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夜が完全に明けきる前の神殿は、妙に冷えていた。


廊下を渡る空気まで張りつめていて、誰も大きな声を出さない。

レオンが助かったことで、ようやく落ち着けるはずだった。

けれど実際には、そこで終わらないと全員が知ってしまったからだ。


エドガルド補佐は、神殿の奥の小さな取調室に移されていた。


両手を封じられ、祈祷札を巻かれ、背後には騎士が二人。

それでも、表情はまだ静かだった。


ラティアはその部屋の外に立っていた。


中にいるのはユリスとカイル、それにサラ。

レオンはまだ起き上がるのもつらいから、別室だ。


扉の向こうから聞こえる声は、低く抑えられていた。


「どこだ」


ユリスの声だった。


短く、冷たい。


少し間が空く。


「何のことでしょう」


エドガルド補佐の声は、驚くほどいつも通りだった。


その静かさが、かえってぞっとする。


カイルが苛立ちを隠さずに言う。


「まだとぼけんのか」


「レオンを落とした時点で、もう言い逃れできねえぞ」


「言い逃れをしているつもりはありませんよ」


補佐は淡々と返した。


「必要なことをしたまでです」


ラティアの指先が、無意識に守り紐を握る。


必要なこと。


その言い方が、ゼウランの手記と同じ匂いをして、ひどく嫌だった。


中ではサラが静かに問うていた。


「あなたが運んでいた移管簿、閲覧記録、祈祷札の台紙」


「どれもゼウラン関連のものへ手が入っていました」


「命じられていたのですか」


小さな沈黙。


それから、エドガルド補佐が答える。


「命じられた、という言い方は少し違います」


「理解したのです」


「何を」


今度はユリスだ。


声がさらに低い。


補佐は少しだけ息を吐いた気配を見せた。


「王都が、今のままでは保たないことを」


ラティアの背筋がひやりとする。


またそれだ。


“守る”ため。

“保つ”ため。

その言葉の形だけは、いつも正しい。


だから余計に気持ちが悪い。


カイルが吐き捨てるように言った。


「だから残滓で結界を組み替えるのかよ」


「組み替えるのではありません」


エドガルド補佐の声が、そこで初めて少しだけ硬くなった。


「戻すのです」


「本来あるべき流れへ」


扉の向こうの空気が、わずかに張る。


ラティアには見えない。

でも、ユリスの目が鋭くなったのが分かる気がした。


「場所を言え」


沈黙。


長くはなかったのに、妙に重い間だった。


やがて補佐が静かに言う。


「もう遅いですよ」


ラティアの心臓が跳ねる。


中で椅子が鳴る音がした。

カイルが一歩踏み込んだのかもしれない。


「何がだ」


ユリスの声は変わらない。


変わらないまま、底だけが冷えている。


「核はもう、補助核保管庫にはありません」


エドガルド補佐は淡々と続けた。


「器を育てる段階は終わった」


「集められた欠片は、継ぎ目へ戻されるべきです」


その言葉を聞いた瞬間、ラティアの喉が少し詰まった。


継ぎ目。


そこへ戻す。


サラが鋭く問う。


「どこの継ぎ目です」


「北の中心」


補佐はそう答えた。


それ以上のことは言わない。


カイルが舌打ちする。


「北のどこだよ」


「言う必要がありますか」


補佐の声は、また静かだった。


「あなた方はもう、そこまで辿り着いているはずだ」


その一言で、扉の向こうがまた静かになる。


ラティアはそこに、何かが確かにあると感じた。


エドガルドは場所を全部は言わない。

でも、“もう分かるはずだ”と言った。


それはつまり、記録の中に答えがあるということだ。


扉が開く。


最初に出てきたのはカイルだった。


眉間に深い皺を寄せている。


「嫌な野郎だな、ほんと」


その後ろからサラが出る。


表情は整っている。

けれど、目の奥は冷たかった。


最後にユリスが出て、扉を閉める。


ラティアが小さく問う。


「……分かった?」


サラが静かに頷く。


「場所の名は言いませんでした」


「ですが、“北の中心”“継ぎ目”“もう分かるはず”」


「そこまで言うなら、記録の方へ戻るべきです」


ユリスが短く言う。


「レオンのところへ行く」



別室の寝台の上で、レオンは半身を起こしていた。


顔色はまだ悪い。

でも、目ははっきりしている。


サラが入るなり「起きないでください」と言いかけたが、レオンは先に手元の紙を上げた。


「起きるよ」


「今の話、聞こえた」


カイルが呆れたように息を吐く。


「地獄耳か」


「君らが廊下で全部顔に出してるからでしょ」


弱った声なのに、返しだけは少しだけいつもの調子に戻っていた。


ラティアはその顔を見て、胸の奥が少しだけゆるむ。


レオンは机代わりに引き寄せた板の上へ、移管簿とゼウランの図面を広げた。


「“北の中心”」


「たぶん、封鎖区画のことじゃない」


ユリスが短く問う。


「理由は」


