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4/17

第3話 運動中の対象への干渉

2026年9月13日 日曜日


午前6時42分


透は目を覚ました。


目覚ましは7時に設定してある。18分早い。


枕元のスマートフォンを手に取り、時刻を確認する。


昨夜は2時近くまで眠れなかった。

睡眠時間は5時間に満たない。


それなのに頭は妙に冴えていた。


透はベッドから起きると、机の上のノートを開いた。


『人間への使用は原則禁止。ただし、緊急時を除く』


昨夜、自分で書いた文章。


改めて読むと曖昧だった。


「緊急時って何だ?」


生命の危険。

身体への危険。

本人から救助を求められた場合。

第三者から見て、明らかな犯罪行為が行われている場合。


いくらでも定義できる。


そして、いくらでも例外を作れる。


「……駄目だな」


透はペンを取った。


『能力使用暫定規則』


その下へ、1つずつ書いていく。


『1 生命または身体に対する差し迫った危険が存在すること』


『2 通常の手段では被害を防ぐことが困難であること』


『3 必要最低限の干渉に留めること』


『4 可能な限り警察・消防等への通報を優先すること』


最後に。


『5 制裁を目的として使用しないこと』


透は、その1文をしばらく見つめた。


5番目が1番重要な気がした。


人を助けるために使う。


それと、悪い人間だから罰する。


似ているようで、まったく違う。


少なくとも今の透は、そう考えていた。


     *


午前7時34分


朝食を済ませると、透は昨夜の現場へ向かった。


自宅から歩いて数分。

何の変哲もない住宅街。


男が立っていた場所。

女性が逃げた方向。


そこから自宅マンションを見上げる。


「……」


透はスマートフォンの地図を開き、直線距離を測る。


「43メートル……」


昨夜、窓から見たときは40メートルほどだと思っていた。


実際には約43メートル。


これまで室内で確認できた最大距離は3メートル程度だった。


一気に10倍以上。


「何で成功した?」


対象が人間だったから?


危機的状況だったから?


自分の精神状態?


それとも能力そのものが、急速に強くなっている?


仮説はいくつも立つ。


だが、昨夜の状況そのものを再現することはできない。


人間を襲わせて止める。


そんな実験は論外だ。


「距離から調べるか」


透は現場をもう1度だけ見て、自宅へ戻った。


     *


午前9時20分


実験開始。


平日にできたのは、仕事から帰ってからの短時間の検証だけだった。


器具を並べ、距離を変え、何10回、何100回と試行するなら休日しかない。


今日は距離を優先する。


ベランダ側に小さな紙片を置く。


透は室内。


対象まで5メートル。


――右。


カサ。


動いた。


『5m 成功』


次は7メートル。


――右。


カサ。


動く。


『7m 成功』


10メートル。


――右。


動かない。


もう1度。


失敗。


3回目。


カサ。


「……」


わずかに動いた。


透は記録する。


『10m 3回目のみ反応』


昨日なら、これだけでしばらく原因を考えていただろう。


だが今日は、頭の片隅から43メートルという数字が消えない。


「条件が違いすぎる」


透は紙片を見る。


――右。


動かない。


もう1度。


――右。


動かない。


「……」


苛立つ。


昨日は43メートル先の人間1人を、数秒以上拘束できた。


なのに今は10メートル先の紙1枚すら、まともに動かせない。


その瞬間。


パン。


「……!」


紙片が弾けるように飛んだ。


右ではない。

斜め前へ10センチ近く。


「……」


透はすぐに記録する。


『指示不一致。失敗』


その下の別の欄へ、


『精神状態:軽度の苛立ち』


と書いた。


ペンが止まる。


「感情……?」


昨夜、女性が襲われていたとき。


自分は冷静だったか?


