりむっくりした姿は、さながら黒い芋虫のようだ。ただし、背中の長いトゲを振り回して爆走する様子は、芋虫ではありえない。
「あっちは重いから、こっちより安定してますね。列車砲を振ってバランスを取ってるのかな?」
『重いなら、レールを壊して自滅してくれたら最高だな! ゲルダの足回りがへたってなければ追いつかれなかったんだが』
アドがぼやく。
「しかたないです、走りで何とかしましょう。次右カーブ、まともです!」
二台が次のカーブに入ったとたんに、列車砲が撃ってくる。砲弾は二台を大きく外れて岩壁に当たった。
さらに二発飛んでくるが、どちらも狙いを外して機関車の左右に着弾する。地面が弾け、飛んできた小石が機関車の表面に跳ねてカンコンと音を鳴らした。
「走りながら撃つなんて、反動もあるだろうに無茶な!」
『目隠しニワトリ小麦を当てる、ということわざがあるが……目が見えてるだけ厄介だな。とにかく撃って当てる気だろう』
周囲に上がる土煙を突っ切って、二台はひたすらに走る。
フランツは運転で手一杯だったが、アドはたびたびふり返っては装甲列車の動きを確かめている。
『奴らも線路は壊せないだろう。脅しで済んでくれるといいが――』
次の砲弾が来る。当たりはしなかったが、低い弾道でゲルダ号のテンダー車をかすめた。
「脅しであんなに撃ちますか? 弾道も低いし、こっちを線路からはじき飛ばす気ですよ」
『そうだな、脅しじゃなさそうだ』
線路が上り傾斜の直線に入る。
「もうすぐ峠です。あと何キロもありませんよ。そこから下りですから、故障したそっちでも、少しは速度が稼げるはずです」
と、急に砲弾が飛んでこなくなる。
静かになった車外の様子に、アドが首をかしげる。
『連中、急に撃つのをやめたか?』
フランツは回折鏡をのぞき込んで、静かになった理由に気づいた。
「そうか、あの大砲はまっすぐ前を狙えない。アドさん、後ろの大砲は装甲列車より背が低い。まっすぐ前を狙うには、前の車両が邪魔なんです!」
『ならば、こちらが寄せたら、連中は撃てなくなるな』
「……いい考えです」
二人は肯き合うと、すぐに行動に移した。
「絞ります。蒸気なし、制動なしで二つ下げますよ」
『こっちは惰行までだ、そっちの重さで速度を落とすぞ』
息を合わせて出力を落とし、二台の機関車を減速させる。
『車体を当てられたらマズい。ギリギリで相手に合わせる!』
「了解です」
フランツたちの考えに気がついたのか、装甲列車が徐々に速度を落とし始める。少し距離を取るつもりらしい。
「そう来る? なら……」
その様子を回折鏡で見ていたフランツは、思わずニヤリと笑う。
彼はわざと蒸気排出の調整弁をひねった。
煙突からの蒸気が、まるで急加速する前ぶれのように噴き上がる。速度を上げるものと錯覚させ、フェイントをかけようというのだ。
はたして装甲列車は減速を止め、逆に速度を上げはじめた。
フランツの狙い通りだ。
「引っかかった! 今です!」
『やるな! ……よし、捕まえたぞ』
装甲列車に向けて、二台の機関車がしっかりと速度を落として肉薄する。相手が反応するより速く、二台は速度を合わせてピッタリと貼りつく事に成功した。
『牽制してやるか』
アドが言うなり、ゲルダ号の屋根から例の機関砲が顔を出す。後ろ向きに射撃を始めるが、近すぎるせいで、装甲列車の厚い前面装甲にしか当たらない。
「効果、薄そうですね」
『脅しだからな、これで充分だ』
「あんまり相手を舐めてると、そのうち痛い目を見ますよ?」
『見せてもらいたいね、そのうち』
人の悪い顔をするアドを無視し、フランツは黙って計器腕板に目を落とした。
自信家なのか、ただの自惚れなのか、フランツはアドをどこか甘っちょろく感じる。もしフランツがアドの立場なら、後腐れなく初手で相手を黙らせているだろう。
(ま、人それぞれ、考えも違うさ。それよりこの先、峠から先の地形は……)
『速度を上げてきたか? 面倒だな、ぶつかる前に……』
