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王城を出たあとの空は、思っていたより明るかった。


高い位置から射す昼の光が白い石畳に反射して、王都の景色をいつもより少しだけ遠く見せる。


それなのに、ラティアの胸の中はまだ静かじゃなかった。


リディアの「久しぶりね」。

ミレイユの視線。

王の言葉。


ひとつひとつは短かったのに、残るものばかりだった。


「ぼーっとしてる」


すぐ隣からレオンの声がした。


ラティアがはっと顔を上げると、レオンがこちらを見ている。


「してた?」


「してた」


即答だった。


「階段、あと一段あったよ」


言われて初めて、足元に意識が戻る。


「あ……」


少し遅れて下りると、レオンがくすっと笑った。


「大丈夫?」


「……大丈夫」


そう答えたものの、少しだけ恥ずかしい。


その様子を見ていたのか、前を歩いていたカイルが振り返る。


「王城で階段踏み外すなよ」


「踏み外してない」


「未遂だろ」


「未遂でもない」


思わず言い返すと、カイルが肩を揺らした。


その小さなやりとりで、胸の奥の張りつめたものが少しだけゆるむ。


「馬車は使わない」


前からユリスの声が落ちた。


全員の意識が切り替わる。


「王城から神殿までは歩く」


「その間に整理するぞ」


短い。

でも十分だった。


レオンもすぐに頷く。


「ちょうどいいね。頭の中で並べ直したかった」


サラが静かに問う。


「北側の報告から見ますか?」


「いや、その前に残り香の整理だ」


レオンは歩きながら、手元の紙束を軽く持ち直した。


「孤児院の礼拝室に残ってた気配と、北側の軽症報告」


「この二つが本当に同じ流れか、まずそこを揃えたい」


ラティアも、少し意識を前へ向ける。


ざわついていた胸が、現実へ戻ってくる。


「ラティア」


名前を呼ばれて顔を上げると、ユリスが振り返らないまま言った。


「さっきの気配、まだ辿れるか」


ラティアは少しだけ目を閉じる。


礼拝室の壁の裏に残っていた、あの薄い冷たさ。

乾いた匂い。

焦げた残り香みたいな感覚。


「……うっすらなら」


「消えてはない」


「それでいい」


ユリスの返事は短かった。


その声だけで、迷いなく次へ進んでいいのだと分かる。


レオンが横から続ける。


「北側の報告地点、あとで地図に落とす」


「君が感じた順で指してもらえる?」


「うん」


「助かる」


さらっと言う。


その言い方があまりに自然で、ラティアは少しだけ瞬きをした。


レオンは気づいたのか、ほんの少しだけ笑う。


「今の君の感覚、かなり重要だから」


「遠慮しないで使わせてもらうよ」


その言葉に、ラティアは小さく頷いた。


王城を抜け、大通りへ出る。


昼の王都は、人の気配に満ちていた。


商人の声。

荷車の軋む音。

子どもの笑い声。


さっきまで王の前にいたことが、少しだけ現実味を失うほど、街はいつも通りに見える。


けれど、見えないところでは確かに何かが動いている。


神殿へ戻る頃には、エドガルド補佐から先に記録が運び込まれていた。


控えの間の机いっぱいに、王都北側の簡易地図と相談記録が並べられている。


「早いですね」


サラが言うと、補佐は穏やかに頷いた。


「王命が出ましたので」


その声音はいつも通り落ち着いていて、乱れがない。


「北側の相談記録、過去三日分を優先して集めさせました」


「助かります」


レオンがすぐ机へ向かう。


「これでようやく全体が見られる」


カイルは机の端に寄りかかり、記録を覗き込む。


「症状は?」


エドガルド補佐が一枚の紙を抜き出した。


「眠気、頭痛、倦怠感、悪夢」


「いずれも軽症です」


「表に出にくいな」


カイルが低く言う。


「寝りゃ治るで済まされる」


「だから広がる」


レオンが短く返す。


ラティアは机の横に立ち、並べられた地図を見つめた。


王都北側の区画が細かく描かれている。

道。

古い建物。

小さな礼拝所。

使われなくなった見張り台。

そして、報告のあった場所に小さく印が付いていた。


赤。

青。

黒。


「これ、全部?」


「現時点では」


エドガルド補佐が答える。


「まだ軽い訴えで医師や神殿へ来ていない者もいるでしょう」


レオンが紙を並べ替えながら言う。


「十分多い」


「しかも、わざと散らしてる」


サラが問う。


「散らしている、というのは」


「密度を見えにくくするため」


レオンは指先でいくつかの印をなぞる。