違う。


焦っていた。

怒ってもいた。


助けなければ。


そう強く思っていた。


「出力に感情が関係してる?」


透は眉をひそめる。


嫌な仮説だった。


感情は数値化しづらい。

再現性も低い。


何より、自分が自分の感情を正確に評価できる保証がない。


「面倒だな」


それでも、面倒だからという理由で除外することはできない。


     *


午前11時08分


インターホンが鳴った。


「……?」


モニターを見る。


悠真。


透は玄関を開けた。


「何でいる?」


「第一声それ?」


「今日は来ると言ってなかっただろ」


「近く来たから」


悠真がコンビニ袋を持ち上げる。


「昼飯買ってきた」


「美咲と陽菜は?」


「美咲の実家」


「お前は?」


「追い出された」


「何をした?」


「何もしてねえよ!」


悠真が靴を脱ぎ、リビングへ入る。


テーブルを見る。


「……まだやってんの?」


「ああ」


「昨日、何時まで?」


「2時前」


「アホじゃん」


「昨日は実験だけじゃない」


悠真の動きが止まった。


「何かあった?」


透は数秒迷った。


「能力を使った」


「……人に?」


「ああ」


悠真の表情が変わった。


     *


「それ、ニュースになってるぞ」


「何?」


悠真がスマートフォンを操作する。


地域ニュースの記事。


昨夜、川崎市内の路上で女性に暴行を加えようとした男が逮捕された。


通報を受けて警察官が駆けつけ、現行犯逮捕。


女性に大きな怪我はない。


「通報したの、お前じゃね?」


「俺は自宅からした」


「じゃあ他にも見てたやついたんだろ」


「かもしれない」


透は記事を読む。


当然、能力についての記述はない。


「男は何か言ってないのか?」


「何を?」


「突然、身体が動かなくなったとか」


「記事にはないな」


「……そうか」


少し安心した。


同時に気にもなる。


あの男自身は、昨夜の異常をどう認識している?


聞けるなら聞いてみたい。


だが、接触する理由はない。

接触すべきでもない。


「で?」


悠真が言った。


「助けたんだろ?」


「ああ」


「じゃあ良かったじゃん」


「結果だけならな」


「また始まった」


「もし男が転倒して、頭を打って死んでいたら?」


「死んでないだろ」


「今回は」


「お前さ」


悠真がペットボトルの蓋を開ける。


「事故る可能性があるから車乗りません、って言ってるようなもんじゃね?」


「違う」


「何が?」


「車には法律がある。免許制度もある。安全基準もある」


透は自分の手を見る。


「俺のこれは、何もない」


悠真が黙る。


「説明書すらない」


「だから?」


「作る」


「何を?」


「ルール」


透は朝書いたページを見せた。


悠真が読む。


「……お前、自分用の法律作ってんの?」


「暫定規則だ」


「同じようなもんだろ」


「違う」


「5番」


悠真が指を差した。


『制裁を目的として使用しないこと』


「これいいじゃん」


「当然だ」


「守れよ」


透は悠真を見る。


「守る」


即答した。


     *


昼食後、悠真を観測者にして実験を再開した。


今日は距離と認識。


悠真がベランダ側へ対象物を置く。


透明ケースを3つ用意し、そのうち1つだけにワッシャーを入れる。


透には、どのケースか教えない。


「これ意味ある?」


「俺が対象を視認する必要があるか確認できる」


「ああ」


「それから、位置を知らなくても作用するか」


「なるほど」


5メートル。


開始。


結果、対象が見えない状態では成功率が大きく下がった。


「見えないと駄目っぽいな」


悠真が言う。


「まだ断定できない」


「出た」


次。


窓越し。


成功。


カーテン越し。


失敗。


スマートフォンのカメラ越し。


失敗。


鏡越し。


「これ面白そう」


「遊びじゃない」


「分かってるって」


透は鏡に映るワッシャーを見る。


――右。


動かない。


もう1度。


――右。


カッ。


「お」


悠真が振り返る。


「動いた」


透も直接確認する。


確かに位置が変わっている。


「鏡はあり?」


「待て」


透は考える。


スマートフォンの映像では失敗。


鏡では成功。


違いは?