記憶を頼りに予備線の線路をなぞっていたフランツは、アドの声にハッと顔を上げた。
「いけない! 速度上げちゃダメです! この先は……」
フランツの制止は少し遅かった。
二台の機関車が谷の終わりを通りすぎ、線路がピークを迎える。大きな盆地が前に広がり、峠から山すそまで、曲がりくねったレールが一度に見渡せた。
「見晴らしが良すぎる!」
アドの加速操作があだとなった。いくらへたっているとはいえ、重いゲルダ号の動きをテア号は押し止められない。
装甲列車に押し出されるように、二台の機関車は一気に下り傾斜の線路に突入した。
一方、装甲列車は本格的に制動をかけて、どんどん速度を下げていく。いったん増速したのは明らかなフェイントで、フランツたちはまんまと引っかけ返されたわけだ。
『重い向こうの方が制動が早い! しくじった!』
「間に合わない!」
フランツは蒸気操作梃子も動力梃子も、とにかく全てを、がむしゃらに最大まで押し込んだ。
テア号が蒸気の雄叫びを上げる。
後ろのゲルダ号もろとも、一気に弾丸のごとく加速する。
『加速するのか!?』
「制動かけたって間に合いません! 狙い撃ちされますよ!」
フランツが言い終わらないうちに、装甲列車から最初の砲弾が飛んできた。運良く二台には擦りもしなかったが、これで状況は一気に悪い方へ転がった。
装甲列車は峠近くで停車して、丸見えの二台に向けて余裕で発砲する。的当てよろしく、数撃ちゃ当たるとばかりにどんどんと撃ち込んできた。
「速度でかわさないと!」
『それしかあるまい! こっちに合わせてくれ!』
当然のことながら、機関車はレールを離れられない。
だから砲弾を避けようにも、左右に進路を振るのは無理な話だ。速度の上げ下げだけで回避しなくてはならない。
幸い、密輸団はレールを破壊する気はないはずだ。フランツたちを潰したあと、さらに先行するリンテ達から〈白い油〉を取り返すためにも、レールは無傷で残す必要がある。
だからフランツたち二人がすべきことはただ一つ。大砲の射程外に逃げおおせるまで、ひたすら自分たち狙いの砲弾を避け続ける事だ。とはいえ、それはけして簡単なことではない。
『上げ三! すぐに下げ一!』
「上げ三! すぐに下げ一! ……どっちも深すぎる!」
アドの指示に合わせてフランツは操作するが、ここに来て問題が浮き彫りになる。
ゲルダ号とテア号では、高速型と雑用型、大型と中型、高級車と六コ車と、機関車としての仕様に大きな隔たりがある。
アドからの指示をそのまま当てはめたのでは、二台の動きはちぐはぐなものになってしまう。だからフランツは、指示をいちいちテア号に合わせてかみ砕かねばならない。
しかもそれは、曲がりくねった劣悪な線路の上で、数秒に一回は飛んでくる砲弾を見ながらの作業だ。
『次、上げ六! 五秒で下げ四!』
「六と四! ならこっちは……上げ七と蒸気、下げ五!」
それでもフランツは機関士の意地で、必死にアドの指示に食らいつく。
なにせ命がかかっていた。ミスすれば、次の砲弾は地面ではなく二台を襲うかもしれない。
そして必死に避け続けること数分、とうとうミスが起こった。
ただしそれはフランツではなく、アドの方に。
『うおっ!?』
シーフォからアドのうめきが上がった途端に、フランツは前に勢いよく押し出された。
「アドさん!?」
アドが蒸気操作梃子を滑らせたようだ。ゲルダ号が蒸気を噴き、制動をかけようとしていたテア号を突き上げる。
二台の間で連結器が悲鳴を上げ、ゲルダ号の前輪とテア号の後輪が揃ってレールから浮く。
「な…………!」
急に、フランツは全ての音から遠ざけられた。
ただ自分の鼓動だけが耳の中に響きわたる。一秒が十分になり、一時間にも感じられる。
列車砲の砲口が、こちらを向いているのを感じる。
円錐形の砲弾が、まっすぐ針のように自分の背中を射貫かんとするのを感じる。
(死ぬのか? 僕はここで死ぬのか? まだ何もしてない、何も始まっちゃいないし、何も終わってもいないのに?)
