表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/74

58

王城へ向かう馬車の中は、思ったより静かだった。


揺れに合わせて窓の外の光が流れていく。

昼の王都はいつも通りに見えるのに、ラティアには少し違って見えた。


孤児院の礼拝室。

床に焼け残った術式。

壁の向こうに残っていた冷たい気配。


助かった。

けれど終わってはいない。


その実感が、馬車の揺れのたびに胸の奥で小さく鳴る。


向かいの席で、レオンが書類を軽く叩きそろえていた。


術式の記録。

北側の報告。

観測地図の写し。


その横でカイルは腕を組んだまま、目を閉じている。

寝ているようにも見えるが、たぶん起きている。


サラは静かに手を重ねていた。

祈るというより、気持ちを整えているような顔だ。


そしてユリスは、ラティアの斜め前に座っていた。


いつも通り、姿勢は崩れない。

けれど馬車が大きく揺れた時だけ、ラティアの方に視線が来る。


それだけで、少しだけ呼吸が楽になる。


「緊張してる?」


不意にレオンが顔を上げた。


ラティアが目を瞬くと、レオンは少しだけ笑う。


「顔、ちょっと固い」


「……してる、かも」


正直に答えると、カイルが片目も開けずに言った。


「王に食われるわけじゃねえよ」


「そういう言い方やめてください」


サラがすぐにたしなめる。


「余計に緊張します」


「じゃあ、“背筋が疲れるだけ”にしとくか」


「変わりません」


そのやりとりに、ラティアは少しだけ口元をゆるめた。


レオンもそれを見て、やわらかく言う。


「大丈夫。ちゃんと話せばいいだけだよ」


少し間を置いてから、さらに続ける。


「さっきみたいにね」


ラティアの胸がわずかに鳴る。


視線が少し揺れたのを見たのか、ユリスが短く言った。


「息」


ラティアははっとして、静かに息を吸う。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吐く。


馬車が止まった。


「着いたか」


カイルがようやく目を開ける。


扉が開き、王城の白い石壁と、高く整えられた回廊が見えた。



謁見の間へ通される前、長い回廊の途中で、一人の女性がこちらへ歩いてきた。


深い青を基調にした王城勤めの衣装。

飾り気は多くないのに、立ち姿が整っていて目を引く。


艶のある濃い茶髪を後ろでまとめ、無駄のない足取りで近づいてくる。


年の頃は、ユリスたちとそう離れていないように見えた。


その女性は一行の前で立ち止まり、礼儀正しく一礼する。


「ご案内いたします」


落ち着いた声だった。


けれど次の瞬間、その視線がユリスを捉えた時だけ、ほんの少しだけ表情がやわらいだ。


「……久しぶりね、ユリス」


ラティアの足が、ほんの少しだけ止まる。


その呼び方が、他の人に向けるものと違って聞こえた。


ユリスは女性を見る。


ほんのわずかに間があった。


「……久しぶりだな、リディア」


低く短い声。


それだけなのに、ラティアの胸のどこかが小さくざわつく。


リディアは微笑んだ。


「元気そうでよかった」


それから一行へ向き直る。


「失礼しました。王がお待ちです」


声音はすぐに公のものへ戻っていた。


でもラティアの胸のざわつきは、すぐには消えない。


リディアの先導で、回廊を進む。


途中、カイルが小さくユリスを見た。


「知り合いか」


聞き方は軽い。

でも、当然分かっていて聞いている声だった。


ユリスは前を見たまま答える。


「昔の」


それだけだった。


ラティアがわずかに目を瞬く。


昔の。


その二文字だけでは、うまく意味が掴みきれない。


その時、カイルがラティアの横で、声をひそめもせずに言った。


「元恋人」


「……っ」


ラティアの足が、ほんの一瞬だけ止まりかける。


カイルは気にした様子もなく続けた。


「王城勤めになった頃には、もう切れてたはずだけどな」


「カイル」


サラがたしなめるように名を呼ぶ。


「今、それ言う必要あります?」


「いや、隠す話でもねえだろ」


あっさりしたものだった。


けれど、そのぶん余計に現実味がある。


元恋人。


その言葉が、遅れて胸の奥へ落ちてくる。


ラティアは思わず前を歩くリディアを見る。


背筋の伸びた、きれいな後ろ姿。

迷いのない足取り。

そして、さっきユリスへ向けた、ほんの少しだけやわらいだ目。


元恋人。


その言葉を知ってしまった瞬間、さっきの「久しぶりね」の響きまで、急に違うものになる。


横でレオンが、ほんの少しだけ視線を寄こした。


気づかれたかもしれない。


そう思って顔を上げた時には、レオンはもう何も言わずに前を向いていた。


リディアは前を向いたまま歩いている。


振り返らない。

けれど、ユリスの歩幅を知っている人みたいに、案内の速さがちょうどよかった。