「リアルタイム性?」


「スマホもリアルタイムじゃね?」


「ほぼな」


「じゃあ何?」


「……光学的な像?」


「何それ?」


「分からない」


透は鏡を見る。


「認識かもしれない」


「認識?」


「距離そのものじゃない可能性がある」


昨夜は43メートル。


男の姿はかなり小さかった。


それでも自分は明確に、


『あの男』


と認識していた。


「物理的な距離だけじゃない?」


悠真が聞く。


「可能性がある」


「じゃあ何で決まるんだよ?」


「分からない」


透はほんの少し笑った。


悠真がそれを見る。


「楽しそうだな、お前」


「そう見える?」


「めちゃくちゃ」


透は否定しなかった。


未知の現象。

そこに法則がある。


まだ誰も知らない。


それを1つずつ解いていく。


楽しくないはずがなかった。


     *


午後3時14分


「透」


ベランダにいた悠真が突然、声を上げた。


「何だ?」


「あれ」


道路を指差す。


1台の自転車。


その先で、小さな男の子が歩道から飛び出した。


「……!」


自転車の男が気づく。


ブレーキ。


間に合わない。


透は考えなかった。


――止まれ。


自転車が止まった。


急停止。


乗っていた男の身体だけが前へ投げ出される。


「っ!」


男が道路へ転がった。


子供が泣き出す。


「救急車!」


悠真がすぐに走り出す。


透もスマートフォンを掴んだ。


     *


幸い、男は軽傷だった。


肘と膝の擦り傷。

頭は打っていない。


子供にも怪我はない。


母親が何度も頭を下げていた。


透は少し離れた場所から、その様子を見ていた。


悠真が戻ってくる。


「大丈夫だって」


「ああ」


「助かったな」


「……」


「透?」


「俺が止めた」


「見てた」


「自転車だけを」


「うん」


「乗ってる人間の運動は、そのままだった」


悠真が黙る。


「俺がもう少し強く止めていたら?」


「……」


「車だったら?」


「透」


「高速道路だったら?」


「やめろって」


「必要だ」


透は自分の手を見る。


「能力の対象は選べる」


自転車。

人間。


別々。


「でも、周囲の物理法則まで都合よく処理してくれるわけじゃない」


自転車を止めれば、人間は前へ飛ぶ。


車を止めれば、中の人間はそのまま進もうとする。


物を動かせる。


だから安全に人を助けられる。


そんな単純な話ではなかった。


「さっきの子」


悠真が言った。


「怪我なかったぞ」


「結果論だ」


「でも助かった」


「男は怪我した」


「じゃあ何もしなかった方がよかった?」


「……」


透は答えられなかった。


自転車が子供へ衝突していたら、もっと大きな怪我をしていた可能性が高い。


能力を使った判断自体は間違っていない。


だが、方法は最適ではなかった。


「……次は」


「ん?」


「自転車と人間を同時に減速させる」


「できんの?」


「分からない」


「じゃあ――」


「できるようにする」


悠真が透を見る。


その目に、わずかな不安が浮かんでいた。


透は気づかなかった。


     *


午後5時26分


川崎警察署。


1人の刑事が、2枚の報告書を机へ並べていた。


1枚目。


昨夜の暴行事件。


容疑者の供述。


『突然、身体が動かなくなった』


2枚目。


今日の自転車事故。


目撃者の供述。


『自転車が壁にぶつかったみたいに突然止まった』


「……」


榊原慎吾(さかきばら しんご)は、コーヒーを1口飲んだ。


偶然。


昨夜の男は混乱していた。

身体がすくんだだけかもしれない。


今日の自転車は急制動。

路面。

整備不良。


原因はいくらでも考えられる。


そもそも事件の種類が違う。


1件は暴行。

1件は交通事故。


関連づける理由はない。


場所が近い。


今のところ、それだけだ。


榊原は2枚の報告書を重ねた。


片づけようとして、手を止める。


「……近いな」


地図を開く。


2つの地点。


直線距離、数100メートル。


偶然として十分あり得る。


「だから何だ」


自分にそう言った。


事件性もない。

共通の容疑者もいない。

同じ道具もない。


今の段階で結びつける根拠はない。


榊原は報告書を捨てなかった。


ただ、机の端へ置いた。


     *


その夜。


透は自宅で、新しい実験項目を書いていた。


『運動中の対象への干渉』


『対象全体と構成物の関係』


『慣性は通常通り作用する』


『安全な減速方法』


同じころ。


榊原は警察署で、2件の報告書を薄いファイルへまとめていた。


表紙には、まだ事件名すらない。


2人は互いの存在を知らない。


1人は、力の法則を探し始めた。


もう1人は、その力が残した奇妙な共通点を拾い始めた。


見ているものが違うだけで、やっていることはよく似ていた。

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