一瞬の思考が、フランツの凍り付いた身体を駆け抜ける。全身の血が沸騰するような、凄まじい戦慄が指先まで染み渡る。
ここまでか、と、最後の思いが冷たくフランツの頭を満たした瞬間。
(あきらめるな! らっつ!!)
鳴り響いたのは、声なき、しかしはっきりとした言葉。
テアがフランツの手を取る。
(おわりじゃない!)
灼熱の少女がフランツの背中を抱き、彼を恐怖から解きはなつ。
フランツの手が、足が、目にも止まらぬ速さで動きだす。
左足は踏み込み、左手が押し上げ、右手は回しきる。使い慣れた〈蒸気打槌〉の動作を、フランツは一瞬で完了した。
そして最後に、フランツは一つの開閉器に指を置いて叫んだ。
「連結を切れ!」
それがアドに伝わったのかどうか、彼にはわからなかった。
開閉器が弾かれ、〈蒸気打槌〉が始まる。
高圧蒸気が轟然と吠え、充分に力を蓄えたシリンダーが、動輪と結ばれる。六輪全てが狂ったように回転し、錆だらけのレールをがっしりとつかんだ。
そして連結が解かれた。
テア号がレールを踏み、まるで流星のように加速する。
一方ゲルダ号は、火花と炎を足から散らし、青玉の鱗を光らす竜のように、決然とその場に踏みとどまる。
開いた両者の間を、刹那の間をおいて黒光りする砲弾がすり抜け、空を切って飛び去った。
全てはほんの数秒、ほぼ一瞬の出来事だった。
「……かはっ!」
心臓の音が去る。詰まっていた息が戻ってくる。
音と時間がフランツに挨拶をした。
「アドさん!?」
『あ、ああ』
シーフォの映像は繋がったままだ。アドは目を開き、驚いた表情でこちらを見ている。その左手は、何かの開閉器にかかっていた。
『きこえたぞ……確かに』
「そう、ですか」
アドの言葉に、急に全身の力が抜けそうになるフランツ。
夢ではなく、二台は危機を一つ乗り切ったのだ。着弾寸前で連結が解除され、砲弾はみごとに二台の間を抜けた。
しかし危機は終わってはいない。装甲列車は健在で、テア号はゲルダ号から離れすぎている。蒸気機関のへたったゲルダ号では、急減速からの急発進は不可能だ。
アドが一つ息を吐き、シートにどかっと背中をもたせかける。
『逃げろ。こっちはどうやら、年貢の納め時らしい』
「そんな! アドさ――」
フランツの叫びは、爆音にかき消された。
鉄が飴細工のように千切れ飛び、原型もわからないほど粉々になった破片が、衝撃波で吹き散らされる。
しかし、吹き飛んだのはアドでも、ましてゲルダ号でもなかった。
峠に止まっていた装甲列車、その列車砲を乗せた貨車が跡形もなく消し飛んだのだ。
音は遅れてやって来る。千の雷を束ねて落としたような轟音が大地を揺らし、凄まじい風切り音が空を切り裂いた。
フランツはテア号を急いで減速させると、天面窓を跳ね上げて盆地全体を見わたす。 岩砂漠に変化はない。空にも雲一つなく、ただ山の連なりを超えた先に、奇妙に細い入道雲が一筋、立ちのぼっているだけだ。
「何が起こったんだ……?」
フランツのつぶやくような問いに、遅れてアドの乾いた笑いが重なった。
「アドさん?」
『団長だ』
彼は頭を抱え、顔を伏せてつぶやいた。
『あのお方は……俺をまた、甘いと言うだろうな』
巨体を力なくかがめて、アドはそのまま黙りこむ。
「団長って、アドさん、どうしたんです? いったい何があったんですか?」
フランツの呼びかけに、しかしアドは答えようとはしない。彼はゲルダ号をそろそろと発進させ、テア号へと近づいてくる。
『まあ、とにかく!』
突然声を上げ、アドが顔を向ける。