そのことまで、なぜか少し気になる。


やがて重い扉の前で立ち止まり、リディアが衛兵へ合図を送る。


「勇者一行、および協力者ラティア様をお連れしました」


声が通る。


扉が、ゆっくりと開かれた。



王座の間は広かった。


高い天井。

磨かれた床。

奥にある王座。


その前に立つ人物を見て、ラティアは思わず息を止める。


王の傍らに、見知らぬ女の人が立っていた。


淡い金の髪。

白を基調とした神殿の正装。

光をやわらかく集めたみたいな、整った空気。


その人は美しかった。


派手な美しさではない。

けれど、目を離しにくい。


王に仕える光、という言葉がそのまま形になったような人だった。


そして、その少し後ろには、エドガルド補佐が静かに控えている。


「面を上げよ」


王の声が、低く落ちた。


威圧ではない。

けれど、逆らえない重みがある。


一行が頭を上げる。


王はユリスたちを見渡し、最後にラティアへ視線を向けた。


「孤児院の件、報告は受けている」


その声には、すでに怒りの芯があった。


「子どもたちを苗床にしようとした、か」


短い沈黙。


「……許しがたいな」


その一言で、部屋の空気がさらに引き締まる。


王はユリスへ視線を戻した。


「まずは現場の状況を」


「は」


ユリスが一歩進み出る。


説明は短く、無駄がなかった。


孤児院に到着した時の状況。

礼拝室に集められていた子どもたち。

床に刻まれていた術式。

術式の先に繋がる何者かの気配。


王は最後まで遮らずに聞く。


続いてレオンが進み出た。


「術式は、眠らせるためのものではありませんでした」


いつもの軽さはない。


「眠りと不安を器にして、残滓を定着させる型です」


「時間が経てば、礼拝室全体でひとつの核になっていた可能性が高い」


王の眉がわずかに動く。


「核、か」


「はい」


レオンは頷く。


「魔導院の術式に、神殿の祈祷式を反転させた構造が重なっていました」


「単独の異変ではなく、王都全体の継ぎ目に手をかけている可能性があります」


今度はサラが一歩進む。


「神殿側から見ても、かなり悪質です」


その静かな声の奥には、はっきり怒りがあった。


「守るための型を、眠りを深く落とすために捻じ曲げていました」


王はゆっくり頷いた。


「北側の軽症報告とも繋がるか」


「おそらく」


レオンが答える。


そこで王の視線が、再びラティアへ向いた。


「ラティア」


名を呼ばれて、肩が少し強張る。


けれど、隣から低い声が落ちた。


「大丈夫だ」


ユリスだった。


ほんの小さな声だったのに、不思議と胸の奥まで届く。


ラティアは小さく頷いて、一歩進んだ。


「……はい」


王は静かに問う。


「其方は、術の主の気配を感じたのだな」


ラティアは息を整える。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


「はい」


声は少しだけ緊張していた。


それでも続ける。


「黒いものそのものは、もうほとんど消えていました」


「でも、壁の向こうに……そこにいた“誰か”の気配だけが残っていて」


王は目を細める。


「それを追えるか」


ラティアは少しためらう。


けれど、嘘はつきたくなかった。


「はっきりは、まだ」


「でも……同じような気配なら、分かるかもしれません」


その言葉に、王は短く頷く。


「十分だ」


その時だった。


王の傍らに立っていた女の人が、静かに口を開いた。


「孤児院の子どもたちを救ってくださったと伺いました」


声まで綺麗だった。


やわらかいのに、よく通る。


その人はラティアへ向かって、穏やかに微笑む。


「ありがとうございます、ラティア様」


ラティアは少し遅れて会釈する。


「……いえ」


王が言う。


「紹介しておこう。聖女ミレイユだ」


聖女。


その言葉に、ラティアは一瞬だけ息を止めた。


ミレイユは静かに一礼する。


所作は無駄がなく、完璧だった。


「王都北側の件、私も報告を受けております」


ミレイユの視線が、一度だけユリスへ向く。


ほんの一瞬だったのに、近さのある自然な目配せだった。


ラティアの胸のどこかが、少しだけざわつく。


「本来なら私も浄化に加わるべきでしたが、孤児院の件はあまりに急でした」


ミレイユはそう言ってから、もう一度ラティアを見た。


「向こうへ届く浄化、ですか……」


その目はやわらかい。

でも、少しだけ観察するようでもあった。


「興味深いお力ですね」


ラティアは返事に迷う。


その前に、レオンが一歩出た。


「興味深いのは確かですけど、簡単に語れるものでもないんですよ」


軽い口調にも聞こえるのに、目は笑っていない。


王はそれを咎めず、むしろ続きを促した。


レオンは肩をすくめる。


「守りと攻撃が同時に走る可能性がある」