「一箇所に集めたら、さすがに異変だって分かる」


「でも軽症を点在させれば、“偶然”に見える」


ラティアは地図を見つめたまま、小さく息を吸った。


点。

点。

点。


ばらばらに置かれているように見える。


でも、見ているうちに、妙な違和感が出てくる。


「……これ」


ぽつりと零れた声に、全員の視線が集まる。


ラティアは地図の一点を指した。


「ここから……こっち」


さらに別の印へ指を動かす。


「それで、ここ」


レオンがすぐ隣へ来る。


「順番に見えてる?」


「順番っていうか……」


ラティアは眉を寄せる。


言葉にするのが難しい。


「同じ感じがするところ」


「濃い順に、なんとなく分かる」


レオンの目が鋭くなる。


「続けて」


ラティアは地図の上を、ゆっくり指で辿った。


一つ。

二つ。

三つ。


指先が進むたび、ばらばらだった印が少しずつ繋がっていく。


「……囲んでる?」


サラが小さく言う。


レオンも息を止めるみたいに黙る。


ラティアの指は、最後に北側のやや高い区画で止まった。


そこだけ、不自然に印がない。


でも、何もないわけじゃない。


むしろ逆だった。


そこが、一番“冷たい”。


「ここ」


ラティアが言う。


「ここが変」


沈黙。


レオンが別の地図を引き寄せた。


今度はもっと古い図面だった。


今は消えている小道や、昔の設備が薄く書かれている。


レオンの視線が一点で止まる。


「……灯楼」


カイルが顔を上げる。


「前に出たやつか」


「うん」


レオンの声は低い。


「今は使われてない古い灯楼跡」


「北側の高台の外れにある」


サラが地図を覗き込んだ。


「印のない中心が、そこですか」


「たぶんね」


レオンはラティアを見る。


「君が感じたのも?」


ラティアはゆっくり頷く。


「うっすらだけど……礼拝室の残り香と似てる」


その瞬間、部屋の空気がまた変わる。


カイルが口元を歪めた。


「当たりか」


「まだ確定じゃない」


レオンはそう言いながらも、声はもう次へ進んでいた。


「でも、かなり近い」


ユリスが短く問う。


「今から行くか」


サラが時計代わりの小さな砂時計へ目を向ける。


「日暮れ前なら、周辺の確認までは可能です」


「踏み込みは暗くなる前にしたいですね」


レオンも頷く。


「灯楼跡が本当に中心なら、夜の方が向こうに利がある」


エドガルド補佐が静かに口を開いた。


「神殿騎士をつけましょうか」


ユリスは首を振る。


「まだいらない」


「気づかれる」


その返答は早かった。


補佐はすぐに引く。


「承知しました」


ラティアは地図を見つめたまま、指先を少しだけ握る。


中心。


そこへ行けば、また何かに触れるかもしれない。


怖くないわけじゃない。


でも、孤児院で感じた“向こう側”に、一歩近づける気がした。


その時、机の端に置いていた指先へ、何かが軽く当たる。


見ると、ユリスが小さな革袋を置いていた。


中には干し果実が入っている。


ラティアが目を上げると、ユリスは地図を見たまま言った。


「食え」


「……今?」


「今だ」


短い。


けれど逆らえない。


ラティアは少しだけ袋を開けて、中の一つをつまんだ。


甘酸っぱい味が口の中に広がる。


その様子を見て、カイルが小さく笑う。


「子どもか」


「うるさい」


ラティアがすぐ返すと、カイルは肩を揺らした。


レオンも横で少し笑っている。


「でも、ちょっと顔色戻った」


ラティアは思わず口を閉じる。


そう言われると、余計に意識してしまう。


ユリスは何も言わない。

でも、最初の一つを食べたのを見てから、ようやく地図へ視線を戻した。


そのことに気づいて、胸の奥が少しだけ熱くなる。


レオンが指先で灯楼跡を叩いた。


「決まりだね」


「次はここ」


ラティアも小さく頷く。


「……うん」


怖い。

でも、もう目を逸らしたくはなかった。


孤児院で助けられた子どもたち。

王の言葉。

ミレイユの視線。

リディアの「久しぶりね」。

そして、今こうして黙って干し果実を置いてくるユリスの手。


全部が胸の中で、きれいに整理なんてできないまま重なっている。


それでも。


前へ進むしかないことだけは、もうはっきりしていた。


控えの間の窓から見える空は、ゆっくり午後へ傾き始めている。


その光の下で、地図の上の灯楼跡だけが、妙に冷たく見えた。

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