何かをこらえるような、奥歯を噛みしめた表情だ。
『お前、いやフランツ! 俺たちは助かったんだ……助けられたんだ』
そう言ってぎこちない微笑みを浮かべるアドを、フランツは気づかうように、ただ見つめた。
充分に速度を落とした青と蒼の機関車は、荒野の只中にある信号場へ進入する。
無人の信号場で、特に名前はついてない。名前が必要ないのは、ここが予備線で唯一の信号場だからだ。
構内には三本の列車がいた。
フランツたちの重連と、リンテを乗せたFRT151便と歩杖の機関車たち。
そして最後の一本は、フランツたちと入れ違いにゆっくりと進み出す。白とオレンジに彩られた、窓のない装甲列車。
「あれは、フェルナの保安隊?」
フランツは開いた天面窓から顔を覗かせて、山へと進んでいく装甲列車を見た。
『ああ、エドの仕込みだ。今から密輸団を捕らえにいくのだろうな』
アドも屋根から身を乗り出している。声はシーフォ越しだ。
『……まぁ、捕らえる相手が生き残っていれば、だが』
まるで自分を咎めるような声に、フランツは直に彼を見やった。顔には薄い笑いがあるが、それにはどこか重い影が差している。
フランツはシーフォに語りかける。
「そんなもんです。世の中……誰かが生き残るためには、誰かが死ぬ事もある。……人の命を狙うなら、自分の命が狙われるのも覚悟すべきなんですよ」
彼は自分に言い聞かせるように、キッパリとそう言った。
アドの顔がこちらを向く。
『……あまり納得してない、と顔に書いてあるぞ』
最後に、渋くて苦い微笑みを浮かべるアド。
フランツは自分がどんな顔で彼を見ているのか、よくわからなかった。
『ふっ……まあいいさ。しかしお前は強いな。俺とは大違いだ』
アドが軽く手を振る。
見た目だけならずっと強そうなアドにそう言われ、フランツは困ったように目を伏せる。
要は覚悟の差、なのだろうか。
フランツも好んで人殺しはしないが、かといって世の中を相手に、人を害さずに済むとは思っていない。
食うか食われるか、一瞬たりとも気が抜けないのが、人の世ではないのだろうか。
『さて、フィーたちと合流するか』
アド言葉に、フランツは前を向いた。
待避線の向こう端で、機関車の屋根から手を振るリンテが見える。
遠くてもはっきり映えるその笑顔が、フランツには少しまぶしすぎた。
『そうだフランツ、よければ〈歩杖〉に来ないか?』
「はい?」
フランツは思わずふり返る。
『いや、お前さえよければ、だ。なんなら、俺から団長の方に……』
「いやちょっと待ってくださいアドさん。アドさん達って、そもそもそのために来たんじゃないんですか?」
『は? 何のことを……』
アドの言葉尻に、二人分のクスクスい笑いが乗っかる。
とたんにアドの目が鋭さを増し、彼は苦い調子で吠えた。
『エド、フィー! 盗み聞きしているな!? どういう事か説明してもらうぞ!』
リンテの横に、フィーとエドが立ち上がり、こちらに手を振る。
『いやぁ、すみませんねアド君。別に嘘をついたわけじゃないんですよ? ただちょっと――』
シーフォ越しに届いたエドの声に、アドの怒声が続いた。
『本当のことを話していないだけだ!』
『あらら、ついにアド君に先を読まれてしまいましたね。まぁ、詳しいことは追々、道中にでも話すことにしましょうか』
フランツたちの重連が、ハインリヒ号の後ろで停車する。
その屋根の上で、二人にエドが帽子を振った。
『とにかく二人とも無事で何よりです。さぁ、帰りましょう。みんなでね』