「だからこそ、扱いを間違えたくない」


王はしばらく黙っていた。


それからゆっくりと口を開く。


「王都の継ぎ目を使っているのなら、もはや局地の異変では済まぬ」


その声音に、王としての決断がにじむ。


「北側一帯の調査を正式に許可する」


「神殿、魔導院、いずれも記録の閲覧を認めよ」


後ろに控えていたエドガルド補佐が、静かに頭を下げた。


「承知いたしました」


王はさらにユリスを見る。


「ユリス」


「は」


「本来なら、ミレイユは其方の補佐として動かすことも考えていた」


王の声音は淡々としていた。


「将来を見据えた話も出ている間柄だ。連携にも支障はあるまいと思っていたが」


ラティアの指先が、わずかに固まる。


“将来を見据えた話”。


その言い方が、ただの協力関係ではないことを、かえってはっきり伝えてきた。


ミレイユは表情を崩さなかった。

けれど、その話題を否定も訂正もしない。


それだけで十分だった。


王は続ける。


「だが現状、現場で最も手掛かりを掴んでいるのは其方らだ」


「まずは今の体制で進めよ」


「御意」


ユリスの返答は短い。


いつも通りにも聞こえたが、その素っ気なさは、かえって余計なものを感じさせた。


王が最後にラティアへ向き直る。


「ラティア」


「……はい」


「其方の力は、危うくもあるのだろう」


その言葉に、胸が小さく鳴る。


「だが、孤児院の子らを救ったのも、また其方だ」


王の声は低く、まっすぐだった。


「そのことは、忘れぬように」


ラティアは少しだけ目を見開く。


責められると思っていたわけではない。

けれど、そんなふうに言われるとは思っていなかった。


「……はい」


やっとそれだけ答えると、王は頷いた。


「下がってよい」



謁見の間を出て、長い回廊へ戻った瞬間、ラティアは小さく息を吐いた。


張っていたものが、一気に少しだけほどける。


「肩こったろ」


カイルが横で言う。


「……うん、ちょっと」


「だろうな。あれは俺でも疲れる」


「カイルでも?」


「俺だから、だな」


それが冗談なのか本気なのか分からなくて、ラティアは少しだけ笑った。


「ちゃんとしてたよ」


レオンが隣に並ぶ。


「報告も、落ち着いてた」


「そうかな……」


「そうだよ」


レオンはやわらかく笑う。


「少なくとも、王の前で固まるかと思ってた」


「ひどい」


ラティアが小さくむくれると、レオンが肩を揺らす。


その少し後ろを、ミレイユがエドガルド補佐とともに歩いていた。


数歩進んだところで、ミレイユがユリスを呼び止める。


「ユリス様」


呼び方が妙に自然だった。

何度もそう呼んできた人の響きだった。


ラティアの足が、ほんの少しだけ鈍る。


ユリスは振り返る。


「何だ」


声音は礼儀を欠かない。

でも驚くほど淡々としていた。


ミレイユは穏やかな笑みを崩さない。


「北側の件、私にも共有を」


「父も案じておりますし、私も動けるよう準備を整えておきます」


その言い方にも、王家や神殿の正式な話の延長にいるような近さがあった。


「必要なら後ほど資料を回す」


短い返答。


それだけだった。


ミレイユの笑みが、ほんの少しだけ止まる。


けれどすぐに整う。


「……分かりました」


そのやりとりを、ラティアは見ないふりをしようとして、うまくできなかった。


横でレオンが、ほんの少しだけ視線を寄こす。


気づかれたかもしれない。


そう思った瞬間、前から低い声が落ちた。


「行くぞ」


ユリスだった。


いつの間にかこちらへ戻ってきている。


ラティアははっとして顔を上げる。


ユリスはもう前を向いていた。

けれど歩く速度は、ほんの少しだけラティアに合わせてあった。


そのことに気づいて、胸のざわつきが少しだけ別のものに変わる。


「……うん」


小さく返して、歩き出す。


後ろではエドガルド補佐が静かに一礼していた。


表情は穏やかで、少しも不自然なところはない。


それなのに、なぜかラティアは、ほんの一瞬だけ冷たいものを感じた。


説明できるほどの違和感ではない。

ただ、薄く残る残り香みたいな感覚。


でも、次の瞬間にはもう消えていた。


王城の窓から射す昼の光は明るい。


それでもラティアの胸の奥では、まだ消えないものがいくつもあった。


王の言葉。

リディアの「久しぶりね」。

ミレイユの視線。

レオンのやわらかな声。

そして、迷いなくこちらへ戻ってきたユリスの足音。


全部を抱えたまま、ラティアはそっと息を吸う。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吐く。


まだ終わらない。


むしろ、ここからなのだ。


その実感を胸に、一行は再び王城の回廊を進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