「封鎖区画は育てる場所だったから」


レオンの指が、いくつかの図面を順に叩く。


「孤児院、灯楼跡、管理棟、補助核保管庫」


「どれも欠片を寄せるための中継点だ」


「でも、最終的に流し込む“継ぎ目”は別にある」


サラが神殿側の古い図を開いた。


「北側主補助線……」


「この線ですね」


そこには、王都北辺を走る補助線が描かれていた。

灯楼や祈祷所を結ぶ細い線とは別に、さらに太い一本がある。


レオンが頷く。


「うん。それ」


「北側全体を支えてる主継ぎ目」


「普段は表に出ない。だから余計に気づかれにくい」


カイルが図面を覗き込む。


「場所は」


レオンの指が、北側封鎖区画のさらに外れに止まる。


そこには古い記号が描かれていた。


「第一主祈祷塔跡」


ラティアは小さく息を呑む。


その名は、今まで出てこなかった。

でも、図の中でそこだけが妙に重く見える。


サラが小さく眉を寄せる。


「今は閉鎖されているはずです」


「封鎖区画のさらに先ですね」


「だからだよ」


レオンの目が鋭くなる。


「人目につかない」


「しかも、主継ぎ目の真上だ」


ユリスは迷わず言った。


「そこだな」


レオンは小さく頷いた。


「たぶん」


「エドガルドが“もう遅い”って言ったのも分かる」


「器の段階が終わってるなら、次は主継ぎ目へ流すしかない」


ラティアの指先が少し冷たくなる。


器を育てる段階は終わった。

その言葉が頭の中で嫌に響いた。


今まで集められていた残滓が、もう“集めるだけ”ではなくなっている。


次は流し込まれる。


それが主継ぎ目なら、王都そのものへ届く。


「……急がなきゃ」


気づけば、そう言っていた。


レオンがラティアを見る。


その目はやわらかかったが、言葉は真っ直ぐだった。


「うん」


「ただし、今度はもっと危ない」


「封鎖区画までとは違う」


カイルが低く言う。


「向こうも本命守ってるってことだろ」


「ええ」


サラが頷く。


「しかも、ここまで準備を進めているなら、ゼウラン本人がいる可能性もあります」


その一言で、部屋の空気が変わる。


ようやくそこへ辿り着く。


名前だけだった人。

手記の向こうにいた人。

王都を“正す”つもりで歪め続けてきた人。


ラティアは無意識に守り紐を握る。


怖い。


でも、ここで止まったら、今まで助けてきたもの全部が遅れる気がした。


その時、レオンが少しだけ身じろぎした。


痛みが走ったらしい。

眉がわずかに寄る。


ラティアがすぐ身を乗り出す。


「起きないで」


「まだ無理でしょ」


レオンはかすかに笑う。


「無理でも行くって言いたいところなんだけど」


「今日はさすがに怒られそう」


「当たり前です」


サラが即答した。


カイルも鼻を鳴らす。


「お前は寝てろ」


「頭だけ貸せ」


レオンは肩をすくめようとして、少しだけ顔をしかめた。


それでも、ラティアを見る目はやわらかい。


「君、またそんな顔してる」


「どんな顔」


「一人で行きそうな顔」


ラティアは少しだけ言葉に詰まる。


図星だった。

怖いけど、行かなきゃとは思っていた。


レオンは小さく息を吐く。


「一人で行くなよ」


弱った声なのに、その言葉だけは妙にはっきりしていた。


「ちゃんと、みんなで行って」


ラティアの胸が小さく鳴る。


「……うん」


答えると、レオンは少しだけ目を細めた。


その時、扉のところでユリスが言った。


「準備は一刻でいい」


「そのあと出る」


迷いのない声だった。


サラがすぐ頷く。


「祈祷札と封印具を増やします」


「主継ぎ目なら、通常の浄化だけでは足りません」


カイルも弓を肩へ引き上げる。


「騎士も最低限つけた方がいいだろ」


「足止め用なら使える」


ユリスは一瞬考え、短く答えた。


「前に出すな」


「補助だけだ」


「了解」


ラティアはそのやりとりを聞きながら、少しだけ息を整える。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吐く。


次で終わるとは限らない。

でも、次で止めなければいけない。


レオンが机代わりの板の上に、指先で図の一点を示した。


第一主祈祷塔跡。


その記号は小さいのに、妙に重かった。


「ここだよ」


レオンが静かに言う。


「核は、たぶんここにある」


その一言で、全員の意識が揃った。


ラティアは図面を見つめる。


怖さは消えていない。

けれどその下で、別の気持ちが少しずつ形になっていく。


今まで勝手に見られてきたこと。

勝手に条件にされたこと。

勝手に“器”と数えられたこと。


全部、嫌だ。


だから、止める。


「行こう」


小さく言うと、ユリスが一度だけ頷いた。


「行くぞ」


部屋の空気が、そこで静かに前へ動き出した。

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